第10話 リズの声
翌日の早朝、二人はヴェルテ神殿に向かって出発した。
発掘現場が山奥にあるため、
時間を正確に測るテクノロジーがないためあくまで概算だが、「馬なら往復しても半日程度」という彼らの言い方から、神殿がある首都アルティアまで2~3時間ほどの旅路と思われた。
山麓にあるとはいえ、フィンルート村自体もよほど人里離れた場所にあるらしい。村を出てからというもの、馬上から見えるものといえば見渡す限りの平原と丘陵地、それをうねるように続く街道、あとは時折、森と山、それに小川ぐらいのものである。
リョウにとって、ここは本来なら自分の住んでいた地域、言わば地元である。しかし、一万年の間に山や川、湖など地形そのものが大きく変わったらしく、全く見覚えがない風景が続いていた。
馬はよく飼いならされており、ほとんど手綱を操ることなくアリシアの馬に並んで進んでいる。
空は晴れ渡り、景色は美しく、発掘現場から出たことがなかったリョウにとっては、いい気分転換であった。
「……ということがあって、そのあといろいろ大変だったのよ」
「なるほどな。それはなかなか難儀な話だな」
「そうなのよ。それでね……」
アリシアは、楽しげに自分の幼い頃の失敗談を話している。
発掘現場からここまで、生まれ育ちや、小さい頃の思い出、自分の趣味など、お互いにさまざまな事を話した。
彼女は知的でユーモアもあり、リョウの話もとても熱心に純粋な興味を持って聞いてくれる。
特に彼女が聞きたがったのは、カレンについてであった。
さっきも、
『私、結婚する前のお母さんが何してたとか、家族構成とかほとんど知らないのよ』
と言われて、カレンにはキースという兄がいたこと、そして、彼はリョウより一歳上だが二人は親友であったことを話すと、とても驚いたようだった。
『じゃあ、私には叔父がいたってこと? 知らなかったわ』
『まあ、一万年ほど昔の話だけどな』
『リョウったらまたそんなこと言って……』
アリシアが朗らかに笑う。それを彼は眩しく見つめたのだった。
こうして、リョウは、発掘現場ではあまり話さなかったプライベートの話もして、ますますアリシアとの距離が縮まった気がした。
(こんな楽しくていいのかな)
こんな気持ちになったのは、目覚めてから初めてである。
リョウは、ふと、楽しげに微笑む彼女の横顔を見つめた。
(やっぱり、惹かれてるんだろうな……)
彼女といると、なぜこんなに楽しいのか、そして、なぜ気分が高揚し、胸が高鳴るのかを考えた時、結論はこれしかなかった。
カレンのことを完全に忘れられたわけではないとは思う。ただ、もう自分はそれを受け入れてしまって、前を向いているのだと感じる。
このところ、すっかり指輪を触ることもなくなった。
ただ、問題が一つあった。
アリシアがカレンの忘れ形見だということだ。
自分が好意を寄せていると知ったら、アリシアは何と言うだろうか。
母親とうまく行かなかったから、代わりに自分に手を出す。
こんなふうに思われたくはなかった。
無論、リョウにはそんなつもりは微塵もない。アリシアがカレンの娘でなくても同じ気持ちを持っただろう。というより、カレンの娘だと分かる前から好感をもっていたのだ。問題は、彼女がどう受け取るかである。
しかも、彼女の目の前で一度、カレンと見間違えてキスを迫るという失態を犯している。
(はあ、どうしたものか……)
彼女自身の気持ちは分からないが、少なくとも気が合うぐらいは思ってくれていると思う。リョウとて朴念仁ではない。ある程度の好意を感じてくれているのは間違いない。
ただ、自分と同じ気持ちでいてくれるのかも、そもそも、この気持ちを彼女に持ち続けていいのかもわからなかった。
不思議な
「それでね、私、もう驚いちゃって……」
「……」
「ねえ、リョウったら、聞いてる?」
「え、ああ、聞いてるよ」
我に返ると、アリシアが頬を膨らましてこちらを見ているのに気がついた。
「ウソ、上の空だったじゃない。あ、分かった! また、私の顔を見てお母さんのことを思い出してたのね」
「いやいやいや、とんでもないって」
アリシアにとっては当然の、そして、リョウにとっては最も都合の悪い話の流れになりそうなのを焦って止める。
「じゃあ、何よ?」
「お、お前のことを考えてたんだ」
「えっ? 私?」
「あ、ほ、ほら、お前とこうやって一緒にいるってのが不思議でさ」
思わず本当のことを答えてしまい、慌てて取り繕う。
「どういうこと?」
「お、俺は一万年前の人間だから、本当なら、会えるはずがなかったわけだろ。それって、すごい話じゃないか」
「確かに、そうね」
「でも、それだけじゃない。湖が干上がるのがあと数年ずれてても、こんな風には会えてなかったはずだ。それに、カレンだってそうだ。あいつが目覚めるのがもう少し早いか遅ければ、親父さんとも結婚してなかったかもしれないよな。それなら、お前も生まれていなかったってことになる。だから、いろんなことが、これしかないってタイミングで起こったからこそ、俺たちはこうして一緒にいるというわけだ」
