記憶

 海軍との政治的な駆け引きやらで、養父であるサネス・バーバニアンは、かなりたいへんだったようだが、海軍の兵舎でおきた事件は、司法が軍の圧力を跳ね返す形で終結をした。

 結果として監察魔術院あげての事件となったため、全てを終えた今、職場全体に達成感と疲労感が満ちている。

 そんななかで、ほぼ専属の料理人のように、私はみなのために料理を作り続けた。

 誰かがしなければならないことであり、そのことに不服があるわけではないが、助手としてジニアスを支えられない自分をひしひしと感じてしまう。端正な顔に無精ひげを生やし、よれよれのシャツを着ながら寝不足な目をこするジニアスの姿を見るたび、罪の意識が大きくなった。

「あら、コゼット」

 昼過ぎ、いつものように事務局に顔を出した私に、声をかけてきたのは、事務局員のレナ・クライシーだ。少しくすんだショートの金髪で、知的な美人である。すらりと手足が長く、女性にしては背が高い。

 私と同じように、監察魔術院の支給する『制服』なのであるが、とても似合っていて、カッコイイ。性格もサッパリしていて、いつも前向きだ。

「レナ。書類を受け取りに来たのだけど」

「そこにあるわ」

 レナは箱に入った書簡を指さし、物言いたげに私の方へとやってきた。

「ねえ、コゼット、さっき、あなたに会いたいってきた男性がいたのだけど」

「私に?」

 レナはニヤニヤと笑い、小さな朱塗りの木の箱を私の手にのせた。とても可愛らしい花が描かれている。

「これ、その男から。ラッセネクといえば、わかるって」

「え?」

 私はびっくりして、レナを見る。

「さすがに、勤務中に会わせるわけにはいかないって、突っぱねたら、これを渡すようにって、言われたの」

 レナは、パチンとウインクする。

「わりと真面目そうな男で、コゼットのことよく知っているみたいだったから、拒絶できなくって」

 私は、手に載せられた小さな箱を反射的に視る……特に魔術は感じられない。それに、この前の事件の、嫌がらせに私に何かする……ことはないだろう。

「余計なお世話かもしれないけれど」

 レナは私を見て、ふーっと息を吐いた。

「あんな研究バカより、今日来た男の方が良いンじゃない? 少なくとも乙女心を理解していると思うわ」

「なんのこと?」

 私が首を傾げると、レナはますます残念なものを見るような目で、私を見る。

「コゼットは、自分が思っているより、ずっとモテるのよ? 肩書だけ立派なフェランのバカより、いい物件はいくらでもあるわ。もっと男を見る目を養いなさいよ」

 ポンポンと、レナは私の頭を叩き、仕事に戻っていった。

「私は別にジニアスさまとは……」

 小さく呟いた私の言葉を、レナは聞いていないようだった。

 私は肩をすくめて、仕事用の書簡と一緒に木箱を持って、研究室に戻る。

 ジニアスは実験をしているようで、私に気が付いていない。

 私は自分の執務机に座って、先ほど貰った木箱を見つめた。蓋に描かれた花がとても綺麗だ。

 そっと手に取って蓋を開くと、翡翠が入った髪留めが入っていた。意匠が凝っていて、とても高いものだというのが、見るだけでわかる。

 私は慌てて蓋を元に戻した。こんなに高いものをもらう理由がない。どうやって返したらいいのだろうと思いながら、書類の整理を始めた。相変わらず、ほぼ副職扱いのジニアスの研究は好評のようで、各所から依頼やら、お誘いの手紙が多い。私は目を通しながら、重要度の高い順に、並べていく。

「あれ? コゼットちゃん、この箱、何? プレゼント?」

 いつの間に入ってきたのであろう? 

