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『今公園にいるんだけど、桜がすごくきれいなんだ。来ないか?』


「海と一緒?」


『ああ。空は寝てるんだろ?』


「うん。父さんがベッタリ」


『ベンチにいるから』


「わかった」


 環から電話をもらって。

 父さんに空をお願いしてから外に出る。


 五月。

 環はすっかり普通に喋ってくれるようになって。

 あたしたちは、来月式を挙げる。

 そしてそれが終わると…両親はアメリカに渡る。



「お出かけですか?」


 庭で万里君が声をかけてくれた。


「うん、公園まで」


「気を付けて」


「行ってきます」


 万里君は、秋に大きな事件に絡んでいた女の子と暮らしている。

 というのも…彼女が、記憶喪失になってしまったから。


 事件の全貌を知っている万里君は、彼女の過去ごと彼女を受け止めた。

 でも、とても幸せそうで…それは、それでいいと思う。


 そして、舞と沙耶君は、来週式を挙げる。

 おめでたい事続き。



「わ、すごい」


 なるほど…

 公園は桜満開だろうな。

 この通りだけでも、すごいピンク。

 八重桜だっけ…華やかだな。



「かあしゃーんっ」


 ベンチが見えたとたん、海があたしを見つけて走ってきた。


「お花きれいだねー、海」


 あたしが海を抱えると…


「…織…」


 聞き覚えのある声。

 その声に、あたしの胸が逸った。

 …どうして…?

 あたしは、ゆっくり顔をあげる。


「…セン…」


 ベンチには、驚いた顔の、セン。

 ふいに、センと出会った時のことがよみがえる。

 あの時も…この公園だった。



「お兄ちゃんに、こぇ、ちゅくってもやった」


 海がそう言って、あたしに折り鶴を見せた。


「…そう、良かったね…上手に出来てる…」


 ドキドキして…声が震える…


「…久しぶり」


 少し間を開けて、センが口を開いた。


「…元気…だった?」


「ああ」


「…陸から聞いたわ。バンド…」


「ん…」


「髪の毛、伸びた…ね」


「…どうして?」


「だって、あの時…」


 あ。

 センは、あたしが知ってるってこと…知らないんだ。


「…あたし、隣の部屋で見てた」


「……」


「センがあたしへの想いは偽りじゃないって…髪の毛を切ってくれたの、隣の部屋で見てた…」


 あたしがうつむいてそう言うと。


「…あれから、伸ばしてるよずっと」


 って、センは髪の毛をかきあげた。


「あれからしばらくは、俺もふぬけで立ち直れなくて。でも、いつでも織のくれた手紙を読み返して…とか言ってもさ、結局は自分で動き出すことなんかできなかったんだけどな」


