38

「…え?」


 九月。

 玄関で靴を履きながら、父さんが言った。


「見合いをしなさい」


「…どうして?」


 背中をむけたままの父さんに問いかけると。


「…海がいるから、だ」


 父さんは低い声で答えた。


「今はまだいい。でも、海も父親を欲しがる時が来るはずだ」


「…そうかな」


「海の事をかわいいと思うなら、立派な婿を早くとりなさい」


「……」


 …父親…


「…考えとく」


「それがいい。じゃ、私は出かける」


「いってらっしゃい」


 父さんの背中を見送って、あたしは庭に出る。

 花壇の前にしゃがんで、頭の中を真っ白にしながら雑草をぬいてると。


「あ、私がやりますよ」


 スコップ片手に、万里君がやって来た。


「…万里君」


「はい」


「あのね…」


「何かお悩みですか?」


「…うん」


 万里君は、あたしの隣に腰を下ろすと。


「今日、環非番ですから、あいつに相談してみたらいかがですか?私よりはっきりした意見を言ってくれると思いますけど」


 って言った。


「万里君じゃ、だめなの?」


「いいえ、私で良ければ、私でも」


「…お見合いしろって…」


 あたしがつぶやくと、万里君は口を開けてあたしを見た。


「お…お見…」


「海のためにも、父親がいるって」


「頭…が、ですか?」


「うん…」


「……」


 あたしは、無言の万里君を置いて立ち上がる。


「環に、聞いてみようかな…」


「あっ、お嬢さん…その話はちょっと…」


「だめ?どうして?」


「いえ…」


 万里君は何か言いたそうだったけど、あたしは別宅に向かった。



 今まで何も言われなかったのに…

 どうして急にお見合いしろなんて言うんだろう…

 …いつか、海が後を継ぐとしても…

 それまでは、あたしが継ぐ。

 それじゃいけないの?



 部屋のドアをノックすると、環は静かにドアを開けて。


「お嬢さん…?」


 丸い目をした。

 ここ半年ぐらいは、環も忙しいみたいだったし、あたしも別宅訪問は久しぶり。


「何か?」


「…相談したいことがあって…」


「じゃあ、どこか…」


「入っちゃだめ?」


「ここでいいんですか?」


「うん」


 あたしが気の無い声で返事をすると、環はドアを大きく開いて入れてくれた。


「ドア、閉めてね」


 ドアを開けたままにしそうだった環にそう言うと。


「……」


 環は無言で、ドアを閉めた。


「何か飲まれますか?」


「ううん」


 部屋の窓から外を眺める。

 環は黙って…あたしの言葉を待ってる。



「ね…」


「はい」


「いやな質問かもしれないけど…」


「なんでしょう」


「環は、親が欲しいと思ったことがある?」


「小さい頃は少し」


「…そう」


「何か?」


「海に、父親は必要だと思う?」


「……」


 あたしが問いかけると、環は息を飲んだ。

 しばらく沈黙が続いて。


「…そうですね」


 意を決したように、環が答えた。


「海くんはいずれ、二階堂の後継者になられる方ですから…組長のように立派な父親が必要かと」


 あたしは、環の言葉をうつむいて聞いていた。


 あたし…


「ね…」


「はい」


「環は…あたしのこと、好き?」


 涙が溢れそうなくらい、感じてしまった。

 あたしは、環が好きだ。

 いつもそばにいてくれた。

 いつも…厳しく、優しく…

 あたしを守ってくれてた…。



「……」


「あたしのこと、好き?」


 あたしが環をまっすぐに見て問いかけると。


「…みんな、お嬢さんのことが大好きですよ」


 環は優しい顔で言った。


「…みんなの事聞いてるんじゃない。環の気持ちを聞いてるの」


「……」


「……」


 無言で…見つめ合った。

 だけど環は優しい顔のまま表情を変えなくて。

 あたしは…それが答えだと思った。



「…ごめん、バカなこと聞いて」


 それだけ言って部屋を出る。



 ばかだ。

 あたしは…

 環にとって、あたしは「お嬢さん」でしかないのに。


 あたし達の関係は、それ以上にはなれないのに…。

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