パーティ会場にて
朝。
職場についた私は、事務局に顔を出して書簡を受け取る。
長いことかかっていた例の呪いのコインの呪いをようやく解除することができ、私とジニアスは久しぶりに休暇を一日とった。
したがって、今日は、珍しく、職場に来ても、ジニアスはまだいない。
研究室に入ると、薬草などの材料や、備品のチェック。そしてスケジュール表の確認をする。
仕える魔術士によって、求められるものは違うが、おおむね、秘書兼雑用というのが、助手の仕事だ。
たいていは魔術士学校を出たばかりの人間が、国家認定試験を受かるまでの修行的意味合いが多い。既に七年も務めている私などは古株扱いだ。さらに私は魔術が使えないから、国家認定試験を受ける予定など全くないから出世する見込みはない。エリート街道の通過儀礼である他の助手さんと違って、私には、これ以上の仕事はないのだ。
窓をあけて、換気をする。潮のかおりがわずかに混じる風だ。私は空の青さに目を細めた。
十五年前。孤児院の人間を、魔術士が自らの実験の為に皆殺しにするという事件があった。当時十歳だった私は、かろうじて、術に抵抗して生き残った。その事件を担当した監察魔術士が、養父であるサネス・バーバニアンである。
養父、と言っても。サネスは当時、二十才。まだ家庭を持っていない状態であり、私は、サネスが当時下宿していた料理屋の女将さんに、育てられた……と言った方が、正しいのかもしれない。
魔術についての勉強は、サネスが教えてくれた。
残念ながら、八年の歳月が過ぎて、十八才になっても魔術はまったく使えなかったが、『目』と『抵抗』能力は一流であり、知識も助手として仕事をして問題ないレベルであるとサネスは判断したらしい。本来は狭き門であるはずのこの監察魔術院にゴリ押し状態で、私を自分の助手として就職させたのである。
ちなみに。現在、サネスは主席監察魔術士になって、結婚もして二児の父である。
私がジニアス付きになったのは、五年前。ジニアスはサネスの弟子であったから、九割がた、サネスの意向のもとに行われた人事であろう。
養父が、私の上司にジニアスを選んだわけはすぐにわかった。
ジニアスは優秀で、本来、助手など要らない人物なのだ。彼に必要なのは、魔術士の助手より、いわば秘書兼、侍女だ。つまり、魔術が使えない私でも勤めることが出来る。
ガチャリ。
扉を開く音がして、目をやると、ジニアスが入ってきた。
さすがに、お屋敷から通ってくる時のジニアスは、パリッとした服装で隙がない。
「おはようございます。ジニアスさま」
私は、今日のスケジュール表を持って、ジニアスを出迎えた。
「おはよう、コゼット」
ジニアスはニコリと笑う。ブラウンの瞳が優しげで、思わずドキリとする。私は慌てて目をそらした。
「今日は、一応、『非番』ということになっています。それから。夕刻から、レキーエ大臣主催のパーティですね」
私の言葉に、ジニアスは顔を曇らせた。
「パーティは好かん。事件でもおこるといいのだが」
事件が起これば、当然、欠席せねばならない。だが、事件を心待ちにするのは間違っている。
「物騒な発言はやめてください。今日は、国内外の財界人がいらっしゃるとうかがっております。ジニアスさまのご出世にもつながるパーティなのですから」
私は、ため息交じりにそう言った。
「……そんなに言うなら、コゼットも出ろ」
「これもお仕事なのですから、無茶を言わないでください」
駄々をこねるジニアスの気持ちもわからなくはない。ジニアスは、『政治』的な『社交』は苦手だ。
「無茶じゃない。パーティは、男女同伴は当たり前だ。招待されていなくても、俺が連れていけば、出席できる」
「それなら、どこかのご令嬢を誘うべきです」
私は深くため息をついた。
「なぜ? パーティに出るのが仕事なら、お前も出るべきだ」
ジニアスは、自分の導いた理論に頷いている。
ジニアスの兄は元老院の議員であり、ジニアス自身もエリートであるから、パーティにひとりでいくと、良家のお嬢様がたがおしよせる。それがきっと面倒なのであろう。
私は頭を振る。
「仕事で。助手の同伴で、本当によろしいので?」
後悔しても知りませんよ、と、私は念を押した。
「ああ。コゼットが行くなら、ちゃんと行く」
ジニアスはそう言って、満足そうに笑い、私は深くため息をついた。
レキーエ大臣の屋敷は、海に沈む夕日が見える丘にある。
近くには国会議事堂や迎賓館があり、国の重要施設が立ち並ぶような場所にあり、大臣の屋敷は、その中にあっても見劣りしない美しく大きな建物である。
馬車を降りた私とジニアスは、ゆっくりとパーティ会場へと向かう。
周りには、華やかな服装の紳士淑女。
そんな中、ジニアスと私は、黒い監察魔術士の正装である。女性用の正装はないため、サイズこそあっているものの、私は男装といっていい。フォーマルな場で浮くような服装ではないが、女性が着る服ではない。
もっとも、私はドレスなど持っていない――いや、一着だけ、養父の結婚式に出席する為に作ったドレスがあるが、もう五年も前の代物だ。五年もたてば、流行も変わる。無理して着たら、かえってジニアスに恥をかかせるだけであろう。
他の男女が腕を組んで歩いていく中、ジニアスから一歩下がった状態で彼についていく。
パーティ会場は魔道灯が灯され、きらびやかな男女が談笑していた。
