23

「お嬢さん、ちょっと…」


 洋館のリビングで沙耶君に荷造り手伝ってもらってると、万里君が遠慮がちにあたしを呼んだ。


「何?」


「あのー…お客様なんですが…」


「誰?」


 あたしの代わりに、キッチンにいた母さんが問いかける。


「桜花の生徒さんです」


「女の子?」


「…いいえ…」


「私が会います」


「母さん…」


「いいわね、織」


「…うん」



 セン…?

 何しに来たの…


 母さんと万里君が玄関に向かって、あたしは自分の爪先を見おろす。


「…お嬢さん?」


「ね、沙耶君…あっちの縁側から話が聞けるかな…」


「えっ…姐さんにお任せになった方が…」


「声だけでも聞きたいの…」


「……」


 あたしがしつこくお願いすると。


「…共犯ですよ?」


 道場側の縁側に潜んで、あたしと沙耶君は和室の会話を盗み聞く事にした。



『織とは、どういうご関係ですか?』


 いきなりそんなセリフが聞こえて来て、あたしの心拍数が上がる。

 母さん…気付いてるんだよね…?


『僕にとって、かけがえのない人です』


 センの声…


『子供ができたと…』


 !!


 ど…どうして…!?


『…その顔の傷は?』


 母さんが話をそらした。


『…大したことではありません』


 傷?

 雪見障子のガラスを少しだけ覗き込むと…

 センの顔…酷い傷…



『…許してやってください』


『え?』


『陸でしょう?』


『……いえ…』


『織の事になると、見境付かない時があるんですよ』


 …陸が?


『…悪い事をしたとは思ってません。あの時、僕たちは…』


『うちがヤクザだという事は?』


『…知りませんでした…』


『それを知っても、あなたは織を好きでいられるのかしら』


『好きです』


 センは、背筋を伸ばして稟としていた。


『でもね、織はうちの跡継ぎなんですよ』


『え?』


『織が継ぎたいと言って決まった事なんです』


『……』


『あなたは何もかもを捨てて、ここに来ることができますか?』


『……』


『それができるなら、私たちはあなたを歓迎します』


 センは、膝の上に置いた手を力いっぱい握りしめていた。


『それは…』


『織が好きなら、できるんじゃありません?』


『…できません』


『え?』


『彼女が好きだから…できないんです』


『……』


『彼女は、僕に…僕の道が切り開ける事を心から祈っていると手紙をくれました。もし、僕がここに来れば、彼女は僕を軽蔑するでしょう』


『……』


 母さんが、固まってる。


『…じゃあ、あなたの織への想いっていうのはそれくらいのものか、と私は思わざるを得ませんね』


『今すぐには、形にも何にもなりませんけど…いつか、僕は…』


『指を、切りなさい』


『…え?』


 !!


 母さん!!



『ヤクザの世界では言葉だけでは信用できない事が多いのでね。万里、用意なさい』


『…姐さん…』


『早くなさい』


『…はい』


 ちょっと待ってよ母さん…


「お嬢さん、だめですよ。」


 あたしが出て行こうとすると、沙耶君が小声で引き止めた。


「…だって、家元なのよ?ギターも弾くのよ?指がなくちゃ…」


「姐さん、試されてるだけですから…」


 沙耶君の言葉を信じて、あたしは息を飲む。



『さ、どの指でもいいですよ。あなたの織への想いが本当なら』


『……』


『ただし、切れないなら今後いっさいうちには来ないでください。織の事も、子供の事も忘れて…あなたはまだ若いんだから、いくらでも…』


 母さんの言葉が止まった。

 センが、短刀を手にしたのよ。


「セ…」


 あたしが出かけると、沙耶君が肩を押さえた。

 沙耶君は試してるって言ったけど…

 母さんが、なかなか止めてくれない!


『織…』


 センが、思い詰めた声であたしの名前を呼んだ。

 その直後…


『万里!!』


 母さんが立ち上がった。

 あたしは、その光景を見る事ができなくて、目を閉じた。

 万里君が駆け寄ったのだと思う。

 あたしは沙耶君にしがみついて震えていた。


「…お嬢さん、大丈夫ですよ」


 沙耶君があたしの肩を支えて言った。

 恐る恐る部屋をのぞきこむと…


「……」


 母さんが、頭に手を当てた。

 センが、泣いてる。

 あたしは、目を疑った。

 センの髪の毛が…


『僕には道を切り開くために指が必要です。でも、この指を切れないせいで彼女への想いが軽いものだと思われるのは…』


 センは、髪の毛を切っていた。

 あんなに、きれいで長かった髪の毛を…


『…お引き取り願えるかしら』


 母さんがそう言って短刀を取り上げた。


『…織に……元気で…と…』


『わかりました』


 センが、万里君に支えられて立ち上がる。

 あたしは、沙耶君にしがみついて泣いた。



『…そこにいるんでしょう?』


 あたしは沙耶君に支えられて部屋に入る。

 母さんは、涙目であたしを抱きしめた。

 足元には、センのきれいな髪の毛が残されてて。

 あたしは、それを手にする。


「これでいいの?」


 母さんが、あたしに問いかけた。

 あたしは、無言でうなずく。


「陸と同じ…彼もあたしの光なの」


 そうつぶやくと、後ろで沙耶君と万里君が涙を拭う気配がした。

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