LEVEL8 / 学習塾

 「でも、大丈夫なんだろうか?」


 とりあえず、その場のノリで学習塾のあるビルの前まで来てみたものの、勇斗には不安があった。


 なぜなら全く授業についていけなかった勇斗は夏期講習にも申込んでいなかったし、久々に顔を出したらおそらく、塾の講師からは「今まで何をやっていたんだ!」とお説教をされるかもしれない。


 それに今、どういう授業をやっているのかも分からない。したがって予習など全くやっていない。


 「やっぱり帰ろうか……」


 勝手に自習室に入り、勉強でもして帰るか?いや、さすがにそれはまずいだろう。


 塾があるビルに入り、1階にある受付の前でボーっと突っ立っている中学生。これが中学生でなければ明らかに不審者ふしんしゃだ。いや、単純に不審者そのものだ。塾側からすれば「一体何しに来たんだ?」と思われているのではないか?


 受付の窓口の向こう側では、人の声がする。おそらく職員室のようなものだろうか?いや、塾って学校じゃないから何ていうのか?


 すると、窓口から見える男の一人と目が合ってしまった。思わず目を逸らしたものの、彼はこちらに向かってくる。


 「どうもこんにちは、入塾希望者の方ですか?」

 「いえ、その、ええ……」

 「そうですか、ではこちらへ」


 当たり前だが、勇斗は入塾希望者などではない。というより、既に塾生である。しかし自分に声をかけてくれた男に言われるがまま、受付の向こうのドアに連れて来られてしまった。


 先程さきほど職員室、と勝手に名付けていたその場所はどうやら「スタッフルーム」というらしい。


 そこには自分を部屋に招き入れたさっきの男。そして女性。年齢は40代、いや50代ぐらいだろうか。自分の母親と同じか、それよりも上だろうか。


 そして大学生くらいの若い女性がいた。そして今、自分を招き入れた男もおそらく大学生ぐらいだろうか。


 「どうも~」


 その男がスタッフルームの奥にある机に座っている中年の男に右手を軽く掲げ、挨拶をした。さっきの年配の女性よりはちょっと若いか。年齢は40代、いや30代ぐらいか。


 どうやら彼が、この塾の塾長か何かだろうか。というより以前、勇斗が訪れた時に知っている講師は一人もいない。


 「こんにちは、入塾希望者の方ですか?」


 その中年の男が勇斗に挨拶あいさつをすると、勇斗はまたしても「いえ、その、ええ……」と言葉をにごす。まさか自分が既に入塾をしていて、全然授業に出ていないなんて言ったら彼等は何て言うのだろうか?いや、さっき確認した感じだと、今ここに勇斗を知る人物は存在しない。


 「どうもはじめまして。当塾の虎ノ口校・室長しつちょう石津雄司いしづゆうじです」

 「いや、どうも……」

 「ここは初めてですか?」

 「いえ、実は……」


 ようやく言いたいことが言えた、という安堵感あんどかん。しかし、ここから何か怒られるんじゃないかという不安感。


 勇斗は今、自分の言った事が伝わって欲しいという期待が半分。そしてもう半分は、中途半端に伝えたために却って厄介なことになるのではないかという不安、というより後悔の気持ちが支配していた。


 「彼、幽霊ゆうれいっすか?」

 「オイ、その幽霊ってのはやめろよ!」

 「いいじゃないっすか。君、幽霊でしょ?」

 「幽霊?何ですか?」


 さっきの大学生らしき男がしきりに勇斗を「幽霊」と言ってくる。当たり前だが勇斗は死んでなんかいない。それに周りの人間も実はこの世の人達ではなく、たった今亡くなった人達でした……なんて、どっかの安っぽいホラー映画や小説みたいな展開じゃないんだし。


 一体この男は何が言いたいのだろうか?


