39

「…アメリカ?」


 見合い話から数日後。

 突然、環のアメリカ勤務が決定した。


「…どうして環がアメリカなの?」


 あたしが母さんに問いかけると。


「前々から環をよこしてくれって話はあったのよ。ずっと断わってたんだけど、今回は環が受けたから…」


 母さんはため息まじりに答えた。


 ここ数日…環は、全く姿を見せなかった。

 あたしは自分の発言を悔やむばかりで…



「そのことでちょっと本部に行って来るから。ああ、今夜はみんな埠頭に向かってるから、あんたたち戸締りキチンとしなさいよ」


 母さんは、あたしと陸にそう言って出かけてしまった。


「……」


「おまえさあ…」


 海を抱えた陸が、ソファーにふんぞりかえったままで言った。


「…何」


「いいのかよ。環のこと、好きなんだろ?」


「……」


「行かないで、とか言えば?」


「だめだよ…あたしなんて…」


「どうして」


「環、片思いしてるって…」


「誰に」


「知らない」


「それってさ…」


「……」


「ま、いっか…」


 陸は眠ってしまった海を優しく抱きかかえたまま立ち上がると。


「俺は海と寝るよ。おまえ、環んとこ行って話してみな」


 って。


「え?」


「あいつ、アメリカ行きの準備してっから」


「……」


 陸が二階に上がってしまって、あたしは立ちすくむ。

 環と何を話すの?

 行かないでなんて言えない…


 でも…


 あたしは、別宅に向かう。

 環に、あたしの気持ちだけでも伝えよう。



「環」


 部屋の前で名前を呼ぶと。


「お嬢さん…?」


 静かに開いたドアの向こう、環が疲れたような顔をのぞかせた。


「少し、いい?」


「…はい」


 環はあたしを部屋の中に入れて…ドアを閉めた。


「今日は何も言わなくても閉めるのね」


「……」


 あたしの言葉に、環は苦笑い。


「荷物、まとめてたの?」


 部屋の中を見渡して言うと。


「はい」


 環は、お湯を沸かし始めた。


「よく降りますね」


 おとといから降り始めた雨は、今日もやまないまま。

 雨の音がなんとなくあたしの気持ちを追いつめる。


「何か、ヘンだね」


 部屋の中を見渡して、できるだけ明るい声で言う。


「え?」


「何もなくなって…まるで、もう帰って来ないみたい」


「……」


 何気ない言葉だったのに、環は黙ってしまった。

 帰って来ないつもりなの…?


「すみません、お茶しかなくて」


 環がお茶を差し出した。


「…ありがと」


「……」


 環…あたしの顔を見ない。


「…どうして、行くの?」


 あたしが問いかけると、環はうつむいてた顔を少しだけあげた。


「アメリカなんて、どうして?」


「ずっと、お声をかけていただいてたんで」


「今までは断わってたんでしょ?」


「ええ。でも、自分の力を試すにはちょうどいいと思って」


「ここじゃ、だめ?」


「そういうわけではないです」


「それとも…あたしが変なこと言ったから?」


「変なこと?」


「あたしのこと、好きか…なんて」


 あたしは、うつむく。


「関係ありませんよ。それに、言ったでしょう。お嬢さんのことは、みんな大好きですって」


「それじゃ答えになってないよ」


「……」


 うつむいたまま、問いかける。


「みんなの気持ちじゃなくて、環の気持ちを聞いてるの」


「私は…」


 環は一瞬黙ったあと。


「…みんなと同じように、お嬢さんのことを大切に想ってます」


 って言い切った。


 みんなと同じように…

 あたし、バカだ。

 環にとって、あたしは「お嬢さん」でしかないって自分でもわかってるつもりなのに。

 なのにこうやって、また環を困らせてる。



「向こうに行っても…誰かの護衛…するの?」


 やっと出た言葉には、全然力なんて入ってなかった。


「それは行ってみないとわかりません」


「…イヤ」


「え?」


「あたし以外の人の護衛なんて…しないで…」


「お嬢さん…」


 涙がポロポロこぼれ始めて、環が戸惑ってるのがわかる。

 だけど、もう止まらない。

 溢れ出してしまったあたしの気持ちは…


「…お嬢さん…?」


 環が、言葉をつまらせた。

 あたしが、シャツのボタンを外し始めたから。


「な…何してるんですか」


「お願い、一度だけでいいの」


「自分が何をしてるか、わかってるんですか?」


 環が、あたしの腕をとる。


「わかってる。わかってる…あたし…」


 涙が浮かんだ目で、環を見つめる。


「環が…」


「やめてください」


 あたしの言葉を、環はさえぎってしまった。


「どうして?あたしは、環が…」


「とりかえしがつかなくなります」


「そんなの、つかなくってもいい。あたしは…」


「やめて下さい。どうか、このままお部屋にお戻り下さい」


 そう言って、環はあたしの腕を持ったままドアを開けようとした。


「環が好き」


「……」


 あたしの言葉に、環の動きが止まった。


「お願い…一度だけでいいの…」


「何を…何を言ってるんですか…」


「…そしたら…もう、言わないから。環の事…忘れるから…」


「…私は、組長や姐さんを裏切れません」


「お願い…あたしの気持ちを…拒まないで…」


「……」


「お願い…環…。あなたが好きなの…」


 環は少しためらったあと、あたしの涙をぬぐって。


「…お嬢さん…」


 あたしを、きつく抱きしめた…。

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