03
「何ブルーしょってんだ?」
久しぶりにスタジオにおじゃまして。
晋ちゃんが『弦を買いに行く』と、音楽屋に走って出てったあと、丹野さんがあたしに声をかけてきた。
「…色々あって」
「晋とケンカ?」
「ううん…」
丹野さんは、あたしの隣に椅子を引っ張って座ると。
「家の事か?」
って、まっすぐに言った。
「……」
あたしは、無言で頷く。
「そっかー…」
丹野さんは、大きく溜息をつきながら。
「おまえ、どうすんだ?」
真顔で言った。
「何?」
「アメリカ」
「アメリカ?」
思いがけない言葉に、首を傾げて丹野さんを見る。
アメリカ。
それは、るー先輩がいる国。
…それが?
「あ…聞いてないのかよ。やばかったかな…」
丹野さんは明らかに失言だった…って顔をして、首をカクンと下に向けたあと。
コソコソとあたしに背中を向けてその場を去ろうとした。
「何?アメリカって」
逃がすわけがない。
そう言わんばかりに、丹野さんのシャツの裾をガシッと掴む。
「……」
無言でゆっくりと振り返った丹野さんは、それでもあたしと目は合わせない。
顔を覗き込みながらしつこく
「教えて下さいよ」
と繰り返すと…
「……晋の奴、もう言ったのかと思ってたのに…」
額に手をあてて、少し考え込んだ。
…何だろう。
胸がざわつく。
だけどあたしはおとなしく丹野さんの言葉を待った。
どれぐらいの沈黙だったのかは分からない。
だけど、すぐそばのスタジオから音漏れして聴こえる曲が変わってない。
すごく長く感じるけど、そんなに長くもないのかな。なーんて…意識を違うところにばかり向けていると…
「実は」
丹野さんが、意を決したようにあたしに向き直った。
「…うん」
「アメリカに行く事になった」
「……」
アメリカ?
丹野さんのシャツを掴んでた手に力が入る。
「…ど…」
どうして?
そう言いたいのに、言葉が出ない。
ずっと、日本でやっていくって…言ってたのに。
「色々考えたんだけどさ…今の日本のロックシーンじゃ、俺達やってけないなって。そしたら、まさかのDeep Redから『来てみないか』って言われてさ」
「……」
アメリカ…
「大丈夫か?」
「あ…う、うん……大丈夫」
やっと、言葉が出た。
出たけど…
アメリカ。
それは…ロックをしてる人なら憧れる場所なのだと思う。
実際、るー先輩の彼氏だってアメリカでデビューした。
「おまえ、ついて来る気、あるか?」
「……」
丹野さんの問いかけに、何も答えられなかった。
だって…
「あたし…」
「?」
「次のライヴの日…お茶会なの」
「ああ、晋から聞いた」
「その日、あたしのお婿さん候補がたくさん来るんだって…」
「……」
「あたし、まだ結婚なんてしたくないし。まして、晋ちゃん以外の人となんて…」
いつかは…って。
いつかは、あたしも結婚する。
だけどそれは早乙女のための結婚…って本当は分かってるつもりでも、どこか他人事で。
自分の人生として考える事は諦めてるつもりでいた頃…晋ちゃんに出会って、本気で夢を身始めた。
あたしにも、普通の結婚が出来るんじゃないか…って。
「こんなこと、言いたかないけどさ」
「?」
「これって、晋を選ぶか、家を選ぶか、なんだよな」
「……」
晋ちゃんを選ぶか、家を選ぶか。
そんなの…
あたしが唇を噛みしめると、丹野さんは「ふぅ…」って息を吐きながら立ち上がって。
「ま、よく考えて決めるんだな。おまえの一生の問題だから」
って、椅子を引っ張って行こうとした。
「あ、丹野さん」
「あ?」
「あの…一つ聞いていい?」
「何」
アメリカの話を聞いて、一瞬の内に色んな感情が渦巻いた。
たぶんこれは…焦りってやつだ。
「こんな事…誰に聞けばいいか分かんなくて…」
「何だよ」
「だからって丹野さんに聞くのも…あれ何だけど…」