 「悪いね、あの人はいつもあんな調子なんだ」

 「セコイっすよ、自分の事を棚に上げて」

 「オイ杉田すぎた、ふざけるのは後にしろよ。今、生徒さんが目の前にいるんだから」


 その男の名は杉田というらしい。石津が話そうとすると、何かと勇斗が幽霊だと言って会話の中に入ってこようとする。


 「ところで、さっきから言ってる幽霊って一体、何なんですか?」

 「ああ、この塾に入ったはいいが、あまり出席していない生徒のことだよ」

 「学校の部活動に幽霊部員ってのがいるよね。それにかけたものだよ」

 「ええ、確かにそうなのですが……」

 「やっぱそうだ、幽霊」

 「オイ、だからその幽霊はやめろって!」


 先程はうつむきながら、ろくに顔も見ない状態で案内されたため、杉田という人物がどういう人物かはあまり確認しなかった。しかしよく見てみると、髪の毛が茶髪で、何となくおちゃらけた雰囲気。


 お盆の時期だから格好でもしているのか。それとも、この塾の服装は自由なのか。これ見よがしに光る首元のが、子供の勇斗には言葉のない威嚇行為いかくこういのようにも見えた。言い方は悪いが、よくテレビで見る、批判的な意味での「最近の若者」という感じだ。


 それに対し、今、自分が目の前にいる石津という中年の男は全く飾り気のない普通の中年男性だ。少なくとも杉田のように、変なちょっかいを出したりする奴ではない。おそらく彼よりは信用できそうな感じだった。


 「ところで、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

 「龍崎……龍崎勇斗です」

 「龍崎君ね、ちょっと待ってくださいね」


 石津は机の横にあるノートパソコンを開き、何やらカタカタと入力をする。


 「龍崎、えっと龍崎……あった」

 「あっ、でも」

 

 おそらく授業を受けられないのだろう。勇斗は石津の態度を見て、直感的に感じ取った。


 「龍崎君……だよね?」

 「はい、そうです」

 「申し訳ない、君はこの塾では今、授業を受けられないみたいだ」

 「やっぱり、そうですか」


 勇斗は自分でも驚くくらい、冷静だった。というのも、最初は授業に出席しない自分をしかるんじゃないかと不安だったからだ。しかしそれどころか丁寧に謝られている。


 そうなれば「じゃあ、仕方がないですね」と言って帰ればよいではないか。確かに授業に出席しなかった自分に非はあるかもしれない。しかしそんな状態で夏期講習の最中、申し込んでもいない生徒が一方的に押しかけ、授業を受けさせろというのも迷惑めいわくな話だろう。


 「新規に入塾を申込むのであれば」

 「いや、でも」


 しかし今回、この塾を訪れた目的はそれではない。つまり今から夏期講習に参加させてほしいとか、あるいは次の中間テストの対策を教えてほしいとか、そういう話ではないのだ。


 「を何とかしてもらえませんか?」


 思わず勇斗は口走ってしまった。そう、彼の目的はこれなのだ。今、どうしても終わらない夏休みの課題、即ちを何とか終わらせたい。


 しかし周囲には誰も相談できる人がいないし、インターネットを調べてみても有効な情報が一切、見当たらない。


 だとすれば……塾の講師ならば何とかしてくれるのではないか?そういうあわい期待を込めてやってきたのだ。


 それに、これは自分だけではない。同じような問題に直面している親友からの依頼でもある。


 「ゲーム感想文?」

 「ええ、学校の課題なんですよ」

 「それって一体?」

 「実はドラクエのゲーム感想文を書けっていうのが、うちの学校の夏休みの課題でして……」


 すると石津は、心なしかになり、やや上目遣うわめづかいの状態で勇斗に視線を合わせてきた。どうやらゲーム感想文の内容に興味を持ったらしい。


 「いや、別にそういうわけじゃ」


 本当の目的を白状してしまい動揺している勇斗に対し、石津は課題の内容に興味を示したのか、


 「隠さなくてもいいよ。君、それ書けてないだろ?」

 「ええ、まあ」


 すると意外にも、あの杉田とかいう兄ちゃんが、


 「面白そうじゃないっすか」

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