第六章
第六章
演奏会当日。
「悪いね、杉ちゃん。」
ちょうど市民会館付近の道路を、水穂と杉三が、歩いていた。水穂は羽二重の紋付羽織袴を身に着けて、杉三はいつも通りに黒と白の麻の葉柄の、黒大島の着流しを着ている。たぶん蘭であれば、演奏会に黒大島なんて着るもんじゃない、しかも羽織も着ないで、マナー違反にもほどがあるぞ!と口うるさく言い聞かせるだろうが、水穂はそこはしかなった。
「あ、いいよ。気にすんな。どうせ一人で行くのは危ないから、一緒にいく人がいないと行ってはいけないとか、青柳教授なんかにうるさく言われてたんだろう。そういうときこそ、僕みたいな暇人をどんどん使ってくれればいいよ。どうせみんな仕事があるだろうしとか、変に考慮していくのはよそうかなとか思ってたんでしょう。どうせ、人間誰にも迷惑かけない奴なんて、あり得ない話なんだから、どんどんどんどんこういう暇人に頼んじゃいな。」
よくわからない理屈ではあるが、杉三はそう結論付けてしまっているらしい。蘭は、その理論はなんだ、説明してみろと問いただすだろうなと予測できたが、そんな必要もないなと思った。とにかく手伝ってくれる人さえいれば、恵子さんにもうるさく言われることもないのだから。
「ごめんね。蘭には言わないでくれた?」
「言ってないよ。蘭には富士岡に行くと言ってある。」
「そうか。たまにはそういうことも必要だよな。」
「そう、いいのいいの。もう、君みたいな人は、どこにもいってはいけないという法律はどこにもないんだから、体調さえ気を付ければ、どこでも行きな。何かあったらどうするんだなんて、考えても意味がないし、予想だってできないし、それのせいで行きたいところにいけないと落ち込むほうがよっぽど不健康だよ。それだったら、工夫してどんどん出かけなきゃだめ。手伝いが必要なら、こういう暇人に頼め。」
「そうか。笑いたくなるよ。杉ちゃんの考えかた。」
「ま、くよくよと悩んでいたら、何もできないさ。それよりやってみなきゃわからない。何かあったらその時に手を出せばいい。それでいいの。」
そうでかい声で言う杉三に、水穂はほっと溜息をついた。
「あ、ついたぜ。たぶんここだと思うんだが。」
二人は、大型の建物の前で止まった。看板の文字は読めないものの、建物の雰囲気でここが市民会館だと分かったらしい。
「そうだね。えーと、僕らは中ホールだった。」
市民会館ではたくさんの人がいた。でも、小川さんのいうことは本当だったらしい。隣の大ホールで有名な合唱団の定期演奏会があるらしく、半分以上の人はそちらに流れ込んでいくのだった。中ホールの前にも、看板が立てかけられているが、その前に並んでいる人は、10人もいなかった。
「なんだ。こんなちょっとしかいないのか。それじゃあ、かわいそうなくらいだな。」
杉三が笑ってしまうほど人が少なく、
「しかも、老紳士ばっかりじゃないか。」
というほど、年寄ばかりだった。
「まあねえ、確かにバロック音楽というと、あんまり若い人は興味持たないんじゃないかな。日本では、古楽器専攻を設けている大学は、あまりないしさ。」
「あ、そうか。ヨーロッパの大学ではどこでも古楽器専攻ってあるはずなのにね。日本ってのは、新しいものには過敏だが、古いものには、鈍感だからね。杉ちゃんのいう通り、古楽専攻は、桐朋でも人気はなかった。」
二人は顔をみあわせて、お互いため息をついた。それほど、日本での古楽器の知名度は、低いということだろう。
「まあいい。入ろうぜ。」
水穂から、招待券を渡されて、二人はホールへ入った。とりあえず、受付の人に、チケットを拝見してもらって、ホールの中へ入る。当然のごとく、車いす用の特別席に座らせてもらうのだが、そこから見渡しても客の数は本当に少ない。
「なるほど。人が来ないわけだ。こんなところに、ドルネルなんて知っている人は、一握りじゃないのか。」
水穂に演奏番組を読んでもらって、杉三は笑った。
「しかもモダン楽器を一切使わないときたら、誰も知らないわけだわ。」
どうやら演奏番組は変更になったらしい。あの時小川さんが言っていた、モーツァルトのピアノ協奏曲は、表示されていなかった。それを見て、なんだか申し訳ない気がしてしまった。
