第8話 増員
「セウィリの神官、破門されました」
「だからほどほどにしろよって言ったじゃねぇか。ま、頑張れよ」
「早い! 決断が早過ぎます! まだ待って!」
喫茶店の隅で、俺とソラリアは法衣姿のルナリと向き合っていた。立ち上がって会計に行こうとする俺の腕をルナリが必死に抑える。というか。
「破門されたなら法衣は没収では?」
「私、服これしか持ってないから見逃されたの!」
「え……? ということは同じ服をずっと……? 女として、いえ人としてどうかと思いますよ」
「神官だったときは法衣はいっぱい持ってたの! ってそんな話をしにきたんじゃないんですヴェンターさん!」
「断る」
「話を聞いてからにしてもらえませんか!?」
こいつに取りつく隙を与えてはいけない。こいつは指だろうが爪だろうが髪だろうが取りついて、そこから意地でも這い上ってくるタイプだ。
俺は隙を見ては会計に席を立とうとするのだが、警戒したルナリがついに俺の腕を離さなくなった。若干気温が下がったような気がする。
「……わかった、逃げないから腕を離せ。話だけ聞いてやる」
「本当ですか? 絶対逃げませんか? 金貨に誓えますか?」
「お前ほんと神官向いてないよな」
なんで神じゃなくて金貨に誓うんだよ。
「手短にな」
「手短に……手短に……」
顎に手を当ててブツブツ呟き始めたルナリは、すぐに顔をあげた。その表情には焦りと動揺が見て取れる。
「お金ください!」
「ソラリア、帰るぞ」
机に接触するギリギリまで頭を下げたルナリに、俺は冷たく返した。そのまま会計をしようと席を立つが、それは店員に止められた。
「ご注文をどうぞ」
目が死んでいる黒髪の店員に言われ、俺は少し怯みながら注文を答える。
「……コーヒーで」
「私もそれで」
「じゃあ私も」
結構エグい飲み物だが大丈夫か? 嗜好品だからそれなりに高いし――ってそこまで心配してやる義理はないか。
「かしこまりました」
音もなく移動していく店員を見送る。初めてこの喫茶店に入ったが……なんだあの店員は……? 【
「間違えました。私が探しているのはお金ではなく仕事です」
「まあ、当たらずとも遠からずだが」
「お願いします。仕事を紹介してください」
「お前……もっと別の人に相談できないのかよ」
自分で言うのもなんだが、俺は真面目な冒険者じゃない。適当に迷宮に潜り、稼いだ金で1カ月を刹那的に生きる中級冒険者である。昨日まで神官だった人間に紹介してやれる仕事など、ほぼない。
「というか。俺に、相談しに来るってことは……」
「はい。……私、冒険者になろうと思います」
俺は思わず天を仰いだ。癒し手の冒険者は引く手数多だが、数は少ない。そして数が少ないことにはもちろん理由がある。
胸の前で手を組んで震えるルナリに、俺は胡乱な視線を向けた。
「癒し手が冒険者になる――それがどういう意味か、わかるよな?」
「っ、はい……」
迷宮は危険な場所だ。毎日、人が死んでいく。そこに命の保証などない。癒し手は、自身の余剰な生命力を魔力を通じて他者に渡すことで傷を癒す。
当然、生死に関わる傷を癒そうと思えば――その分、自分の生命力を大きく削ることになる。証明されたわけではないが、癒し手は基本的に短命である。自身の生命力を譲り渡す行為が、寿命を縮めている――それは誰もが表立って口にしないだけで、この世界の常識だ。
そんな癒し手が、命の危険が常にある迷宮に潜る。
「正気じゃない。お前の目的はなんだ?」
迷宮そのものが生半可な覚悟で潜る場所じゃない。そんな場所に、癒し手というハンデまで背負って潜ろうとしている。
「ッ……!」
「答えられない、か」
首を横に振るルナリに、俺は吐き出しそうになる溜息を堪えた。こちらを見るその瞳が、不安や後悔に揺れる瞳ではなかったからだ。鋭い輝きを湛えて、潤んだ瞳で机の隅を睨みつける視線。
(悪くはない……か……)
「コーヒー3つ、お持ちしました……この女の敵が」
『今にも死にそうな目』をしていた店員が、明らかに俺の方を『殺したいほど憎い奴が目の前にいる目』で睨みつけながらコーヒーを3つ置いていった。
