22

「織」


 父さんは静かな声だけど…かなりの怒りっぷりだ。

 和館の一番広い間で。

 あたしは…今、尋問を受けている。

 何の尋問かと言うと…



「相手を言いなさい」


 あたしは、父さんの声が聞こえてないかのように、畳の目を見つめた。

 知ってどうするの?

 まあ…言う気はないけど。

 そんなあたしの気持ちが伝わったのか。


「…許さんぞ」


 父さんは低い声で言った。





 一度…

 たった一度、センに…抱かれた。

 その、たった一度で…

 あたしは、妊娠した。



 妊娠する。

 そう予感しなかったわけじゃない。


 あの日、センは最初からそんな気があったわけじゃなかったみたいで。

 当然だけど避妊の準備なんてしてなくて。

 だけどあたしは…

 そのままで、して欲しい…って。

 センは躊躇したけど、あたしが…そうして欲しいって言った。



 …あたしは…センの気持ちを試したんだと思う。

 あたしの事を本当に好きなら、責任をとる覚悟もしてくれるはず…って。

 だけど、結果…罪悪感に苛まれた。

 あたし達に未来はないって分かってたクセに。

 …最低だ。



 別れの手紙を出した後…

 あたしは公園に行かなくなった。

 センからも…何の連絡もない。

 そんな中で発覚した…妊娠。

 どうせなら、誰にもバレないまま出産に漕ぎ付けたい…なんて思ったあたしがバカだった。

 つわりで吐いてたあたしに気付いたのは…


 母さんだった。



「あなた…」


「おまえは平気なのか?」


「私は…もうこれ以上、織を傷つけたくないのよ…」


 あたしは、顔をあげる。

 母さんは、静かな声で続けた。


「私たちは、自分たちの勝手な思い込みで織を傷つけてきたわ。それに、今回のことは、織だってよく考えて決めた事だと思うの」


 母さんはあたしの目を見て。


「相手は…本当に好きな人?」


 って言った。

 あたしも、母さんをまっすぐに見て答える。


「…うん」


「だからって…」


 父さんが泣きそうな声で言ったけど、あたしは続ける。


「好きだけど…世界が違いすぎるの」


「織…」


「あたしが、この家の人間じゃなくても…違いすぎる人なの」


「……」


「それに、あたしはこの家が好きよ。いろいろあったけど、跡を継ぐって決心は変わってないわ」


「でも、織。それはやっぱり陸が」


「お願い、あたしに継がせて。陸には好きなようにさせてやって」


「……」


 あたしのまっすぐな瞳に、父さんは言葉を失った。


「陸はあたしにとって、光の部分なの」


「光?」


「陸が光ってれば、あたしも光れるの。だから、陸が夢をかなえてくれればそれでいいの」


「……」


「それともう一つ、お願いがあるの」


「?」


「しばらく、ここを離れさせて」


「……」


「ここがイヤとか、そんなんじゃない。短い間にいろんなことがありすぎて、あたし自身混乱してる。だから少しの間だけ、あたしを原点に返らせて」


 あたしは、三つ指をたてて頭を下げる。


「父親の名前も言えないような子供を産むなんて、親不孝者よね。でも、どうしても産みたいの。迷惑かけるかもしれない。でも…あたしは、誰にも負けないくらい幸せにしてみせるから…」



 母さんに連れられて、二階堂御用達の病院に行った。

 白髪の先生が『おめでたですよ』って言った瞬間、もう分かってた事なのに…あたしは嬉し泣きをした。

 そして…母さんはあたしの背中に手を当てて。


「ありがとうございます」


 って…先生にお礼を言ってくれた。

 …笑顔だった。



「…顔をあげなさい」


 父さんが、諦めたような口調で言った。


「……」


「もう…部屋で休みなさい…」


 父さんの隣で、母さんが優しく笑う。


「…それと」


 立ち上がりかけた父さんは、もう一度座り直して。


「ここを継ぐ話は、自分で言ったからには守ってもらう」


 あたしの目を見て、キッパリと言った。


「…はい」


 あたしも姿勢を正して…それに答える。


「相当勉強してもらう事になるぞ」


「…覚悟してる」


「訓練も、人の何倍もする事になる」


「…分かってる」


「…原点に返りたいなら…あの家に戻るといい。ただ、これ以上の好き勝手は許さないからな」


「……」


 あたしは唇を噛みしめて…


「…ありがとうございます…」


 畳に額がつくほど深く…父さんに頭を下げた。


「…織」


 母さんに促されて顔を上げると、すでに父さんはいなかった。


「…ごめんね…母さん」


 うつむき加減で言うと、母さんはあたしの隣に来て。


「…母さんと父さんはね…織と陸を産まれて一週間で手放したの」


 伏し目がちに話し始めた。


「一週間…」


「私達の子供は、ちゃんと生まれてこなかった」


「…え?」


「死産だった。そういう事にしたの」


「……」


「織、これだけは…ちゃんと覚えていて」


 母さんは、あたしの手を取ると。


「二階堂で生きていくと言う事は、普通に生きていく事の何百倍も辛い事なの」


 真顔で…そう言った。

 母さんの目を見たまま、何も答えられずにいると。


「子供にも、そういう道を与えてしまうという事なの」


 母さんの声が震えて…あたしは、今になって自分の行動を恥じた。


「…母さん…ごめんなさい…」


 母さんは涙を我慢しながら、頷く。


「…本当…ダメな娘だね…」


 だけど…

 後悔はしていない。

 産まれて来る子供のためにも、あたしが…


「…あたし、頑張るから」


 そう。

 あたし…誰にも何も言わせないほど…


 頑張るから。

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