第14話 理由

 ウェイトレスが持ってきた布でテーブルを拭きながら、3人は隣の会話に耳を澄ませる。迷宮に潜っている最中でも、ここまで集中することは滅多にない。3人の目つきは真剣そのものだ。


「あ、あんた、どういうつもり?」

「ん?」


 ガロエラの不可解な行動にエルムが絶句している間に、粛々と注文は処理されてしまった。ウェイトレスは滅多にないだろう大口の注文に足取り軽くその場を後にする。残されたエルムは声を潜めてガロエラを問い詰める。


「とぼけないで。あんな高い料理、どうして頼んだの」


 目と言葉に力を籠め、正面の男に詰め寄る。エルムとしては認めがたいが、この男は冒険者としての実力だけならばエルムよりも上だ。それなりに蓄えもあるのだろうが、それでも一食に金貨2枚など軽々と出していい金額ではない。


「ああ、それか。俺が食べたくなったからな、俺の分だ」


 エルムは鼻白んだように口をつぐむ。そういうことなら、彼女が挟める口は何もない。ただでさえここの会計は持つと言われているのに、他人の食事内容に口を出すなどもってのほかだ。


「……へぇーそう! ずいぶんとお金持ちなのね!」


 嫌味を言うのは止められなかったが。いかんせん彼女は負けず嫌いであり、目の前の男を嫌っているのだ。経済力の差を見せつけられたようで気に喰わなかった。脛を蹴りつけてやろうかとも思ったが、今は鎧をつけていないことを思い出し、なんとか堪える。


(なんでこんな……あーもう! 腹立つ腹立つ!)


 正面の男を見据えれば、真顔で首を傾げるガロエラ。胸を襲うむかつきを言葉にできず、エルムは視線を窓越しの外に向けた。外は明るく、多くの者が行き交っている。法衣に身を包んだ神官、革鎧を着ている冒険者、必死に呼び込みを行う商人……彼女が育った里に比べれば、はるかに活気のある都市だ。

 それに比べてこの席のなんと静かなことか。朗らかに笑いあいながら過ぎ去っていく二人組。恋人同士だろうか、その手は繋がれていた。エルムはなんとはなしにその姿を目で追い、溜息をつく。きっとあの二人は、誰からも祝福されて生きていくのだろう。


(ああして堂々と姿をさらせればどれだけいいか……)


 エルムとレルムは自分たちの容姿がどれほど疎まれているかを知っている。いくつもぶつけられた心無い言葉に、傷ついたわけではない。傷ついてなどやるものか。ただ、少しだけ――嫌になっただけなのだ。


 フードを引っ張り、エルムは顔を隠す。


 何かを言おうとしたガロエラの前に、香り高く湯気を立ち昇らせる料理が置かれた。


「こちら、高級牛肉【六足牛ゼヴィテス】のステーキになります。お熱いのでお気を付けください」


 ウェイトレスは続いて緑色のサラダセットをエルムの前に置いていくが、エルムとガロエラの視線はステーキにくぎ付けだった。表面は焼かれているというのに、皿の上には次々と油と肉汁がしみ出してくる。焼き加減を見るためだろうか、斜めに切り開かれた内部は桜色に色づき、いわゆるミディアムレア――保管方法に気を遣わないと決して味わえない、貴族すら生半可な覚悟では食べられない料理となっていた。

 さらに暴力的なソースの香りが、2人の空腹を刺激する。特にエルムは、午前中躍起になって魔術の訓練をしていたため、体力の消耗も激しい。意図せず、唾を飲み込んでしまう。


「……」


 無言で、ガロエラがフォークとナイフを手に取る。金貨2枚という値段に影響を受けているのか、妙に洗練された丁寧な手つきで、ステーキを切る。途端に溢れ出す肉汁、むせかえるような肉の匂い。

 ガロエラがステーキをゆっくりと持ち上げ、自分の口に運ぶ様子を、エルムは食い入るように見つめていた。


「――ッ!」


 噛んだ瞬間に口の中に広がる味に、ガロエラは目を見開いた。そして、緩みそうになる頬と目じりを必死に制御する。


 口の中に広がったのは、『幸福』の味だった。心が満たされていくのを感じる。ガロエラは感想を言う時間も惜しい、と再びナイフでステーキを切り分ける。その動きは先ほどよりも早い。


「……旨い」


 二切れ目を咀嚼したガロエラが呟いた、呆然とした言葉が全てを物語っていた。エルムはそわそわと体を動かす。


 ――食べてみたい。


 そう思っていることは否定できない。しかし、しかしである。ここでガロエラに強請るのはあまりにも情けない。そして、自分の財布から支払おうにも、金貨2枚には手が出ない。なによりエルムの財布はレルムによって管理されており、迂闊な出費はできないのだ。何を言われるかわかったものではない。


(だが……! だが、この現状はあまりにも酷ではないか!)