 フィリップが、私の机の隅に置いていた木箱をヒョイと取り上げた。

「あ、それはですね……」

 説明をしようと手を伸ばすも、フィリップは面白そうに、勝手にふたを開けた。

「いいねえ、コゼットちゃんの瞳の色の髪飾りじゃん。へー、意外と、マトモなプレゼントできるんだ」

 フィリップは、髪飾りを手に取り、ジニアスの方を見た。

 ジニアスはその声に驚いたように、実験の手を止め、こちらを見る。

「あの、フィリップさま、それは……お返ししようと思っている物ですから」

 フィリップは首を傾げた。

「なんで? コゼットちゃんの亜麻色の髪に、とっても似合うデザインだよ」

「えっと。あの、でも、その……いただく理由がないものですから」

 面白そうに笑うフィリップに、私が説明をしようとした。

「どうかしたのか?」

 ジニアスが、フィリップの手元をのぞきこむ。ジニアスの目が大きく見開いた。

「え? お前じゃないの?」

 フィリップがびっくりしたように髪飾りを手にしたまま、ジニアスの顔を見る。

「違います。フィリップさま、誤解を招くような言動はおやめください。ジニアスさまにご迷惑ですから」

 私は、泣きたい気分になった。

 ジニアスの鋭い目が私を射抜く。怒っている、と思った。

「誰からもらった?」

 ジニアスの声はとても冷淡な響きだ。怖い。

「……ラッセネクさんが、事務局に来て、私に渡すようにと。理由はよくわかりませんが」

 私はようやくフィリップの手から髪飾りを取り戻すと、箱にしまった。

「理由がわからないって、コゼットちゃん、それ本気?」

 フィリップが呆れたように、私の顔を覗きこんだ。

「男が女にアクセサリーをプレゼントするって、求愛行為しかないよ。まして、コゼットちゃんの瞳の色や髪の色に合わせてつくっているんだもの。他に理由があるわけないって」

「求愛?」

 キョトン、とした私に、フィリップがポンと頭をたたく。

「コゼットちゃんは可愛いよ。僕、いつも言っているでしょ?」

 私は箱をじっとみつめる。ブライアン・ラッセネクと会ったのは二度だけだ。しかも、たいして会話を交わしたわけでもない。

「もしそうだとしたら……きっと何かを誤解されているのでしょう。私がサネス・バーバニアンの養女だからかもしれません」

 そうだ、そうに違いない、と思う。

「サネスのオッちゃんを身内にしても、得には何もならんと思うけどなあ」

 ぼそっとフィリップが呟く。

 そんなことはないだろう。

 サネス・バーバニアンは、両親をはやくに亡くして、親類の料理屋で下宿しながら学校を出た、いわば苦労人である。もともとは、中流の上くらいの家庭だ。彼の妻になったアンナの家は、裕福で格式のある商家であるものの、政治的な力があるわけではない。

 しかし、サネスは今や監察魔術院の主席であることは、間違いではない。

「それで、フィリップ、お前は何のようだ?」

 ジニアスは不機嫌そうな顔のまま、フィリップに向きなおる。

「ああ、そうそう。この前のエーテル研究のことで」

 ジニアスとフィリップは、それを期に仕事の話を始めたので、私は、お茶の用意に立った。

 ジニアスは、もはや何事もなかったかのように、フィリップと話をしている。

 厨房の片隅で、ふと、自分の頬が濡れていることに気が付く。

 ジニアスは、私が誰から求愛されようと、興味がないのだろうな、と思う。研究が中断させられたり、変な誤解を受けたことのほうが、腹立たしいことなのだ。

 私は服の下に隠したペンダントを握りしめた。

 強く願わなければ、安らぎすら私には与えられないその石は、冷たい感触を指先に残す。

 そばにいられれば、それでいい。そう思っていたはずだ。人間というのは、自分で考える以上に、どんどん欲が深くなるものらしい。

 私は、こっそりと頬をぬぐい、お茶を入れる。何事もなかったかのように、笑顔を作る。

 ただ。どうしても、ジニアスの顔をまともに見ることが出来ない自分がそこにいた。



 夕刻になって、私は、ジニアスを例のアレシア・カレドニというお嬢さんから誘われていた晩さん会に送り出した。ジニアスはブツブツ言っていたが、カレドニ家は良きスポンサーになりつつあり、無視できないものである。それに、文句を言いつつも思ったよりジニアスの腰が軽いのは……実はアレシアとの仲が進展しているのかもしれない。

 私は、深呼吸をする。自分が薦めたことである。

 胸が苦しい、と、言ってはいけないのだ。

 私は、研究室を片づけて、外に出た。私の家は監察魔術院のすぐ近くにある。

 本当は、ラッセネクに会って、髪飾りを返さなくては、と思うものの、海軍の兵舎に行くのはためらわれた。

 さすがに、あんな事件のあとである。監察魔術院の人間を快く思わない人間だって多いだろう。

「お養父さんに、頼むべきかしら……」

 サネスに頼めば、角が立たないようにおさめてくれるであろう。ただ、仕事でもない面倒ごとに、巻き込むのは気が引ける。サネスが忙しい人間であるということは、間違いのない事実であるから。

 夕日の傾き出した街を、私は歩きながら、ふと思い立って、家路とは逆の方角へと足を向けた。

 街はずれの少し寂しい場所に、小さな空き地がある。生い茂った木々の間から、夕日に染まる海が見える。

 もともとは、国の運営する孤児院があった場所だ。

 さすがに、たくさんの人間が殺された場所でもあるし、手狭ということもあり、現在は、別の場所に移転している。今は、もう、建物も取り壊され、僅かに石塀だけが残り、草が生えている。

