幕間 竜の夢

 昔々、あるところに。一人の少女と、一匹の竜がいました。


 山の中腹で眠りについていた巨大な竜は、珍しく自分に近づいてくるちっぽけな生き物に興味が湧きました。いつもであれば適当に脅して追い払うか、その体ごと飲み込んで終わりにしますが、わざわざ魔力を用いて少女に話しかけます。


「娘よ。なぜ、ここに来た?」


 問いかけに、少女は涙を流しながら答えます。


「生きるのが辛くて……」


 少女の見た目は、お世辞にも良いとは言えませんでした。痩せこけた頬に、くぼんだ瞳。竜も、少女が話すまでは亡霊の一種かと思ったほどです。


 少女の返答に、竜は首を傾げます。


「何が辛いというのだ」


 竜は生まれたときから『強者』でした。竜の社会でも比較的上位に位置する『真竜』であった竜は、生きるのを辛いと思ったことはありませんでした。命を脅かされることも、尊厳を踏みにじられることもなく、ただ安寧の日々を過ごしていたのです。


「――いいから、殺してよ」


 対して、少女はその醜さからあらゆる悪意を受けて生きてきました。それでも、何かいいことがあるはずだ、報われるはずだ、という純粋な想いは、結局のところ人間から返されることはありませんでした。


 少女の発言に、竜は静かに怒りました。


「なぜ私がお前の自殺に付き合わなければならん」


 竜は密かに、この少女を絶対に生かしてみせると決めました。それは、多分に退屈しのぎを含めた決意でしたが、こうして少女と竜の奇妙な共同生活は始まったのです。


 竜にとって、少女の醜さなどとるに足らないことでした。所詮、小さきもの。竜は彼女にあらゆる知識と生きる術を授けました。太古より生きるかの竜は、間違いなく大陸最強の生き物でした。艶めく白の鱗を嫉妬を含んだ目線で睨みながら、少女は竜の叡智を吸収していきました。


 少女が竜に惹かれるのはある意味必然だったのでしょう。


 そしてまた、竜も少女に惹かれていきました。誰かを育てる、ということを初めて行った竜は、思った以上に少女が自分の中で大きな存在になっていることに気づきました。


 二人は、とある目的のために頭を捻り始めました。それは、『生命の創造』です。愛し合うようになった二人は、当然の帰結として二人の子供を求めました。


 少女は愛の証として。


 竜は、少女が先に死ぬという孤独を紛らわせるため。



 どこかで種でも貰ってこようか、と呟いた少女と竜の喧嘩は三日三晩に渡って続いたといいます。


 魔術の髄を尽くして生み出された二人の子供。『竜の因子』を宿して人の胎から生まれた彼女は、新たな種族を名乗ります。



 霊峰より降り立つ 無二なる人

 空の瞳と 炎の瞳 

 竜の鱗に 人の技

 我ら竜人が掲げる 偉大なる母の名

 その名は――


「……寝てしまいましたか」


 簡易的に作られた移動式住居。赤く分厚い布で覆われた空間で、女性は優しく子供の頭を撫でる。微笑を浮かべた女性からは、母であることの誇りと慈愛が伝わってくる。母からの愛情を受けて育った者ならば、この光景を崩すことを躊躇うだろう。母からの愛情を受けられなかった者ならば、この光景を前にして涙を流したかもしれない。


 人の顔と体をしながらも、彼女には人ではない証拠があった。額から突き出る1本の角。さらに女性を囲むように地面に横たわる長大な尾。純白の角と、真紅の鱗に覆われたその尾が、彼女が人ではなく竜人――ドラゴニア、と呼ばれる種族であることを示していた。


「……竜語りも、そろそろ卒業かしらね」


 彼女は眠りに就く我が子の頭を撫でながら、頭の中でいくつかの物語を思い浮かべる。生まれてからしばらくの間、竜人たちは『竜語り』という物語を聞いて育つ。口伝で伝わる竜人という存在にまつわるおとぎ話。


 幼子に聞かせるには少し、ドロドロとした話だ。それこそ、人間の神官が聞いたら眉を顰めるかもしれない。けれど、竜人たちは皆このおとぎ話を聞いて育っている。だからこそ、彼らは穏やかに自分たちの領域を守り続ける。竜と言葉をかわし、人と手を取り合う彼らの望みは、穏やかに過ごすこと。たとえ、人を大きく逸脱した力を持っていても、彼らはそれを振るうことを良しとしない。


「でも……ちょっと、キナ臭いのよね」


 竜人たちは、特殊な『予感』めいたものを信じる。彼らにとって、『嫌な予感』というものは時に集落の竜人全員を動かす根拠になり得る。そして最近……竜人たちは不穏な空気と予感を嗅ぎ分けていた。


 迷宮都市。大陸中央に存在する、不可侵の領域。“迷宮盟主”クレインをはじめ、“決闘王”インゼルム、“傀儡師”パーフィ、“星屑の道”ティスラーエルム・ララフィリーナといった異様な戦力を誇る大陸最強の都市だ。


 人間にとっては遥か昔、大陸の宗教は統一されていた。聖教――創造神を唯一神と崇め、凄まじい勢力を誇った宗教。種族を超え、国家を超え、彼らは兵をあげた。迷宮都市を滅ぼすために。彼らにとって、迷宮とは魔に連なる場所だったのだ。


 竜人たちからも、多少は聖教に味方をした。迷宮都市は、そのことごとくを跳ねのけた――否。迷宮都市の、圧勝だった。


 当時猛威を振るったのは、冒険者の一団。最強と名高い、古の英雄たち。


 槍が奔り、魔術が飛び交い、弓が破裂する。迷宮に冒険者として挑んでいた彼らは、聖教の軍勢が迫ったときに、たまたま地上で休息中だった。


 それだけの理由で、たった4人に聖教の軍勢はいいように蹂躙されたのだ。


 当時、聖教の軍勢を追い払った冒険者たちはもういない。が、迷宮都市の冒険者は増え続けている。聖教は迷宮都市に敗れたのをきっかけに衰退し、今は無数の新興宗教が大陸中に存在する。


「……そういえば、私たちって宗教ないですよね」

「いや、我らは《始まりの母》を信仰しているといえるだろう」

「あら、おかえりなさい」


 赤い布を押しのけて現れた偉丈夫に、女性は優しく微笑みかけるが。足音荒く踏み込んでしまったため、膝で寝ていた幼子が目を覚ます。


「……う、かあさま……? とおさま……?」

「あら、起きてしまったのね。じゃあ、せっかくですし、少し違うお話しでも聞きますか?」


 同意を示したのは、幼子ではなかった。それはいいな、と言わんばかりに棚から酒を取り出す偉丈夫。自らの夫である彼の行動に、女性はわずかに苛立ちをぶつけた。


「まだ日は高いですよ」

「う。それもそうだな……」


 睨まれ、すごすごと酒を棚に戻す偉丈夫。それを眺めて、女性は満足気に頷き、口を開く。瞳は遠く、遥かを見据えながら。


「では――『鬼』の話をしましょう。これは、雪に閉ざされた大地に生きる、哀しい鬼の一族の物語です」


 女性は、何かを思い出そうとするように目を閉じ、穏やかに語り始めるのだった。





 

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