 目の前に置かれたサラダセットに目を落とす。野菜が嫌いなわけではない。ただどちらかというと肉が好き――それは彼女の種族的に存在する好悪であった。里でも、野菜よりも肉の方が好まれていた。


「旨いが……少し、脂っこいな……」


(はぁ?)


 あろうことか、料理に文句をつけ始めたガロエラに、エルムは吐き出しそうになった罵倒をなんとか堪えた。食べたくても食べられない者が目の前にいるのに、なんたる言い草。


(脂っこいだと……? 男のくせに何を――)


 しかしそんな憤りも、すぐに流されることになる。


「ちょっと食べきれないな。エルム、残りは食べてくれ。俺を助けると思って」

「ッ、い、いいいいいのか!?」


 弾かれたようにまっすぐガロエラを見つめるエルム。普段は強い意思を秘めた空色の瞳は、今は驚きで潤んでいた。ガロエラは想像以上の反応に狼狽えつつも、それを表に出さずに頷く。


「ああ。ちょっと俺の胃には入りきらん。少なくて悪いが、残すのも悪いし食べきってくれるか?」

「そ、そんなに頼むなら仕方ないな!」


 エルムは勢いよく皿を引き寄せると、皿に乗っていたフォークとナイフでステーキを切り分け、口に放り込んだ。直後、エルムの顔がだらしなく歪み、ガロエラは素早く目線を逸らした。


(今の、たぶん――いや絶対異性に見せるべきじゃない顔してた! あぶねぇ!)


 そんなガロエラの内心も知らず、エルムは次々とステーキを口に運ぶ。そのたびに顔が崩れていく。全身覆う黒ローブでも隠し切れない幸せなオーラが周囲に漂い始めていた。






「「「チョロすぎる……」」」


 当然、そのオーラは隣の席からも感じ取れるわけで。このままいけばエルムの周囲に花弁でも舞い始めるんじゃないかと、ヴェンターはわりと真剣に危惧していた。幸い3人の視界に花弁が映り始める前に、エルムはステーキを食べ終わっていた。同席する2人からの視線が強いが、ヴェンターは素知らぬ顔で無視する。


「しかしガロエラのやつ、意外とやるな。女性のスマートな扱いとか、一番苦手な分野に見えていたんだが」

「そうですね。デリカシーの欠片もない粗野な鎧だと思っていましたが、意外とそうでもないようです」


 ソラリアがガロエラをそもそも人として見ていなかったことが判明したが、たいしたことではない。


「でも、脂っぽいのが苦手なんて、ちょっと男らしくなくない?」


 続いて辛辣な意見を述べるルナリに、ヴェンターとソラリアは揃って呆れの視線を向けた。ヴェンターはテーブルに押し付けられたルナリの胸が変形しているのを見て、慌てて視線を逸らす。


「北方出身と言っていたでしょう。北方の動物は寒さに対抗するためか、太っている生態のものが多いのです。北方出身のガロエラが、脂っぽい肉を苦手としているというのはいささか考えづらいかと。アレはおそらく、気兼ねなくエルムがステーキを食べられるように気を遣ったのだと思われます」


 全く同じ推理をしていたヴェンターも頷く。だからこそ、意外なのである。


「エルムはプライドが高いからな。普通に差し出しても、『施しは受けない』とかなんとか言ってさらに機嫌が悪化していた可能性がある。それを下手に出ることで回避し、好物である肉、しかも高級なステーキを食べさせた。これはなかなかポイントが高いんじゃないか?」


 ルナリからの胡乱気な視線も無視して、ヴェンターが語る。


「深読みしすぎだと思う」


 ヴェンターとルナリ、どっちの予想が正しいのか。それはガロエラにしかわからない。ルナリとヴェンターは互いの主張の正しさを証明するように数秒目線を合わせるが、すぐに思い直して隣のテーブルを窺う。ここで仲違いしているような場合ではない。


