魂喰らい
凩 影途
第1話 遭遇
足で地面を引っ掻く灰色の犀――【
生意気にも自身に挑みかかる冒険者に対し、【
「――ッ!」
突進は受け止めない。
だが、避けるのもあまり現実的ではない。なぜならこの【
眼前に迫る“死”の塊。もう回避が間に合わないことを確信し、【
俺はまるで迫力に気圧されたかのように後ろに倒れた。こっそり掘っておいた窪みに自分の体がすっぽりと収まり、地面スレスレまで低く下げられた【
「ハッ!」
握りしめた剣を一気に突き上げる。手が持っていかれる前に素早く離し、通り過ぎていく灰色の腹を見届けた。【
血を撒き散らしながら走り去っていた【
「はぁ……」
【
【
「今月の仕事終わり。帰ろ帰ろ」
呟き、量産品の剣を見る。命を奪うための鈍色の輝きはくすみ、わずかに折れ曲がっている。そこらへんに捨てようかとも思ったが、こんな剣でも鋳潰せば多少は金になる。わずかに迷い、結局貧乏性が勝った俺は剣を『冒険者の鞄』に収めた。宿屋に折れ曲がった剣が十数本あることを思い出し、今度鍛冶屋に持っていくことにする。
「っ、つぅ……捻ったか……?」
瞬間右手首に奔った鈍痛に顔をしかめる。どうやら、少し剣を手放すのが遅かったらしい。ともあれ、仕事は終わった。あとは帰るだけである。地上に戻ったら治癒院に寄ることを決意しつつ、俺は足を階段に向けた。
† † † †
12層。この層は、いわゆる『登竜門』としての扱いが強い。各所に配置された『小鬼罠』、油断していると大量に仲間を呼び寄せる【
周囲を微かに照らす【
そうやって敵との戦闘を避けながら帰る俺の耳に、激しい戦闘の音が響く。迷うことなく、戦闘音に背を向ける。迷宮で他者と会うことは、リスクはあってもメリットはほぼない。なにせこの中はほぼ治外法権。冒険者としてのマナーが少しだけ通用するのも20層までだ。それ以降は完全に自己責任。ほかの冒険者に殺されても何も言えない。死者は何も語らないのだから。
というわけで、俺は段々近づいてくる戦闘音から逃げるように足を速める。このとき、俺は二つの油断をしていた。
一つ目は逃げながら戦っている人間に追いつかれるわけがない、と高を括っていたこと。まあこれはそこまで致命的な油断ではない。自明の理である。実際追いつかれなかったはずである。
二つ目、これがよくなかった。言い訳をさせてもらえるなら、そんなことは普通は起きないはずだということ。不運が重なったのだ。
まさか進行方向からも、戦闘音と悲鳴が聞こえてくるとは。
「……え、挟まれた?」
徐々に近寄ってくる戦闘音に俺が呆然としていると、まずは1人の男が姿を現した。
俺が進もうとしていた方向から、妙に煌びやかな鎧を纏った男。数体の【
「このっ、この私がこのような浅い階層で――!」
なんで1人なんだろう、と自分のことを棚に上げて首を傾げる。はぐれたのだろうか。そうして首を傾げていると、背後――逃げてきた戦闘音も徐々に近づき、争っている者の姿が見えた。
「げっ、【
2対の鎌を構え、6本の鋭い足を蠢かす黒褐色の巨大なカマキリ。本来であれば14層に生息しているはずの魔虫だ。油断していると中級冒険者すらも一裂きにする荒々しい昆虫種。
間違っても、12層に出現していい魔虫ではない。対峙している冒険者の少女は、栗色の髪をなびかせ下がる。通路を塞ぐように前進する【
(いや、それは腕が持っていかれ――!)
