第8話 伝言
「実は、カレンが旧文明人だと知ったのは、もう結婚して何年もたった後、しかも亡くなる直前だったのだよ」
「……」
アルバートの口からカレンの名前が出てくることに驚きを感じつつ、リョウは黙ってうなづいた。そして、ただじっと彼の語りに聞き入った。
およそ30年前。
アルバートは、駆け出しの考古学者として、旧文明遺跡を訪れては調査をしていた。
ある日、とある小さな遺跡を訪れたとき、一人の若い女性が祈りを捧げているのを見つけた。そこは遺跡といっても、ほとんど何も残されていない、柱や壁の一部だけだった。
話しかけると、娘は名前をカレンといい、身よりもない天涯孤独の身の上で、近くの修道院に住んでいると言った。
その後もそこで何度も見かけるうちに仲良くなり、アルバートはカレンに恋心を抱くようになった。しかし、カレンはそんなアルバートの気持ちに応えようとはしなかった。
「自分には、想い人がいる。今は会えないけど、きっと会える日が来る。だから、ごめんなさい。そう言って、彼女は私の求婚をずっと拒否し続けたよ。無論、その想い人とは君のことだ。後になって聞いたのだが、カレンはこの遺跡に君が生きて眠っているのを知っていたそうだ。ところが、当時、というか、つい最近まで、この辺り一帯は湖の底だったのだよ。だから君の居場所が分かっていても、彼女にはどうすることもできなかった」
「……」
「彼女はよくこの地に来ては、なんとか遺跡を掘り出して、君を助け出したいと思っていたそうだ。そして、それから3年の間、彼女は君に会いたい一心で、一人で手を尽くし、待ち続けた。だが、もうこの時代の科学力ではどうすることもできないと悟り、自分の人生を歩むことを決め、私の求婚を受け入れてくれたのだよ。今思えば、彼女にとっては、身を切るような決断だったと思う。君が亡くなったわけではなく、行方不明でもなく、いわばすぐそばにいて眠っているだけなのだからね」
「カレン……」
リョウは思わず目頭を押さえてうなだれた。
自分を掘り起こそうとしていた期間、彼女がどんな思いでこの世界で生きていたのかを考えると、胸が張り裂けそうになる。
プロポーズしようと決めたとき、どんなことがあっても彼女を守り、残りの人生をともに過ごすと心に誓ったではないか。それがこのザマだ。
しかも自分はそばで寝ていただけという事実が後悔の念を強くする。
悔やんでも悔やみきれないやるせなさにリョウの心は苛まれた。
そしてまた、これほど運命に弄ばれたと感じたこともないだろう。
ともに一万年を超える眠りについたのに、最後の最後でタイミングがずれた。
あと30年この湖が干上がるのが早ければ、あるいは、あと30年彼女が目覚めるのが遅れれば、二人はこの世界で再会できたはずなのだ。それはどれほど素晴らしいことだっただろう。
割合にして1000分の3。
たったこれだけの差が二人の人生を取り返しのつかないものにしてしまったのだ。
「リョウ……」
「……すまない。続けてくれ」
「……」
リョウは拳で目をこすると、顔を上げた。
アルバートは、気を遣ったのだろう余計な慰めもせず、淡々と話し続ける。
「……それから、私たちは結婚し、やがて、アリシアも生まれ、幸せな人生を歩んできた。ところが、今から5年ほど前のことだ。カレンは流行病にかかってね。数ヶ月の間は、寝たり起きたりが続き、最後は私とアリシアに見守られて、眠るように息を引き取った……」
アルバートは、感情を押し殺すかのように、言葉に詰まる。
その様子を見てリョウは悟った。
彼もまた、カレンを愛し、失った男なのだ。
「……そして、亡くなる少し前にカレンが、私にだけ自分の本当のことを教えてくれたのだよ。とは言っても、今話したこと以外に詳しいことは聞いていない。彼女が旧文明人であること、私たちが出会った遺跡が彼女の実家だったこと、そして、この地に巨大な遺跡とともに君が眠っていることも、そのときに聞いたのだ。ただ、最後に頼まれたことがあった。それは、君のことだよ。もし、将来何らかの天変地異で、この遺跡が発掘可能になったときには、リョウ、君を助けてほしいと」
「……そうか。それで、俺の名前を聞いて驚いたんだな」
初対面の時、アルバートの様子がぎこちなかった理由が、これで腑に落ちた。
「ああ。カレンがあれほど気にかけていた男性が君だったのかと思ってね」
「そうか……」
