第2話 疾走
俺と少女は周囲を警戒しながら迷宮を歩き回る。気持ちは急くが、走り回っていいことは何もない。音で魔獣を呼び寄せ、囲まれて殺されるだけだ。
「自己紹介してなかったな。俺はヴェンター、一応中級冒険者の端くれだ。基本的には単独で迷宮に潜っている」
「……私は初級冒険者のソラリアです。【炎と風の鳥】の斥候役をやっています」
ソラリアという名前に聞き覚えはないが、【炎と風の鳥】、というパーティ名には覚えがあった。最近活躍している若手パーティの名前だ。構成は確か、斥候が1、片手剣士が1、護衛騎士が1、双剣士が1、魔導士が2の6人パーティ。バランスがいい、教本通りのパーティだ。
「早く……早く、見つけないと……!」
ソラリアの呟きを聞き、俺は内心舌打ちする。パーティのことを思い出させてしまった。表面上は冷静に振る舞っているが、心の中では彼らのことを相当心配しているのだろう。
「焦るな。【炎と風の鳥】のことは俺も噂で聞いている。優秀なパーティだと聞いた、そうそうやられていることはないだろう」
「……」
斥候は迷宮では生命線だ。罠や魔獣の索敵など、パーティの目であり耳である。斥候役を失ったパーティが出口がわからず全滅――なんてことは珍しくもない。だが、それは合流できなかった場合の話であり、前衛と後衛が揃って適正階層にいるのであればそうそう全滅はしないはずである。俺の発言を聞いたソラリアは顔から表情を消した。だが、その小刻みに震える口を見れば何を考えているのか察しはつく。
胸中で主張し続ける不安を握り潰し、俺はソラリアを先導する。いくら優秀な冒険者でも、今のソラリアに冷静な判断も適切な索敵も難しい。【
幸いにして、魔獣とは遭遇しない。先ほどの【
ソレを見つけたのは、俺が先だった。
迷宮の壁にぽっかりと空いた穴から白い光が漏れている。迷宮内にいくつか存在するこういった小部屋は、冒険者ギルドによって制圧され、休憩場所になっている。新たな休憩部屋の発見は小金になるので、それを専門に探している冒険者もいる。
休憩部屋は比較的安全だ。入り口は狭く、大型の魔獣は侵入が難しい。もしも【炎と風の鳥】の仲間たちが逃げ込んでいるとしたら、ここの可能性が高いだろう。
休憩部屋は比較的安全な領域である。だが、なんだ――この違和感は――?
必死に記憶を掘り起こす。12層の地図はほとんど頭に入っているが、
「ロージス!」
「あっ馬鹿お前――」
何を見たのか、ソラリアが飛び出して部屋に駆け込む。名前を呼んだところを見ると、知り合いの姿でも見えたのだろうか。それならば、この予感はただの勘違いにすぎず、ここは何の変哲もない休憩部屋なのだろうか。
『そういえば、休憩部屋ってなんで存在するんだろうな。迷宮って基本、だだっ広いフィールド型か、通路型の2つだろ? 通路型になんでそんな、広場みたいな場所が用意してあるんだろう?』
記憶を掠めるのは、かつて疑問に思った迷宮の構造。疑問を投げかけられた女は、少し困ったように笑いながら仮説を教えてくれた。
『通路型の階層は、餌であり敵である冒険者の動きを制限するためのもの。一気に大量の人間が入れないようにね。だけど、例外があるの』
記憶を辿る。あの時、あの女は何か重要なことを言っていた。前を駆けていく栗色の髪を追いながら、俺は必死に記憶を探る。
