マルセの井戸
検視官のワイズナーは、神経質な男である。
いつも一分の隙もない服装であり、はっきり言って、目つきが悪い。
悪い人間ではないし、顔立ちだって端正といっていい部類で、しかも優秀な人物ではあるが、女性受けは非常に悪い人物である。
彼は『女』だからといって、容赦はしないし、配慮もしない。そのぶん、女だからといって、不当に差別したりはしないのではあるが、優しさもデリカシーもないので、嫌われても仕方ない。
もっとも、私は、彼は嫌いではない。彼は、『仕事』を正当に評価してくれる人間だから。
「それで、みてもらいたいのは、マルセの井戸だ」
彼は丁寧に折りたたまれた地図を広げた。
ジニアスは、ふうんといいながら、それを眺める。
私は、二人が座る応接セットの傍らの脇の机に座り、会話の内容を記録する。
もっとも、この記録は公式のものではなく、あくまでジニアスの仕事のための備忘録のようなものだ。
「……井戸の水を飲んだ『女性』が、身体の不調を訴えている」
ワイズナーは別の資料を取り出した。
「それで、井戸を調べたのだが、毒物には侵されてはいないが……強い魔力反応があることがわかった」
「しかし、ずさんな資料だな。あんたの仕事とは思えん」
ジニアスが受け取った資料に目を通しながら顔をしかめた。
「取り調べをした魔術士が、魔力の強さに怯えてね……まあ、警察の鑑識にいる魔術士なんて、魔力の場所の特定だけしかできないやつが多い」
ワイズナーは首を振った。
「……だからといって、その人間が無能というわけじゃない。魔術以外の証拠を選別することは、長けている」
「まあ、そのおかげで、俺の仕事があるわけだけど」
ジニアスはニヤリと笑う。
「マルセの井戸ね……あのあたりに住んでいるのは、わりと裕福な家庭だな」
「ああ。だからこそ厄介だ。一流と言わないまでも、魔術士も多い」
ワイズナーは肩をすくめ、もっていたリストを渡す。
「一応、周辺の魔術士登録者のリストだ。たいした能力者はいないが」
「この被害者のリストを見る限り、幼女、老婆は、大丈夫なんだな?」
ジニアスは険しい顔になる。
「そうだな。今のところは」
ワイズナーは頷いた。
「わかった。すぐに出かける。コゼット、用意を」
「わかりました」
私がペンを置くと、ワイズナーが私の方をじっと見ていた。
「なんでしょう?」
ワイズナーは、私と、ジニアスに目をやって、顔をしかめる。
「バーバニアンくんは女性だ。今回は外すべきでは?」
「え?」
私は絶句する。まさかワイズナーに『女性』だからと外されるとは思わなかった。
優しく配慮をするひとではないだけに、ただ邪魔なのかもしれない。
「私は、きっと大丈夫です」
相手が相当な魔術師でない限り、私に魔術は効かない……それこそ、ジニアスクラスでなければ。
そんな私を見て、ジニアスは、わずかに眉をよせたが、何も言わなかった。
「私は、本部に一度戻ってから現場に行く。後で会おう」
軽く肩をすくめて、ワイズナーはそう告げ、先に会議室を出て行った。
「ワイズナーさまがあのようなことをおっしゃるとは思いませんでした」
私がそういうと、ジニアスは首を振った。
「それだけ、深刻だということだ……たしかに、コゼットはいつも無茶をしすぎる」
「そうでしょうか?」
頭を軽く振り、ジニアスは深くため息をついたのだった。
マルセというのは、ラセイトスのやや上流階級の富裕層が住む住宅街である。
この辺りは、井戸の水質が良い。ラセイトスでは、ガラナ川から水を引く地域もあるが、マルセ周辺の井戸の方が、水が美味しいという評判だ。
私とジニアスは、警察が用意してくれた馬車を降りた。
日が落ちるまでには、まだ、少し余裕がある。
現在、その井戸の周りには、警官が遠巻きに警備をしていて、地域住民は、少し離れた井戸でもらい水をしているらしい。ジニアスは、監察魔術士の正装である、黒いスーツ姿で、迷いなく、私の前を歩く。
仕事モードに入ったジニアスには、隙は全くない。
「あれだな」
「強い魔力がありますね」
井戸は、よくあるタイプのもので、とりたてて珍しいものではない。
しかし、鑑識の魔術士がためらうのも道理。強いエーテル流がぐるぐると井戸の周囲を渦巻いている。
「コゼットは、ここで待て」
ジニアスは井戸に近づき、井戸の底を覗きこんでいる。
私は、警備兵と同じ位置で、じっとジニアスの行動を見守ると、ワイズナーがこちらにやってきた。
「どんなようすだ?」
「……今、ジニアスさまがお調べになっています」
ワイズナーは、「そうか」といって、ためらいもなくジニアスの方へと歩いていく。
エリート検視官であるワイズナーは、ジニアスには遠く及ばないが、そこいらの魔術師より、よほど魔術が使えるという噂だ。
二人はしばらく何か話していて、やがてワイズナーが戻ってきた。
「どうやら、原因は井戸の底に沈んでいるらしい。今から、井戸の水を噴き上げて、ブツを取り出すのだが……魔力の流れを追ってほしいとジニアスが言っている」