代わりに、ヴィヴァルディのリコーダー協奏曲「夜」が表記されていた。現在はフルートでソロを演奏することが多いが、小川さんたちのこだわりなのか、リコーダー奏者がソリストになっている。
びびーという音が鳴って、ステージが明るく、客席が暗くなって、演奏会開始のアナウンスが流れた。まず、ドルネルの四重奏のためのソナタから始まって、次にコレッリの合奏曲を何曲か演奏したが、どちらも相当なバロックマニアでないと、知らない作曲家であることは疑いないから、お客さんたちは、どのように楽しんでいいのかわからないという顔をしている者もいる。
杉三たちのいる車いす席は、どこのホールでもドアの近くに設けられているので、基本的に出演者の顔を確認するのは難しい位置である。そういうところはちょっと不利なのかもしれない。ヨーロッパのコンサートホールでは、介助者が車いすからおろしてあげて、希望する位置に座らせてくれるところもあるらしい。そうなると、日本のホールは、まだまだだめだなあと思われる個所がよくあるが、少なくとも出演者も客も、顔が判別しにくいところは、今回に限っていいのかもしれないと思った。
最後に、ヴィヴァルディの「夜」が演奏された。かなり苦労してソリストを招いたことが語られたが、演奏を聞いてみると、たいした音楽性を持っているわけでもなさそうだ。ただ、こういう古楽器のソロ奏者としてやっている人は、日本では驚くほど少ないので、呼ぶことにかなり苦労したのは事実だと思う。大してうまくもないのに、派手な格好をして、体を振り回して吹いていることからそれがわかる。バンドメンバーが彼女に対しかなり音量を抑えている。たぶん彼女が、無理な要求を散々したんだろうなということもわかる。音楽家というのは、こうなってしまうのが一番よろしくないと、音大の教授たちは散々そういってきかせるが、それを守れる音楽家って果たして何人いるんだろう。特に、やる人の少ない古楽器は、どうしてもそれができるというだけで、ちやほやされる確率が高くなるから、そうなりやすくなる。
大してうまくもないじゃない、と思って聞いているうちに、ヴィヴァルディの協奏曲は終わってしまった。聴衆もとりあえずの拍手をし、ソリストが大げさなご挨拶をして、アンコールを演奏し、演奏会は終了した。
「あーあ、つまんなかったねえ。最後のヴィヴァルディも全然盛り上がりがないしさあ。もう、ただ、女優みたいにきれいなソリストの、美貌を見せられただけだった。これだったら、海外の古楽器バンドを聞いたほうがよほど楽しかった。」
ホールの廊下を歩きながら、杉三がそんなことを言った。
「まあ確かに、ヴィヴァルディの曲は、ベートーベンの曲に比べたら、あんまりアップダウンはないよね。そこを面白いと感じさせるのも、演奏者の技術なんだろうね。」
水穂も、音楽家として感想を述べた。
「そうそう。そこを間違えたらいかん。そのためにきれいな格好とか、派手なパフォーマンスをするのだろうが、それは大違いだ。ちゃんと音楽聞かせるんだったら、直立不動のほうがよほどいい。そういうところはもしかしたら、邦楽のほうが優れているかもしれないよ。」
こういう立場も国籍も、なんでもごちゃまぜにして批評するのも、杉三ならではである。
「まあねえ。邦楽では直立不動のままで楽器を演奏させるから、かえってかわいそうだと批判されたこともあったが、今となってはそういわれてもおかしくないなあ。」
そういいながらホールの入り口を出た。とりあえず今日行ってよかったことは、せき込まなかっただけである。
「さて、タクシーでも呼んで帰るか。もう製鉄所に帰ったら、早く寝ろ。今日は疲れただろうからね。」
杉三はタクシー乗り場に行った。実はこの市民文化会館は、障碍者用のタクシー、即ちみんなのタクシーを呼ぶ人は、一般的なタクシー乗り場とは別の場所から呼ぶように作られている。理由は、みんなのタクシーは車体が大きいので、一般的なタクシーと同じ位置では停車できないからだ。実はその隣に楽器の搬入口があるのを、杉三は知らなかった。二人が、タクシー乗り場に到着したのと同時に、楽器のケースを持った数人の男性たちが、反対方向から歩いてきたのと鉢合わせした。