「なるほど、本当にそうよね……。じゃあ、運命に感謝してよね。おかげで私と会えたんだから」
冗談めかして、自慢げに言う。
「その通りだな」
リョウが深く頷くのを見て、アリシアが頬を染めた。
「え、ちょっと、やだ、冗談だったんだからそんな素直にうなずかないでよ。恥ずかしいじゃない」
「いや、本当にそう思ってるぜ。お前のおかげで、この時代も悪くないって思えるようになったしな」
「……そう? そう言ってもらえると嬉しいけど、なんだか照れちゃうわね」
はにかむアリシアを見て、急に自分も気恥ずかしく感じたリョウは、話題をそらした。
「あ、そ、そう言えばさ、前に俺の使い魔の声が聞こえるって言ってたろ?」
「ええ」
「色々しらべてみたが、原因が分かったぜ。お前がカレンの血を引いてるからだ」
「どういうこと?」
リョウは、昨日のリズの仮説を、できるだけ科学用語を使わずに噛み砕いて説明した。
アリシアがカレンのDNAを受け継いでいること。
そして、魔道の修練を積んでリズの声が聞こえやすくなっていること、である。
「そうだったのね」
「それでさ、ちょっと、実験してみたいことがあったんだ。いいかな」
「なになに?」
『実験』という言葉に、興味を引かれたように目を輝かせる。
アリシアもまた知的好奇心が旺盛なのがよく分かる。
それもまた、彼女の魅力の1つだとリョウは思っていた。
「いや、お前はじっとしててくれればいいんだ。じゃあ行くぞ」
『リズ、アリシアへの送信準備を頼む』
『了解。波形を変調。出力250%で送波準備完了。いいわよ』
アリシアは、ワクワクした気持ちを抑えかねるような表情で、何かが起こるのを待っている。
リョウは、これから行うことが、いかに彼女を驚かせるかと思うと楽しくなって、ニヤけるのを我慢しつつ念じた。
『アリシア、聞こえるか? 驚いて腰抜かすなよ』
その効果は抜群だった。
「きゃあっ」
アリシアが、驚きのあまりビクッと体を震わせ、叫び声を上げたのだ。
そして、唖然とした表情でリョウを見つめる。
馬も驚いたのか、不満げにブルルと顔を振った。
「どうした。そんなに驚いて。何かあったのか?」
アリシアの反応に満足し、リョウは満面の笑みを浮かべる。
「い、今の、も、もしかしてあなたがやったの?」
「ははは。驚いたか?」
「いきなり、頭の中にあなたの声が鳴り響けば、もちろん驚くわよ......。それに、あなたが魔道を使えるなんて知らなかったし……」
まだ驚きから立ち直れないような、唖然とした表情でアリシアが言った。
「え、これが魔道なのか?」
「ええ、『遠話』って言って遠くの人たちと会話ができる術よ。私は使えないけど」
「へえ、そうなのか」
(そう言えば、『充分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない』って大昔の作家か誰かが言ってたな)
自分にとっては日常的な科学技術でも、彼女には魔道に見えるのだろう。
「ねえ、それって、あなたの使い魔のおかげ?」
「まあ、そうだな。俺は『リズ』って呼んでるけど」
「へえ、すごいわねえ」
「ふふ。じゃあ、今度はアリシアが念じてみてくれ」
「え、でも、私は遠話はできないわよ」
「いいんだ。リズにお前の声を拾わせるから。とりあえず、何か念じてみてくれ」
「わかった、やってみる」
そう言ってアリシアは何かを念じるようにじっとリョウを見つめた。
『リズ、どうだ? アリシアの信号波を拾えるか?』
『感知はできるけど、微弱すぎて解読できないわね』
「ダメかしら?」
アリシアが心配そうに尋ねた。
「ちょっと、念が弱いみたいだな」
「そっか……」
「いや、まてよ。呪文を発動するみたいな感じでやってみてくれないか」
リズの報告では、呪文発動時に強力な輻射複合波が発生すると言っていた。それに合わせて念を乗せればいいのではないかと考えたのだ。
「え?」
「呪文を発動する時、すごく大きな力が発生するんだ。それに合わせて念じてみてくれ」
「わかった」
アリシアは、目を閉じ集中する仕草を見せる。
その瞬間、アリシアの声が頭に響いてきた。
『もう、いきなり驚かさないでよ! 馬から落ちそうになったじゃない』
『ははは、それはすまなかったな』
リョウが念じ返した。
「すごいわ!」
目を開けて、心の底から感心した様子でアリシアが言った。
「これなら、もしかして他の呪文を使えるようになれるかもしれないわね」
「え?」
「だって、遠話が使えるんだから、他の呪文も使えるんじゃないかしら」
「おお、それはすごいな。それなら教えてくれよ、魔道ってやつをよ」
「いいわよ。じゃあ、ちょっと休憩がてらに、いろいろ実験してみましょうよ。私、楽しくなってきちゃった」
嬉しそうなアリシアの笑顔を、眩しく感じるリョウだった。
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