「おいお前今客に向かってなんて言った? 俺が泣かせたわけじゃないぞ?」
「泣いてません! ちょっと泣きそうなだけです! ヴェンターさんは私がいくら誘惑しても何もしてくれないし……!」
「そういえば裸で迫った私に無反応でしたね」
「火に油を注ぐな!」
脳裏によみがえったソラリアの裸を慌てて振り払う。隣に座るソラリアから、ビシバシと不機嫌なオーラが伝わってくる。
「まあ、全員コーヒーでも飲んで一度落ち着こう」
渋々ながら、といった様子で2人がカップを口に運ぶ。誰もミルクは入れないらしい。どす黒い液体が全員の喉を滑り落ちていく。
「にっが!」
その叫び声は俺のものだった。いや、それなりにコーヒーは飲んできたがここまで苦いものを飲んだ記憶はない。別の場所で飲んだコーヒーはもっとマイルドで香り高かった。ここのコーヒーは苦味を凝縮したような……
「そうですか? 別に飲めますよ」
「私も問題ないです」
涼しい顔でカップを傾けるルナリとソラリアを観察するが、本当に普通に飲んでいる。苦味を感じないのだろうか。
「私は従軍経験があるので……もっと苦いものも食べたことありますし。聞きますか?」
「いや、いい。聞きたくない」
どこの国の軍人かに寄るが、敗戦国の軍部にいたのであればその人生は想像を絶する。味覚が広がるほどの、文字通り辛酸を舐めさせられているのであれば、コーヒー程度楽勝だろう。
「私は味音痴なので」
たとえ迷宮内部であってもルナリには絶対に調理を任せないことを心に決め、俺は改めてルナリに向き直る。苦すぎるコーヒーを飲んだことで、ルナリに対する苛立ちは多少収まっていた。話を聞いてやるのもやぶさかではない。
「冒険者になる、という覚悟はしっかりと決めてきたんだな」
「はい。とはいえ癒し手として潜る以上、信頼できる相手を見つけるのは難しい、というのはわかっています」
「そもそも冒険者として生きていくのはあまりオススメできないが」
「だからこそですよ。だから、ヴェンターさんを頼っているんです」
まっすぐに見つめられ、俺は体を引いた。
「その場限りの誤魔化しや、自分だけが得するような助言はしないでしょう? ちゃんと私のことを考えて言ってくれる人を想像したら、ヴェンターさんくらいしか思いつかず」
「空しい人間関係だな」
「否定はしませんが」
俺の皮肉も涼しい顔で聞き流すルナリ。苦すぎるコーヒーを口に含み、俺は顔を歪めた。妙なところでこの少女の信頼を得てしまっていたようだ。
「どうする、ソラリア」
「ぜひ入っていただきたく思います。癒し手を受け入れることは、リスクよりもメリットの方が圧倒的に大きい。違いますか、先生?」
「……違わない」
迷宮では些細な傷が死に繋がる。もちろん応急処置のための道具は持っていくが、怪我を十全に手当てできるとは言い難い。癒し手がパーティにいるのであれば、迷宮探索の至上命題である『物資や体力の消耗を避ける』こともある程度無視できる。
「自衛の手段はありますか?」
「一応メイスを多少扱えるわ」
「十分以上ですね。では、よろしくお願いします」
「ありがとう。この後、冒険者用の装備を色々揃えたいんだけど付き合ってくれるかしら?」
「構いません。もとより店を回る予定でした」
まだ彼らは『冒険者の鞄』を持つレベルに達していない。そのため、荷物は小分けして持つか、
「……私が勝手に加入を決めていいのでしょうか」
「リーダーだからな。後でガロエラと双子に聞いてみる必要はあるだろうが、大丈夫だと思うぞ。癒し手はいて困ることはあまりない」
というか、冒険者になるよりも楽な道があるので、冒険者の癒し手はとても希少なのだ。それこそ、破門にでもならない限りは癒し手が冒険者になることはない。同じ思考を辿ったのか、ソラリアが首を傾げる。
「……そういえば、なぜ破門になったのですか?」
「こっそり治療で追加料金取ってたのがバレました。胸まで触らせてやったのに告げ口しやがって……」
ぶつぶつと呟き始めたルナリにソラリアが怯えて体を引く。顔にはしっかりと後悔の色が浮かんでいた。
