海軍兵舎、殺人事件 下

 ワイズナーとジニアスの話が終わったので、私は研究室の厨房に立つ。

 今日、つくるのは、野菜のスープに小麦粉を練った団子をダンプリングしたものだ。

 簡単に食べられて、しかもお腹にたまる。仕事が押しているとき、ジニアスが非常に好む料理である。

 料理が出来上がったのを見計らって、私は研究室に戻りかけ、ワイズナーが、ジニアスの実験に手を貸しているのが見えた。

「それ、そこに点火して少しだけ火のエレメントを足してくれ」

 回収してきた魔力を分離するための、下準備作業である。普段は、ジニアスひとりでやることだ。

 ワイズナーは器用に点火の魔術を操る。点火そのものは、初歩の初歩。魔術士としてもかなり才能があるというワイズナーなら、簡単な作業であろう。

 本来なら、私がすべき『助手』の仕事だ。私は思わず下を向く。ひやりとしたものが胸をつかむ。

「しかし、聞いたぞ、パーティにバーバニアン君を連れていったって」

 ワイズナーが呆れた声でジニアスに話しかける。二人とも私に背を向けていて、表情は見えない。

「ドレスも着せずに、助手として連れていったって、お前、バカじゃないのか?」

「パーティは仕事の延長だ。悪くないだろうが」

 ムッとしたジニアスの声。なんとなく、出て行きづらい。

「聞いた話だと、バーバニアン君は、ドレスを着ていなかったせいで、余計に目立ったらしいじゃないか。出席した検視官の奴に、いろいろ聞かれたぞ」

「何を?」

「あの!」

 不機嫌そうなジニアスの声に耐えらず、私は声を上げた。

 ふたりは振り返り私を見た。ワイズナーは、珍しくニヤリと笑い、ジニアスは、私と目が合うと、戸惑ったような顔をした。

「……夕飯のご用意が出来ました。ワイズナーさまもご一緒なさいますか?」

「ああ、ありがとう」

「……というか、お前、そのつもりで長居していただろう」

 ムッとした声のジニアスに、ワイズナーは「もちろんだ」と答えた。

「では、すぐに用意しますので」

 私は、控室の方に食事の用意を始めると、ワイズナーとジニアスはゆっくりとソファに腰かけた。

「それで、何か進みましたか?」

 私の問いに、ジニアスは首をすくめた。

 それほど、進んではいないらしい。無言で、スープを口にする。

「しかし、バーバニアン君の料理は美味い。私の母より、よほど美味い料理を作る」

 ワイズナーが満足げに微笑んだ。母という言葉に思わず首を傾げる。

「意外かね? 私は成り上がりの庶民だからね。料理人がいるような家ではないよ」

 にこりと、ワイズナーが笑う。ワイズナーは自らの優秀さで、現在の地位を勝ち取ったエリートなのだ。彼が周りに容赦がないのは、自分に厳しいからである。

 自分に厳しくなければ、今の彼はきっと存在しなかったであろう。

「私は、『子猫亭』という料理屋の女将さんに育ててもらったようなものなので」

 私は苦笑した。

「お養父とうさんの口利きで監察魔術院の仕事につかなかったら、たぶん、『子猫亭』にそのまま勤めていたでしょうし、自分もそのつもりだったので」

「ほほう」

 ワイズナーが感心したように頷く。

「助手の仕事にあぶれたら、いつでもおいでとは、言われています」

 冗談めかしてそう言うと、ワイズナーはジニアスの方を見てくっくっと笑った。

 ジニアスは、といえば、無言で食べ続けていて表情を消している。

「それは店主がそのように言うのは当然だ。バーバニアン君が店にいたら、間違いなく流行るだろう」

「ワイズナーさまでも、お世辞をおっしゃるのですね」

「世辞など言わぬよ」

 思わずドキリとしてワイズナーを見ると私に笑いかけた後で、ジニアスの方を見ながら首をすくめて見せた。

「そんな目で見るくらいなら、もっとしっかりしろ」

「なんのことだ」

 ジニアスの声はとても不機嫌で、ワイズナーを睨みつけている。

 ワイズナーはそんなジニアスを見て、深いため息をついた。

「バーバニアン君、ご馳走になった。仕事に戻るよ」

 ワイズナーは皿を片づけ、頭を下げて帰っていった。

「お代わり」

 ジニアスに言われて、私は皿にスープをよそって、彼に差し出す。

 ジニアスは無言で、それを食べる。二人だけの空間。いつもの風景なのに、どことなく空気が重い。

「ワイズナーさまに手伝っていただいたのですか?」

 私はジニアスの隣に立ったまま、実験室の方に目をやりながら口を開いた。

「……デビットは、飯まで帰る気がなかっただけだ。頼んだわけじゃない」

 ジニアスがボソリ、と答える。嘘ではないのだろうけど、なんだか胸が痛い。

「私がお役に立てないから……」

「コゼットは、役に立っている。そんなふうに思うな」

 ジニアスが怒ったようにそう言った。

「でも……お仕事であまりお役に立てないのは心苦しいです」

「この仕事は、他人の魔術に影響受けないことが一番大切で、コゼットは、誰よりもその条件を満たしている」

 ジニアスの手が私の手に触れた。暖かく大きな手である。

「それに、コゼットは、目がいい。俺の助手はコゼット以外、考えられない」

「ジニアスさま……」

 ジニアスが私の腕を急に引き、私は、バランスを崩してジニアスの膝の上に倒れ込んだ。

「コゼット」

 ジニアスのブラウンの瞳が私を射るように見つめている。

 頬に、息を感じるほど近い。ジニアスの片腕が私を抱き、片手が私の顎にそえられる。

 胸がドキドキと早鐘をうつ。何がおこっているのか、理解できない。

 ドンドンドン。

 突然、扉をノックする音がした。