「わかりました」
私は頷く。
「私も手伝うが……なにぶん、エーテルを見るのが苦手でね。今、ここにいる人間で、追えそうなのは、私とバーバニアンくんだけのようだから」
ワイズナーはそういって、ジニアスの方へと戻っていき、ジニアスが私に合図をした。
ジニアスの詠唱が始まる。
井戸の水がザアッと音を立てて吹き上げ始めた。
強い魔力が渦巻く。ジニアスの魔力は美しくきらめく。井戸の中から吹き上げられた色は、どろりとしたいろをしている。
井戸水と一緒に、力の源は地上に高く吹き上げられ、水とともに大地に転がっていく。
私は、力を追う……そして、力を噴き出していた小さなコインをみつけた。
「ありました!」
私は、ハンカチでコインを拾い上げる。
ぐらり、と一瞬、眩暈がした。さすがに、これだけの呪力を持ったものは私でもキツイようだ。
「バカ! ムチャするな、コゼット」
慌てて走り寄ってきたジニアスが、私からハンカチごとコインを取り上げた。
「しかし、ここまで漠然と執拗に女性を呪うとは」
ワイズナーは首を傾げた。
「術者は、女性。年齢は二十代から三十代。かなりの黒魔術を使う」
ジニアスは目を閉じて、そう言った。
「おそらく、術者は、呪いのターゲットを定めていない。この井戸を使う妙齢の女性を狙っている。井戸水を飲んだだけで体の不調を感じたいうのは、相当に強い呪いだ」
ジニアスは、ポンとコインを弾き、私のハンカチといっしょにコインをワイズナーに渡した。
「一応、魔力の封じ込めはしたが……研究室じゃないと、解除は無理だ」
「なるほど」
ワイズナーは、部下に木箱を持って来させて、その中に私のハンカチごとコインを入れた。
「それから……コゼット」
ジニアスの顔が怖い顔になった。
「魔力を見ろと言ったが、さわれとは言っていない」
「すみません。つい、見つけたら手が出てしまって」
ジニアスは大きく息をついた。
「コゼットは無茶をし過ぎる。なにかあったらどうする?」
「すみません」
私は頭を深く下げる。
「そうだな。ジニアスにとって、バーバニアンくんの代わりはいないのだ。少しは自重してもらわねば」
ワイズナーが、いつになく、意味深な笑いを浮かべると、ジニアスは、複雑な顔でそっぽをむいた。
「本当に申し訳ございません……」
私は小さく呟く。
ワイズナーの言葉は、単なる社交辞令だ。私より優秀な人間はいくらでもいる。私は、魔術抵抗能力が高いだけで、魔術そのもののフォローはできない。
監察魔術士の助手ならば、魔術だって使えたほうがいいに決まっている。
「とりあえず、しばらく残業だな。この呪いを解除するには相当な手間がかかる」
気をつけろよ、そう言って、ジニアスは私の背中をポンと叩いた。
「久しぶりに、コゼットのシチューが食べたい」
「お屋敷にはお帰りにならないので?」
「俺はね。コゼットはシチューつくったら帰っていい」
それは助手の仕事じゃないなあと、私は苦笑いを浮かべる。でも、ジニアスなりに、私が必要だと言ってくれているのだろうなと思う。
「シチューですか。最近は一人暮らしなので久しくたべていないですね」
珍しくワイズナーが口をはさむ。
「あら。じゃあ、ぜひ」
「ダメ。俺の分が減る」
ジニアスがムッとする。ほぼ子供である。
「余分に作りますよ。取り調べのついでにお寄りになって下さい」
「では、そのように」
ワイズナーは珍しく優しげに笑って、馬車へと乗り込む。
「……コゼットは、優しすぎる」
ジニアスが不満げにそう呟いた。
結論から言うと。
大鍋で作ったシチューは、あっという間になくなった。
ワイズナーが、若い捜査官を二人も連れてきたからである。
シチューがなくなってしまって、不機嫌なジニアスではあったが、事件は進展した。
黒魔術を使った女性は、ある古い由緒正しきお家の奥さまで、旦那が、マルセの一角に女を囲っているということを知って嫉妬にかられた行動であったということがわかった。
女性は、魔術士学校に通ったことのある素養ある人物ではあったが、特に仕事などはしていなかった。
現在、彼女が黒魔術に手を染めたきっかけを捜査中とのことである。
呪いの解除は難航をきわめ、ジニアスは、もう何日も屋敷に帰っていない。
おかげで、私は研究室でずっと料理を作る羽目になっている。
「……ところで、ワイズナーさまはいつまで、ここでお食事を?」
「事件が解決するまでは、打ち合わせが必要ですから」
しれっと答えるワイズナーの姿に、私が思わず首をすくめると、ジニアスは不機嫌そうに口をとがらせた。
「打ち合わせなら、飯の時間に来るな」
「そうだそうだ! 僕の分が減る!」
当たり前のようにフィリップも皿を抱えて、抗議する。
もはや、研究室は、食堂である。
私は、事件解決前に、新しく大なべを研究室に買うべきかもしれない、とふと思った。
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