第10話 軍略

 迷宮5層。

 4層まではお試し区間と言われるほど、迷宮は5層から姿を変える。もちろん3層の【糸虫モルモ】とて、一般人にとっては命を脅かす魔獣には違いない。だが、多少荒事に慣れている人間なら、【糸虫モルモ】程度は問題なく葬れる。


 そんな冒険者たちを迎え撃つ、迷宮の防衛機構。その始まりが迷宮5層である。


「下がりなさいガロエラ!」


 ソラリアの警告は間に合わず。ガロエラに向けて、幾重にも並んだ牙が迫る。【群猟犬ストレイグム】――群れを作り、緻密な連携で冒険者を追いつめる魔獣である。茶褐色の体毛はかなりの固さを誇り、生半可な剣技では葬ることは不可能。市販のロングソードなど、卓越した技量がなければ歯が立たない相手だ。


「っらぁ!」


 まあ、ガロエラにとって大した敵ではない。彼は北の大地で長く剣をふるっていたし、野犬の類とも戦い慣れている。振り下ろした長剣が、正面から【群猟犬ストレイグム】を一刀両断する。


 そう、ガロエラは問題ないのだ。相手が【群猟犬ストレイグム】だけなら。


「焔の宴/願え/祈れ/転じて捧げよ/我が魔力喰らいて/獄炎よ、在れ!」


 フードを目深にかぶった少女が、鋭い発声とともに右手をガロエラに差し向ける。魔導神言語ちからあることばによって世界の法則が捻じ曲がる。起こるはずのない現象を呼び起こし、空中に赤黒い火球が誕生。火球は即座にガロエラと【群猟犬ストレイグム】に向けて放たれた。


「あっちぃ!」


 熱いで済む熱量ではないのだが、火球の余波を受けたガロエラはその場で奇妙な踊りを披露した。残っていた2頭の【群猟犬ストレイグム】は焼け焦げた屍を晒している。


「てめぇ! 俺を巻き込むなって何回言えば――!」

「とっとと下がらないからでしょ? 良かったわね、その鎧の性能が高くて」


 前衛が敵を押し留め、その間に後衛の魔導士が詠唱を行い、魔術の準備を整える。魔術は広範囲かつ威力が高く、近くに前衛がいると巻き込む可能性が高い。そのため、ある程度時間を稼いだら前衛は隙を見て一度敵から離れるのが定石だ。しかし。


「俺が下がるまで待てよ!」

「あんた動きが遅いのよ!」


 全身金属鎧フルプレートメイルに身を包んでいるガロエラに、素早い後退など望むべくもないのだった。


「――文句を言い合うためにパーティを組んでるわけではありませんよ」

「「だってこいつが!」」


 ソラリアに絶対零度の視線で射抜かれ、反駁しかけたエルムとガロエラが口をつぐむ。


(リーダーとしての統率力にはさほど問題はない……が、まずいのはこのやりとりがすでに三度、繰り返されていることか)


 6人が5層に降り立ってから、すでに1時間が経過していた。6層に降りることなく連携の確認を行っていたが、残念ながら連携らしい連携は完成していない。


 ガロエラを抜き、ソラリアがエルムと合わせるだけならばできる。エルムを抜き、ソラリアとガロエラだけで狩ることならばできる。だが、ガロエラとエルム。この2人の相性が、致命的に悪い。


「だいたいてめーは狙いが大雑把なんだよ!」

「自分が鈍重なのを人のせいにしないでくれる!?」

「だ、大丈夫かな……?」


 不安げに傍に立つレルムに囁くルナリだが、レルムは何の迷いもなく頷く。


「結構楽しそう」

「えっ、そうなの?」


 姉とガロエラの言い争いを眺め、なぜか小躍りしそうなほど嬉しそうな雰囲気を振り撒くレルムにルナリは首を傾げた。ルナリからすれば、修復不可能なほど関係性に罅が入っているように見えるのだが。


(へぇ……)


