第4話 日常

「なんか、お前が来ると今月始まったんだなって気持ちになるな」

「人を暦替わりにするな、うすらハゲ」

「金額差っ引くぞ」

「人を暦替わりにしないでください、うすらハゲさん」

「そこじゃねぇよ」


 呆れたように溜息を吐き、もう少しで頭頂部が光り輝きそうな親父が右手を出す。


「男と握手はしない主義で」

「とっとと【飲み込む犀ディティア】の胃袋出せよ。またそれだろ?」

「さいで」


 冒険者の鞄を探り、真っ白の胃袋を出す。毎月毎月狩り続けてて言うのも失礼かもしれないが、相変わらず気持ち悪いブニッとした感触である。多少生臭いはずだが、もうすでに鼻は麻痺している。この異常な臭気の空間に暮らせているだけで、俺はこの半分禿頭の男――鑑定員ゼムラバのことをほんの少しだけ尊敬している。腹は出ているが。


「ほーん、良いサイズじゃねぇか。金貨38枚だな」

「ほいよ。ところでおっちゃん、鞄1個の加工費いくら取ってんの?」

「あ? 金貨で10枚くらいだな」

「暴利」

「冒険者の鞄は使うとこ間違えると軍事バランスを崩しかねないからな。これは裏話だが、ギルドには結構在庫があるぞ。噂では、迷宮都市の住人を3年賄えるだけの貯蔵があるとか。冒険者もいっぱいいるし戦争すればだいたい勝てるな」

「ちょっとしか聞いてねーのに聞きたくないことべらべら喋るんじゃねーよこのハゲ!」


 明らかに一般市民が知るべきではない情報を手に入れてしまった。ただでさえ厄介ごとの種を手に入れてしまっているのに。


「副ギルド長の年齢とかスリーサイズに興味はあるか?」

「ない」

「即答かよお前……」


 枯れてるな、と呟いて【飲み込む犀ディティア】の胃袋を放り投げ、棚から金貨を入った袋を取り出し、俺に投げ渡す。


「確認しろ」


 俺は一度袋を投げ返す。


「なんだお前。要らねーのか?」

「もう1個、見てほしいものがある」


 俺は冒険者の鞄から、白く輝く骨の刃を取り出す。【骨喰い蜈蚣ミルル=ミルガ】が投げてきた骨の剣。一目見た瞬間、ゼムラバの目の色が変わった。


「……おい、それは投げるなよ。丁寧に扱え」

「あんたがそう言うほどの物か……」


 言われた通り、丁重な扱いでゼムラバに差し出す。だがゼムラバ的には不服だったようで、俺から奪い取るように骨の剣を受け取る。


「なんだ、こいつは……?」

「剣のカタチに仕上げたのは【骨喰い蜈蚣ミルル=ミルガ】の変異体だ。何の骨かはわかるか?」


 長さは俺の身長とほぼ同じ。幅広の大剣と呼んでもいいだろう。迷宮内で振り回すのには向いていないが、その切れ味と軽さは本物だ。軽々と持てるわけではないが、金属製の大剣に比べれば羽のような軽さだ。


「ああ、骨はたぶん37階層の【四腕の悪魔グレゼリアムス】の骨だろう」

「37階層!? これ、12階層の【骨喰い蜈蚣ミルル=ミルガ】の変異体が持ってたんだが?」

「知らん。そういう魔獣の生態は俺の管轄外だ。俺ができるのは、素材を確かめて値段をつけるだけ……そうか、【骨喰い蜈蚣ミルル=ミルガ】の変異体。興味深い……が、こいつは返す。買い取れん」

「は?」


 差し出された骨の剣を受け取る。


「そいつは素材じゃねぇから値段はつけられない。武器、もしくは芸術品だ。好事家に売っても高く売れるだろうし、持ち手をつければ立派な剣になるだろう。お前は器用だし、大剣使いにでも転向したらどうだ?」