「あ、大丈夫ですよ。治療でパーティ仲間からお金取ったりしませんから」
「あ、ありがとうございます……?」
中にはそういう悪質な癒し手もいる。とはいえ、最前線で戦う冒険者に比べて、癒し手は基本的に非力である。暴力に訴えられると、癒し手はどうしようもない――そういう面も含めて、癒し手が冒険者になるのは非常に危険だ。
ルナリの覚悟が決まっていて、パーティリーダーであるソラリアがパーティに入れることにしたのであれば、俺から言えることは何もない。
「では、これからよろしくお願いします」
「しばらくはそんなに稼ぎは出ないと思うけど、大丈夫?」
「大丈夫です。貯金はあります」
「そういう手段で得たお金って、普通破門されたときに没収されるんじゃないか?」
「ちゃんとムルクス様の神殿に預けてたんで全額無事でしたよ」
「……なんというか、自由だなお前」
治癒と施しのセウィル神と、商業と欲望のムルクス神は別に仲が悪いわけではないが、お互いに気を遣いあう間柄だったはず。この迷宮都市は神官同士の諍いはさほどないとはいえ、それでも暗黙のルールが存在する。セウィリ神官の法衣を纏ってムルクス神殿に突撃していくルナリは、さぞや頭痛の種だっただろう。
「軽傷なら日に10回。重傷なら2回ってとこなので、よろしく!」
「……ほんと、癒し手としての腕というか才能はあるんだよな、お前……」
「んふふ、惚れました? 惚れました? 抱きます? 高いですよ?」
「黙れ」
にやにやと笑みを浮かべながら身を乗り出してくるルナリの頭をはたき、椅子に座らせる。
「あっ待ってくださいまだ飲んでないんですよ。もったいないじゃないですか」
「よく飲めるなお前」
半分以上残した俺と違い、まるで苦味など感じないかのようにどす黒いコーヒーを飲み干すルナリ。俺の隣で、ソラリアは挑みかかるように気合を入れてコーヒーを飲み干していた。
「ところで、ヴェンターさんのことは先生とお呼びすればいいですか? うわ、なんか背徳的ですね。ナニを指導してくれるんですか?」
無視無視。
「ソラリアちゃんと先生はどこまでヤッたんですか?」
俺から情報が吸い取れないと判断するや否や、矛先をソラリアに変更するルナリ。山賊もかくやという下卑た笑みを浮かべるルナリに対し、ソラリアは考え込むように空を見上げた。
「ん……互いの裸は見ましたね」
「えっ、待ってソラリアいつ俺の裸見たの?」
「嘘です見てません」
「ということはやっぱり先生、ソラリアちゃんの裸見たんだ!」
わーきゃーと騒ぎ立てるルナリに対し、俺とソラリアは無言で目を逸らした。
「……え。なんですかこの空気」
「いや……」
「私も、色恋沙汰に騒いでた時期があったな、と……」
ある意味、この迷宮都市においてルナリのような感性の持ち主は希少である。愛も、恋も、
つまるところ、冒険者たちはその手のことに慣れている。ことさら騒ぎ立てるようなものではないのだ。
つまり、ソラリアのような正統派な冒険者にとって、ルナリの反応は初心な少女が頬を赤らめて騒いでるだけ。
やがて現実を知ってルナリが打ちのめされるのを想像し、俺は溜息をついた。迷宮都市の外ではそうでもないが、この都市の内部の貞操観念はわりとゆるゆるだ。それこそ神官でもない限りは。皆よく言えば開放的――悪く言えば品がない。
「そういえば副ギルド長はそういう話が苦手って噂が」
「あいつはマジで苦手だぞ。長い間乙女心を拗らせるとああなる。いまだに男女は運命的な出会いと冒険を果たして絆を深めて結婚するものだと思ってるからな。種族的なものもあるだろうが」
「ああ、エルフですもんね。副ギルド長」
「見た目的には引く手数多だろうに……」
余りにも面倒な恋愛観をしているので、男と付き合っても長続きしないのだ。種族的に性欲が薄いので、男の性欲を感覚的に理解していない節もある。
冒険者ギルドの前で決闘をしている馬鹿どもの前を通り過ぎ、冒険者用の道具を整えるべく、俺たちはそのあとかなりの数の店を巡ることになったのだった。
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