テーブルの上には、美味しそうな食べ物。そして、優雅な音楽を奏でる楽団がいる。
「ジニアス……コゼットも来ていたのか」
「お
声をかけられて、そちらを見ると、サネスであった。サネスは燕尾服を着ている。隣にいるのは、その妻のアンナだ。美しい紺地のドレスを着て、ピタリと腕を組んでいて、仲の良さがうかがえた。
「もう。コゼットちゃん。パーティに来るなら、言ってくれれば、ドレスを用意したのに」
アンナは、そう言って口を膨らませた。養父の妻であるアンナは、私より五つ上で、とても優しい人だ。
サネスがなかなかアンナとの結婚に踏み切れなかったのは、養女の私がいたせいなのだが、彼女はそのことで私を恨んだりはしていないらしい。それどころか、妹のように私を可愛がってくれる。
「突然、決まったので。それに、私は仕事ですから」
「仕事?」
キョトンとしたアンナに、私は苦笑した。
「ジニアスさまが、お仕事の話をする間、お嬢さまがたをけん制するお仕事です」
「おい、コゼット」
ジニアスが、物言いたげに私を睨む。もっと婉曲に言え、ということなのだろう。
「ふーん。じゃあ、助手の仕事が終わったら、コゼットは私のところに来なさい」
「サネス先生?」
ジニアスは、不安げにサネスを見る。
サネスは、立場上ジニアスの上司でもあるし、恩師でもあるので、ジニアスとしては無視できない人間なのである。
「仕事で来たのに、他の女性から睨まれたらコゼットが可愛そうだ……それに、せっかくの機会だから、コゼットにも出会いを作ってやらねば」
にっこりとサネスが笑った。とても嬉しそうである。悪いことを思いついた、そんな風にも見える。
「お養父さん。私、出会いとかいらないです」
私は首を振った。
「ご令嬢がたくさんいらっしゃるのに、ドレスも着てない女を押し付けたら、そのひとが可愛そうです」
サネスは主席監察魔術士だから、断れない立場の人間は多いのだ。はっきりいって迷惑であろう。
「あら。ドレスを着ていなくても、コゼットちゃんは美人よ。見なさいよ。みんなこっちを見ているわ」
アンナが面白そうにそう言った。
それは、私の格好が珍しいからで、と言おうとしたら、ジニアスが突然私の腕をとった。
「行くぞ」
あまりに不機嫌な口調にびくりとする。サネスとアンナに一礼をして足早に歩き始めた。
なんだかとても怒っている。私が、サネスに告げ口しているようにみえたのだろうか。
ただでさえ、場違いな場所に来ていることもあって、私は逃げ出したくなってきた。
「仕事が終わったら、さっさと帰るから……勝手に離れるな」
ジニアスは、子供を引っ張るように私の腕を引く。
私は……振り返りながら、養父夫婦に頭を下げたのだった。
レキ―ナ大臣を始めたくさんの要人たちと会い、社交タイムを終えて。ジニアスはすぐに帰りたかったようだが、そうは問屋が卸さなかった。ジニアスに自分の娘を紹介したい要人がたくさんいたからである。
私はそっとジニアスから離れ、パーティ会場の壁際へと移動する。サネスとアンナは楽しそうにダンスに興じているようだ。
明るい魔道灯に照らしだされ、ジニアスのそばで、頬を染めている美しい女性の姿が目に入る。
私は、ふーっと静かに息をついた。あまりに世界が遠く感じた。
パーティ会場は、かなりの広さがある。天井には大きな魔道灯がとても明るく輝いて、まるで昼間のようだ。
私は、会場の隅にいくつか並べられている椅子にそっと腰を下ろした。
「こんばんは。可愛い監察魔術士さん」
不意に声をかけられて、顔を上げると、白い軍服が目に入った。
短めに刈り上げられたやや茶色っぽい金髪。緑色の瞳で、男性にしてはやや線が細いが端整な顔立ち。軍服を着ている割には、ほっそりしている。衿に青いラインがあるから、どうやら軍所属の魔術師であろう。
「今日は、お仕事ですか?」
にこやかに問いかけられて、私は返答に困った。
「僕は、海軍所属の、ブライアン・ラッセネクと申します。良かったら、お飲み物でもどうですか?」
「あ、いえ。おかまいなく……私は、魔術士ではなくて、ただの助手で、上司を待っているだけですから」
ペコリと頭を下げると、ブライアンは、私のそばにあった椅子に腰を下ろした。
「では、しばらく、話し相手になっていただいても?」
「はあ」
私は、意図がわからずに戸惑う。私がよほど気の毒そうに見えたのだろうか。
「私のことなら、お気になさらず。せっかくのパーティなのですから、お綺麗なご令嬢とお話なさったほうが」
「あなたは、ドレスを着ていなくても美しい」
聞き違いだろうか。呆けた私に微笑を浮かべながら、ブライアンは私の手を取って、手の甲にキスをした。
「え?」
何が起こったのか、わからなくて、辺りを見まわすと、不機嫌な顔をしたジニアスがこちらにやってくるのが見えた。
「あ、あの。私、これで失礼を」
慌てて立ち上がる。
「君、名前は?」
背中に声がかかるけど。私は、とりあえず一礼だけ返す。
「離れるなと言ったのに」
ジニアスは、私の手首を痛いくらいに握りしめ、引っ張るように会場を足早にさる。
いつになく、その表情は険しくて。
私は何も言えず、ただ、ついて行くことしかできなかった。
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