「……」


 あの手紙を…読み返して…


「楽器屋でスカウトされて、賭けてみたんだ。それが、今に至ってるわけなんだけど」


「家、勘当されたって…」


「ああ、でも何かふっきれたし…お茶も、それなりにたてたりしてるから」


 センはそう言って、笑ってくれた。


「今日は?」


「今からスタジオ。親父から来た手紙読んでたんだ」


「…この子…」


 あたしは、海を見る。


「さっき、男の人と一緒に来て、電話かけてくるから少しの間見ててくれって頼まれたんだけど…」


 環…


「あたし、その人と来月結婚するの」


 正直に話すと、センが一瞬息を飲んだ気がした。


「…おめでとう」


「…ありがと」


「海君…だっけ」


「うん」


「…一度だけ、抱いていいかな」


「……」


 あたしは、少しだけためらって…海を抱えたままセンに近付いた。


「海、お兄ちゃんにだっこしてもらいなさい」


 あたしがそう言うと、海は折り鶴を持ったまま。


「だっこ」


 そう言って、センに手を差し出した。


「……」


 センが、慣れない手つきで海を抱えて…目を閉じた。

 あたしは、やりきれなくなって目を反らす。


 …ごめん。

 ごめんなさい。


 一度だけなのに…あなたを試すような事をして…

 勝手に…子供を産んで。

 こんなに愛しい存在を、あなたに知らせないまま…



「本当はさ…」


 あたしが贖罪の念を口に出せないままうつむいてると、センが話し始めた。


「できることなら、一生織にも、この子にも会いたくないって思ってた」


「……」


「でも、それは単なる強がりで…いつだって、二人の事考えてたんだ」


「セン…」


「幸せなんだな…良かった」


「あたし…」


「いいんだ。陸にも言われたよ。おまえが立ち止まったままなのは、現実を見てないからなんだって」


「陸が?」


「俺って、ひどい奴。俺と一緒にならなかったからー…織はちょっとばかり不幸になってるかも、なんて考えたりもしたし」


「……」


「でも、良かった。これは本心だよ」


 センは、海を優しく抱きしめて。


「子供って、こんな感じなんだ…」


 って、つぶやいた。


「俺の親父はさ、俺を一度も抱きしめたことがないんだ」


「アメリカにいらっしゃるお父様?」


「ああ。だから…悔いが残ってるんだと思う。それを思うと俺は幸せだな」



 …あたしは、センをお父様と同じ境遇にしてしまった。


 セン…

 …そして、海。

 ごめんなさい…



「セン」


「ん?」


「素敵な出会いが…あるといいね」


 あたしには…それを祈る事しか出来ない。


「…織に言われると辛いけど…そろそろいいよな。そういうことがあっても」


 って、センは笑った。




 海を抱えたまま、石のベンチに座るセン。

 その姿を見ると…本当に、あの日を思い出す。


 …相変わらず、清潔感溢れる白いシャツ。

 長い黒髪。

 銀縁の丸い眼鏡…

 何も変わらない。


 変わったとしたら…


 今、その腕の中に海がいて…

 まぎれもなく、二人は親子なのに…

 …あたしの勝手で、親子ではない…ということ…。



「今、強いらしいじゃん」


「…何、それ」


「陸が言ってたよ。おまえなんか一投げだぜって」


「失礼ね、陸ったら…」


 泣きたい気持ちを堪える。

 あたしに…泣く資格なんてない。

 あたしは…センにも海にも…そして、環にも。

 色んな物を背負わせた事になる。



「旦那さんになる人は強い?」


「…うん」


「男から見ても惚れちゃいそうないい男だったもんな」


 あたしは、センを見て小さく笑う。


「なっ、何だよ、変な意味じゃないぜ?」


「うん、わかってるけど…センも変わったなと思って」


「俺?」


「うん…前は僕って言ってたし…言葉の節々も全然…」


 ううん…

 本当は、変わってない。

 優しい眼差し…

 優しい口調…

 …あの頃のまま、優しいセンだよ。



「そういうのは、もろ陸の影響。自分でも感じてるよ。前は一人でいても正座なんてしてたのにさ、常にあぐらだし、冷蔵庫にはビールだし」


「陸のこと…怒ってない?」


「どうして」


「殴られたでしょ?」


「ああ、そんなこともあったかな…今はさ、驚くかもしれないけど親友だと思ってる。とは言っても、あいつはどう思ってるかわかんないけど」


「……」


「しょっちゅう飲みにつれてかれるし、今バイトも一緒にやってんだ」


「本当?全然知らなかった。陸ったら…なんで黙ってるんだろ」


「バツが悪いんじゃないかな…あ、寝ちゃったよ」


 センが海の顔をのぞきこむ。


「…織にそっくりだな」


「よく言われる」


「…可愛いな…」


「……」



 そのセンのつぶやきに、唇が震えた。

 …ごめんなさい…

 本当に…ごめん…



 あたしは涙を誤魔化すために、桜を見上げた。

 青い空と薄桃のコントラスト。

 あたし達は…ここで、恋人同士として並んでいた事もあるのに。


 …セン。

 あなたの事…

 好きになって、ごめんね…。



 しばらく黙って桜を見てると、高台の方から環が歩いて来た。



「俺…そろそろスタジオ行くから」


「…頑張ってね」


 センは海を抱えたまま立ち上がると。


「…ありがとうございました」


 そばまで来た環に、そう言って海を渡した。

 …胸が詰まりそうになる。



「じゃ、またな」


 センはギターをかつぐと、笑顔で手を挙げてくれた。



 さよなら…

 …セン。



 センの姿が小さくなるまで、二人で見送ってると。


「前と感じが変わったな」


 ふいに環がそう言って、あたしは環を見上げる。


「…昔のセンを知ってるの?」


「知ってるっていうか…見かけたぐらいのもんだけど。骨っぽくなったな。男が見ても惚れちゃいそうないい男だ」


「……」


 あたしは少し黙った後、吹き出してしまった。


「別におかしい意味じゃないんだぜ?」


「さっき、センも環のこと、同じように言ったのよ」


「え?」


 あたしたちは、顔を見合わせて笑う。


「またな、って言ってくれたな」


「うん…」


「良かったな」


「環はいやじゃないの?」


「何が」


「…ううん」


 …環は大人だな。


 あたしは、環の腕にしがみつく。

 もしかしたら…環…

 あの頃の事、全部知ってるのかな。

 だから…こうやって…



「センに会わせてくれて、ありがと…」


 しがみついた腕に寄りそう。


「坊っちゃんも、ずっと気にしてたからこれで安心だ」


「陸が?」


「ああ…おまえ、覚えてる?」


「何?」


「この下の道で、俺についてくんなって言ったの」


 環が、意地悪そうな目付きで言った。


「あ…」


 センに、出会った日だ…


「…根に持ってる?」


 あたしが上目使いに問いかけると、環は。


「少しだけな」


 って、あたしの額に口唇を落としたのよ…。






 6th 完

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いつか出逢ったあなた 6th ヒカリ @gogohikari

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