「ジニアス、私だ、ちょっといいか?」

 その声は、私の養父、サネス・バーバニアンのものだった。

「あ、は、はい」

 ジニアスは、慌てて私の身体を離して、立ち上がって自分で扉を開けに行った。

 私は、何が何だかわからないまま、服の中に隠してあるペンダントを握りしめ、息を整えたのだった。



「まずいことになりそうだ」

 養父、サネスは研究室に入ってくるなりそう言った。

「圧力でもかかりましたか?」

 ジニアスの言葉に、サネスは大きく頷いた。

「軍の方からだな。かなり強力に、だ」

「しかし、今日、海軍兵舎に入った時は、それなりに協力的でしたが?」

 ジニアスの言葉にサネスは首をすくめた。

「ワイズナーの部下が、藪をつついて、蛇を出したようでな」

「あのバカ、ここで飯なんか食っているからだ」

 ブツブツとジニアスが呟く。そういう問題ではない気もする。

「殺人事件に直接関与しているわけではないと思うが、海軍高官のスキャンダルが絡んでいるようでな、軍としては醜聞を恐れて、司法の介入を阻止したいようだ。オリビアの遺族側の元老院の役員の根回しより、先に圧力がかかった」

 サネスは首を振る。

「とにかく、調査は明日から海軍調査室に引き継ぐことになった。今日、引き上げてきた証拠物件は、明朝、海軍が引き取りに来るらしい」

「明日、ですか?」

 ジニアスがニヤリと笑った。

「そうだ。明日だ」

 サネスは、ジニアスの意図を組んで頷く。

「先生も手伝っていただけるので?」

 ジニアスは面白そうにそう言うと、サネスは口角を上げて楽しげに頷いた。


「コゼット、分離が完了したら、教えろ」

 サネスが、魔存器を開け、ジニアスと視線を合わせ、詠唱を始めた。さすがに、師弟だけあって、お互いの呼吸がピタリと合っている。

キラキラと光ったエーテルが、糸のように絡み合っているのを、ジニアスと、サネスの力によって、丁寧に解かれていく。

私は目を凝らす。ジニアスの力のいろも、サネスの力のいろも、際立って美しい魔力のいろを放っている。

「コゼット、いくつあるかわかるか?」

 ジニアスの言葉に私は全神経を集中する。

「使われた魔術は4っつ。使用者はたぶん、3名でしょうか?」

 私は緊張に声が震える。『視る』のは、自分にできる唯一の仕事だ。

「さすがに、私の教えたコゼットだ」

 サネスが満足そうに頷いた。養父は、私に昔から甘いと思う。

「先生、気を抜かないでください」

 ジニアスが抗議の声を上げた。

 キラキラとした光が渦を巻く。光がそれぞれ分離を始める。すべての光が離れたその瞬間をのがしてはならない。

「分離しました。今です」

 私の声を合図に、ジニアスとサネスが詠唱をした。

 ふたりはそれぞれ、分離した魔力を自らの魔力でくるむようにして、魔存器に封じ込める。

「ふう。やったな」

 サネスが大きく息をついた。

「殺したのは……女だな。年齢は三十代くらいか。こうして見ると相当強い念を感じる……私怨があるな」

 ジニアスが目を閉じながら分析する。

「それほど、凄い使い手というわけじゃないが、かなり念入りに術を使っている」

「絡めているのは、三十代から四十代の男、これはかなりの使い手だな。これが二つの術を絡めている。もう一人は、二十代から三十代の男、こいつは……使えるだけ、という感じか」

 サネスが分析をしていく。私は、ふたりの分析を慌ててメモを取った。

「検視官を呼ぼう……朝までという猶予をつけた奴らを後悔させてやる」

 人の悪い笑顔をサネスが浮かべた。


 その夜、再びやってきたワイズナーと彼の部下によって、事件の全容が明らかにされた。

 オリビアを殺したのは、同じ劇団員のサリナという女性だった。その女性は、複数の兵士と関係あるだけでなく、違法な薬草を兵士たちに売っていた。

 サリナは、オリビアにヒロインの座を奪われたことからずっとひそかに根強い憎しみを抱いていたようだ。

 殺害に至ったのは、犯人の一人である若い兵士が薬草を使っていることを目撃したオリビアが、サリナとその兵士が付き合っていることを知り、サリナに警告したことを発端としている。サリナは、もちろんただの『売人』だ。

 だが、彼女の客は、軍のかなり重要な人物まで名を連ねていたようで、海軍としては、醜聞をおそれ、内々に処理をしたかったのであろう。

「つまりだ。最初に言っていた、複数の男性と関係があったのは、オリビアではなくて、サリナという女性なのだな」

 ジニアスの質問に、ワイズナーが頷く。

「最後に火をかけたのは……その若い兵士だな」

「だろうな。そいつは、サリナに首ったけでね。なんとか、サリナを容疑者から外すために、水のエレメントを消そうとしたのだろう」

 まあ、まだ、憶測だが、と、ワイズナーは告げた。

「とりあえず、元老院の役員を叩き起こして、逮捕状を取ってくる。夜明けまでには、けりをつけるさ」

 ワイズナーはスープを飲んでいた部下の皿を取り上げ、「行くぞ」と言って、颯爽と出て行った。

「こら、フィリップ、飯食っている暇あったら、手伝え!」

 こっそり部屋に入ってきたフィリップが私から料理を受け取っているのを見て、ジニアスが声を上げる。

 ジニアスとサネスは、分離の終わった残存魔力のさらなる解析を始めるのだ。

 活気に満ちた研究室で、私にできることは、そこにはなくて。

 再び、厨房に籠って、夜食を作り始めたのだった。

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