44
『今公園にいるんだけど、桜がすごくきれいなんだ。来ないか?』
「海と一緒?」
『ああ。空は寝てるんだろ?』
「うん。父さんがベッタリ」
『ベンチにいるから』
「わかった」
環から電話をもらって。
父さんに空をお願いしてから外に出る。
五月。
環はすっかり普通に喋ってくれるようになって。
あたしたちは、来月式を挙げる。
そしてそれが終わると…両親はアメリカに渡る。
「お出かけですか?」
庭で万里君が声をかけてくれた。
「うん、公園まで」
「気を付けて」
「行ってきます」
万里君は、秋に大きな事件に絡んでいた女の子と暮らしている。
というのも…彼女が、記憶喪失になってしまったから。
事件の全貌を知っている万里君は、彼女の過去ごと彼女を受け止めた。
でも、とても幸せそうで…それは、それでいいと思う。
そして、舞と沙耶君は、来週式を挙げる。
おめでたい事続き。
「わ、すごい」
なるほど…
公園は桜満開だろうな。
この通りだけでも、すごいピンク。
八重桜だっけ…華やかだな。
「かあしゃーんっ」
ベンチが見えたとたん、海があたしを見つけて走ってきた。
「お花きれいだねー、海」
あたしが海を抱えると…
「…織…」
聞き覚えのある声。
その声に、あたしの胸が逸った。
…どうして…?
あたしは、ゆっくり顔をあげる。
「…セン…」
ベンチには、驚いた顔の、セン。
ふいに、センと出会った時のことがよみがえる。
あの時も…この公園だった。
「お兄ちゃんに、こぇ、ちゅくってもやった」
海がそう言って、あたしに折り鶴を見せた。
「…そう、良かったね…上手に出来てる…」
ドキドキして…声が震える…
「…久しぶり」
少し間を開けて、センが口を開いた。
「…元気…だった?」
「ああ」
「…陸から聞いたわ。バンド…」
「ん…」
「髪の毛、伸びた…ね」
「…どうして?」
「だって、あの時…」
あ。
センは、あたしが知ってるってこと…知らないんだ。
「…あたし、隣の部屋で見てた」
「……」
「センがあたしへの想いは偽りじゃないって…髪の毛を切ってくれたの、隣の部屋で見てた…」
あたしがうつむいてそう言うと。
「…あれから、伸ばしてるよずっと」
って、センは髪の毛をかきあげた。
「あれからしばらくは、俺もふぬけで立ち直れなくて。でも、いつでも織のくれた手紙を読み返して…とか言ってもさ、結局は自分で動き出すことなんかできなかったんだけどな」
「……」
あの手紙を…読み返して…
「楽器屋でスカウトされて、賭けてみたんだ。それが、今に至ってるわけなんだけど」
「家、勘当されたって…」
「ああ、でも何かふっきれたし…お茶も、それなりにたてたりしてるから」
センはそう言って、笑ってくれた。
「今日は?」
「今からスタジオ。親父から来た手紙読んでたんだ」
「…この子…」
あたしは、海を見る。
「さっき、男の人と一緒に来て、電話かけてくるから少しの間見ててくれって頼まれたんだけど…」
環…
「あたし、その人と来月結婚するの」
正直に話すと、センが一瞬息を飲んだ気がした。
「…おめでとう」
「…ありがと」
「海君…だっけ」
「うん」
「…一度だけ、抱いていいかな」
「……」
あたしは、少しだけためらって…海を抱えたままセンに近付いた。
「海、お兄ちゃんにだっこしてもらいなさい」
あたしがそう言うと、海は折り鶴を持ったまま。
「だっこ」
そう言って、センに手を差し出した。
「……」
センが、慣れない手つきで海を抱えて…目を閉じた。
あたしは、やりきれなくなって目を反らす。
…ごめん。
ごめんなさい。
一度だけなのに…あなたを試すような事をして…
勝手に…子供を産んで。
こんなに愛しい存在を、あなたに知らせないまま…
「本当はさ…」
あたしが贖罪の念を口に出せないままうつむいてると、センが話し始めた。
「できることなら、一生織にも、この子にも会いたくないって思ってた」
「……」
「でも、それは単なる強がりで…いつだって、二人の事考えてたんだ」
「セン…」
「幸せなんだな…良かった」
「あたし…」
「いいんだ。陸にも言われたよ。おまえが立ち止まったままなのは、現実を見てないからなんだって」
「陸が?」
「俺って、ひどい奴。俺と一緒にならなかったからー…織はちょっとばかり不幸になってるかも、なんて考えたりもしたし」
「……」
「でも、良かった。これは本心だよ」
センは、海を優しく抱きしめて。
「子供って、こんな感じなんだ…」
って、つぶやいた。
「俺の親父はさ、俺を一度も抱きしめたことがないんだ」
