08

「涼さんを、アメリカに連れて行きたいんです」


 晋ちゃんがうちにやって来たのは…ライヴの日から、一週間後だった。

 …お茶会をぶち壊して、一週間後。

 見慣れないスーツ姿で。

 髪の毛も、きちんと切りそろえて…やって来た。


 玄関先で晋ちゃんを見た時は、驚いて声が出なかった。

 あたしのために…ここまでしてくれるんだ…って。



「……」


 晋ちゃんの言葉に、母さんは黙ったまま。

 でも…前みたいに、冷やかな目じゃない。


「贅沢はさせられませんが、絶対幸せにします」


 晋ちゃんは、真顔。


「……」


「…母さん…」


 ふいに、母さんはスッと立ち上がって。


「好きになさい」


 それだけ言うと…部屋を出て行った。


「……」


 あたしたちは、顔を見合わせる。


「好きになさいって…」


「連れてってええっちゅうことやろか…」


 信じられない…あの母さんが、こんなにあっさり。

 でも。


「…あたし、スーツケース持ってないや…」


 口元緩ませて言うと。


「リュックで充分やって」


 晋ちゃんも、笑った…けど。

 すっ、とその笑顔を引っ込めて。


「うちの親にも…話したんやけど…」


 真顔になった。


「…なんて?」


「アメリカに連れて行きたい子がいて、家に行って話してくる、て」


「…それで…?」


「話が決まったら、紹介せぇ言われた」


「……」


「会うてくれる?」


「え…えっ…?」


「て事で…近日中に」


「……」


 あまりにも…夢みたいな話で。

 あたしは、両手で頬を押さえて…小さく頷くだけだった。



 晋ちゃんを見送って、庭を歩いてると…


「お嬢さん、今の方は…例の?」


 あたしが小さな頃から通ってくれてる、お手伝いのヤエさんが遠慮がちに言った。


「あ…はい…」


「…お嬢さんの幸せが一番…私もそう思ってます」


「あ…ありがとうございます」


 嬉しくて笑顔になると、ヤエさんは少し寂しそうに。


「だけど…奥様のお気持ちも、少しだけ…分かってあげてください…」


 って…


「…母さんの…気持ち?」


「…出過ぎた事を言って、すみません…」


「…どういう事ですか…?」


 それからあたしは、ヤエさんに…



 * * *



「…すよ」


 真夜中。

 喉が乾いたと思い、台所に向かってると…客間から明りが漏れてる。

 母さん?

 あたしは、そっと客間に近付く。


「涼…あの男とアメリカに行くんですって」


 母さん…誰と喋ってるの?


「あんなに、一生懸命育てたのに…ギターを弾いてる男と一緒になるって言うんですよ」


 …手元に、写真。

 父さんの…?


「母親としては、あの子には幸せになってもらいたい…だから、好きな男と一緒にしてやりたい…でも…」


 ……


「早乙女の名前を残そうと…一生懸命になってた私は、何なんでしょうね…」


 母さん…


「あの子の幸せのためなら…私の苦労なんて……そう思いたいのに…」


 聞こえて来る母さんの声は、涙まじり。

 それを聞いていると…胸の奥がざわついた。


「母親としてより…女としての私が、言うんです。私も、あなたと結ばれなかったのに…って…」


 カクン。

 膝の力が抜けた。

 母さんの持ってる写真は、父さんじゃない。


「だからこそ…あんな辛い想いを涼にさせてはならないって…そう思いたいのに…いっそ…早乙女の名前なんて、あの時なくしてしまえば良かった…」


「……」


 声をかけたかったけど…息を飲んで静かに部屋に戻った。

 そして、ゆっくり考える。


 ヤエさんから聞いた話…あたしと晋ちゃんのお茶会からの逃走劇は、婿候補の人達によって拡散され。

 親戚中から、どれだけ恥をかかせるつもりだ、と。 あんな娘、勘当してしまえ、と。母さんは…随分責められたらしい。

 あれだけ…あたしにお弟子さんを取れって、たくさん抱えさせておいて。

 こういう世界…手の平を返されるのは普通なのかもしれない。

 特に、あたしみたいに…問題児と言われる者は。



 母さんが跡を継ぐ時…親戚中が旗を挙げて喜んだと聞いた。

 親戚も、子供がいない家が多くて。

 このままでは早乙女家は、すたれてしまうかもしれない。

 とにかく、親戚は…早乙女家に『男』を欲しがった。

 だから、当然…母さんに再婚の話は持ち上がってたし…

 父さんの兄弟も、母さんに迫ってた…と。



『私にも夢はありました。でも現実はこれです』


 …母さん。

 母さんの夢は…何だったの?


 あたしは…


 あたしの幸せを…




 掴める…?

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