10
「…はじめまして…」
あたしがお辞儀をすると、相手の方は、小さく笑われた。
「?」
「ああ、失礼…はじめてじゃ、ないんですよ」
「…え?」
四年前のあの日…
一人で空港から自宅に戻ったあたしを、母さんが驚いた顔で迎えた。
「…涼…」
「…ただいま」
あたしは、口元だけ…笑ってみせる。
「ただいまって…おまえ…」
「帰ってきちゃった」
「……」
「ほら、やっぱり母さんの言う通り…不安だし…」
あたしはバッグをゆっくり置くと。
「やっぱり、ここがいいし…」
って、家の中を見渡した。
「涼、私に遠慮をしたなら…」
「違うよ」
「……」
「…あたしには、やっぱり…ロックよりお茶なのよ」
小さく、笑う。
きっと…もう、一生…
心から笑える日は来ない。
そう思いながら…あたしは、母さんに笑いかけた。
そして…時が流れて、あたしは25歳になった。
ずっと親戚中から嫌味を言われたり、責められたりして来たけれど。
あたしは母さんに支えられながら…今日まで生きて来た。
それでも、あたし一人の力で早乙女を支えるには限界がある。
そう考えたあたしは…
お見合いをする事にした。
母さんへの恩返しでもある。
何とか…母さんを安心させたい。
親戚からは『涼と結婚する相手なんていない』って言われまくった。
実際、誰もあたしのお見合いの相手として名乗り出て来る人はいなかった。
あの時は…ズラリと見合い写真が積み重ねられて、その中から六人を選りすぐったと言うのに。
だけど、奇跡的に…名乗り出る人がいた。
お相手の
…奇特な人だ…と、あたしも思った。
「実は四年前のお茶会の席にいました」
「え…っ…」
あたしは、目を丸くする。
四年前のお茶会って…あの時?
逃げ出してしまった、あの…
母さん、そんなの一言も…!!
「す…すみません、あたし…」
慌てて謝ると。
「いいえ、今日お会いできただけで充分です」
望月さんは、優しく言って下さった。
「実は、あの時…私は婿候補にあがっていながら、他に好きな女性がいました」
「え…?」
「しかし、想いを打ち明けるでもなく…男らしくありませんね」
「…そんな…」
「そして、あの日…あなたを奪って行った彼を見て、勇気をもらいました」
「……」
忘れなくては、と思い出に閉じ込めたはずの情景が…顔をのぞかせた。
あれはFACEのライヴの日。
あたしは特別なお茶会で、特別な着物で…
手を取り合って走り抜けた庭。
母さんの叫び声。
…大好きだった人の…温もりと、息遣い。
「……」
少しだけ唇を噛む。
もう…戻らない時間の事を考えても、どうにもならない。
「みごとにふられましたが、何とも言えない満足感がありました」
望月さんの目は、遠い昔を見てる。
「あのあと、彼とは?」
ふいに視線を合わされた。
あたしは二度瞬きをして…そっと俯いた。
そして…ゆっくりと首を横に振る。
「…そうですか…」
「……」
「後悔、されているのですか?」
「…え…っ?」
その言葉に上げた顔が、少し強張っている気がした。
後悔…
後悔なんて…
「…していないと言えば、嘘になります」
あたしは、静かに…自分の心のままに話し始める。
「でも、あたしを必要としてくれてる人のためにも、この道を選んだことを後悔したくないから、いつかは…思い出にしたいと思っています」
望月さんの目を見てそう言うと。
「…強い人だ」
望月さんは、少しだけ優しい目で言われた。
…強くなんかない。
だけど、もう前に進むしかないんだ。
母さんと、あたしと…
「子供さんが、いらっしゃるそうですね」
「…はい」
あたしは三年前、出産した。
FACEの渡米後、妊娠に気付いた。
反対されるとばかり思っていたのに…意外にも母さんは、産むことを許してくれた。
三人で暮らして行こう。
そう母さんは言ってくれたけれど。
あたしの人生は、あたしだけの物じゃない。
彼の子供を産めただけでも…幸せだ。
桜の花びらが舞い散る。
庭で見慣れているはずなのに、なぜか特別な気がした。
忘れかけていたような疼きが、胸の奥に押し込めた何かを起こしてしまいそうで…あたしはそれに蓋をする。
「涼さん」
「…はい」
「結婚してください」
「……え?」
突然のプロポーズに目を見開く。
まだ、言葉もそんなにかわしていないのに…
「あの…あたし…」
「もちろん、あなたが彼のことを、まだ思い出に出来ていない事はわかってます」
「……」
「一人で思い出にしようとするより、二人での方が心強いと思いませんか?」
「望月さん…」
「幸せに、します」
望月さんの目が、あまりにもまっすぐで。
あたしは…
「…ありがとうございます…」
小さく、答えてしまった。
この人となら…うまくやっていけるかもしれない。
幸せに…してくれるかもしれない…。
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