09

 晋ちゃんが家に来て以降、わずか十日の間に…あたしはFACEのみんなと渡米する手続きをした。

 晋ちゃんの家にもご挨拶に行って、初めてご両親にお会いした。


 …正直、あたしの家柄に戸惑っていらっしゃって。

 うちに挨拶に行きたいと言ってくださったけど…あたしは、それを丁重にお断りした。


 今は…無理だ。

 そう思ったから。



 だけど、一応母さんに晋ちゃんのご両親の意向を伝えると…

 案の定。


『アメリカに行くのでしょう?向こうの家に入るわけではないのですから、必要ありません』


 と…

 賛成してくれてるのか、反対なのか…分からない返事。



 そして、いよいよ…


「…気を付けて行ってらっしゃい」


 出発の日。

 母さんが、いつもの顔で言った。


「…うん…」


 驚く事に、空港まで送ってくれた。


 車中ではずっと無言。

 母さんは、流れる景色に目を向けていた。



「言っておきますけど、あなたはもう私の娘じゃありません」


「母さん…」


「…幸せに、なりなさい」


 母さんは、冷たい声だけど…目は、優しい。

 そして、くるっと向きをかえて歩き始めた。


「母さん」


 あたしは、その背中に声をかける。


「…何ですか」


「一つ…教えて」


「……」


 あたしは母さんに駆け寄ると。


「…母さんの夢って…何だったの?」


「夢…?」


「夢があった…って」


「……」


 あたしの問いかけに、母さんはしばらくあたしを見つめていたけど…


「…忘れましたよ。そんな昔の事は」


「嘘。教えて?」


「…本当に、忘れました」


「……」


「あなたは…叶えなさい」


 胸を…刺されたかと思った。



 母さんを乗せた車が走って行って。

 あたしは時計を見る。

 …三時。

 みんなと…待ち合わせてる時間。



 雑踏の中、あたしは立ちすくむ。

 早く行かなきゃ。

 晋ちゃんの所へ。

 バッグを持って歩き始める。


 幸せに、なりなさい。


「……」


 母さんの声を思い出して、立ち止まる。


「…母さん…」


 あたしが行った後、母さんは…どうするの?

 また…自分を犠牲にして、早乙女のために…生きるの?


 時間は過ぎるばかり。


「…行かなきゃ…」


 登乗手続きしなきゃ…

 ゆっくり歩き始める。

 晋ちゃんが待ってるのよ。

 あたしは、晋ちゃんと幸せになるの。


 足が、止まる。


 あたしは…幸せになれる?

 母さんを犠牲にして…


「〇〇航空ニューヨーク行き、16時発123便ご利用のお客様は…」


 はっ…


「…どうしたのよ…どうして、行かないのよ…」


 涙が、あふれてきた。

 行こうと思っても…足が動かない。

 晋ちゃんへの想いより、母さんとの思い出が浮かんできて…


 その思い出は、決して優しいものじゃなかった。

 母さんはいつも厳しくて、あたしを甘やかしてくれた事なんてない。


 だけど…

 その厳しさは、常にあたしのためになって来た事。

 そうじゃなきゃ、あたしは問題児どころじゃ済まなかったはず。

 とっくに…お茶も家も捨てて、早乙女涼じゃなくなってた。


 晋ちゃんと付き合い始めて、自分の生まれを呪った事もある。

 だけど…あたしはお茶が好きだ。

 あの家も、庭も。

 うるさい親戚は嫌いだけど、一緒に茶道の世界を盛り上げる話題になった時の、志しの高さには…ときめかなかったかと言われると嘘になる。


 …あたしは…



「晋ちゃん…」


 あたしは、柱によりかかる。

 あたしは…行けない。

 柱によりかかったまま、待ち合わせ場所を見下ろすと。


「……」


 丹野さんと臼井さんが、キョロキョロしてる。

 見送りに来てる八木さんと宇野さん、瀬崎さんも…きっと…あたしを探してる。

 しばらくすると、晋ちゃんが走ってきて…首を横に振った。


 …あたしを、探してたんだ…


 溢れる涙も拭えず。

 あたしは、晋ちゃんを見てた。


 晋ちゃんは時間ギリギリまで搭乗口で待って…


「…晋ちゃん…」


 そして…丹野さんに肩を抱かれながら、ゆっくりと…搭乗口に姿を消した。

 あたしは、もう一生晋ちゃんに会えない。

 こんな、ひどいこと…


 あの保健室で、晋ちゃんに一目惚れをした。

 額についた傷のせいにして、無理矢理彼氏にした。

 気持ちが届かなくて、ケンカもした。

 だけど…届かないと思った手が、差し伸べられた。


 学校の部室で、晋ちゃんのギターを弾く姿を見るのが好きだった。

 聞き慣れない関西弁が大好きになった。

 くしゃくしゃになって笑う顔が大好きだった。

 首を傾げてキスを迫る、いたずらな瞳が大好きだった。


 …全部全部…大好きだった…



 飛び立つ飛行機を呆然と見送りながら。

 あたしは、心の中で祈り続けた。



 彼が…成功しますように。

 絶対…


 絶対、成功しますように…。

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