「あのステーキ、食べてみたくなってきますね。さっきまではそうでもなかったのに」


 恐ろしいことを呟いて、ちらりとヴェンターを見るソラリアの言葉を聞かなかったことにした。





 ステーキとサラダを食べ尽くしたエルムは、所在なさげに手を彷徨わせる。意味もなくテーブルを撫で、フードを弄る。

 何か言いたげな様子に気づくこともなく、ガロエラは革袋から支払いを済ませるべく硬貨を取り出す。迷宮都市における野菜はそれなりに高価な食材だ。なにせこの都市、迷宮産の野菜は目を見張るほど高い。周辺国から輸入しているとはいえ、運送料などを考慮するとどうしても生野菜は値が張る。


「あ……あの……」


 勇気を振り絞って声をかけるエルムだが、残念ながらその声は小さすぎた。ガロエラは聞こえた様子もなく、黙々と帰り支度を整える。


「よし、じゃあ行くか」

「あ、あの! ……ありがと」


 囁くように告げられた感謝の言葉に、一瞬ガロエラが目を見開く。が、すぐに表情を笑みの形に変えて頷いた。使い道がなくて溜まっていた金も、無事に使い道ができた。


「気にするな。ああ、今度から俺に魔術を撃つ時に手加減してくれればいいぞ?」

「べ、別にあんたに向かって撃ってるわけじゃないし!」


 気まずくなって目を逸らすエルム。パーティの問題点はいまだ改善されておらず、ガロエラとエルム、ともに悩み続けている課題であった。


「先生……ヴェンターさんからの課題だ。なんとか解決しないとな」

「……まあ、曲がりなりにもパーティを組めているわけだし。そのことには感謝してるわ」


 プライドの高いエルムも、パーティを組む重要性は理解していた。今相手にしている5層の【群猟犬ストレイグム】はパーティを組む前から倒していた魔獣ではあるのだが、それなりに苦戦していた相手でもある。レルムだけでは足止めすることが難しく、エルムの魔術が完成するまで逃げ回ることも珍しくはなかった。


 前衛で敵を一手に引き受けるガロエラの存在による利点を、一番実感しているのはエルムだったりするのだ。敵の群れの中に飛び込んでの近接戦闘が苦手なエルムからすれば、数頭の【群猟犬ストレイグム】を引き受けるガロエラの存在はありがたかった。


 あとは、魔術完成時に素早く引いてくれれば、言うことはないのだが。


「何か、考えていることはあるのか?」

「なにも。それこそ私の妹が言っていたように、詠唱魔術の制御を練習するしかないと思ってるわ」

「……そうか」

「なに、そっちは何か素早く動けるアテでもあるわけ?」


 エルムの問いかけに、ガロエラは腕を組んで目を閉じる。


「ないことはない……んだが。アレはまだ制御できてないんだよな」

「アレ――ああ、北方の?」

「使うだけなら問題ないと思うんだが……あまり、頼りたくはない」


 北方の民が使う魔術の一種を思い出し、エルムが肯定する。見たことはないが、話には聞いたことがある。体内の魔――“鬼”を従えた時に力を発揮する技。


「問題ないの? アレ、歴戦の戦士じゃないと発現するのも難しいって聞いてるけど」

「詳しいな。なんだか自慢するようだが、使うだけなら問題ない。ただ、使い終わったあと動けなくなるからな。半日くらい」

「暴走してるじゃない」


 よく聞く魔素枯渇状態だ。人は日々生きるだけでも魔素を使用する。それは魔術に使う魔素に比べれば微々たる量だが、体内の魔素を使い尽くすと、その最低限の消費量すら賄えなくなり、意識が落ちたり体が動かなくなったりするのだ。


「その状態なら、エルムの魔術が直撃しても問題ないんだが。避けられると思うし」

「魔術を撃つ時、一瞬だけ使うとかできないの?」

「発動までちょっと時間がかかるし、発動したら止まらないんだよな」


 そのあとも、2人は完全に帰り支度を整えたまま話を続ける。もうわだかまりなどなくなったかのようにパーティ内での立ち回りを相談する2人を、ヴェンターたちはのんびりと聞き続けた。

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