勢いを殺しきれず吹き飛んだ少女は、軽やかに壁面を蹴り飛ばして着地。腕は無事なようだった。その身のこなし、中級一歩手前の適切な装備。戦意に輝く鳶色の瞳。彼女はまとも――どころか、かなり優秀な冒険者のようだった。しかし、息が荒い。体力の限界が近いのだろう。
「どっちを助けるべきか、は明白か……」
俺は『影潜の外套』を放り投げ、左手で歪んだ剣を引き抜く。元より中途半端にしか鞘に収まっていなかった長剣は、鈍い光を散らして【
「素材はくれてやる。こいつはお前には荷が重い、下がれ」
このような少女が仲間も引き連れずにこの階層に降りてきているとは考えづらい。何か理由があっての無茶か、仲間とはぐれたか――もしくは、
少女は俺を一瞥し、何も言わずに後ろに下がる。余計なことは言わず、実力を見抜いて逆らわない。もしかすると、なんらかの手段で俺の存在に気づいていて、わざと【
体のすぐ横の空間を切り裂いていく鎌を見届ける。だが【
「……そんな目で見るな。戦力の把握は終了した」
気まずさを振り払うため、咳払いを1つ。背後では鎧男の悲鳴がぎゃーぎゃーと響いているが、俺も少女も無視だ。
歪んだ長剣をそこらに放り捨て、俺は背負った『冒険者の鞄』に手を突っ込む。長剣は銘が入った業物ではないとはいえ、量産品の中では質が良い。だが、こういった魔獣を相手にするのであれば力不足。
「力を貸してくれ――」
赤く仄かに光る槍、“朱槍ディルムス”。俺とともにいくつかの戦場を駆け抜けた相棒であり、それ以上に思い出深い槍である。剣を使って戦うことが多い俺だが、こういった近接型かつ間合いが広い相手には槍を使う。
久しぶりに握るディルムスは、妙に手に馴染んだ。冷たい金属の塊のはずだが、そこには確かな温もりがある。
迷宮で槍を使うのは定石ではない。この通路は比較的広いが、中には槍を振り回す空間がない階層も存在する。迷宮に潜る冒険者たちが剣を好むのもこのあたりに理由がある。
「ふっ!」
薙ぎ払われる鎌にディルムスの穂先を合わせる。敵の攻撃の瞬間を見極め、その先端に合わせる技術は、生半可な努力で身に着けられるものではない。自分でやっておいて言うのもなんだが、高等技術である。
ディルムスが魔力に反応し、赤熱する。穂先が真紅に染まり、周囲の気温がわずかに上がった。【
「呆けている場合か?」
槍を回す。一度回せば足が二本斬り飛ばされ、もう一度回せば左の鎌が切断される。大上段に構えた槍を、勢いをつけて振り下ろす。頭から腹までを一息で切り裂かれた【
俺にとって20層より上の魔獣は全て片手間で狩れる敵でしかない。それは慢心でも油断でもなく、ただの厳然たる事実だった。
「で、状況は?」
「……私たちはいつも通り、この層を探索していました。そしたら【
端的に説明された状況。脅威となる【
「来た道を覚えているか?」
「はい、これでも斥候の端くれなので」
淡々と言葉を返す少女。パーティの目であり耳である斥候は、誰よりも冷静に頭を巡らせなければならない。指示と鼓舞がリーダーの役割なら、斥候の役割は情報伝達と攪乱。しかしこの口ぶりだと、地図作りも彼女が担っていたのだろう。
「とりあえず、来た道を戻るか。俺もついていこう」
「あ……ありがとう、ございます……少し、急いでもいいですか?」
「ああ、構わない。俺も――」
嫌な予感がする、と言いかけてやめる。不安を煽る必要はない。ただでさえ斥候役は打たれ弱く、こうしてパーティから離れるのは不安なはずだ。いくら自ら買って出た囮だとしても、不安というものは簡単に消えるものではない。少女は落ち着かなさげに周囲に視線を走らせる。
「ぐっ……! このガロエラ、こんなところで死ぬわけには――!」
顔を見合わせた俺と少女はまだ【
魔獣が階層を移動するのはさほど珍しいことではない。2階層移動することも、珍しいが過去に例がないわけではない。だが、非常に嫌な予感がして、俺は背筋を震わせた。
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