第5話 再会
深夜。酒精が頭に回った状態で歩く。飲み屋では冒険者たちが騒いでいたが、さすがにこれ以上は飲めない。足元はふらつくが、そういった自己判断は大切だ。
「あ~……」
気付けば普段泊まっている宿についていた。
「うわ、酒くさ。生きてるならとっとと帰ってこいよ」
馴染みの主人に片手を振って挨拶する。頭が痛い。呆れた顔をする主人から部屋の鍵を受け取り、階段を上る。
鍵を開けて、荷物すべてを放り投げる。お世辞にも治安がいいとは言えない街だが、それでも宿屋に突撃してくるような賊はいない。噂では裏の盗賊ギルドとやらが犯罪を取り締まっているらしいが、眉唾物だ。盗賊がなんで犯罪を取り締まるんだ?
遠くから酒瓶が割れる音と、冒険者たちの怒号が響く。頭痛がひどくなった気がした。ベッドに横になり、夜風で涼む。開け放たれた窓から入る清涼な空気が酒精で火照った体を冷やしていく。
……開け放たれた窓?
閉じていた目を開く。ベッドにあおむけに寝転ぶ俺の視界に浮かび上がる白い肌。鳶色の瞳が静かに俺を見つめている。獲物を狙う猛禽のようにも見えたし、天敵を見つけてしまった鼠のようにも見えた。
理解が追い付かない。思考、というものは本当に限界を超えると役に立たなくなることを学んだ。いつの間に、とか、なぜ、とか、そういう疑問は生まれても答えを見つけ出すための思考が生まれない。
わかったのは、この少女が意外と着痩せする女性であること。
月光に照らされる裸身を見ても、不思議と欲情はしなかった。綺麗だな、と思ったくらい。
目が合う。小さく息を呑んだ少女は、吐息にかき消されそうなほど小さな声で告げる。
「報酬を、支払いに来ました」
そのままゆっくりと、体が傾き顔が近づく。熱の篭もった薄桃色の唇が、
「おわあああああああ!」
体は咄嗟に動いた。右足でソラリアの膝を払う。斜めに傾いたソラリアの右手を掴んで体勢を入れ替える。昔の同僚に学んだ技だが、まさかこんな場面で活用されるとは思わなかった。
不意の反撃に驚いたのか、ソラリアからの抵抗はなかった。驚くほどすんなりと、互いの上下が入れ替わる。
「ど……」
「ど?」
冒険中はしていなかったはずの化粧をしている。薄桃色の唇が言葉を紡ぐ。
「……どうぞ」
「どうぞじゃないが」
思わず手刀を頭に振り下ろした。
† † † †
毛布で体を包んだソラリアに器を渡す。動転している人を落ち着かせるには暖かい飲み物が有効、と古来から決まっている。
「落ち着いたか?」
「いえ。男性の部屋に半裸状態でいるので落ち着きません」
「自業自得なんだが」
湯気をあげる器を傾け、お湯を流し込むソラリア。
「……ヴェンターさんは魔導士なんですか?」
「いや、使えるだけで魔導士ってわけじゃないよ。必要だったから覚えた、それだけ」
水を出し、火で温める。1人で迷宮に潜るには、様々な幅広い技能が必要だ。時には食べられる魔獣を食べる必要だってある。そんな時、火を熾せないようでは肉を焼けない。冒険者用の道具の中にはそういった道具もあるが、それなりに値は張る。
「……傍に寄ってくれますか?」
「……うーん。なんかしない?」
「何もしませんよ。というか、なんですかこの会話。普通は逆じゃないですか?」
「まあ、そうかもな」
どうしてこんなことを、とは聞かなかった。説教をする気もない。仲間を一気に5人も失ったのだ。結局のところ、理由はそこに行きつくのだろう。たいして広くもないベッドに並んで座る。肩と肩が触れ合いそうな距離だ。わずかに身じろぎしたソラリアを感じ、俺は背中を壁に預けて力を抜く。
「理由とか、聞かないんですか?」
「聞いてほしいのか?」
問い返すと、ソラリアは弱々しく首を横に振った。
「……あの、ありがとうございます。ちゃんとお礼を言えてませんでした」