「――そうでしょ? ヴェンター先生」

「……なんのことか、わかりかねるな」


 急に振り向いてヴェンターに声をかけたレルムは、口元に意味ありげな笑みを浮かべた。ルナリの首の角度がさらに傾く。


「レルム。問題点はなんだと思う?」

「レルでいいよ、先生。んー……」


 まずは、と指を1本立てるレルム。


「ガロエラ、おっそい。というか、遅いなら遅いなりに早めに動くとか、敵を弾き飛ばすとかできるでしょ? 馬鹿力だけはあるみたいだし」

「ぐっ……」

「やーいざまみろ!」


 妹の援護に嬉々としてガロエラを攻撃するエルム。あまりの大人げなさにソラリアが天を仰いだ。


「あと、お姉ちゃんの魔術は火力出し過ぎ。どう考えても範囲指定が甘い。詠唱魔術ちゃんと練習しないから」

「ぐっ……!」

「ははは、ざまぁないな!」


 今度はエルムが胸を押さえ、ガロエラが鎧を鳴らしながらエルムを笑う。


「確かに。この階層の相手に、舞踏ステップによる威力補正も、音階リズムによる範囲上昇も必要ないな。南方の出身だというのはわかるが、威力を抑えてもいいはずだ」


 南方――照り付ける太陽と熱された砂の領域。その地に生きる者たちは、魔術文化を独自に発達させている。北方の民が祈祷と瞑想で己の『魔』を飼い慣らす方法を用いるならば、南方の民は舞踏と歌によって魔術の威力を底上げしてきた。


 そも魔術とは、魔導神言語ちからあることばによって自身の魔素を変質、展開させ、世界の法則を局所的に捻じ曲げる技術を指す。南方の民は舞踏や歌に意味を持たせることで、魔術をより強い位階へと引き上げることができる。


 対して、北方の民は魔術に対して少し違う方向からアプローチを仕掛けた。己の力を重視する彼らは魔術に用いる自身の魔力を、『頼ってはいけない力』として封じ込んだ。体内に『魔』を飼い、それを御してこそ真の戦士。エルムがガロエラのことを『北方の脳筋』と呼んだのはこのあたりに理由があった。


 まあもともと北と南の民は仲が悪い。お互いに『北の猿』と『南の鼠』と呼び合うほどに。


 ……なにもパーティメンバーにまで持ち込まなくても、とは思うが。


「ダメですよヴェンター先生。姉は舞踏も歌もなしに魔術を発動させることができないんです」

「……えっ」


 全員の視線がエルムに集中し、エルムはそっと顔を背けた。両手がぷるぷると震えている。


「で……できなくはないし……?」

「舞踏、歌を使わずに詠唱のみで魔術を発動させると、姉の魔術はどこかにすっとんでいきます」


 淡々と姉にとどめを刺していくレルム。対する姉は、苦しそうに胸を抑えている。その様子を見るに、本当のことなのだろう。


 魔術とは、魔導神言語ちからあることばによって法則を歪める技術の総称である。つまるところ、詠唱のみによって魔術を発動させるのが最も一般的な魔術のやり方。ゆえに魔導士は基本的に詠唱の魔術から習い、発展形として舞踏や歌、道具を組み合わせた魔術を覚えていくのだ。


 威力が大きすぎ、下げられない。狙いも大雑把。


「扱いづら……」


 ルナリがボソッと呟いた言葉が彼女エルムの評価を示していた。火力は高ければいいというものではない。規模が大きい魔術はその分自身の体内魔素の消費が激しく、息切れが早い。継戦能力に難あり、というやつだ。


「扱いづらい……」


 小声でショックを示すエルム。ヴェンター自身、舞踏や歌で威力の底上げを行う魔導士とは交流があった。彼女は詠唱魔術も得意としており、威力や範囲、属性の変質もお手の物。人智を超えた魔術を行使する彼女の姿を思い出し、ヴェンターは遠くを見つめた。氷の檻に閉じ込められた記憶が脳裏をかすめる。


「こ、これから! 下に進めば進むほど、私の火力は役に立つはず!」

「……いや、普通に詠唱魔術も覚えてほしい。私と違って体内魔素が豊富なんだから、ちゃんとコントロールを覚えるべき」


 妹からの冷静かつ常識的な指摘に、姉が崩れ落ちる。


「今まではどうしてたんだ? 2人で潜ってたんだろう?」

「私が前衛もどきをして抑えて、姉が魔術で焼き払う――という感じ」

「前衛ができるのか、レル。じゃあ次の一戦では前に出てもらっていいか?」

「了解」


 ローブの内側から剣を2本取り出すレルム。ショートソードというには短いが、ダガーと呼ぶには長い。そんな中途半端な長さの剣が2本。剣の幅は妙に広く、平らだ。敵を断つ、というよりは防御に向いている剣のように見えた。


「それ、魔剣か」

「お気に入り」


 口元をにやりと歪ませ、レルムが前に出る。ガロエラ、レルム、ソラリアの三人で前衛を行うが、ソラリアは本来前衛に立つ冒険者ではないが、5層の【群猟犬ストレイグム】程度ならば問題ない。今のところ役割がないルナリが退屈そうにしている。


