残念ながら、魔術は使えません
秋月忍
本編
魔術士の助手
私は魔術を欠片も使えない。しかし、魔術に対しての抵抗力が『天才的』に高い。
普通ならば、見過ごされる『才能』? であるが、私ことコゼット・バーバニアンはある事件がきっかけで、偶然、見出された。
というわけで、現在、私は国でも指折りの魔術士の助手をしている。
私の上司は、ジニアス・フェランという。我が国ラセイトスの警察機構の中にある『魔術』系事件を取り扱う、監察魔術士である。
頭脳明晰で、容姿端麗。現在、二十八歳。高額所得者であり、国家公務員。しかも、将来も有望視されている。お見合いならば、引く手あまたの優良物件ではあるが、いかんせん、事件のないときは、意味不明な実験を繰り返す実験マニアで、しかも、身だしなみはおろか寝食も忘れるという生活能力という以前に、生存能力がゼロ。はっきり本人に確認したことはないが、現在というか、ここ数年、彼女はいないようである。
が、モテないわけではない。たまに、事件がらみで知り合った女性が、研究室にアプローチにやってくる。
たいていは、普段のジニアスの姿を目撃すると、二度と来ることはない。残念なことである。
「ジニアスさま、そろそろお昼になさってください」
私は、何やら謎の火花を散らしているジニアスに声をかけた。
ちなみに、ここは、魔法で溢れていて、エーテルがぐるぐると渦を巻いているような状態のことがあり、素人には、なかなかにデンジャラスな職場なのだそうだ。私は、エーテルの流れを『見る』ことはできるが、それに触れたところで何ら感じることはない。日によって、肩こりを感じる程度ですんでいる。
「あれ? もうそんな時間だっけ?」
焦げ茶色のさらりとした髪。ブラウンの瞳はびっくりしたように私に向けられる。相変わらず、無駄に美形だ。
「そうですよ。午後からは、検視官のワイズナ―さんがお見えになるのですから、早くお昼を済ませてください」
私は、ジニアスを急き立て、実験室の隣の控室に持って来た弁当を広げた。
「やあ、コゼット。今からお昼?」
軽いノックの音がして、部屋に入ってきたのは、ジニアスと同じ監察魔術士の一人、フィリップである。我が上司とは、ライバルであり親友でもある。明るい金色の髪をして、服装はどこか、オシャレだ。ジニアスと違って、女性にマメだという噂で、色恋の噂が絶えたことのない色男である。
彼は、誰に断ることもなく、ジニアスの前のソファに座り、サンドイッチに手を伸ばした。
「フィリップ、お昼時を狙ってくるのはやめろ」
ジニアスが眉を寄せて、親友を睨む。
「仕方ないだろ? 飯食っているときしか、お前と会話が成り立たないンだから」
フィリップの言葉に、ジニアスはムッとした顔をする。
「お前……完全に、飯を食いに来ているだろう?」
私は、このいつものお決まりのやり取りを聞き流し、紅茶を入れる。フィリップの言い分はある意味正しい。
ジニアスは実験に夢中になると、肝心な職務さえ忘れそうになるのだ。
「ご心配なさらずとも、最近はフィリップさまの分も計算して作っていますから」
足りないことはありませんよ、と、私がいうと、フィリップは嬉しそうに笑った。
「わ。じゃあ、これからは毎日、食べに来るね」
「……甘やかすな、コゼット」
ジニアスの口が不機嫌に歪む。
「大丈夫です。経費は、きちんとフィリップさまの方に請求しますから」
私がそう言うとフィリップは、ニヤリ、と笑った。
「じゃあ、堂々と来てもいいわけだ」
一連のやり取りが済むのを見計らって、私は、離れた位置にある自分用の執務机に自分の弁当を広げて食事を始める。
「うわっ、コゼットちゃん、これ、旨いわ」
「馬鹿っ! 二つまでだ! 二つ! きさまは算数ができないのか?」
フィリップとジニアスが、ピクルスを取り合っている。
「……フィリップさま、ご用件を。今日は、検視官がいらっしゃるので、時間はあまりないです」
私は、賑やかな二人を眺めながら、パンをかじる。
「ああ、そうそう。お前、趣味で『毛生え薬』作っているって本当か?」
「まだ、実験中だ。耳が早いな」
この監察魔術院は、十名の魔術士が勤めていて、二十四時間いつでも対応可能な魔術士が必ずいる。ゆえに交代勤務という建前だ。忙しいときに帰れないのは当たり前だが、そうでないときも、家に帰らずに、実験室でみんな好き勝手に研究しているのが現状だ。
事件にかかりきりになると、職場に泊まりこむこともおおいので、研究室の隣のこの控室は寝室も兼ねていて、奥にはジニアスのベッドもおいてある。ちなみに、助手が泊まり込むこともあるので、助手が使える寝部屋もある。ただし、助手の寝室は雑魚寝部屋。二段ベッドで、カーテンが引けるようにはなっているが、プライバシーはあまりない。