「ああ。構わない……なんというか。癖、みたいなものだから」
「癖? 人助けが、ですか?」
そんな上等なものじゃない。死に行く者から託された願いを断れないという、ただそれだけの話。
ああ、だめだ。忘れたかったのに、あの青年……ロージスの瞳が頭から離れない。
「人助けは好きじゃない。余計な重荷を背負うだけだ」
ロージスという青年から、願いを受け取った。本当にいいパーティだったのだろう。たった1人の生き残りを、どこの誰とも知らない男に託して死んだ。
「そう、ですか。私も重荷ですか?」
返事に詰まった。そうだ、とも言えたし、そんなことはない、とも言えた。持つ前の大荷物は気が滅入るが、持ってしまえばなんてことはない。彼女のことを託された。迷宮から脱出するまでの付き合いだと思っていたが、そういうわけにもいかなくなった。
「……ふふ。優しいですね、やっぱり」
俺の沈黙を何か勘違いしたらしく、ソラリアが笑う。迷宮の中での冷静な彼女は、やはり仮面を被っていたのだろう。迷宮に入ると性格が変わる冒険者は多い。それは戦場でも同じだった。
俺は優しくない、と否定しようとしてやめる。一時の少女の安心に比べれば、俺のちっぽけな誇りなど、大した意味はない。ソラリアの体は小刻みに震えている。最初からだ。最初からずっと、彼女の体は震えていた。
「……ヴェンターさんと別れてから、パーティを探しました」
「それは、早いな」
「なにかしていないと、怖かったので」
ぽつぽつと喋り始めたソラリアに相槌を打つ。まとまりも脈絡もない話し方だったが、とりあえず耳を傾ける。
「パーティを全滅させた斥候に用はないそうですよ、みんな」
「そりゃひどいな。10階層を超えたあたりで、思い知るだろうよ」
「ああ、10層超えると罠が増えますからね。私もだいぶ苦戦しました……」
「大丈夫だ。中級冒険者の俺から見ても、ソラリアの斥候としての技能は優秀だ。ギルドもちゃんと面倒を見てくれるさ」
「……私、ギルドはあんまり信用できません」
「そりゃ奇遇だな。俺もだ」
抗議するように俺の顔を見つめるソラリアから、視線を逸らす。『信用できない相手に私を託そうとしたのか』――という圧力を感じる。ギルドは組織だ。組織に利があれば手を差し伸べるが、労力と利が見合わないと判断すれば何もしないだろう。
かといって、ギルドの強権で強引にパーティに入るのはいい結果を生まない。迷宮という閉鎖空間において、他人は基本敵なのだ。だから初心者たちは一度組んだパーティをなかなか変えないし、新しいメンバーをいれることにはかなり消極的だ。それがソラリアのように見目麗しい少女ともなれば、なおさら。
ああ、わかっていた。わかっていたことだった。
彼女がもうパーティを組めないことくらい。それだけの衝撃と傷を、あの【
「……助けてください、ヴェンターさん」
「引き受けよう」
引き受けざるを得ない。なぜなら、彼女のことをロージスに頼まれている。『ソラリアを頼む』と言い残して逝った彼のために、俺にはソラリアを見守る責務がある。
厄介なことだ。こうならないために、1人で迷宮に潜っていたというのに。
気取った言い方をするのであればきっと、『逃れられない宿命』というやつなのだろう。彼女の放つ輝きに魅入られながらも、俺は彼女の力になることを決意した。
月の光は、ただ寒々と俺たちを蒼い光で照らしていた。
† † † †
翌朝ーーと言い張るには少し日が昇り過ぎていた。慌ただしい冒険者たちの喧騒を聞き流し、俺とソラリアはベッドの上で向かい合う。
「――まず前提としてだが。ソラリア、お前は仲間を見つけなければならない」
「はい先生。見つかるとは思えません」
「諦めが早い!」
だが、ソラリアの言うことには一理ある。迷宮において、一番重要な役割の人間は何か?