「おお!やっぱり来てくれたの!舞台から全く姿が見えないので、来てくれなかったのかなと思っていたが、そうじゃなかったんだね!舞台袖に声をかけてくれてもいいのに!」
先頭に立っていた、サングラスをかけた男性がそういった。その恰好から、間違いなく小川さんであった。
「あ、どうも。すみません。ご挨拶すればよかったですね。」
水穂も、まさか小川さんと鉢合わせするとは思わなかったが、そういわれてしまったので、仕方なく礼をする。
「水穂さんこの人誰なんだ?なんか、葉巻でも吸ってたら、西部劇にでもでてくる、マフィアの親分みたいに見える、、、。」
と、杉三が思わずつぶやいた。小川さんの周りの人がどっと笑いだしたので、小川さんはほかの人にもそう見られているらしい。
「この人は同級生の小川等さん。桐朋では、オーボエの等君と呼ばれていた。」
水穂がそう説明すると、
「へえ、西部劇でオーボエでも吹いていたんかねえ。馬に乗ってぴいぷうと吹いていたら、確かに楽しいだろうね。」
と杉三が言ったため、小川さんをかこっていたおじさんたちは、さらにわらった。
「あ、ご、ごめんなさい。杉ちゃんが、失礼なこと言って、、、。」
慌てて謝罪する水穂だが、
「いや、これは面白いぞ!リーダーの悪趣味を、そうやって指摘してしまう人が、初めて出たんだから!」
「これを機に、リーダーも改めたらどうですか?リーダーのいうかっこいいは、どっかずれてますよ!」
周りのおじさんたちがそうはやし立てるので、小川さんもこれを認めざるを得なかったようである。
「へへん、西部劇にはまりすぎちゃったのね。リーダーは。まあいいや。僕の名前は影山杉三だ。水穂さんとは、根っからの親友だ、今日は、僕もドルネルの曲をぜひ聞いてみたいと思ったので、連れてきてもらった。」
「へえ、すごいね!それじゃあ、相当なバロックマニアでしょう。どこか音大でも行ってたの?」
杉三が自己紹介すると、小川さんも驚いて、そう質問を出してきた。ドルネルという作曲家は、生没年すらわかっていない、バロック音楽では、伝説的な存在になっている作曲家なのである。それに対して、一般的な知名度は極めて低いので、演奏者側からしてみれば、やってみたいのだが、聞く人にとっては迷惑な存在でしかない。バロック音楽だけでなく、邦楽などにも、そういう作曲家は結構いる。
「バロックは好きだが、学校というところは嫌いなので、大学はいかなかった。学校は基本的に何の役にも立たないから。」
と、杉三がそう答えると、小川さんも、周りのおじさんもまた笑った。
「なるほど。面白いこと言うね。それにしても、右城くんがそんな面白い人と、親友だったのは知らなかった。二人とも、この後どこか行く予定はあるのかい?」
「いえ、何もありません。このまま帰ります。今、タクシーを待っていたところで。」
小川さんが質問してきたので、水穂はそのままそう答えを出した。
「そんなもの、俺たちが送っていくよ。せっかくだから、みんなでラーメンでも食べにいかない?せっかく来てくれたんだし、俺たちも打ち上げのつもりでラーメン屋を予約しておいたんだ。一人か二人なら、追加してもかまわないから。」
「ラーメンですか、、、。」
そうですね。ラーメンは時に凶器になりかねないですからね、なんていってもわかってくれるはずもないと思われ、水穂は返答に困ってしまった。ラーメンではなくすし屋であれば、まだごまかしがきくのであるが、、、。
「何だ?ラーメンと言えば、嫌いな人はいないと思うけど?」
まあ確かに、国民食と言えるほど、人気のある食材であるし、最近新しく始まったテレビ番組の材料でもある。
「だけど、、、。」
それを食せないからと言って断れば、小川さんだけではなく、ほかの人たちからも失笑が上がるだろうなと予想できる。
「おう、それじゃあ、行かせてもらうわ。どこのラーメン屋なんだ?」
水穂が答えに迷っていると、杉三が代わりに答えた。
「あ、横割の五味八珍。」