「冗談キツイぜ」


 骨の大剣を振り回す剣士。絶対悪目立ちするし、そういう豪快な戦いは得意じゃない。あるものでなんとかするのが、俺の戦い方だ。

 再び飛んできた革袋を受け取り、金貨の枚数を数える。ぴったり38枚。重さでわかるらしいが、器用な男だ。


「じゃ、また来月だな。副ギルド長に酒を控えるように伝えてくれ」

「自分で言え。同僚だろ」

「あいつ、ここには来ねーからな。匂いがうつると婚期がどうこうとか言って。とっくに過ぎてんのにな、適齢期!」


 爆笑するゼムラバが翌朝死体になってないことを祈りつつ、俺は素早く鑑定部屋から退散した。あの女と関わるとろくなことがない、早めに撤退するのが正解だ。特に陰口に関しては地獄耳だし。


「あ~……朝日がきついぜ。一仕事終わったし、酒でも……おっと、そうか。治癒院に行かねば……」


 迷宮内では無視していた右手首の痛みがぶり返してきた。痛みは人の集中を削ぎ、判断を鈍らせる。戦う者であれば、痛みを意識の外に外す方法は知っていて当然の技術だ。少し面倒に思いつつも、俺は足を宿ではなく治癒院に向ける。


 早朝と呼ぶべき時間は過ぎ、通りが活気づいてくる。もう少ししたら、酒が抜けた冒険者たちが迷宮に向かう流れが生まれるだろう。そうなる前に、と少し足を速めた。人混みの中を移動するのはあまり好きではない。好きな人間などいないだろうが。


「帰りには屋台開いてるかな……」


 帰るのは少し手間になるが、屋台で酒を頼むのも悪くはない。朝っぱらから酒とつまみに興じることができるのも迷宮のおかげだ。


 やがて前方に、白亜の建物が見えてくる。冒険者ギルドの歴史ある重厚感と違い、静謐で神聖な雰囲気を感じさせる建物だ。とはいえ、迷宮都市に来るとたとえどんな神様だろうが世俗に塗れるはめになる。この都市はまさに、人間の欲望の塊のような都市なのだから。


 神秘的な白い建物の手前に乱立する注意書きの看板たち。『値切り交渉禁止!』『癒し手に故意に触れた場合金貨1枚徴収します』『決闘の怪我は請け負いかねます ※特にインゼルム!』『軽傷銀貨2枚、重症金貨2枚。重軽傷の判断はこちらで行います』――全く、情緒も風情もあったもんじゃない。


「どうもー」


 冒険者の6割が、日帰りで迷宮に潜ると言われている。深い階層に潜るのであれば野宿や飯の準備は必要だが、そこまでの実力がない者が大半。迷宮都市は眠らないが、賑わうのはやはり昼間から夕方。朝一発目に治癒院を訪れる者など、酔っぱらって喧嘩した者くらいだ。

 建物の中に入ると、数人並んでいたので大人しく最後尾に並ぶ。『順番飛ばしはマナー違反です』『特急で治していただきたい方は追加料金で銀貨5枚いただきます』という注意書き。うむ、世知辛い。


 待っていると急に痛みが強くなったような気がする。この痛みに負けて追加料金払う奴も多いのだろう。


 銀貨5枚か……


(酒3本分……いや、無駄遣いすれば、その分早く迷宮に潜る羽目になる……ここは耐えろ、耐えろ俺)


 しかし、何もしない時間というのは退屈で、退屈だと痛みがぶり返す。そういう時に限って、列は進まない。


 イライラしてきた。


「あと2人……」


 ようやく前が見えてきた。今日は誰がやっているのか疑問に思い、首を伸ばして施術者を覗き見る。別に文句を言おうとしたわけじゃない。列がなかなか進まないから、新人の癒し手がやっているのかな、と思っただけだ。


 知り合いだった。


 長い水色の髪を波立たせ、白の生地に金糸をあしらった法衣をまとう少女。そうか、なるほどな。それは列の進みが悪いわけだ。


「ありがとうございました~!」


 明るく微笑み、何の意味もなく患者の手を握る少女。握られた男――年若い冒険者だろうか――の表情は見えない。だが鼻の下を伸ばしているであろうことは予想できた。俺は禿頭のおっさんの影に隠れるようにして少女に近づく。おっさんの怪我は包丁で指を切ってしまったらしい。しょうもない。疑う余地もなく軽傷、だがおっさんは銀貨を3枚取り出した。