「だから何」
モジモジするあたしを見下ろして、丹野さんは急かすように語気を強めた。
「早く言えよ。晋、帰って来るぜ?」
うっ…
晋ちゃんの事だ…って、バレてる。
あたしは意を決して姿勢を正すと、少し小さめな声で言った。
「その…た…丹野さんって、彼女出来たら…どれぐらいで…あ…アレ…する?」
その質問に丹野さんはキョトンとしたあと。
「アレ?」
「…その…」
「ああ…セックスな」
って、笑った。
う…さ…察しの良いことで…
「ど…どうなのかな…と思って」
「付き合ってなくてもするよ」
「付き合ってなくても⁉︎」
「ノリで」
「ノリ……好きじゃなくてもできるって事?」
「俺はね」
丹野さんは何だか愉快そうな顔をして、再び椅子に座りなおした。
「…じゃあ、付き合った人とするとして…付き合ってどれぐらいでするもの?」
あたしは、上目使いに丹野さんを見上げる。
「人によって違うだろ」
「丹野さんは?」
「すぐするよ」
「……」
付き合ってなくてもする人でも、付き合う人は大事にするかも…なんて思ったんだけど。
聞いたあたしがバカだった。
「…まさかとは思うけど…」
丹野さんは、ハッとあたしの顔を見て。
「おまえら、もしかして…まだなわけ?」
ものすごーーー…く、情けなさそうな顔をした。
「…おかしいかな…」
「信じらんねーっ」
唇を尖らせて肩をすぼめるあたしと、大袈裟に仰け反る丹野さん。
そっか…そうなんですか…
そんなに…ですか。
「おまえ、男の気持ちも考えろよ」
「…男の気持ち?」
「好きな女と一緒にいて、触りたくない男なんていないぜ?」
「……」
「ましてや、このやりたい盛りの歳で」
「や…やりたい盛り…」
「おまえ結構ふざけて抱き着いたりしてんじゃん」
「あ…あれは…じゃれてるって言うか…」
「あー…晋に同情するぜ…あんな事されて寸止めって」
「す…寸止めなんて…」
丹野さんは、本当に晋ちゃんに同情してるのか…眉間にしわを寄せて何度も首を横に振ってる。
…あたし、ボディタッチ多いよ…確かに…
それも良くない…か…
「まあ…晋はおまえを大事にしてるから、我慢出来てるんだろうけど…俺だったらあり得ない」
「だって…」
「何」
「何て言うのかな…してないから、今のままでいられるんじゃないかな…なんて」
あたしがうつむき加減で言うと。
「それは、おまえの言い分。晋は違うと思うぜ?」
「そう…かな…」
「ま、晋は無理強いしないと思うけど、あいつも男だから…あ、帰って来た」
丹野さんが、階段の下を見ながら。
「おっせぇよ」
晋ちゃんに怒鳴ってる。
「わっりい。在庫探してもろてた」
「集中してやるぞ」
丹野さんがスタジオに向かう。
あたしもそれを見て、椅子を片付けてると…
「あ、涼」
晋ちゃんがあたしの頭を鷲掴みにして。
「これ、やる」
ポケットから、何かを差しだした。
「?」
手の平に受け取ると、それは…指輪。
「路上売りの兄ちゃんにもろたから、やる」
不思議な色。
エメラルドグリーンに…紺がまざった感じ。
「いいの?」
「んな、かわいいの、俺には似合わへんやん」
「あ…ありがと…」
嬉しいーー‼︎
本当は、ずっと指輪ってものに憧れてた。
でも、何かおねだりするのも当てつけがましいと思って…
晋ちゃんは、めったに物をくれない。
ケチとか言うんじゃなくて…誕生日だって、プレゼントをくれるんじゃなくて、映画とか、食事とかであたしを楽しませてくれる。
残る物じゃなくて、心に残る時間をくれる…。
「じゃ、もう一時間練習してくるで」
「うん」
手をあげて歩いてく晋ちゃんの後ろ姿を見つめながら。
あたしは…アメリカについて行く決心をし始めていた…。
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