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2018年10月12日 13:06
同じことを考えていた時期が私にもあって、本当にやさしくあることを求めていました。でも、どんなにしてもやさしさは、自分のためにするやさしさで、たとえば溺れる子供を、危険をかえりみず自分の身も命も水に投げ出して、助けようとする人がいる。彼はほんとうのやさしさの体現者なのか。彼は溺れる子を見て、きっと胸を痛めた(だから飛び込んでいく)、そしてこの胸の痛みから解放されたいと思った(だから飛び込んでいく)。彼もやっぱり自分のためにやさしさを人に投げ出しているんじゃないか。ほんとうにやさしいことはあるだろうか。私はないんだろうと思いました。でも、自分のためになってしまうことと、人にやさしいことが、なぜ両立しないと思うんだろう。そして自分のためであることが、ほんとうに人が受け取るやさしさを汚せるんだろうか。汚せるとしたら、それはやさしさのお返しがなかったことを、咎めるときではないでしょうか。やさしくしたとき、やさしさが期待しているみかえりを、誰よりも自分が最初に裏切ってしまうことに、にせもののやさしさがほんとうのやさしさになる契機があるんじゃないか、そう思いました。きっと、こうしてやさしさの欺瞞に気付いて、自分のエゴへの自覚ある人が、ほんとうにやさしい人なんじゃないかと思っています。だからこの主人公は、こうして告白したことで、もうほんとうのやさしさをもっている人なのだと信用できました。
作者からの返信
ご感想ありがとうございます!そうですね、湿原工房さんの言う通り、本当の優しさっていうのはないのかも知れません。この主人公は優しさについて真剣に悩んでいる。自分の優しさは相手を騙していると感じている。その時点で、相手を思いやる優しさがあるのかもしれませんね。ある物語のセリフですが、「演じているうちに本当になる気がする」というのがあります。主人公や同じように悩んでいる人達の偽物と思うその優しさも、いつか本当の優しさになる日が来ると私も願っています。
同じことを考えていた時期が私にもあって、本当にやさしくあることを求めていました。
でも、どんなにしてもやさしさは、自分のためにするやさしさで、
たとえば溺れる子供を、危険をかえりみず自分の身も命も水に投げ出して、助けようとする人がいる。彼はほんとうのやさしさの体現者なのか。彼は溺れる子を見て、きっと胸を痛めた(だから飛び込んでいく)、そしてこの胸の痛みから解放されたいと思った(だから飛び込んでいく)。彼もやっぱり自分のためにやさしさを人に投げ出しているんじゃないか。
ほんとうにやさしいことはあるだろうか。私はないんだろうと思いました。
でも、自分のためになってしまうことと、人にやさしいことが、なぜ両立しないと思うんだろう。そして自分のためであることが、ほんとうに人が受け取るやさしさを汚せるんだろうか。
汚せるとしたら、それはやさしさのお返しがなかったことを、咎めるときではないでしょうか。
やさしくしたとき、やさしさが期待しているみかえりを、誰よりも自分が最初に裏切ってしまうことに、にせもののやさしさがほんとうのやさしさになる契機があるんじゃないか、そう思いました。
きっと、こうしてやさしさの欺瞞に気付いて、自分のエゴへの自覚ある人が、ほんとうにやさしい人なんじゃないかと思っています。だからこの主人公は、こうして告白したことで、もうほんとうのやさしさをもっている人なのだと信用できました。
作者からの返信
ご感想ありがとうございます!
そうですね、湿原工房さんの言う通り、本当の優しさっていうのはないのかも知れません。
この主人公は優しさについて真剣に悩んでいる。自分の優しさは相手を騙していると感じている。その時点で、相手を思いやる優しさがあるのかもしれませんね。
ある物語のセリフですが、「演じているうちに本当になる気がする」というのがあります。
主人公や同じように悩んでいる人達の偽物と思うその優しさも、いつか本当の優しさになる日が来ると私も願っています。