「カレンが亡くなった後も、私は時々様子を見に、まだ湖に沈んでいたこの場所を訪れた。もちろん考古学者として、新しい遺跡を発掘したいという気持ちもあった。だが、それよりも、妻との約束を果たしたい気持ちが強かったんだよ。そして、天の配剤か、それから数年経ってこの近くの火山活動が活発になってね。そのせいで、地震が起きたり地盤沈下が起きたりして、湖水が徐々に引き、遺跡の一部が露出した。そのおかげで私たちは君を掘り起こすことができたというわけだ。……これが全てだよ」
アルバートは静かに語り終えると、肩の荷が下りたように息をついた。
「……そうか。そういうことだったのか」
リョウは、何度か言われたことを反芻し、納得してソファに持たれた。
少しの沈黙の後、アルバートがリョウに話しかけた。
「……リョウ」
「なんだ」
「実は、カレンから君への伝言を預かっている」
「何だと、伝言?」
背もたれから体を起こす。
だが、アルバートは、すこし申し訳なさそうに表情を緩めた。
「ああ。とはいっても、きわめて短いものだ。あまり期待しないでくれ」
「構わない、教えてくれ。あいつは何と?」
「『もしあなたが、この世界に目覚めたなら、墓参りに来てほしい』と」
「それだけか?」
「残念ながら、これだけだ」
「……そうか。確かにそれは、あっさりしてるな」
すこし拍子抜けして、肩を落とす。
もっと、何か感動的な言葉だと思ったのだ。
「私も、もう少し何か思い出に残ることとか、気持ちを直接伝えるようなことでも残したらどうかと言ったんだがね。あるいは、私に気兼ねがあるなら、手紙を渡してもいいとも言ったのだが、それだけ伝えればいいとのことだった」
「……ま、仕方ないさ」
リョウは、軽く肩をすくめてみせたが、ショックではあった。彼女の気持ちが離れてしまっているということを突きつけられた気がしたのだ。
だが、同時にそれもやむを得ないと思う。
何しろ、当時の彼女にとって自分は25年も前の男だったのだ。むしろ、そんな大昔の男に伝言を残してくれるだけでも、ありがたいのかもしれない。それでも、どことなく彼女らしくないという気持ちになるのは、きっと未練なのだろう。
「彼女の墓は、私の家の裏庭にある。この発掘のかたが付いたら、ぜひ来てほしい」
「ああ。わかった。必ず行くよ」
「……」
「……」
暫くの間、ややぎこちない沈黙が二人の間に流れた後、アルバートが思い切ったように口を開いた。
「……一つ君に、お願いがあるんだが」
「何だ、改まって?」
「本来なら私が口にすべきことではないのかもしれない」
「構わないから言ってくれよ」
少し躊躇した後、アルバートが苦衷の表情で言った。
「……どうかカレンを恨まないでやってほしい」
「どういうことだ?」
「彼女が君を諦めて私と結婚したのは、私が何度も求婚したからだ。私をいくら恨んでくれても構わない。だが、妻だけは許してやってくれ」
「おいおい、何を言い出すかと思ったら……」
リョウは苦笑した。同時に、自分が『昔の男』、言い換えれば『選ばれなかった男』にしか過ぎないことを痛切に思い知らされる。彼女を亡くしたのとは異なる痛みが心に刺さった。
「恨むなんてとんでもない。むしろ、俺はあいつに申し訳なくて仕方がないくらいなんだ。そばにいてやらないといけないときに、ずっと寝てただけだからな。あんたに対しても同じだ、アルバート。だが、そういうことなら、俺も一つだけ、失礼を承知で聞かせてもらいたいことがある」
「ああ、なんでも聞いてくれ」
「……カレンはあんたと一緒になって本当に幸せだったのか?」
リョウは、まっすぐにアルバートの目を見た。
アルバートも同じように、真摯な表情で見つめ、そして力強く頷いた。
「幸せだった。彼女も何度もそう言ってくれたし、言葉だけでなく私もそれは感じていた。私の思い込みではないと思う」
それを聞いてリョウは肩の力を抜き、一つ息をついた。
「……そうか。ならいい。それなら、俺はあんたを恨むことなんて何もないさ。むしろ、俺の代わりにあんたが彼女を救ってくれたんだからな」
「リョウ……」
そのときだった、入り口のそばで、カタンと物音がしたのだ。
「誰かそこにいるのか?」
アルバートが声を上げる。
幾ばくかの間が流れた後、ためらうように入り口に姿を見せたのは、アリシアだった。
「アリシア、聞いてたのか……」
アルバートが絶句した。
「ご、ごめんなさい。私、リョウがきっとお母さんのことを知ってるって、それで、お父さんのところに聞きに来るはずだって思って。私も、お母さんのこと知りたかったし……」
「すまなかった。アリシア。お前にはいずれ伝えるつもりだったんだが」
