08

「…39度5分」


 母さんが、体温計を見て言った。

 数字を聞くと、より一層具合が悪くなった気がした。


「ゆっくり寝とき。あと、これ飲んで」


 枕元に、薬。

 母さんは、現役看護婦。

 そして、婦長。

 忙しいのよ。

 本当に、忙しいのよ…


「母さん仕事行くけど、しんどかったら連絡しいよ」


 こんなに熱を出したのは、すごく久しぶり。

 子供の頃以来。


「母さん…」


 思わず、母さんの袖口をつかむ。


「え?何?」


「…そばにいて…」


「……」


 なんだか、そばにいて欲しかった。

 心細かった。


「お願い…母さん…」


 か細い声でそう言うと、母さんはあたしの額に優しく触れて。


「母さんも…そうしたいんやけどね…」


 って…弱い声で言った。

 ああ、あたし子供みたいなこと言っちゃった…



 10歳の時、突然別居なんてして…離れてたのはたった三年間だったけど、あたしはその間に思春期を迎えて。

 身長も伸びて、尚斗さんに恋もしてた。

 そんなあたしは、三年振りの母さんになかなか馴染めなくて、可愛くない娘だったと思う。


 いつもつんけんして…

 おねだりは父さんに。

 母さんには、甘えた事もない。


 …だけど…

 今、そばにいて欲しいなあ…って…



「薬、今飲んどこか。ほら、口開けて」


 母さんは、そう言ってあたしの頭を抱えて、水差しを口に持ってきてくれた。


「平熱が低い分、しんどいね…でも、これで楽んなるから」


 おまじないみたい。

 何だか少しずつ眠くなってきた。

 あたしは、枕に頭を埋めると。


「…母さん…ごめん…」


 小さくつぶやく。


「何?」


「子供みたいなこと言って…」


 目を閉じてそう言うと。


「…ううん、嬉しかった。」


 母さんは、あたしの頬を優しく触った。



 * * *


 どれぐらい経ったのか…ドアが開く気配がして、うっすら目を開けると。


「お、悪い。起こしたか」


 お兄ちゃんがいた。


「…うつるよ…?」


「俺、風邪ひかんから心配せんでええ」


「あー…そっか…」


「そっかって何や」


「…自分が…言ったんじゃない…」


「何か欲しいもん、あるか?」


「…ううん…何も…」


「…そっか」


 お兄ちゃんはあたしの額に指をツン…として。


「あっつ。湯が沸かせるで」


 小さく笑った。


「…うるさいなあ…もう…」


「欲しいもんあったら、内線鳴らせ。子機、ここ置いとくで」


「……ありがと」



 あー…

 高熱って…辛いけど…

 みんなが優しくて…嬉しい…気がする…


 …だけど、気持ちが弱る…


 尚斗さんの事、大嫌いって言った。

 …嫌いになるわけ…ないのに。

 目を閉じると、尚斗さんが彼女と並んでた姿が浮かぶ。


 …お似合いだったんだよね…

 身長差も…見た目だって…大人の女…って感じで…

 あたしは、どう頑張ったって…童顔だから…

 周りから見ても…尚斗さんの妹にしか…見えないよ…



「……」


 目を閉じてるのに…涙がこぼれた。

 だけどもう、それを拭う気力もない。



 分かってた。

 悪いのは尚斗さんじゃないって。

 悪いのは勝手に夢見て恋したあたし。

 そんなあたしに八つ当たりされて、可哀そうな尚斗さん…


 この熱が下がったら…

 きっと、あたしの恋の熱も冷める。

 …大丈夫。

 そうしたら…


 尚斗さんに、酷い事言った…って、謝ろう…

 …うん…


 謝ろ……

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