第9話 彼女が見た風景



 アルバートの小屋を辞した後、リョウはつづら折りの細い山道を登っていた。

 アリシアが山に入るのを見たと作業員から聞いて、探しに来たのだ。

 

(アリシアのやつ、よっぽどショックだったのかな。無理もないが……)


 リョウは、彼女の気持ちを憂えていた。


 母親の正体は旧文明人でした。

 発掘した旧文明の男は、実は母親の元カレでした。


 などと急に言われても、はいそうですかとは受け入れられないのは当然だろう。

 特に、スレたところのまったくないアリシアが、リョウに対して複雑な思いを持っても仕方がない。


(せっかく、仲良くなったのにな……)


 目覚めてずっと一緒にいて、さらには、魔物と戦ったことでお互いに親近感を覚えたところで、これである。


(……まあいい、とにかく彼女と話してからだ)


 頭を切り替えて、まだ解決していない別の懸案を考えることにする。



『リズ、さっきの話の続きだが、アリシアにお前の声が聞こえる原因は分かったか?』


 細い道をずんずんと登りながら、リズに尋ねた。


『ええ、だいたいね。旧文明人の遺伝子を持つことにより、アリシアの脳はもともとBICの電波を拾いやすくなってるのよ。BICは旧文明人の脳に合うように設計されてるから』

『でも、それだけじゃ理由にならないだろう。俺たちだって、他人のBICの声は聞こえないんだし』

『たぶん、魔道使いとしての修行により、種々の輻射波に対する感度が非常に上がっているんだと思うわ。ただ、完全には受信し切れてないから、『声がする』程度にしか交信を解読できないのよ』

『なるほどな。旧文明人の遺伝子を持つこと、魔道の修練を積むことの両方を満たしたアリシアにだけ聞こえるということか』


 そこで、一つ気がついた。


『それじゃ何だ? 波長を合わせて増幅すれば、BIC通信リンクみたいにアリシアとも交信できるのか?』


 BICを持つ者同士であれば、互いにリンクさせることにより遠距離通信も可能である。もし、アリシアの脳がBICの声を拾えるなら、同じことができるのではないかと思いついたのだった。


『そうね。こちらの送信時に波形を変えて出力を上げ、受信時にセンサー感度を上げれば、長距離は無理だけど、理論的には可能よ』

『へえ。それは、実験してみる価値はあるな』


 そして、それからしばらく歩くと、山の中腹にある開けた場所に出た。

 奥が崖になっており、そこに彼女が一人佇んでいるのを見つけた。

 安堵のため息をついて、彼女の方に歩いていく。


「こんなところにいたのかよ」

「え、あ、リョウ」


 背後から声をかけると、アリシアは振り返って、微かに表情を緩めた。

 いつも快活な彼女にしては、どことなく物憂げなのは気のせいではないだろう。


「……おお、ここはいい眺めだな」


 彼女の隣に立つと、崖からは遠くまでよく見渡せた。

 手前には発掘現場が一望でき、その奥には湖と山々が連なっている。

 

「ええ。私のお気に入りの場所なの。時々、ここに来るのよ」

「そうか……」

「……つい昨年までは、この崖の下まで湖水が来ていたらしいわ。それで、一年かけて少しずつ干上がっていったんだって。お父さんが言ってた」

「ほう、そんなに深かったんだな」


 遺跡の発掘現場はかなり下にある。つまり相当な深い湖の底にあったということだろう。それなら、リョウのカプセルを掘り出すのは不可能に見える。

 カレンが諦めたのも無理はない。


「それでね、私、気がついたの。遺跡が沈んでいるところを見渡せる場所は、ここしかないって」

「え」

「たぶん、お母さんはここからあなたのことを見守っていたのよ」

「そうか、ここから……」


 胸を突かれる思いで、改めて崖からの景色を見た。そして、湖水に満たされたところを想像する。

 今から30年前、どんな気持ちでカレンはここに立ち、どんな気持ちでこの光景を見たのだろう。

 おそらく、湖底の深さとリョウのカプセルがどこに埋まっているのかは、彼女のBICで特定できていたはずだ。

 ここから発掘現場まで、直線距離でたった2~300 メートルしかない。

 そんな近くにいる自分にたどり着けず、どれだけ歯がゆい思いで、そしてどれだけ絶望的な気持ちでここに立っていたのか、しかも3年の間、何度もここに来たと聞いている。その気持は察するに余りある。

 彼にとっては、一万年寝ていた事実よりも、カレンとすれ違った30年の方が、遥かに重く心にのしかかっていた。


(カレン……、肝心なときにずっと寝てて、すまなかったな……)


 不可抗力だったことは関係がなかった。彼女のそばにいてやれなかったことだけが、どうしても許せなかったのだ。


 ただ、一つだけ救いなのは、彼女はその後幸せな人生を歩んだということだ。

 それを思うだけで、すこし心が軽くなる。


(俺は、お前を幸せにはできなかったが、少なくとも、お前はいいヤツにめぐり逢い、いい娘を授かって幸せだったんだな)

(それが分かっただけでも、俺は……)

(カレン……)