メンバーさんの一人が言うと、
「あ、あそこね。あそこの担々麺はすごくうまいよね。じゃあ、行こうよ。こんなところでラーメンにありつけるとは思わなかったよ。ラッキーだな。そこまでは、マイクロバスでも借りるのかい?」
と、杉三は聞き返す。
「いや、ちょうどメンバーの一人でハイエースに乗っている人がいるから、それで乗せてもらおうということになっているのさ。幸い二人分くらいの乗車スペースはあるから、乗って行ってよ。」
小川さんがそういうので、
「おう、ぜひ頼むよ。乗せてって。僕、ラーメン大好きだよ。」
杉三は笑って答えた。
「杉ちゃん。ラーメンでなくビーフンだったら、、、。」
と、水穂は思わずつぶやくが、
「あ、いいのいいの。ごまかして切り抜けてみせるから。もし、水穂さんは辛いようであれば、店の玄関先で待たせてもらえばいい。」
と、杉三は小さく言った。
「でも、そうなったら、かなり変な奴らと思われるのでは?」
「うまくごまかして切り抜けるわ。どうせ、こういう人たちの誘いには、乗らなきゃダメなことぐらい、わかっているだろうが。何とかするから任せておけ。」
杉三は、小さく言って、小川さんのあとについていった。水穂も不安な顔をして、それに続いた。小川さんの指示通り、関係者用の駐車場に行くと、大型のハイエースが一台止まっていた。メンバーさんたちは嫌がらずに杉三を乗せてくれて、水穂もそれに乗り込む。メンバーの一人が運転席に座ってエンジンをかけ、市民会館を離れて、横割の五味八珍というラーメン屋さんに到着した。
駐車場に車を止め、杉三は降ろしてもらうと、先に自分をみせのなかへ入れてほしいと言った。右城くんはどうするんだと聞かれると、電話するところがあるから、あとで行くんだって、と答えた。そのまま納得したメンバーさんたちと、杉三は店の中へ入っていき、水穂は店の玄関先で待つ、ということを演じた。
そのまま、杉三は、メンバーさんとしゃべりながら、姿が見えなくなってしまった。杉三たちが、通された席は個室席で、外の様子を眺めることもできなければ、外から中を眺めることもできなかったので、水穂は、杉三が何をしているかを確認することは全くできなかった。とりあえず、だれもいない、店の外で立っているしかできなかった。まあ、こういうこともあるのだと、とりあえず余分な感情は入れずに、対策を考えればよいという、青柳教授の教えを思い出して、そのまま待っていることにしたが、何かつらい気持ちがしないわけでもない。
そうこうしているうちに、吐き気がした。ただ、さほど重度というわけでもなく、巾着の中から手拭いを取り出すほどの余裕はあった。急いでそれを出し、口に当てて、せき込んで内容物を出す。少しばかり手拭いが赤く染まったが、洗濯をすればたぶんもとに戻る。なんだ、この程度か。と思いなおして、口の周りも拭きなおした。また同じことが起こるといけないから、鎮血薬でものんでおきたくて、急いで自動販売機を探そうと周りを見渡すが、どこにも見当たらない。
困ったなと思っていると、店の玄関ドアがギイと開く。ぎょっとして振り向くと一人の女性が出てきた。
「あれ?ここで何をしているんです?満席にはなっていませんけど?」
思わずそう聞いてくる女性。確かに、満席ではないのだから、外で待たされるというのはありえない話である。
「すみません、ちょっとわけがありまして。」
一生懸命言い訳を考えていると、また吐き気がした。急いで内容物を出そうとせき込むと、今度こそ本格的であった。口に当てた手拭いは、赤いインクに浸したように染まってしまった。
「座ったほうが良いのでは?」
と彼女がそういう。そうするしかないと思ったので、水穂も、そばにあったベンチに座った。
「すみません、この辺りに自動販売機はありませんか。」
かろうじてそう聞くと、
「あ、駐車場の奥にありますよ。」
と彼女は答えた。
「ありがとうございます。」
そう答えて、水を買いに行こうと試みたが、立ち上がる前に、内容物を出すほうが先であることを忘れていた。
「ちょっと、待ってくださいね。」