「アメリカにいらっしゃるお父様?」
「ああ。だから…悔いが残ってるんだと思う。それを思うと俺は幸せだな」
…あたしは、センをお父様と同じ境遇にしてしまった。
セン…
…そして、海。
ごめんなさい…
「セン」
「ん?」
「素敵な出会いが…あるといいね」
あたしには…それを祈る事しか出来ない。
「…織に言われると辛いけど…そろそろいいよな。そういうことがあっても」
って、センは笑った。
海を抱えたまま、石のベンチに座るセン。
その姿を見ると…本当に、あの日を思い出す。
…相変わらず、清潔感溢れる白いシャツ。
長い黒髪。
銀縁の丸い眼鏡…
何も変わらない。
変わったとしたら…
今、その腕の中に海がいて…
まぎれもなく、二人は親子なのに…
…あたしの勝手で、親子ではない…ということ…。
「今、強いらしいじゃん」
「…何、それ」
「陸が言ってたよ。おまえなんか一投げだぜって」
「失礼ね、陸ったら…」
泣きたい気持ちを堪える。
あたしに…泣く資格なんてない。
あたしは…センにも海にも…そして、環にも。
色んな物を背負わせた事になる。
「旦那さんになる人は強い?」
「…うん」
「男から見ても惚れちゃいそうないい男だったもんな」
あたしは、センを見て小さく笑う。
「なっ、何だよ、変な意味じゃないぜ?」
「うん、わかってるけど…センも変わったなと思って」
「俺?」
「うん…前は僕って言ってたし…言葉の節々も全然…」
ううん…
本当は、変わってない。
優しい眼差し…
優しい口調…
…あの頃のまま、優しいセンだよ。
「そういうのは、もろ陸の影響。自分でも感じてるよ。前は一人でいても正座なんてしてたのにさ、常にあぐらだし、冷蔵庫にはビールだし」
「陸のこと…怒ってない?」
「どうして」
「殴られたでしょ?」
「ああ、そんなこともあったかな…今はさ、驚くかもしれないけど親友だと思ってる。とは言っても、あいつはどう思ってるかわかんないけど」
「……」
「しょっちゅう飲みにつれてかれるし、今バイトも一緒にやってんだ」
「本当?全然知らなかった。陸ったら…なんで黙ってるんだろ」
「バツが悪いんじゃないかな…あ、寝ちゃったよ」
センが海の顔をのぞきこむ。
「…織にそっくりだな」
「よく言われる」
「…可愛いな…」
「……」
そのセンのつぶやきに、唇が震えた。
…ごめんなさい…
本当に…ごめん…
あたしは涙を誤魔化すために、桜を見上げた。
青い空と薄桃のコントラスト。
あたし達は…ここで、恋人同士として並んでいた事もあるのに。
…セン。
あなたの事…
好きになって、ごめんね…。
しばらく黙って桜を見てると、高台の方から環が歩いて来た。
「俺…そろそろスタジオ行くから」
「…頑張ってね」
センは海を抱えたまま立ち上がると。
「…ありがとうございました」
そばまで来た環に、そう言って海を渡した。
…胸が詰まりそうになる。
「じゃ、またな」
センはギターをかつぐと、笑顔で手を挙げてくれた。
さよなら…
…セン。
センの姿が小さくなるまで、二人で見送ってると。
「前と感じが変わったな」
ふいに環がそう言って、あたしは環を見上げる。
「…昔のセンを知ってるの?」
「知ってるっていうか…見かけたぐらいのもんだけど。骨っぽくなったな。男が見ても惚れちゃいそうないい男だ」
「……」
あたしは少し黙った後、吹き出してしまった。
「別におかしい意味じゃないんだぜ?」
「さっき、センも環のこと、同じように言ったのよ」
「え?」
あたしたちは、顔を見合わせて笑う。
「またな、って言ってくれたな」
「うん…」
「良かったな」
「環はいやじゃないの?」
「何が」
「…ううん」
…環は大人だな。
あたしは、環の腕にしがみつく。
もしかしたら…環…
あの頃の事、全部知ってるのかな。
だから…こうやって…
「センに会わせてくれて、ありがと…」
しがみついた腕に寄りそう。
「坊っちゃんも、ずっと気にしてたからこれで安心だ」
「陸が?」
「ああ…おまえ、覚えてる?」
「何?」
「この下の道で、俺についてくんなって言ったの」
環が、意地悪そうな目付きで言った。
「あ…」
センに、出会った日だ…
「…根に持ってる?」
あたしが上目使いに問いかけると、環は。
「少しだけな」
って、あたしの額に口唇を落としたのよ…。
6th 完
いつか出逢ったあなた 6th ヒカリ @gogohikari
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