LEVEL30 / 大人のエゴ、子知らず(後編)

 智恵子の言っていることは正論、というより玉野の考えていたことは勘違い、といった方が正しいのかもしれない。

 

 「再提出の作文をコンクールに出展したら依怙贔屓ですか?」

 「ええ……まあ……」


 玉野の言葉には力が込もっていない。それはまるで、悪戯いたずら教師にこっぴどく叱られている生徒そのものである。


 「玉野先生、そんなものは「正義感のちがえ」ですよ。そもそも先生が「コピペサイトを見るな」という課題のガイドラインに瑕疵かしがあったと生徒達の前で説明すれば、そんな誤解ごかいは簡単に解けたはずです」


 ……完全に玉野は観念かんねんした。今の彼はドラクエでいえば「HPヒットポイント0ゼロ」の状態である。


 だがそんな彼に対してもなお、智恵子の攻撃がひるむことはない。


 「今回だけじゃないでしょう?」


 HP0の彼に対し、さらに「痛恨つうこん一撃いちげき」である。


 玉野は自分自身が生徒に嫌われているという自覚はあった。だがそれは「生徒のため」と自分自身を納得なっとくさせていた。


 「自分は厳しい教師である」

 「生徒を厳しく叱れば叱るほど、本人のためになる」


 だが、果たして本当にそうだったのだろうか……そもそも無理をしてまで生徒に嫌われる必要があったのだろうか?


 「真面目な子程、教師には逆らえないんですよ」

 「確かに、そうですね」

 「貴方はそういった子供達の気遣きづかいに甘えてるんです」

 「甘えてる……ですか」

 「そうです」


 甘えてる……確かに、この指摘は決して間違っていない。というより、むしろ今の自分自身に対する正当な評価なのかもしれない。


 いや、自分だけではない。部活動、とりわけ運動部において日常的に暴言ぼうげん暴力ぼうりょくを繰り返し、その理由が全て生徒の責任であるかのように考えている顧問の教師は少なくない、というより多い。


 むろん、生徒に問題がある時だってあるだろう。しかし教師が間違っていた場合、それに対して生徒だって意見を言いたいのではないか?そして、それを言う機会は生徒に対し、きちんと与えられているだろうか?


 「言いたいことがあるなら言ってみろ!」


 そんな威圧的いあつてきな態度でのぞんだところで本音なんか言えるわけがない。そもそも、その意見を受け入れるか受け入れるかの基準なんて存在しない。完全に教師の「胸先三寸むなさきさんすん」だ。


 いや、そもそも最初から「意見=反論」。もっといってしまえば「生意気な奴の反抗」と決めつけ、完全に無視する気ではないのか?そんな状態で教師本人が「反論なんてなかった」といっても全く説得力がない。


 それは即ち「強者のエゴ」であり、言い換えれば「弱者に対する甘え」ではないか?


 「自分はそんな教師とは違う」

 「自分が厳しい態度をとるには理由がある」


 少なくとも彼はそう思っていた。だが、それは生徒に対してきちんと伝わっていたのだろうか?


 あるいはきちんと伝わっていなかった時、それを生徒はこちらに気を遣い、間違った指示や理不尽りふじんな要求であっても甘んじて受け入れていたのではないか……


 「先生、教師だって人間ですよ。そしてね、人間はなんです」


 目の前で落ち込む玉野を見かねたのか、和久井がフォローに入る。そして、そんな彼の「情け」に押されたか、玉野は一瞬沈黙をした後……


 「申し訳ありませんでしたっ!」


 玉野は机に両手を突き、土下座どげざのような姿勢しせいあやまった。


 教師は人間だ。そして人間は間違う生き物だ……したがって「教師は間違う生き物」である。


 三段論法さんだんろんぽうではないが、そんな和久井の言葉にを刺される感じで玉野は完全に「降参こうさん」した。


 「まあまあ、玉野先生。お顔を上げてくださいよ……」


 大の大人が完全にひれ伏している状況をさすがに見かねたのか、阪口がフォローに入る。


 「よかったじゃないですか、誤解が解けて」


 本人が完全にあやまちを認めた上に、「第三者による調停ちょうてい」が入った状態である。もはや智恵子にしてもこれ以上、彼を攻撃する理由は存在しない。


 「あの子には、ちゃんと説明しておいてくださいね?」

 「分かりました」


 ようやく長かった両者の「討論会」も、終結しゅうけつ様相ようそうていしてきた。


 「まあ、でも……ゲーム感想文ならばコピペサイトを事前に確認する心配も不要ですよ」


 和久井が再び、「著者ではなく司会者のように」会議の場を仕切り始める。


 「それと玉野先生。女子の宿題を「うばう」べきじゃなかった」

 「奪う……といいますと?」

 「コンクール出展を狙ってた子だって、いたはずです」

 「あ……」


 玉野は再び「やられた!」と思った。


 ゲームのない家庭の子にゲーム感想文を書かせるわけにはいかない。そしてそういった子に、ゲーム感想文の代わりに読書感想文という課題を出すのはいくら何でも不公平だと彼は思った。

 

 その結果、彼の出した結論が「課題の免除」。これは当然のことであり、女子の多くが喜んでいたことからも「正しい判断と」と、つい思い込んでいたのである。


 だが、少なくとも月城陽菜はどうだっただろうか?


