第16話 再戦

「ガロエラ!」

「廻りゆく者/歩みを助け/旅人の加護/僅かに宿れ!」


 ソラリアの声かけと同時、ルナリの魔術が完成する。癒し手の中には、強化魔術と呼ばれる魔術を扱える者がいる。瞬間的ではあるが、対象者の身体能力を向上させるものだ。生命力を分け与えるという技術を応用し、一瞬だけ『生命力が満ち溢れた状態』を作る――と言われているが、詳しい原理は解明されていない。


 鎧の重さをものともせず、ガロエラが軽快に後ろに飛び下がる。衝撃でガチャガチャと耳障りな金属音を立てるが、ソラリア、レルムとともに一気に下がったことでエルムの射線が開いた。


「焔の宴/願え/祈れ/転じて捧げよ/我が魔力喰らいて/獄炎よ、在れ!」


 赤黒い火球が、【群猟犬ストレイグム】を焼き払う。毛皮などの素材は手に入らないが、先に進めるのであれば【群猟犬ストレイグム】をいつまでも相手にしているよりも下に潜ったほうが稼ぎが良い。


「……大丈夫そうね。このまま、今日は10層まで行こうと思います」


 ソラリアの言葉に、全員が頷く。【群猟犬ストレイグム】相手に数回戦闘を繰り返し、パーティ全体の連携は確認できた。ソラリア、ガロエラの前衛をルナリがサポート。エルムがその間に詠唱を済ませ、レルムはエルムの護衛。余裕があればレルムも前衛に出る――というパターンが決まりつつあった。もちろん、出現する魔獣によっては対応を変えなくてはならないだろうが、基本的な動きの確認は終わったと判断してよさそうだ。


「6層の【粘液生物ソムレル】は基本的にはガロエラとレルムに任せます。7層の【羽音虫ゼブリ】は少々厄介ですので、音を出さないように慎重に行きます。狩るのは私が行いますので」


 魔獣に応じたフォーメーションを組む。【粘液生物ソムレル】はともかく、音や魔素に反応する【羽音虫ゼブリ】はソラリアが相手をするのが最も適切だ。ヴェンターは何も言わずに、ソラリアの判断を尊重する。彼の出番は、12層以降。もしくは予定しないトラブルに見舞われたときだけだ。それを、ソラリアはわかっている。


 全員が作戦を理解したことを確認し、ソラリアたちは6層に続く階段を駆け下りた。



 迷宮10層。腕の立つ斥候が存在しなければ、この階層を無傷で抜けることは不可能だと言われている。【小鬼エブ】どもの罠が各所に張り巡らされ、苦戦は必至。ちらちらと姿を見せ始めた【小鬼エブ】。薄汚れた緑色の体表に、醜く歪んだ顔。その姿と生態が、冒険者からの嫌悪を集めている。魔獣と見るや否や突撃しようとするガロエラを制する。ソラリアはあまりにも向こう見ずなガロエラがどうやってこの階層を突破したのか気になったが、彼の返答は『矢も槍も弾けるし』というしょうもない回答だった。全身金属鎧フルプレートメイルは伊達ではない。


 痺れ矢や麻痺毒つきの槍など、多種多様の罠。珍しいところでは転移式の魔導陣罠なんてものも【小鬼エブ】どもは扱う。足止めし、精神を疲弊させ、判断力を奪う。それこそが【小鬼エブ】の戦略である。


「……よし。いいわ」


 またひとつ、痺れ矢の罠を無効化し、ソラリアは全員を促す。石を踏み込む、10分以上その場でとどまる、魔素を使うなど、罠の発動条件は様々だが、【小鬼エブ】は痺れ矢の罠を好む。結局のところ、彼らにとって雌とは生け捕りが望ましいのだろう。その悪辣さに、ソラリアは忘れかけていた嫌悪を思い出す。


「半分ぐらい来たわね」


 地図を眺め、ソラリアは頷く。第10層の地図はかなりの高額でやりとりされるものだが、ソラリアはマッピング技術も持つ。【炎と風の鳥】に所属していたときに、地図は作成済みだった。迷宮のどの階層にも言えることだが、最短距離で降ることが、体力や気力、魔素の消耗を抑えることに繋がる。罠で満たされた第10層はその傾向がもっとも強い階層と言っていいだろう。


「今日はここまでにしましょう。結構奥まで来てしまったし。当面の目標は、15層まで行くことね。そこまでいけば、水や食料が多少は手に入るわ」


 迷宮の階層は、14層までが通路型迷宮。15層からはフィールド型の迷宮になる。草原や岩場など、外の自然環境が再現されている。発生した強力な魔獣に迷宮が適応し続けた結果ではないかと言われているが、本当のところはわからない。


「15層までは、誰も行ったことがないわけだけど……その辺どうなんだ、先生?」


 ガロエラの問いかけに、ヴェンターは少し考え込む。自分で調べることも大事だが、まあこうして率先して聞きに来るようになっただけでも進歩と見るべきか。


「15層は草原だな。魔獣の水飲み場になってるから少し危険だが、川もあるから飲み水の確保もできる。食べられる魔獣もいる。あることに注意すれば、一夜明かすのには最適な階層だ。実際、中級冒険者の中には15層を拠点としている者もいる」


 とある理由からあまり長居はできないのだが、それでも数日程度ならば泊まり込む冒険者も多い。ヴェンターの言葉に、周知の事実であったソラリアとレルムは軽くうなずき、エルムとガロエラとルナリは本気で感心した様子で声を上げる。

