海軍兵舎、殺人事件 中
馬車が監察魔術院につくと、ジニアスはようやく私の手を離した。
先に降りようとした私を無言で制して、荷物を持って自分が先に降りると、貴婦人にするかのように、私に手を差し伸べた。
「あの……大丈夫です」
「いいから」
意地になったようなジニアスに、私はドキリとする。
「……ありがとうございます」
すとんと、馬車をおりると、ジニアスは荷物を持ったまま、監察魔術院の研究室に向かって歩き出す。
「ジニアスさま……荷物は私がお持ちします」
私は、ジニアスから荷物を取り上げようと手を伸ばした。
「私はジニアスさまの助手です。誰もジニアスさまが紳士でないなどと思いませんから……むしろ、私が仕事を上司にさせていると思われてしまいます」
「コゼットからみれば、俺は……ただの上司なのだな」
ジニアスは、どこか複雑な表情で呟いた。
「ただの上司ではありません。立派な才気あふれる上司です」
私の言葉に、ジニアスは荷物をおろし、首をすくめた。
まるで、もっと違う答えを期待していたような……そんな風に見えたが、どう答えるのが正解だったのか、私にはわからない。私は、ジニアスから荷物を受け取った。
「ブライアン・ラッセネクをどう思う?」
ジニアスは、私の前を歩きながら問いかける。表情は見えない。
「さあ? よくわかりませんが」
私は首を傾げた。
「割と公正な感じはしましたので、事件の調査員として悪くはないのではないでしょうか」
「そういう意味じゃない」
ジニアスが首を振った。
「あの男、コゼットが気に入ったみたいだ」
研究室へ向かいながら、ジニアスは言いたくなさそうに、口を開く。
「まさか」
私は苦笑した。
「あの手の男性は、きっと、どの女性にもあんな感じなのではないでしょうか?」
ジニアスほどではないにしろ、ラッセネクもエリートであるし、端正な顔立ちである。
きっと、家柄の良い美しい令嬢だって選び放題なはずだ。
「そうでなければ、私が珍しいだけですよ」
海軍というのは、女性がほぼいないと聞く。魔術士として女性が仕事をするなんて、このラセイトスでは珍しくないけれど、海軍の人間なら見慣れなくて当たり前だ。
「どのみち、今回の仕事が終われば、縁のない方です。私のことなんて、すぐお忘れになりますよ」
「俺は……コゼットがどう思ったか、聞きたかったのだが」
ジニアスが振り返る。目がとても真剣で、胸がドキリとした。
「どうって……わかりませんとしか言えません」
昨日会ったばかりでそれほど会話を交わしたわけでもないのだ。
「なぜ、そんなことを?」
戸惑う私に、ジニアスは困ったような顔をした。
「俺は一応、サネス先生からお前を預かっている立場でもあるし……その」
「預かる……」
私の胸がチクリと痛んだ。
彼が『兄』のような気持ちで、私を助手にしたのだということは、なんとなくわかっていたことなのに。
「申し訳ありません……」
「なぜ、謝る?」
びっくりした顔でジニアスが私を見る。
私は下を向いて、小さく息を整えた。
「なんでもありません……今日は残業になるでしょうから、ご夕飯の手配をしますね」
にこやかに微笑んで、私はジニアスを追い越して研究室に向かう。
「コゼット?」
ジニアスが何か言いたそうなのは気が付いたが、振り向きたくはなかった。
研究室に戻ると、私はひとり、市場へと出かけた。
料理を作るときだけ、自分がジニアスに必要とされていると信じられる。たとえ、それが、本当の『助手』の業務からかけ離れているにしろ、それだけが、私の心のよりどころなのだ。
私は買い物かごに野菜をたっぷり買うと、ふらふらと街を歩く。街路にある魔道灯を、軍の点灯師が、灯りを灯し始めた。
夜の帳が落ち始める中、若い娘たちが小さな屋台に列をなしていた。
なんだろうと思い、後ろから覗くと、どうやら、呪い屋であった。
ほんの少しだけ魔力のある宝石を、『恋愛成就』のお守りとして売る、法的には詐欺スレスレの商売である。
実際に、呪うというのは、できても『恋を成就』させるような魔術は存在しない。魔術は、人の身体を不調にすることはできても、人の心をどうこうさせることはできないとされている。ただ、石を握った時に、ほんの少しだけ身体を温めたりする効果を付与したものが、心に安らぎを与えるということで、『完全否定』はされていない。
「あなた、きちんと並びなさいよ」
気の強そうな娘に注意され、私は、つい、列に並んでしまった。
並んでいるのは、十代後半から二十代の娘たちだ。ワクワクする目で、並べられた石を見つめている。
売っているのは、黒いベールをかぶった女性だった。顔はよく見えないが、長い袖からのぞく手を見るとまだ若い女性のようだ。特に口上をのべるわけではなく、言葉少なに、客が求めるものを丁寧な仕草で売っている。
それがまた、神秘的に見えた。
石は、さまざまな形や色に加工されており、付与された魔力も一様ではなかった。どうやら、作っている人間は一人ではないらしい。
「あれ?」
綺麗なブラウンの石のついたペンダントに、私は既視感を感じた。
どこで見たのか思い出せないけれど、その魔術の色に見覚えがあった。
「こちらの石は……?」
私の問いに、女性はするりと、その石の表面を撫でる。
「想いの通じる石ですわ」
効果などないことはわかっている。特に私の場合、『自分が強く』求めなければ、石にほどこされた魔術を感じることも難しい。たいていの魔術は私には通用しないのだから。
しかし、どうしてもその石から目が離せなかった。