もっとも、そこに泊まるときは心身ボロボロ状態なので、プライバシーとか気にしたことはないけれど。
「……それ、回してくれ」
「まだ、完成していないし、これは、俺も頼まれて開発中の品だ」
私は自分のお弁当を食べ終えると、事務局にいって届いていた書簡をもってくる。そして軽くその書簡に目を通す。監察魔術士としての公務以外の書簡も多い。
「レキーエ大臣からパーティのお誘いと、デュラーヌ商会から新製品の開発依頼……それから、アレシア・カレドニさまから、私信が届いております」
「アレシア・カレドニ?」
ジニアスは首を傾げた。
「誰だっけ?」
「この前、おいでになったお嬢様ですよ? パイを差し入れてくださいました」
私の言葉に、ジニアスは「ああ」と言った。
「あの、甘かったるいアップルパイか」
ようやく思い出したらしく顔をしかめた。
「ああ、お前が珍しく僕に差し入れしていったヤツか。そっか。どうりで、コゼットちゃんの味じゃないと思った」
フィリップはふーんと、頷いた。
「ジニアスさま……私の作ったものならともかく、あのようなお嬢様にいただいたものを右から左へというようなことは、感心できません」
「そうだ。どーせなら、コゼットちゃんのやつがいい」
フィリップが私の言葉にかぶせたせいで、論点がずれる。
「フィリップさまは、黙って下さい」
私は、ピシャリとそう言った。
「かなりお金持ちのお嬢様のようですから、研究のスポンサー様になっていただく可能性だってありますし、そもそも、ジニアスさまの研究室のご様子を見た後で、お手紙を下さる……そんな奇特な女性、そうはいませんよ?」
「うるさいな」
ジニアスは不機嫌そうに眉をしかめた。
「……それで、何だって?」
「私信を読むほど、私、良識のない助手ではありません」
私は、強引にジニアスと手に、手紙を押し付けた。
ジニアスは面倒くさいのを隠そうともしないで、手紙を開いた。そしてそのまま、難しい顔で押し黙った。
「どうした?」
面白そうにのぞき込むフィリップに、ジニアスはヒョイと、それを投げるように渡した。
「へえ。ビジネスを兼ねてお茶会にご招待か。いいねえ」
ひゅーっと、フィリップは口笛を吹く。
「代わってやる」
ジニアスはとっても不機嫌である。
「どうしてですか? お綺麗なお嬢様だったじゃあないですか。ジニアスさまも、少しは身を固める努力をなさってください」
「うちのおふくろみたいなことを言うな」
「言いますよ。私の仕事は、監察魔術士ジニアスさまの助手としてのお仕事です。ジニアスさまの健康管理はジニアスさまのご家族となられる方がされるべきです」
私は、広げた弁当を片づけながらそう言った。
「コゼットちゃんは、ジニアスが結婚したほうがいいンだ?」
くすくすとフィリップがそう言った。
「当たり前です。フィリップさまもそうですが、おふたりとも社会的地位があるお方なのですから。良い奥様をもらうことも世間的には必要です」
私がそういうと。
「良い奥様なんぞ、いらん」
ジニアスは、ムッとしてそう呟く。
「……そういうわけにも、いかないでしょう?」
私は首をすくめて、ジニアスとフィリップに背を向ける。
「お返事は必ず出してくださいよ。特に女性の方へのお返事を失念されると、私の評価が下がって、私のお給金に響くのですから」
「そうなの?」
面白そうにフィリップが笑う。
「はい。私がジニアスさまにお手紙をお渡ししなかったと、あらぬ誤解を受けます。ジニアスさまはおモテになりますからね。女性の私が助手をしているということへのやっかみも多いのです」
「なるほどねー。コゼットちゃんも大変だね。だったら、僕の研究室においでよ」
フィリップがにっこりと笑う。
「フィリップさまの助手になったところで、同じことです」
私がそう言うと、フィリップは「残念」と呟いた。
「私はワイズナーさまとの打ち合わせの準備をしてまいりますので、よろしくお願いしますよ」
私は、書類をまとめて打ち合わせのための会議室の用意をするため、研究室を出た。
ふうっと大きく息を吐く。
優秀な助手であるために、ほんの少しだけ瞼を閉じる。
我が国ラセイトスには、王族はいない――いないが、国の決定機関である元老院は世襲制。貴族社会は、しっかりとそこに根付いている。
私は孤児である。
本来は、ジニアスやフィリップのような超エリートとは、一生会うこともないような身分の人間だ。
そして、私の『魔術抵抗』という才能は、目に見えて人に役立つことはほぼないため、魔術士の『助手』以上の出世は望むことはできない。
だから、私はこの職にしがみつく――胸の奥にある、甘くて苦い感情は、しっかりと蓋をして。
私は、会議室の鍵を事務局で借り受けた。
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