LEVEL9 / 体験入学

 それにしても石津先生、あの杉田とかいう生意気な兄ちゃんは何とかならないのか。何か一言、ガツンと言っちゃってくださいよ、と勇斗は心の中で思った。


 「何なら、俺やってもいいっすよ。まあ、彼がこの塾の生徒ならばという話ですが」

 「そうだな……でも、うちの塾の生徒でもない子を安易に無料で教えるわけにはいかないし」


 すると突然、


 「先生、私からもお願いします」


 さっきまで淡々と机で事務作業を行っていた若い女性だ。


 「千賀せんが先生まで」


 その若い女性は千賀というらしい。


 「ミッチーもOKって言ってるじゃん」


 ミッチーとは、つまりその女性の名前のことだろう。道子みちことか、光恵みつえとか、そういう名前なのだろうか?


 「だから杉田、そのミッチーというのはやめなさい。千賀先生と言えって何度言えば」

 「いいじゃん、生徒もそう言ってるし」

 「あのね、先生ならもっと先生らしく……」

 「ハイ、ハイ」


 これで賛成は2名、あとは何も言っていない中年の女性講師らしき人物だが、


 「先生、教えてあげたらどうなんですか?」


 その場の空気を読んだのか、最後に意思表明をした彼女も、やはり他の2人と同様、「賛成派」らしい。


 「鳥居とりい先生まで……」

 「じゃあ決まった。この場にいるみんなで彼を何とかしてあげましょうよ」


 その中年女性は鳥居というらしい。彼女の立場がよほど強いのか、それとも3対1では分が悪いと思ったか。さすがに室長の石津もあっさりと折れてしまい、 


 「まあ、本来はダメなんだけどね。君、授業にあまり出てなかったじゃないか」

 「すみません」

 「……と、言いたいところだが、それでも今からやる気を出して何とかしようってんだから」

 「お願いします」

 「そうだな、今までの分。いや、特別に「体験入学」という形で教えてあげるよ」

 「ありがとうございますっ!」


 勇斗は何とか授業に参加する権利を獲得かくとくしたようだ。


 「あの、授業料ですが……」

 「別にいいですよ。体験入学だから」

 「ありがとうございます」

 「そうですね。週2回くらいとして、4回か5回くらいの授業でいいかな?」

 「大丈夫です」

 「じゃあ、担当の先生だが。お~い杉田先生、彼を教えてあげてくれ」

 「OKっすよ」


 いや、ちょっと待て。確かに授業に参加できるようになったのはいいとして、この杉田とかいう兄ちゃんはどうも苦手だ。


 さっきから勇途と石津が真面目に話をしているのに散々ちょっかいを出してくるし、しかも千賀という女の先生に対し、まるでナンパでもするかのように気安く話しかけてるし、


 「あの……」

 「ああ、杉田先生ね」

 「ハイ」

 「おい、見ろよ、やっぱり生徒が委縮いしゅくしちゃってるじゃないか」

 「えっ、俺のせいっすか?」

 「そうだ、お前のせいだ。だからあれほど外見がいけんには気を使えって言ったじゃないか」

 「でも、別にいいじゃないっすか」

 「よくねーよ」


 まただ、また例の兄ちゃんだ。大体、なぜこんな奴が学習塾の先生なんかやっているのだ。こんな奴に頭を下げて「教えてください」なんて言ったら最後、「こんなのもわからねーの?バッカじゃねーの」なんて、人を小馬鹿こばかにしたような発言でもするんじゃないのか?


 「あの……」

 「ああ、ごめんね。でもね、彼、あれでも一応、東大生とうだいせいだから」

 「一応は余計っすよ」


 マジかよ、と勇斗は思った。


 どうせロクな大学でもない。そもそも何で塾の講師なんかやっているのか疑問な奴だ、と思った。しかしよりによってあの、天下の東大生とは。


 おそらく、ここにいる他の講師。いや、おそらく今ここにいない、他のどの講師よりも優秀なんじゃないのか?今までは外見で、どうせまともに勉強も出来ない奴だと侮っていたが、こんな形で「正体を明かされる」とは勇斗自身、夢にも思っていなかった。


 「でも俺、ドラクエやったことないですけど」

 

 杉田の口から意外とも言える発言が飛び出した。


 「ねーのかよっ!」


 勇斗は心の中で突っ込んだ。


 「でも石津先生はやったことあるって言ってましたよね?」

 「アレは昔の話だよ。そもそも俺だって1と3と5しかやったことないぞ」

 「俺よりマシじゃないっすか」


 やっぱりそうか、と勇斗は思った。大人達はゲームをやったことがない。というよりそもそも、ゲーム自体に興味がないのだ。


 以前、何かのTV番組で見たことがあった。確か有名人が全国の中学校や高校を訪問し、将来の夢について語るとか、そういう感じの内容だったと思う。


 そして東京にある、東大合格者を多く輩出する中高一貫の進学校では生徒達が皆、勉強一筋。ゲームはおろか、TV《テレビ》すら見る事がほとんどないという。


 実際にそこを訪れたタレントが、在校生の前で「僕の事知っている人、手を挙げて」というと、誰も手を挙げない……勇斗は同年代の子と自分との、あまりにも違う環境に正直、驚きを隠せなかった。