「それはいいの。で、でも、リョウがお母さんの想い人だったなんて……、私、私……ごめんさない……」
それ以上、感情を抑えておけないかのように、アリシアは手で口を覆って、そのまま駆け出していった。
「アリシア」
慌てて、リョウが腰を浮かすが、アルバートが止めた。
「待て、リョウ。一人にしてやってくれ」
「しかし……」
「無論、母親の正体を知って驚いたというのもあるだろうが、それだけではないように思える」
「どういうことだ?」
「それは、私から言わないほうがいいだろう。ただ、一人で考えたいこともあるはずだ。今はそっとしてやってくれ」
「まあ、あんたがそう言うならいいが」
リョウはソファにかけなおす。
そして、もう一つ気にかかっていたことを尋ねた。
「……ところで、話は変わるが、カレンは、なぜ一万年も眠ることになったのか言っていたかい?」
「どういうことだ?」
「どうも分からないことがあってな」
リョウは、なぜ自分が一万年も起こされなかったのか、その疑念についてアルバートに説明した。
「なるほど、確かに君の言う通り、何か世界を変えてしまうことが起きたのは間違いなさそうだな」
「ああ。俺は、それを知りたいと思ってるんだ」
「だが、カレンは私に出会う前のことはほとんど何も話さなかったんだよ。辛いことがあったからと聞いている。それで、私も深く聞かずにそっとしておこうと思ったのだ。だから、私は詳しいことは何も聞いてないのだよ」
「そうか……」
「……そうだ、手掛かりならヴェルテ神殿に行けば、何か分かるかもしれん」
しばらくあって、アルバートが励ますようにリョウに言った。
「ヴェルテ神殿?」
「ああ。旧文明から遣わされたと信じられている神の使いが祀られている神殿だよ。首都アルティアにある」
「そういえば、俺が目覚めたことを『伝説の再現だ』と言ってたと思うが、そのことか」
「そうだ。一千年前の話だが、君と同じように、旧文明遺跡から棺が発掘されてな、中には女性が眠っていたのだ。その女性はロザリアといい、目覚めたときには神の言葉を話し、誰も理解できなかったのだが、すぐに人間の言葉を話し出した。それが、ちょうど君の現れ方と同じだったから私たちも驚いたのだ」
「……なるほど」
(千年前の伝説か……)
おそらく、その『ロザリア』も自分と同じようにコールドスリープで眠りにつき、この時代に目覚めたのだろう。だが、流石に千年も昔の伝説程度の話では、手がかりをつかむのが望み薄かとがっかりしたところに、アルバートが意外なことを言った。
「不思議なことだが、今でもロザリアは眠った状態なのだよ」
「えっ?」
リョウは、驚いて視線をアルバートに戻す。
「もう一千年も経つのに、完全に眠った状態というか、いや、息もしていないので単に眠っているわけではないのだろうが、そのかわり肉体も朽ちず白骨化もしないので、死んでいるわけではないと考えられているんだ」
「ロザリアは、棺の中に戻されているのか?」
リョウは、彼らがコールドスリープカプセルを死者を収容する棺と勘違いしていたのを知っていた。そして、カプセルに戻されたのであれば、仮死状態のまま千年経過することも十分に考えられる。何と言っても自分は一万年眠っていたのだから。しかし、アルバートの言葉は予想に反したものだった。
「いや。棺の外に出されて、祭壇の上に寝かされた状態だよ」
「それは……」
(一体どういうことだろう……)
いかに自分の文明が高度なものでも、そのような状態で一千年も朽ち果てずにいるのは不可能だ。リョウは、興味をそそられた。
「おやっさん」
「何かね」
「その神殿に行っても構わないか? 自分の目で見てみたい」
「……わかった。それでは、アリシアを連れて行ってやってくれ。案内が必要だろう」
「それは助かるが、あの様子じゃ一緒に来てくれるか不安だな」
リョウが、母親の昔の男であると分かった今、自分に対して複雑な感情を抱いていてもおかしくはない。しかも、先程はやや取り乱した様子だったのだ。
「おそらく君が心配することはないと思うが、もし、まだショックを受けているようなら、すこし励ましてやってくれ」
「ああ」
「また何か分かったら、ぜひ教えてくれ」
「分かった。ありがとう」
お互いに言いたいことを言い合ったためか、最初に感じられたぎこちなさやわだかまりはもうなかった。
二人は立ち上がり、自然と握手を交わすのだった。
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