彼女は、立ち上がってどこかへ走って行った。結構な俊足であり、数分後には、ペットボトルを一本もって戻ってきてくれた。
「どうぞ。」
目の前に、水が入ったペットボトルが差し出される。蓋はすでに開いていた。
「すみません。」
半分血液で染まった手でそれを受け取ると、巾着から鎮血薬を出して、それを水で流し込んだ。飲んでもしばらくはせき込んだが、数分後に止まってくれた。
「大丈夫ですか?何かわけがあるの?」
心配そうに聞く彼女に、
「あ、少しばかり制限のある食材がありまして。」
とだけ答えておく。まさか、ラーメンの麺が死活問題になるなんて、言えるはずもない。
「そうなんですね。」
彼女は申し訳なさそうに答えた。
「あたしは、まだ食べ物を見ると、辛くなってしまうから出てきたんですよ。本当はそれじゃいけないのに。夫も娘も食べろ食べろと言ってくれますけど、どうしてもできないのです。」
「あ、そうですか、、、。」
とりあえず、そういうしかない。
「食べなくちゃいけないんですけど、私は、なんだか食べものを見ると、また太ってしまうのではと、、、。」
なるほど、詰まるところ、ダイエットのし過ぎで、拒食症に陥ってしまったのだとわかった。きっと、痩せていないと自信が持てないのだろう。
「きっかけは、些細なことだったんです。娘に、ママはちょっと太ったねと言われただけのことで、それではいけないなと思いダイエットをしたんですけど。でも、ダイエットに成功すれば、まだ普通に食べられるだろうなと思ってました。でも、なぜか、食べると太ってしまって、また何か言われるんじゃないかと、不安になってしまって。」
「そうですか。まあ、僕みたいなほとんどの食べ物を食せない人間から言いますと、食べ物は、あればそれに越したことはないです。化学兵器ではないんですから、危険ではありません。僕みたいに食べ物のせいで、体がおかしくなるような、特異な体質でもないのであれば、食べ物はとったほうがいいですよ。」
彼女は、口を拭いた水穂の顔をじっと見つめた。どこのだれかはわからないけれど、とても綺麗な人であった。彼女からしてみたら、そうなるためには食事を抜いて痩せることが必要十分条件なのではないかと思ってしまうのだが、、、。
「でも、世の中、美人でないとやっていけませんもの。そうなるためには、多少制限をして、みんなと同じでなければいけませんよ。影響が出るのは、私だけではなく、娘にも夫にも太っていたら悪いことになってしまいますし。」
「いや、それは違います。僕からしてみれば、食べないほうが内紛は生じやすくなります。容姿のことなんて二の次でいいですから、それよりも、娘さんやご主人と一緒に、食事のできるほうが、よほど楽に過ごせますよ。やっぱり、親御さんが堂々としているほうが、子供さんは安心して生活できると思います。」
女性特有の理論を持ち出す彼女に、水穂はそういった。水穂からしてみれば、ラーメンを食べられることでさえ、うらやましくてならないのである。
「僕は、ラーメンを食べることさえできませんもの。インスタントラーメンだって、生まれてから一度も口にしていないんです。それって、本当に悲しくてなりません。ラーメンってどんな味なのか全く知らないわけですから。教えてもらっても、言葉なんて不完全ですからね。伝わるはずはないですよ。」
ちょっと自虐的にそういうと、彼女も少し反省してくれたようで、
「そうですね。私、少し贅沢だったかもしれません。」
といった。その時、また店の玄関ドアが開いて、若い男性と小さな女の子が外へ出てきた。女の子の話によると、ラーメンを食べたいが、ママが心配なので、我慢すると言った。男性はそんなことしなくてもいいんだよ、と優しく言うのであるが、女の子の決断は変わらないようである。
「親思いの子供さんじゃないですか。」
ちょっと皮肉めいて水穂は言った。
「そうね。」
彼女は、恥ずかしそうに夫と子供を見つめて、
「ごめんなさい。帰ります。」
とだけ言って、家族と一緒に店を後にした。
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