 妙な沈黙を切り裂き、ソラリアが手を叩く。


「撤退しますよ。通常通り、先頭は私が。一応ほとんどの罠を解除しながら来ましたが、迂闊に壁などを触らないように――そこの二人! 貴方たちですよ!」

「は、はい!」

「わ、わかってるわよ」


 ガロエラとエルムが直立不動で返事をする。何度か迷宮に潜り、物珍しさもなくなったらしいルナリは、つまらなさそうに後ろを歩く。最後尾をレルムとヴェンターが背後を警戒しながらついていく。帰り道を考えれば、日帰り冒険者の迷宮内の活動時間はさほど長くない。


 だからこそ、半日で15層まで降りられるようにならなければならない。15層で一泊できるようになれば、探索の効率は跳ね上がるからだ。


「戻ったらテントとかを買わないと」

「お金足りるのかな」

「ルナリ、パーティ資金の残りは?」

「金貨1枚と銀貨17枚」

「足りなければ俺も少し出そう。あんまり余裕はないが」

「無理して高い肉を買うからよ」

「ぐっ、何も言い返せない……ところで、なんでみんな目を逸らすんだ?」

「……? ま、まさか……レルム、あんた……!?」

「なんのことかわかりかねます」


 迷宮からの帰り道、彼らは気軽な様子だった。先行きに希望が見えたこともあるだろう。だが1人先頭で罠の有無を警戒するソラリアは、微かに唇を噛みしめて、首を横に振る。順調に進んでいるのだ。気にすることはない。


 自分の悩みでパーティの足を止めるわけにはいかないのだから。



 † † † †



 ソラリアの様子がおかしい。

 そのことに気づいたのは、ヴェンターだけだった。なにせ彼女は感情のコントロールが上手い。そうでもなければ斥候など任せられなかっただろうが。


 次の探索で12層を突破することを提案したのはソラリアだ。今のパーティの状態なら、行けないということはないだろう。連携の様子を見るに、ヴェンターも同じ判断だった。ミスをしないよう慎重に行動する必要はあるだろうが、15層まで行くのになんら問題はないように見える。


 もちろん、十全に力を発揮できればという前提条件付きだが。


「……」


 ヴェンターは宿屋の天井を眺めて溜息をつく。様々な人間を観察してきた彼だが、人間の感情の機微には疎い。それでもソラリアが、【炎と風の鳥】の仲間たちのことを振り切れていないのには気づいていた。


(一気に5人も仲間を失ったんじゃな……)


 引きずるのも無理はない。似たような経験はヴェンターにもあるものの、立ち直るのには時間がかかったものだ。今回は残金という明確な時間制限があるために、あまり攻略に時間をかけるわけにはいかない。これで安定した資金源があれば、もう少し丁寧に彼女の心の傷に向き合うこともできるのだが。


(俺は先生であって保護者じゃないからなぁ……)


 金を貸すことはできるが、やりたくはなかった。それにどちらにせよ迷宮には潜らなければならない。いや、潜ってもらわなければ困る。ヴェンターの目的のためにも。


 そういえば、彼らが迷宮に挑む理由は聞いていなかった。ルナリはきっと金目当てだろうが、ほかの4人が迷宮にこだわる理由までは聞いたことがない。必ず知っていなければいけないわけではないが、多少打ち解けてきた今なら、踏み込んでもいいのではないか。


「でも、まずはソラリアのこと……か」

「呼びましたか?」


 思わず飛び起きる。聞き慣れた柔らかなアルトの声は、今確かにヴェンターの耳朶を叩いたのだ。扉を見るが、部屋の扉は開いていない。ということは。


「お前、また忍び込んだのか」


 呆れたような声に、ただ笑って誤魔化すソラリア。背後に月を背負う彼女の笑顔は、なぜか涙をこらえているようにも見えた。


「何か相談事か?」

「わかっているのでしょう、先生?」


 ギッ、とベッドが想定されていない重量に悲鳴をあげた。質問を質問で返され、ヴェンターは思わず黙り込む。最近、先生と呼ばれることに妙に慣れてしまったな――と、とりとめもないことを考える。面白がって呼ぶルナリのせいで、変に定着してしまった。


「……明後日には、私たちのパーティは12層に到達するでしょう」


 ソラリアの予想。明後日、再び迷宮に潜る予定を立てた彼らは、そのまま15層まで到達する可能性すら考慮にいれていた。簡易的ではあるが、テントも2つ購入している。


 上半身を起こした状態のヴェンターに、ソラリアが迫る。太ももを挟み込むようにベッドに両手をついて首を伸ばす。気楽そうなソラリアの部屋着は首元が緩く、微かに覗いた白の肌にヴェンターはマナーとして目を逸らした。


「わかってはいます。頭では……先生がいるから、12層に挑んでも、死にはしないということは。ただ、それでも怖いんです」


 寝ればあの日のことを夢に見るのだ、とソラリアは囁く。自分以外のパーティメンバーが殺されたあの日のことが。


「なぜ、そこまでして迷宮に潜る?」


 ヴェンターの問いに、ソラリアは困ったように動きを止めた。息がかかりそうなほどの至近距離で、2人は見つめ合う。熱に浮かされたように潤むソラリアの瞳とは対照的に、ヴェンターの瞳は冷たかった。そこに獣欲の色がないことを、ソラリアは残念に思うと同時に安堵する。そんな身勝手な感情に突き動かされるかのように、ソラリアの口は開いていた。


「……約束なんです。私たちの名を、大陸中に響かせることは」


 わずかに目を伏せ、ソラリアは熱の篭もった吐息を吐き出す。


「名前……固有魔術のことか?」


 ヴェンターの問いかけに、ソラリアは困ったように眉根を寄せる。


「それもありますが……私たちは全員、ミティル帝国の“夜鴉”だったんです」


 月が冴える闇夜に、ソラリアの過去が紐解かれていく。

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