「『朗々たる声/空虚に響きて/廻りゆく者/わずかに遡れ』!」


 少女の声が響き、おっさんの指の傷が癒えていく。わずか数秒で傷がふさがり、おさんは満足気に指を撫でている。そして、傷は治ったのに両手を差し出す。


 少女が傷を治すのに使った時間よりも長い時間、おっさんの手を撫でまわす。患部の確認というには妙に長く、怪我をしていないはずの場所まで触っている。


「ありがとうございました~!」


 そしておっさんは満足気に頷き、少女は銀貨3枚を受け取って笑顔。うんまあ、いいんだけどね。


「ようこそ、セウィリの神殿へ。本日は怪我の――」

「よう。相変わらずやってんのか」

「げっ!」


 俺の顔を見るなり営業用の笑顔が崩れる。あまつさえ舌打ちをかます少女。見た目がとんでもない美少女であるがゆえに、妙に様になっていて腹が立つ。こいつに幻想を抱いている男冒険者も多いというのに。


「怪我の治療ですね。けっ。銀貨2枚でーす」

「態度悪いなお前」

「愛想は別売りでーす」

「まあ、そういう奴だよお前は。手首を捻った、頼むぞ」


 袋の中を覗き込み、銀の輝きを探す。だが、いくら探しても銀貨がない。銅貨ならそれなりにあるんだが、さすがに銀貨2枚分の銅貨を持ち歩いたりはしていない。


 しかたなく、金貨1枚を渡す。手首を捻った程度の怪我は軽傷に分類されるが、釣りで貰おう。


「……?」


 疑うように金貨を眺める少女――セウィリの神官、ルナリは眉根を寄せて首を傾げる。そして若手の冒険者たちには見せられないほど、厭らしい笑みを浮かべた。


「ふーん、そっかーへぇー。ヴェンターさんも男ですもんねー。迷宮探索のあとは溜まってますよねー」


 にやにやとこちらを見下す笑みを浮かべながら腕を組むルナリ。年に不釣り合いなサイズの胸が持ち上げられ、妙にぴっちりした法衣を押し上げる。俺は左手を差し出す。


「銀貨8枚かー仕方ないなぁ……触ってもいいですよ?」

「釣りをよこせ、銀貨8枚な」


 わざとらしく胸を持ち上げるルナリを完全に無視して、釣りを要求する俺。ルナリの笑顔が固まった。


「……は?」

「そういう嫌がらせはいらん。たまたま手持ちが金貨しかなかっただけだ」

「………………………………は?」

「早く治してくれ。地味に痛いから」


 これで癒し手としての腕がなければ、即座に追い出されているだろうに……こいつにはセウィリ教の教えをもっと丁寧に教え込むべきだと思う。仕事としてのプライドはあるのか、やけにゆっくりとした詠唱で俺の右手首を治すルナリ。妙に身を乗り出していたが、俺はそんな誘惑に屈する男ではない。


「釣りをよこせ。銀貨8枚だ」


 据わった目で俺を睨みつけ、銀貨を8枚取り出すルナリ。ちらりと上目遣いでこちらを見る。今度は涙目だ。知ったことか。


「あっ」


 銀貨8枚を奪い取る。


「じゃあな。ほどほどにしろよ」

「この金持ち! 万年中級冒険者! 引きこもり! 飲んだくれ!」


 全部事実だから言い返しようがない。俺は返事の代わりに痛みの消えた右手をひらひらと振る。


「二度と来るなー!」


 客はもう俺しかいなかったとはいえ、あんなことを言って大丈夫なのだろうか。しかしまあ、年相応に可愛らしいところもあるじゃないか。ああいったサービスで追加料金を取るのはどうかと思うが。追い出されても知らんぞ。


「さぁて。これで今回の冒険は全て終わり。いつも通りの生活に戻るぞー」


 途中で屋台に寄り、焼き鳥と酒を頼む。迷宮から帰ってきた日はケチケチしないと決めているので、タレの濃厚な味を楽しみながらひたすら酒を流し込む。気楽な1人飲みは日が沈むまで続き、屋台が閉まる深夜まで俺は酒を飲み続けた。

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