前で攻撃を受け止める前衛か?
後背で殲滅を受け持つ魔導士か?
それとも怪我を癒す癒し手か?
どれも否である。もっとも重要なのは、魔獣を先に見つけ出し、罠を解除する斥候の人間だ。深く潜ろうとすればするほど重要になるのは『いかに魔獣との戦闘を回避するか』、この一点にかかってくる。人間の体力も精神力も有限だ。迷宮という非日常で長く過ごせば過ごすだけ、精神は摩耗し体力は削られていく。
ゆえに、上を――迷宮的には『下』だが――目指せば、必ず『消耗を抑える』という至上命題とぶつかることになる。
「だから【炎と風の鳥】は冒険者ギルドから優秀なパーティだと認められていたんだ。斥候がいるパーティは下の階層を目指せる。もちろん優秀な前衛後衛がいる前提だが、ソラリアたちの快進撃には優秀な斥候がいるということが理由のひとつだったのだろう」
「……はい」
複雑そうな顔をしながら頷くソラリア。自分を残して全滅したパーティを褒められても、といったところか。彼女は意外と自己評価が低いから、もしかしたら自分の力ではないと思っているのかもしれない。
「だが、斥候1人で迷宮に潜るのは現実的ではない。確かに俺は前衛も後衛も斥候もできる超凄い中級冒険者だが、同時にこなせるわけではない。パーティ、仲間は必ず必要だ」
「でも先生。私は『パーティを全滅させておめおめ逃げ帰ってきた斥候』なので、私を入れてくれるパーティがあるとは思えません」
「事情を知らん奴が見たらそうなるが、12階層に出現した【
冷静で正しい判断だ。そもそも【
「……そういうものですか」
「そういうものだ。たぶんな」
実体験ではないが、豊富な冒険歴を持つ男からの受け売りだ。あながち間違いというわけでもないだろう。
「1人で潜れるほど迷宮は甘くない」
「こんなに説得力のない発言は初めて聞きましたよ、先生」
「俺のことを先生と呼ぶのであれば従いたまえ。仲間を探すのは確定だ」
信頼できる仲間とともに、迷宮に潜る。これが正当な冒険者の姿だ。
「だから仲間見つけましたよ。先生です」
誇らしげに薄い胸を張るソラリアの頭に手刀を落とす。
「俺じゃダメだ。しっかり前衛と後衛を見つけ、パーティを組む。これができなきゃ、冒険は始まらない」
「じゃあ、どうするんですか? たぶん、もう私の噂は出回ってますよ。【炎と風の鳥】はそれなりに有名でしたから」
涙目で頭を押さえながらこちらを睨みつけるソラリア。
人は他者の不幸を喜ぶ。それが近しい者でなければなおさらだ。面白おかしく飾り立てられ、噂は冒険者たちの間を巡るだろう。
「冒険のぼの字も知らない初心者を引っかけて恩を売るか、もしくは……」
「もしくは……?」
「誰からもパーティを組んでもらえない爪弾き者を仲間にするか、だな」
真顔で考え込むソラリア。初心者と組むのであれば、もう一度下積みからやり直しだ。いくらソラリアが序盤の階層に詳しくても、ほかの仲間たちにも経験を積ませないと意味がない。冒険者とは、一歩一歩迷宮を踏みしめながら強くなっていくのだ――とは、ある男の受け売りである。残念ながら、俺は一切実践する気がなかったが。
「爪弾き者……」
なんらかの理由でパーティが組めない者たち。素行や過去に問題がある、能力が足りていない、嫌われている、恐れ多いなどなど。絶対に組むべきでない相手もいるが、『なんとなく忌避されている』奴もいる。だが、爪弾きにされつつも冒険者を続けている時点で、一定の実力は保証されている。組む相手によっては、すぐに12階層に返り咲くことも可能だろう。
「心当たりはありませんが、とりあえず冒険者ギルドに行ってみましょうか」
「そうだな」
昨日は寝すぎた。日は高く昇り、そろそろ昼食の時間である。
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