「では、次の【群猟犬ストレイグム】はガロエラ、レルムで対処します。エルムは魔術をいつでも撃てるように待機、私は中段で抜けてきた【群猟犬ストレイグム】の相手をします。いいですね」

「はーい」


 全員が――ガロエラは除く――作戦を理解したことを確認して、ソラリアは頷いて再び探索を再開する。念のため周囲の壁を調べ、床に罠がないかを確認していく。


「そこの石、踏まないでください」


 罠を起動させないように避け、進むこと15分。


「【群猟犬ストレイグム】です、数は7。準備」


 右手を上げてサインを送るソラリアに応え、ガロエラとレルムが前に出る。ソラリアは素早く下がり、2人の後ろでダガーを構えた。


 唸り声を上げながら現れた【群猟犬ストレイグム】の群れに、ガロエラが突撃した。


「おおお――らぁ!」


 長剣を振るい着実に1頭、まずは仕留める。一瞬怯んだ【群猟犬ストレイグム】の群れだったが、ここまで接近してしまえば戦うほかに道はない。鎧を着込んだ大柄なガロエラに4頭、残ったレルムに2頭の【群猟犬ストレイグム】が向かう。


 タイミングを合わせて跳びかかってきた2頭の【群猟犬ストレイグム】を、レルムは踊るようにかわしてみせた。銀の残光が、【翠苔ラケ】の光を反射して揺らめく。


「宿れ/破壊の息吹/創造の種子/試練の凍土/永久の棺」


 銀の光が、色を変える。


 レルムが右手に持つ魔剣が、熱されているかのように赤く赤く光を放つ。


(あの魔剣、俺のディラムスと同じ……いや、違うな、あれは魔剣の力じゃないのか)


 再度飛びかかる1頭の【群猟犬ストレイグム】を頭を下げることでかわし、足元に噛みつこうとしていたもう1頭の頭を蹴り上げる。まるで【群猟犬ストレイグム】と舞を舞っているような滑らかな動き。小刻みに両脚が地面を叩き、立ち位置を調整する。それすらもリズムを取って――


「なるほど。あれが、レルムの魔術というわけか」


 左の魔剣が青白い光を放ち、右の魔剣の赤光は力強さを増す。


「……レルムは天才なの」


 その光景を眺めているエルムが、ぼそりと呟いた。褒めるでもなく、自慢するでもなく、妬むわけでもなく、ただ淡々と事実を告げるように。


「緻密な魔素のコントロールを行い、同時に2種類の魔術を発動させる。簡単なことじゃない。少なくとも、今の中級冒険者にそれができる奴はいない。まして、魔剣とはいえ自身の持つ武器に魔素を宿して、魔術を行使するなど」


 ただ放出するのとはわけが違う。魔素を流し込み、霧散しないように留め、継続的な魔術を行使する。敵からの攻撃を避けながら。


「……一目見ただけでそこまで見抜く貴方もたいがいだけどね」

「これでも観察眼は自信があるんだ。いろんな冒険者を見てきたからな」


 怪しい奴を見る目でヴェンターを一瞥したエルムは、妹の戦いに目を戻す。ソラリアに魔術の準備を頼まれていたが、詠唱も舞踏も歌も、する気はないようだった。それはソラリアへの不信ではなく、妹への絶対的な信頼。


「『放熱フェルミ』」


 舞うように攻撃を避けていたレルムが呟けば、右手の魔剣から火球が放たれる。火球は過たず【群猟犬ストレイグム】の顔面を焼き払う。銀の輝きに戻った魔剣だが、レルムが舞えば舞うほど、再び赤の光を取り戻していく。


「『凍風ウィラン』」


 左の魔剣から放たれた凍てつく風が、【群猟犬ストレイグム】の足と地面を凍らせて縫い止める。動きが止まったその瞬間、魔剣の突きが【群猟犬ストレイグム】の喉を貫いた。


 4頭の【群猟犬ストレイグム】を引き受けていたガロエラにレルムが突撃する。攻めどころを探すように唸っていた4頭の【群猟犬ストレイグム】は、踊るように飛び込んだレルムの舞踏によって混乱し、隙を逃さず突撃したガロエラによって2頭ずつ葬られたのだった。


「戦闘終了」


 ローブの内側に魔剣を収納したレルムは、大きく息を吐き出して後衛の列まで戻ってきた。

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