03

「マナミ、ステディリングしてないけど、フリーなの?」


 留学して一ヶ月。

 突然、隣の席のジェニーに言われた。

 この学校で指輪をしていない子は『恋人なし』と、みなされるらしい。

 そう言えば、男の子も彼女のいる子は指輪してるなあ…



「ううん、フィアンセがいる」


 あたしが笑顔でそう答えると。


「あら、それじゃ指輪ぐらい買ってもらいなさいよ」


 ジェニーは頬杖をついて言った。


「どうして?」


 ノートをめくりながら問いかけると。


「あなた、きっとフリーだって、いろんな男の子が目をつけてるわ」


「へえ」


 あたしって、モテるんだ。

 確かに日本でも告白はされてたけど。

 あたしには、尚斗さんがいるもの。



「ね、マナミのフィアンセって、どんな人?」


「バンドマン」


「バンドマン?大丈夫なの?」


「何が?」


「この辺でバンドしてるのって、女の子にモテたいからって奴ばっかりじゃない」


 ジェニーは、あからさまに辟易したような顔で首をすくめた。

 んー…そうか。

 そういうイメージって強いよね。

 クラスの男の子も何人かバンドを組んでるみたいだけど、みんな微妙な感じでカッコつけてて…残念にしか見えない。

 どうせなら、もっと堂々とカッコつければいいのに。



「あー…でも、プロだから」


「え~っ、すごいじゃない。紹介してよ」


「うん…でも、忙しいみたいだから…」



 実際、あたしは何だかんだ言いながらも、五回事務所を訪問した。

 だけど尚斗さんは忙しいみたいで…

 ちょうど『録りが終わった』っていうまーくん(朝霧真音)と『ひっさしぶりやねー』って、関西弁で盛り上がって…

 尚斗さんはそれを、まるで保護者みたいな顔で…キーボードの前に座ったまま、優しく笑って見てた。


 約束のディナーも、まだ。

 これじゃ…デートなんて、いつの話になるやら…



「何、有名人?」


「Deep Redってバンドでキーボード弾いてる」


 あたしがそう答えると、ジェニーは一瞬黙ったあと


「冗談キツイわよー」


 ケラケラと笑い始めた。

 むっ…

 どうして冗談?



「どうして?本当よ?」


「だって、それってナオトでしょ?」


 あら、有名だな。


「そうよ」


「ナオトには、カレンっていう彼女がいるもの」


「……」



 頭の中が、真っ白になった。

 彼女?

 そういえば、あたし…そんなこと聞いたこともなかった。

 彼女がいるかどうかも確かめもせず…

 尚斗さんを追って、ここまで来てしまった。



「残念ね」


 ジェニーがクスクス笑いながら、席を立った。

 あたしは惨めになって立ち上がる。

 そして、尚斗さんの事務所に向かった。



 * * *



「…なっ…尚斗さん…い、いますか」


 全力疾走で事務所に辿り着いて、息を切らしながら問いかけると。

 ドアの前にしゃがんでマンガを読んでたボーカルのナッキーさんが。


「ああ、さっき帰ってきたよ」


 って、ドアを少し開けて。


「ナオトー、愛美ちゃん来たぜー」


 大きな声で、言ってくれた。


「…どうも」


「いやいや」


 …今日は、ヒマなのかな。

 ドアの前から廊下の床に移動して、再びマンガを読み始めたナッキーさんを見て、そう思った。



「や。どうしたの。学校の時間じゃない?」


 尚斗さんがそんなことを言いながら顔をのぞかせて。

 あたしは、思わずキュンとなる。


「あの…」


「ん?」


「聞きたいことが…」


「何?」


 あたしがモジモジしてると。


「ナオト、早く」


 部屋の中から、女の人の声。


「カレン、ちょっとコーヒーでも飲んでて」


 尚斗さんが、振り返って言った。


「……」


 カレン…


「で?何?」


「あたし…」


「ん?」


 体が、震える。


「あたし、尚斗さんの許嫁だよね?」


 あたしが、うつむいたままそう言うと。


「え?」


 尚斗さんは、すっとんきょうな声を出した。


「尚斗さん、言ったよね。、結婚しようって」


 噛みしめるように言いきると。


「あー…」


 尚斗さん、頭をかきながら…困った顔。


「子供の頃の話だろ?」


 プツッ。


 あたしの中で、何かの線が切れた。



 今までしてきたことは、何?



「…愛美ちゃん?」


「そーだよね。子供の頃の話だもんね」


 あたしは、冷めた目で笑ってみせる。

 …バカみたい。


「彼女、呼んでるよ?早く行って」


「ああ…それだけ?」


「うん」


「気を付けて帰んなよ」


「うん」


 あたしは、向きをかえて歩き出す。

 ナッキーさんの前を、軽くお辞儀しながら通りすぎると。


「これでいいのかなー」


 ナッキーさんが、無気力な声で言った。


「君、あれでしょ。ナオト追ってここまで来たんでしょ。それじゃ、こんなの納得いかないんじゃない?」


 立ち止まったあたしは、ナッキーさんに背中向けたまま。


「…だって仕方ないじゃない。尚斗さんにとっては、子供の頃の話なんだもん」


 それだけ言って…また、歩き出す。



 通りに出ると、やっと涙が浮かんできた。


 あたし、ばかみたい。

 あたしの人生、尚斗さんのためだけだったのに。

 ばかみたい…。

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