 「そうか、やっぱりこの人も」


 今、この人は一見、おちゃらけた格好をしている。しかし東大に合格するまではきっと、ゲームはおろか、TVすらまともに見る機会がなかったのではないか。


 だとすれば、確かに勉強を教えてもらうには悪い人ではないのかもしれないのだが、


 「ゲーム感想文なんですが……」


 そう、今の勇斗が教えてもらいたいのは国語や英語、あるいは数学で高得点をとる方法ではない。残り約2週間となった段階。それも4回か5回の授業の期間内で、学校から与えられた夏休みの課題を仕上げられるかどうかなのだ。


 この杉田という人物は、確かに勉強は出来るだろうし、もしかしたら教えるのも上手いのかもしれない。しかし……


 そんな勇斗を石津が見つめ、


 「ドラクエをやったことがない人だと不安ですか?」

 「ええ、すみません。でも……」


 最初から勇斗の心情を見透みすかしていたかのように尋ねた。そして、


 「杉田先生、ゲームのシナリオを把握するまでどのくらいかかります?」

 「まあ、急げば今日中でも。いや、でも3日くらい欲しいな。何しろ、急に教授から呼び出されるかもしれないし」

 「そうですね。じゃあ3日ということで」


 勇斗は「あれっ?」と思った。そもそもドラクエをやったことのない人が、たった一日。それも今日中に一体、何が出来るというのだ。


 いや、仮に3日の期限を与えたとして、とてもじゃないがもクリアするには時間が短すぎる。しかも、その理由が教授に呼び出されるという緊急事態を想定し、「余裕を持たせた」期限だという。


 「あの……徹夜でプレイするんでしょうか?」


 おそるおそる、勇斗が石津に尋ねてみる。すると、


 「いや、やらない。というより彼、レポートで忙しいし」

 「何しろなんでね」

 「さりげなく自慢するなって」

 「いいじゃないっすか」

 

 また「マジかよ」っと勇斗は思った。以前、数学の授業で聞いたことがある。東大の中でも医学部は難しいらしく、同じ東大生でも受からないくらいだって。


 ということは、この人はおそらく日本でも数えるほどしかいない「受験勉強の頂点に立った人」。即ち「勉強を極めた人」なのだ。


 「大丈夫なんだろうか?」


 逆に勇斗は不安になった。


 実は、この人は自分を見下しているのではないか?もしかしたら結局、感想文が書けないと自分がゲームをクリアしていないことを棚に上げ、課題が終わらない責任を勇斗になすりつけてくるのではないか?


 そんな彼の心配をよそに、石津がさらに話を続ける。


 「そもそも、ゲームをやる必要は全くないですよ」

 「じゃあ、何で?」

 「ゲーム実況動画を見てもらう。そうですよね?杉田先生」

 「その通り。さすが石津先生、さっしが早い」


 さっきまでの彼のおちゃらけた雰囲気はもう、そこにはなかった。それに、さっきまで憎まれ口を叩き合っていた二人の息が、ここでは完全に合っている。


 確かに、ゲーム実況動画ならば地道じみちにレベルアップをする作業もいらない。そしてゲームをクリアする途中に存在するミニゲームやイベントもこなす必要はない。


 あるいはゲーム実況をしている本人が洞窟や塔といったダンジョンで迷った場合、そこを早送りしてしまえばいい。そうすれば面倒な探検作業も「ショートカット」出来る。


 「ところで、最新のシリーズって何作目だったっけ?」

 

 おもむろに石津が訪ねる。


 「11です。でも、課題には特にシリーズの指定はないみたいで」

 「つまり、1とか2でもOKってことですか?」

 「そうです」

 「それはよかった。じゃあ、そこは杉田先生に任せますがいいですか?」

 「いいですけど、それはどういうことですか?」

 「感想文が一番シリーズの作品を選んでもらいます。それでいいですよね?」

 「いいですけど……」

 「大丈夫ですよ。なぜなら感想文には「書式しょしき」があるんで」

 「書式……ですか?」

 「ああ、すみませんね。つまりが分かっていれば、大丈夫なんです」

 「つまり、プレイしたことのないゲームでも、ということですか?」

 「そうです。そのとおり」


 勇斗は、という塾側の回答に正直ホッとした。しかし同時に何というか、何かやり切れない思いが残っていることも感じていた。


 少なくとも勇斗は夏休みに入る前から7月の終わりまで、それも夏休みに入ってからは文字通り「寝る間も惜しんで」ドラクエをプレイしていた。


 にもかかわらず、いざ感想文を書けと言われると、全くその糸口が思いつかない。そんな自分の気持ちに気付いたのかそうでないのか、彼等はあたかも「そんなもの必要ない」と言わんばかりに、何か得体の知れない自信に満ち溢れているのである。

 

 「いくら彼等が塾講師。それも自分を指導するのが東大生だからって……」


 そう、いつもの文学作品の感想文ならば彼等はきっと、学校の先生か、あるいはそれ以上の内容を書けるだろう。


 しかし今回の課題は文学作品ではなくてゲームだ。それも「やったことがない」ゲームの感想文を書け、だなんて、いくら優秀な東大生でも無謀むぼうなんじゃないか?


 「ひょっとして俺が逆に、この先生にゲームを教えるのか?」

 「いや、もしそうならば体験入学どころか、正規の授業料も免除めんじょしてくれないかな」


 勇斗の心の中ではそんな不安というか、もしかしたら「思い上がり」かもしれない感情が今、き起っていた。

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