『もしもその階層で、巨大かつ強力な魔獣が生まれた場合。迷宮はその魔獣に合わせた広場を造り上げる。冒険者の動きを制限するよりも、強力な魔獣が暴れやすい場所を造ったほうが効率がいいと判断すれば――そこに、広場が生まれる。そういった魔獣が討伐された後の部屋が、休憩部屋と呼ばれているのよ』
「――ッ!!」
背筋が泡立つ。先の小部屋を覗き込む。壁に剣を握った男が寄り掛かっているのが見えた。彼の顔つきは険しく、視線は天井を見つめている。
「ロージスッ!!」
「止まれッ!!」
「来るな、ソラリア!!」
3つの声が重なった。喜びに弾むソラリアの声、焦りに満ちた俺の声、そしてロージスと呼ばれた男の悲鳴のような声。
ソラリアの服を掴もうと手を伸ばすが、寸前のところで逃げ切られる。ソラリアは斥候らしく、軽やかに境界を踏み破って広場の中に侵入。俺も思わず後を追う。
「ロー……!」
白の光が閃いた。ロージスの左から迫っていた白の光が、いとも容易く彼の首を刈る。まるで喜劇のように空高く舞い上がった頭は、くるくると回りながら、こちらを見ていた。そして俺は見てしまった。その瞳に映る、彼の意思を。目が合ってしまったのだ。その目から光が失われるまで、ロージスという男の水色の瞳は、俺にたった1つの願いを託し続ける。
『ソラリアを、頼む――』
死者からの願いは呪いだ。彼の魂が望んだ願いは、俺の心に消えない傷を残す。もう少し急いで移動していれば間に合ったのだろうか。
後悔はあとだ。
今度こそ、ソラリアの首を掴んで引っ張り戻す。右手の槍を、迫る白の光に合わせて振るう。
(ぐっ――重い――!)
右手首に走る痛み。今更ながら捻っていたことを思い出し、左手もあわせて槍を抑え込む。地面が靴を削る嫌な音が響くが、なんとか白の光を受け止めた。勢いを失ったソレは、地面に落ちて乾いた音を立てる。
湾曲した形に、鋭く輝く白。もっと小さいものだが、その形状と色には覚えがあった。
「【
14層の魔虫だ。死体を漁り、骨を削って自らの武器とする魔虫。本来の【
「……ロージス?」
背後の呆然とした呟きに反応している余裕はない。続いて放たれる骨の刃を“朱槍ディルムス”で迎え撃つ。【
牙が擦れ合う耳障りな鳴き声が響き、【
「部屋から出ろ、ソラリア!」
素早く視線を巡らせると、部屋の中には死体が5つ。犠牲になった人は5人――おそらく【炎と風の鳥】の冒険者たちだろう。どれも、体や首が両断されている。あの骨の刃の切れ味は、【
「あ……ああ……? ムル? ナーディ? どうして……?」
もう後ろにいるのは冷静な斥候のソラリアではない。ただ現状を受け入れられず、崩れ落ちることしかできない少女だ。脳内の戦力から彼女の補助を弾き飛ばし、独力で奴を倒すための戦略を練る。逃走という選択肢も浮かんだが、ほとんど意識もせずその案を否定する。理性ではない。
(死者に頼まれたことは――できる限りやってやるさ!)
背中から鞄を落とす。身軽になった俺は戦場をソラリアから離すべく走る。
「こっちだクソ虫!」
天井を這う【
「力を貸してくれ、ディルムス!」
石突で地面を突く。瞬間、持ち主の意思を感じ取った“朱槍ディルムス”の穂先がより赤く輝きを増す。
【
(ちっ、想像以上に硬い――なんの魔獣の骨を纏ってやがんだ、こいつは!?)