綺麗な光沢を放つそのブラウンの石が、ジニアスの瞳を思わせたからなのか。
そして、それは絶対に届くことのない、宝玉だとわかっている。わかっているはずなのに。
「あの、これください」
自分で自分の言葉に驚いた。
私って、どうしようもなくバカかもしれない……そう思いながら、私はペンダントを買い求め、首から下げて服の中に隠す。
その魔術の色は、忘れてしまった何かを思い出せそうで、でも、どうしてもそれが何か、私には思いいたらなかった。
「買い物帰りかね? バーバニアン君」
監察魔術院の門をくぐると、ワイズナーに呼び止められた。
「はい。そうですが」
私が頷くと、
「随分、荷物が多いな」と、ワイズナーが顔を歪めた。
「私が持とう」
ワイズナーの手が私の買い物かごに伸びる。
「でも……」
断ろうとした私を、珍しくワイズナーが笑みで制した。
「しばらく、また、ジニアスのところに通いづめになる。そうしたら、君の料理を私もご相伴にあずかりたいから、これは立派な下心として、受け取りなさい」
「はい」
私は苦笑した。紳士的な優しさにさえ、いちいち筋を通そうとするのが、ワイズナーらしい。
「捜査のほうは、難航しそうなのですか?」
私の問いに、ワイズナーは険しい顔で頷いた。
「そうだな。被害者のオリビアとつきあっていたという男が見つかったが、そいつは、完全にシロだ」
「……というと?」
「魔術がからっきし使えない男でね。しかもその日は、レキーエ大臣のパーティに出ていて、しかも寮に帰ってもいないということがはっきりしている」
ワイズナーは首をすくめた。
「もしそうなら、なくなったオリビアさんは、なぜ、恋人さんがいない寮にでかけていったのでしょう?」
私の問いに、答えようとして、ワイズナーはふと視線をあげ、ニヤリと笑った。
「ひょっとして、バーバニアン君、随分、長い間、買い物にでかけていたのかい?」
「え?」
なんのことだかわからずに、ワイズナーを見ると、彼の視線の先に、廊下の扉の向こうで、こっちをみているジニアスが目に入った。人の気配に気が付いて、出てきたのであろうか?
「遅いぞ、コゼット。何をしていた?」
ぶすっとジニアスが呟く。
「申し訳ありません」
私は頭を下げた。
「すぐに夕食を作りますので」
私がそう言うと、ジニアスはムッとしたままワイズナーを睨んだ。
「偶然、入り口であっただけだよ、ジニアス」
ワイズナーはニヤリと笑ってそう言い、荷物を研究室の奥にある台所へと運んでくれた。
「すみません。ワイズナーさま。運んでいただきまして」
ぺこりと頭を下げると、なんだかジニアスの顔が険しくなったように見えた。
まるで、ワイズナーに運んでもらったことを責められている気がして、私は息苦しさを覚えた。
「それで? 何かわかったのか?」
ジニアスはワイズナーに問いかける。
「少しはね。そっちは?」
「分離作業の準備中でね。まだ、何も」
ジニアスとワイズナーが話を始めたので、私も少し離れた場所に座り、メモを取る用意をする。
「被害者と付き合っていたと思われる、ルグラン・クライブは、完全にシロだ」
ワイズナーは先ほど私に話してくれた内容を繰り返した。
「で。恋人のいない日に、被害者はどうして、兵舎にいた?」
ジニアスは眉を寄せる。
「それがわからん。どうやら、誰かに呼び出されたらしいが」
ワイズナーが首を振った。
「海軍の兵舎って、そんなに部外者が簡単に入れるものなのでしょうか」
私の質問にワイズナーは苦笑した。
「普通に考えたら、入れない。面会すれば記録も残さねばならない『規則』になっている」
「穴がある規則ってことだな」
ジニアスが、肩をすくめた。
「ま、ルグランは、基本、非番の日に『外』でオリビアと会っている。まれに、『兵舎』で面会していることもあるが、マジメに記録されていた。そもそも、兵舎の部屋は、相部屋だから女を連れ込んだりはできないから、いちゃつきたいなら、当然、外で会うだろうよ」
ワイズナーはそう言ってから、少しだけ私の方を見た。
なんとなく、気まずく感じたらしい。
「オリビアが、他の男と付き合っていた可能性は?」
「ないわけじゃない。何しろ、美人だったからな。劇団員の話でも、『恋多き乙女』だったらしいし」
ワイズナーは片眉を器用に吊り上げた。
「ただ、ルグランには、本気だったようだと劇団員は言っている」
「だったら……なおさら事件に巻き込まれた可能性が高い」
ジニアスは、ふぅっと息を吐いた。
「最初に言ったとおり、被害者に横恋慕したにしては、遺体に手を触れた形跡が全くない。しかも犯人は複数だ」
「わかっている。ただ、軍の連中は、口が堅い。例のラッセネクも協力的なようにみえて、何を考えているのかわからん」
ワイズナーが、ラッセネクの名を口にすると、ジニアスの顔が明らかに険しくなった。
「ま、食えん男だよ。優秀なのは間違いないが」
ワイズナーは軽く肩をすくめて、苦笑いした。
「そうそう。奴にずいぶん、お前とバーバニアン君について質問されたぞ。随分とバーバニアン君にご執心だった様だ」
「ご冗談を」
私が思わず口をはさむと、ワイズナーは何故か、大きくため息をつく。
「バーバニアン君は、ジニアス・フェランのなくてはならん助手だと話しておいた」
「……それはどうも」
ジニアスは不機嫌にそう答えた。
「ま、ラッセネクは、それで引くタイプにはみえなかったがな」
珍しく面白そうに、ワイズナーはニヤリと笑った。
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