09

「愛美、もういいのか?」


 朝、父さんが新聞を広げながら言った。


「うん。三日も寝てたし」


 寝てる間…いろんな夢を見た。

 特に、一番熱のあった一日目は。

 尚斗さんがずっとそばにいてくれて、あたしの手を握ってくれてる 夢を見た。

 熱が下がったら、謝ろうって…そんな事考えながら眠ったからかな。

 …あたし、あんなことがあっても…まだ、尚斗さんのこと夢に見たりするんだ…って思った。



「行ってきまーす」


 元気よく玄関を出る。

 三日間寝たきりだったから、まだ少し足元ふらついちゃう。

 でも、久しぶりのいい天気。



「愛美ちゃん」


 あたしが空を見上げてると、ふいに…お向いの玄関から、尚斗さんが…


「……」


「風邪、どう?」


「…ん、治った」


 普通なんだな…

 あたし、あんなひどいこと言ったのに…


「学校?」


「うん」


「俺、音楽屋まで行くから一緒に行こう」


 そう言って、尚斗さんはあたしに並んで歩き始めた。



「…この前は、ごめんね」


 尚斗さんが、髪の毛をかきあげながら言った。


「え?」


「雨の中…あれで、風邪ひいたんだろ?」


「…尚斗さんこそ、大丈夫だった?」


「俺?俺は平気だよ」


「よかった。世界のスターに風邪なんてひかせたら大変」


「何だよ、それ」


 尚斗さんが、笑う。

 …良かった。

 こんなふうに話せて。



「いつまで、こっちにいるの?」


「ああ…明日発つ予定」


「明日…」


 せっかく、こんなふうに話せるようになったのに…


「そ…そっか…そうよね、忙しいものね」


「愛美ちゃん」


「ん?」


 公園の並木の下には、色鮮やかな花が咲いてて。

 なんとなく…穏やかで…いい気分。


 どのタイミングで謝ろうって思いながらも、この心地いい雰囲気を崩したくない気もして謝りそびれてると…


「ずっと、この間から考えてたんだけど」


 尚斗さんが立ち止まった。

 自分のつま先に視線を落としたまま、あたしも立ち止まると。


「結婚…しないか?」


 尚斗さんの口から、信じられない言葉が飛び出した。


「……」


 …結婚?


「…誰が?」


「愛美ちゃんと、俺」


「な……っ…」


 呆れた顔で尚斗さんを見る。


「何言ってんの?尚斗さん…彼女だって…」


 動揺してる。

 言葉が、うまく言えない。

 だけど、尚斗さんはすごく真顔で。


「カレンとは、別れたよ」


 って…


「でも…どうして…?」


「最初は、君がアメリカに来た時だった」


「…?」


「ずっと妹みたいに思ってたのに、ずいぶん大人っぽくなってて…しかも、男連れて歩いてるし…驚いたよ」


 尚斗さんは、照れくさそうに首を傾げて続けた。


「会うたびに何かこう…嬉しくなるって言うか…だけどそれは、きっと身内みたいに思ってたからだって、俺は納得してた」


「……」


「そしたら、ナッキーがさ…おまえは、自分の気持ちに気付いてないって」


 ナッキーさん…

 あたしの気持ちも、バレバレだったっけ…

 どうして分かっちゃうんだろう…?


「俺自身、自分の気持ちがよくわからなくて。カレンは確かに恋人としてつきあってたけど…どこか無理をしてる部分があって。で、悩んでたところに…あのキスだよ」


「あ…」


 ウェインと。


「妬けたね。すごく」


「だって、あれは…」


「わかってる。でも、そのあとのセリフが尚斗さんが悪いのよ!ばか!だし。しばらく立ち直れなかった」


「……」


「今回、帰ってきたのはね。愛美ちゃんの気持ちを確かめたかったってより、自分の気持ちを確かめたかったんだ」


 手に持ってた鞄が落ちた。


「愛美ちゃんの人生、俺が作っていいかな」


 瞳いっぱに涙がたまって、尚斗さんが見えない。


「尚斗さん…」


 尚斗さんの胸にしがみつくと。


「愛美ちゃん、熱でうなされながら…俺の名前呼んでくれてた」


 って、耳元でつぶやいた。


「…ついててくれたの?」


「心配だったから」


「だから、尚斗さんの夢見たんだ…」


「嬉しかったよ」


 尚斗さんは、あたしを強く抱きしめると。


「すぐにでも、結婚したい。離れていたくない」


 夢見てるような言葉をささやいてくれた。


「おじさんと、おばさんに報告して…アメリカに連れてってもいいかな」


「…尚斗さんて、案外せっかちなのね」


 あたしが涙をぬぐいながら小さく笑うと。


「愛美ちゃんもてるみたいだから、すぐに虫がついちゃいそうだし」


 って、渋い顔。


「…つかないよ」


 そっと目を閉じると、尚斗さんが頬に触れた。


「…大好きだよ」


 優しい、キス。

 周りには人もいるというのに、アメリカナイズされてしまってる。

 尚斗さんの腕の中で、あたしはこの上ない幸せを噛みしめていた…。

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