「……」

「……ねえ、リョウ」


 しばらくの沈黙が続いた後、アリシアが口を開いた。


「ん?」


 物思いから引き戻される。


「……さっきはごめんなさい」

「いや、いいさ。というか、こちらこそすまなかった。もう少しうまくやりようがあったのにな。動揺して余裕がなくてよ」

「仕方がないわ」


 改めて、アリシアの横顔をみる。確かに、カレンの娘だと言われれば納得できる。

 ただ、自分からすると、カレンに最後に会ってからまだ十日も経っていないのに、彼女と同じくらいの歳の娘と話をするのが、とても不思議だった。


「……お母さんは、あなたをずっと待ってたのね」

「みたいだな。だが、それはもう30年も前だろう。俺のことを諦めてからは、ずっと親父さん一筋だったと思うぜ」

「そうね。お母さんの愛情は疑ったことはないわ。あなたにこんなこと言っては申し訳ないけど、お父さんを心の底から愛していたのは私も感じていたもの」

「ああ。単に、俺のことを思い切るのに3年かかったってことだろう。お前が生まれる頃には、俺のことなんて遠い昔のことになってたんだろうさ」


「……あなたは、どうなの? あなたにとっては、今の話よね?」


 聞きにくいことだったのか、少し間を置いて、アリシアが尋ねた。


「それが不思議なんだよな」


 さっきまでの物思いは横に置き、わざと軽く言ってみせる。


「よく考えればさ、結婚を考えてた彼女が、自分の知らないうちに他の男と結婚して、娘までいて、しかももう亡くなってるって、どんなに不幸なんだって話だろ」

「ええ」

「たぶん、直接振られたり、眼の前で死なれたなら、こんな程度で済むはずがないんだろうけど、カレンが親父さんと結婚したのが30年前で、亡くなったのも5年前で、みんなとっくに昔の出来事になっちまってるってのがな。娘もこんなデカくなってるしさ」

「まあ、そうね」


『デカく』という表現に苦笑いしながら、アリシアがうなづく。

 控えめながら笑顔を見せたことに勇気付けられ、リョウは続ける。


「悲しいのは間違いないが、実感が湧かないままここで過ごしているうちに、その事実に慣れてしまったって感じかな。寝てる間に一万年経ってたのがショックすぎて、それを受け入れるのに意識が集中してるってのもあるだろう」

「そう……」

「まあ、俺にとってはまだほんの数日前のことだから、本当ならもっと複雑な気持ちになるんだろうが、今更ゴネても、カレンもこの世にいない以上意味がないしな。ふっきれたというか、もう、どうしようもないという思いだな。それに、さっきアルバートに事の成り行きを聞いて、納得したし」

「そっか。それはよかった……って言っていいのかわからないけれど、あなたが納得できたのなら、私も安心したわ」


 アリシアも心なしか、少し気が晴れた様子に見える。

 そして、いつもの茶目っ気が戻ってきたのか、子供がいたずらする時のような目で言った。


「……でも、これで分かったわ。あなたが私を恋人と間違えた理由が。彼女さんと間違えて、寝ぼけてキスを迫るなんて、どんな目をしてるのかって思ったけど」

「そ、その節は失礼つかまつり……」

「ふふっ。冗談。もう、いいのよ。でも、私って、そんなにお母さんに似てる?」

「うぅ。いや、そうでもないな。両親のどちらと似てるかというと、母親似だとは思うがな。あのときは、まだカレンのことで頭がいっぱいだったし、お前のこともよく知らなかったしな。もう間違えないよ」

「そう。ならよかった」

「……」

「……」


 また二人は無言に戻って、眼下の風景に目をやるが、先程よりは心穏やかな沈黙だった。


「……そうだ、 ちょっと頼みたいことがあるんだが」

「何?」

「明日、ヴェルテ神殿に行こうと思ってるんだ。それで、よかったら一緒にきてくれないか。というか、親父さんがアリシアに案内させるって言ってくれたんだが、どうかな?」

「ロザリアを見に行くのね」

「ああ。いやなら無理にとは言わないが……お前が来てくれないと、リンツかエドモンドと行くことになるんだよな」

「いいじゃない、二人ともいい人よ」

「いや、もちろんいいやつなのは分かってるんだが、リンツはクソ真面目で、道中ずっと講義を聞かされそうだし、何より、エドモンドと俺じゃむさ苦しいだろ」


 その言い草に、アリシアはクスクスと愉快げな笑い声を漏らした。

 

「そうは思わないわよ。あなたも彼も男らしいとは思うけど」

「モノは言い様だな。まあ、でも、お前が来てくれるならそれが一番だよ」

「あら、気が強くてはねっかえりな娘の方がきっと大変よ。途中で他の二人の方がよかったなんて後悔しないでね」

「大丈夫だ。俺は、そういう性格は好きだからな」

「ふ、ふうん、変わってるのね」


 呆れたという言い方だったが、どこか嬉しそうな笑顔で、アリシアが答える。


「分かったわ。そんなふうに言ってくれるなら、ご一緒するわ」

「おお、それはよかった」

「そんなに喜んでくれるのは、光栄ね」


 彼女の笑顔を見て、リョウは安堵する。少し彼女の気が晴れたようだ。


(なんだか、明日が楽しみだな)


 そしてまた、自分も心躍る気分でいることに気がつくリョウであった。

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