 「あの、月城さん。もしかして陽菜さんは……」

 「当然、今年ことし去年きょねん雪辱せつじょくねらってましたよ!」


 玉野は一瞬いっしゅん、目の前が真っ暗になった。いや、真っ白になったといった方が正しいだろか……いずれにせよ、彼の視界が一瞬、完全に閉じられたのは確かである。


 「課題を奪う」


 そんな発想が、教師の自分に出来ずに何故、教師でない和久井には出来るのか?


 課題の免除という行為は一見、生徒のためにやった措置そちのように思えるが、実際は自分の「人気取り」。あるいは「保身策ほしんさく」だったのではないか?


 (もしかしたら自分は教師に向いていないのではないだろうか……)


 「せめてコンクール出展希望者だけは感想文を書かせてあげればよかったのに……」


 和久井の指摘には全くすきがない。確かに課題を免除すると言ったことと「コンクールに出展するな」ということは必ずしも矛盾はしない。現にコンクール出展を目指して読書感想文を書きたいと考えていた生徒が存在しているのである。

 

 「先生はね、いわば「正義せいぎ奴隷どれい」なんですよ」


 正義の味方、ではなく……


 つまり自分は常に正義と思い込んで行動しているが、実は勝手な思い込みで自分自身をしばっているだけの状態だ。


 そしてそれは「自由意思じゆういし」。即ち自分で考えた上で味方になっているのではなく、完全な思考停止しこうていしの状態で一方的に「隷属れいぞくさせられている」不自由な存在でしかない。


 「でも、ゲーム感想文を指示してくれたことは事実じゃないですか?」


 一度落としたと思ってまた持ち上げる……まるでブラック企業きぎょうか、あるいは新興しんこう宗教しゅうきょう洗脳せんのう手口てぐちそのものだ。そしてこの心理テクニックこそが、まさしく和久井為良が得意とする人心じんしん掌握術しょうあくじゅつそのものである。


 「彼には自分の全てを見透みすかされているのではないか……」


 それは玉野が最初に彼と出会った時に感じた何ともいえない違和感、そして心なしか手が震えた感覚そのものであった。


 「あの、生徒達にはきちんと事情を説明致しますので……」


 それがゲーム感想文の件を意味するのか、果たして読書感想文を免除した件なのかは言った本人にも全く理解できなかった。少なくとも今そこで、とりあえず何か言わないと、何か感覚がおかしくなりそうなのである。


 「それにしても、本の話は進みませんでしたね」

 

 和久井が壁に掛けてある時計を眺める。時間は既に午後8時を回っており、会議の開始から実に2時間が経過していた。


 「すいません、つい自分の娘の事でしたので……」


 今回の会議の「主役になってしまった」智恵子が和久井に対し、謝罪しゃざいする。


 「まあいいですよ。でも、日をあらためた方がよさそうですね」

 「確かに、申し訳ございません」


 今更ながら、今回の会議の目的が本の出版であったことを参加者全員が「再確認」する。


 「では月城さん、次回の予定についてですが……」

 「そうですね。1週間か、そのくらいということで」

 「分かりました。では阪口社長と玉野先生も」

 「了解致しました」

 

 次回のスケジュールを確認し、ようやく解散の流れである。


 「我々が、この国の教育の常識を変えて行くのかもしれません」


 全員が帰りの荷物をまとめ始めている中、和久井がふいに一言を放った。

 

 「そうだといいですね」


 智恵子も同意見だ。


 「きっと、そうなりますよ」


 最後に阪口が、その「討論の場」をくくる形で全員の会議室かいぎしつを後にした。


 

 *



 「つかれた……」


 嵯峨野ゲームスの本社を出た玉野はぐったりとした表情で、足取りはふらつき、ぐ歩くのもおぼつかない。その姿はどう見てもぱらいの、いわゆる「千鳥足ちどりあし」である。


 2時間という会議の時間は長いとはいえ、別に生まれて初めてというわけでもない。


 だが今日の会議は彼にとって、同じ時間のそれより何倍も……いや何十倍も長く続いたように感じられた。


 (俺は一体、どうなるのだろうか?)


 読書感想文ではなく、ゲーム感想文を選択した自分の判断は正しかったのだろうか?そして何より、あの和久井という若者について行って果たして大丈夫なのだろうか?


 「ブーブーブー」


 堂々巡どうどうめぐりの状態となっていた思考をるかの如く、マナーモードに設定していた彼のスマホが鳴った。


 「もしもし、玉野ですが?」

 「玉野先生?佐田ですが」

 「佐田さん?」

 「佐田弘さだひろむの母です」

 「ああ、どうも」

 「あの、学校の宿泊しゅくはくを許可して頂けますか?」

 「学校の宿泊……ですか?」

 「そうです」

 「何故いきなりそのようなことを?」

 「子供達がゲーム感想文を合宿で仕上げたいそうなんです」

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