横をすり抜けた俺に対して尾を振るう【
尾の先端に付着していた赤褐色の液体の飛沫が服に掛かり、煙を上げた。
(毒……酸の毒か? 【
毒の考察を切り上げ、敵の戦力を分析する。
毒を持つ尾。多足による高速移動、恐らく牙にも毒がある。硬すぎる骨による防御力。剣のような骨を投げ放つ技。
「参ったな。30層手前くらいの危険度だぞ、こいつ……!」
かなりのスピードで壁に向かって走っていったのに、一切速度を緩めることなく壁を登り始める【
「は、クソッ!」
油断した。壁を登っていた【
攻撃範囲が広い。動き回る方が危険と判断し、前方に向けてディルムスを振り回す。硬質な音を立てて弾かれていく骨の塊。飛ばせる骨の数には限りがあるはず――という俺の希望的観測は裏切られた。地面に落ちている骨を器用に足で拾い上げながら装着していく【
確定だ。こいつは手強い。少なくとも、20層にいる【
「――だがそれでも、俺の方が強い」
再び迫る【
「『最後の手段は5個くらい持っとけ』ってね」
着地と同時にディルムスを投げ放つ。正確に頭を狙って放たれたディルムスはしかし、硬い頭蓋の骨に弾かれる。
怒りの鳴き声をあげる【
「『万物は我が手中にある』――来たれディルムス!」
「『破壊の象徴/踊り狂う者/真紅に輝く瞳』」
再び石突で地面を突く。穂先が赤熱し、より赤くより熱く輝きを増す。
「『万物は我が手中にある』――来たれアルリア!」
部屋の入口に投げ出した冒険者の鞄から、鈍色の長弓が飛び出して俺の左手に収まる。“崩弓アルリア”もまた、俺の武器のひとつ。
「力を貸してくれ、アルリア」
ディルムスをつがえる。二つの武器が、まるで呼応するかのように輝きを増していく。銀と赤の光が周囲を明るく照らし出す。
輝きに怯えるように、一瞬【
かつて砦ひとつを崩壊させた逸話を持つアルリアから放たれた一撃は、吸い込まれるように【
「……ふぅ」
しばらくもだえ苦しむ【
広場に残ったのは、5人の冒険者の遺体と【
戦利品――というか証拠として、巨大な骨の刃2本を冒険者の鞄に放り込む。見た目以上に容量があるとはいえ、そろそろ満杯である。ディルムスを呼び寄せ、アルリアと一緒に鞄にしまう。
ソラリアの顔を眺める。現状を認識できないらしい。立ち上がる気力すら感じられない。
「お前の仲間たちは死んだ」
俺の言葉に反応し、のろのろと視線を向ける。考えることを放棄した者の目だ。俺にとっては見慣れた瞳。
「ここで死ぬつもりか?」
「……」
反応を返さず、呆然と仲間たちの遺体を見るソラリア。俺は内心溜息をつき、できるだけ下卑た笑みを浮かべる。
「おい、ソラリア。俺は中級冒険者だ。護衛料として金貨で20枚、払ってもらおうか」
体を震わせ、俺の顔を見上げるソラリア。
「お前も中級冒険者の護衛料くらい知ってるだろ。そして今回の相手はやばい奴だった。即金で金貨20枚だ、払えないなら……わかるよな?」
顎に手をやり、強制的に上を向かせる。白い喉に手をやり、間近で見つめあう。ソラリアの瞳に、微かに光が戻った。それは恐怖か、それとも――
「……そ、そんな大金――」
「持ってねぇって?」
金貨20枚。それはそうだ、初級冒険者が持っているはずがない。
「持ってないなら仕方ねぇな。地上に戻って、俺の相手をしてもらおうか?」
ソラリアの瞳に理性の光が戻る。やれやれ、手間かけさせやがって。
「……最低!」
鋭い目つきで俺を睨むソラリアに、肩をすくめて見せる。
「なんとでもいえ、ただ働きはごめんだ。まあ、お前みたいな気の強い女は嫌いじゃねぇけどな?」
――うむ。昔斬り殺した山賊の真似をしてみているのだが、なんかこう、違和感がすごい。
あってるか? あってるよな?
「おら、立て。とっとと移動するぞ。それとも、ここでやるか?」
「ッ……!」
頬を赤く染めたのは、羞恥か怒りか。まあたぶん純度100%の怒りだろうけど。とりあえず、怒りで立ち上がる程度の気力は戻ったようだ。
「ま、待って。遺品を――」
それはそうか。断る理由もない。
「ちっ、早くしろよ。血の匂いを蝙蝠どもが嗅ぎつけるまで、そう時間はないぞ」
急がせる。現実に向き合わせることには成功したが、あまり長い間この空間に留まると、仲間5人を失った喪失感を思い出すだろう。そうなる前に、まずは地上に逃げる。あとのことは地上で考えればいい。
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