 新しい何かが出来れば、ここに来ることはなくなるだろう、と思うのに、十五年たっても、この場所はまだ新しい時を刻めずにいる。

 私は、崩れかけた石塀に腰を下ろした。ゆっくりと空が暗くなり始め、風がざわざわと木々の葉を揺らす。

 私は、そっと目を閉じた。

 孤児院での暮らしは、豊かではないにしろ、辛いというものではなかったと思う。孤児は二十名ほどいただろうか。

 職員は住み込みで二人、通いが二人だった。住み込みをしていたのは、四十代の夫婦で、とても愛情豊かな人たちだったらしい。らしい、というのは、変だが、私は、孤児院時代の記憶が曖昧なのだ。

 ともに遊んだ仲間の顔も名前も、おぼろげでしかない。

 サネスの話では、孤児院を襲った魔術士は、新しい魔術の実験の為に、孤児院の人間を皆殺しにした。

 その魔術士の実験は人の身体から『生気』を取り出す実験をしていた。『生気』というのは、『魔力』につながるエーテルの一つとされており、より大きな魔力を得るために、黒魔術で注目されている禁忌の業である。

 術は私の命を奪うことはなかったものの、影響は残った。

 発見された時、私がはっきりと覚えていたのは、『コゼット』という名前だけだったという。もちろん、記憶が完全にないわけではなく、おぼろげながら、思い出がぼんやりとよみがえることがあるが、どこか霞のむこうの景色のようにはっきりしない。

 魔術士は、国境近くで自害したという。逃げきれずに死んだとも、罪の大きさに怯えたとも言われているが、はっきりしたことはわかっていない。そもそも、逃げた魔術士が実行犯だったのは間違いないが、単独犯だったかどうかは定かではない。唯一の目撃者であり、証人の私は、事件について語ることが出来なかったし、街はずれの小さな孤児院の周囲に民家はなく、事件そのものも、事件が起きて半日たってから発覚したような状態だったのだ。

 私は、ふと、首から下げたペンダントを取り出した。

 淡い、見覚えのある魔術のいろ。

 

「私、その赤いのがいいな」

 私が指をさすと、男は私に赤い飴玉をくれた。

 飴玉は、なんだか柔らかないろをまとい、不思議なきらめきを見せている。

「ぼくは、緑」

 私の次に並んだ男の子は緑色の飴を渡された。

「ねえ、これ、すっごくまわりがキラキラしているの、どうして?」

 私が男に聞くと

「お日様に当たると、飴が光って見えるよね」、と答えた。

 そうじゃない。お日様の光じゃない、私はそう思ったが、飴をもらいたい子供たちが私の後ろに並んでいるから、私はそれ以上、問うのはやめた。

 


 あのいろだ。

 私は唐突にペンダントにこめられた魔術のいろをどこで見たか思い出した。

 そう、あれは、孤児院の慰問に来てくれた、男達の持っていたお菓子についていた、いろだ。

 いつごろかは定かではない。しかし、確信があった。

 私は、幼い頃から『エーテル』が見える子供であった。

 ただ、魔力がないために、そういった教育は受けなかったし、誰も私が『エーテル』を見ているなんて思わなかったから、時々おかしなことを言う子供、と、認識されていたように思う。

 何か、思い出しそうで、思い出したくなくて。

 私は、立ち上がって、街へと戻ることにした。


 ぼんやりと、夜の街を歩いていると、私の横を駆け抜けていった馬車が、突然、止まった。

「コゼット? おい、コゼット!」

 大きな呼び声がして、そちらを向くと、馬車の扉が開いて、ジニアスが飛び降りてきた。

「ジニアスさま?」

 よく見れば、馬車はフェラン家のものだ。おそらく、晩餐会の帰りなのであろう。

「こんな時間に、なぜ、こんなところを歩いている?」

「え?」

 ジニアスの声に辺りを見まわすと、そこは、豪邸の立ち並ぶ住宅街だった。当然、自分の家とは全く方角が違う場所で、ジニアスの住む屋敷がある地区である。

「私?」

 頭がぼうっとしていたせいで、道を一本、間違えて歩いていたらしい。

 いくらなんでも、マヌケすぎる。

 それにしても、頭が痛い。ジニアスが何を言っているかわからない。

「コゼット、すごい熱じゃないか、しっかりしろ!」

 ガクンと、膝が崩れる。くらりとして、私はジニアスの胸に倒れ込んで……世界が暗転した。


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