第7話 過去の行方

 アルバートやガイウスなど、魔道使用者数人に簡単な聞き取り調査をした後、リョウは一人、小屋に戻った。 


 ソファに腰を下ろして、リズに命じる。


『魔道について分かったことをまとめてくれ』

『そうね。まず、魔道使用者に共通した身体的特徴があることが分かったわ。この時代の一般人よりも右脳、特に側頭葉の一部と、左脳側の言語中枢部分が著しく発達しているの』


『ほう』


 興味をそそられ、身を乗り出す。やはり魔道とはいえ、科学的な根拠があるのだ。


『それと、彼らが魔道を使用する際、様々な輻射波が、高出力かつ複雑に組み合わされた状態で脳内から放射されるのが観測できたわ。この複合波、ここでは仮に『オミクロン輻射複合波動』、略してオミクロン波と呼ぶけど、それが発動する呪文の力を変化させているみたい』


『……ってことは、オミクロン波が魔道の正体なのか?』

『厳密にはそうじゃないのよ』

『どういうことだ?』

『オミクロン波自体は、彼らのいうマナという物質を魔道エネルギーに変える単なる媒体ね。媒体が変われば出力される力も変わるというわけよ』


 アルバートの話だと、魔道を発動するにはマナが必要とのことだった。


『なるほど。では、マナについてはどうだ?』

『そのことなんだけど、ちょっと問題があってね……』


 リズにしては珍しく言いにくそうにする。


『どうした?』

『全然分析できないのよ』

『未知の物質ってことか?』

『ううん。たとえ、未知の物質だろうとなんだろうと、分子構造とか基本性質ぐらいは分かるでしょ。単にこれまで見たことないってだけで。でも、このマナは、目に見えないどころかセンサーが存在すら感知できないのよ』

『それは奇妙な話だな。だが、感知できないのに、存在が分かるのか?』


 その問いを予想していたのか、リズの答えは明快だった。


『間接的に分かるわよ。彼らの血液中に、マナと思われる小さな気泡みたいな固まりが流れてるんだけど、その中にどんな気体も検出できないのよ。センサー上は、分子一つすらない完全な真空なの。でも、本当に真空なら血液の圧力に潰されて空間が残るわけないじゃない? だから、考えられるのは、センサーが存在すら感知できないものがそこにあるってことなのよ』

『透明人間みたいな物質ってことか』

『そうね。透明人間ってのは光が透過して光学的に見えないだけなんだけど、この物質は赤外線、紫外線、X線、電波とかありとあらゆる電磁放射を透過してしまうのよ。少なくとも分析するためには、こちらが放ったものを反射するか、せめて吸収してくれないとだめなんだけど、透過させてしまうから、あることすらわからないのよね』

『ふーむ……』


 リョウは、顎に手をやり、思考を巡らせた。


『……だが、そんなものがこの世に存在するのか?』

『あるわよ、って言ってもはっきり分かってるじゃないけど。あんたも名前くらいは聞いたことあるでしょ。暗黒物質ダークマターよ』

『なんだと?』


 確かに、ダークマターなら、リズが分析できないことも腑に落ちる。だが、あまりに荒唐無稽のように思えた。


『それでね、あたしのカンだと、オミクロン波を媒体として、それをダークエネルギーに変換していると思われるわ』


『……』


 ダークマターとダークエナジーは200年ほど前から提唱されてはいるものの、未だに何かがはっきり分かっていない。理論上あるはず、あるいは、ないと宇宙の様々な現象が説明できないという類のもので、間接的に存在が確認されているだけに過ぎない。


 それなのに、この世界では体内に取り込み、ダークエネルギーに変換して自由に使いこなしている。もしそれが事実なら、文明として相当な進化と言えよう。


『とんでもない話だな。しかし、そんなことが可能なのか……?』


『まあ、可能も何も、この人達はやっちゃってるからねえ。それに、生命の正体は極微量のダークエネルギーであるという仮説は、あんたの時代でもあったでしょ。もしそうなら、人間が体内にダークエネルギーとダークマターを保有していてもそれほど不思議ではないわね』

『ふーん。なるほどねえ』



 リョウはリズの調査結果にひとまず納得して、しばらく思索にふけっていると、扉がノックされアリシアが入ってきた。

 彼女にいろいろと話を聞きながら、遺伝子や脳波などを調べようと思っていたのだ。



「リョウ、来たわよ」

「おう、忙しいところ、すまないな。そこに座ってくれ」

「ええ」


 アリシアは向かいのソファに腰掛けた。


「早速だが、いくつか聞きたいことがあるから質問させてもらうぜ。それと、体を調べさせてもらっていいか?」

「えっ、どういうこと?」


 サッと頬を桜色に染めて、ブラウスの胸元を押さえ身構えた。

 その瞬間、どんな意味で取られたのか察して、リョウは狼狽した。


「え、あ、ち、違うって。そんな意味じゃなくってだな……」

「私、恥ずかしいんだけど……」

「ま、待ってくれ、誤解だ、ちょっと、ここから見るだけなんだ」


 自分の機転の利かなさを呪いつつ、必死に弁解する。


「ちょっと見るだけ……」

「うわああ、違うって……。その、ほら、科学的な身体検査……じゃない、分析だよ、分析」

「……」


 ジト目で見られて、リョウはうろたえた。


「全部濡れ衣だって……。わ、分かった、それなら、ほら、俺は後ろを向いているから。これならどうだ?」


 アリシアに背を向けて、ソファーにあぐらをかいた。


「えっ」


 意外だったのか、アリシアが驚いた顔になる。


「ほんとにそれでいいの?」

「ああ、もちろんだとも」


 リョウの視覚はリズと連動しているが、DNAや脳の分析であればどちらにせよ視覚は必要ない。リズのセンサーに任せるだけだ。


 ため息を漏らして、アリシアがつぶやいた。


「別にイヤって言ってるわけじゃないのに、背を向けなくてもいいじゃない……」

「え?」

「ううん、なんでもない。それなら構わないわ。私はじっとしていればいいのね?」

「あ、ああ。そのままでいてくれ」


『リズ。アリシアの遺伝子解析から頼む』


 冷や汗をかきながら、リズに命じる。

 すでに、アルバートたちの遺伝子や脳の構造なども調べさせてある。アリシアの検査が済んだら、比較分析をしようと考えていたのだった。


『了解。でも、それだけでいいの? スリーサイズとか体重とかも測ってあげようか?』

『ぶっ。頼むからやめてくれ。これ以上、俺の信用をなくしたくない』

『そう? ならいいけど』


「ねえ、リョウ」


 絶妙なタイミングで背後から話しかけられ、リョウは飛び上がった。


「は、はひ?」

「前から気になってたんだけど、誰としゃべってるの?」

「えっ?」


 リョウは、不意を突かれて思わず振り返る。

 その反応に、やや慌てたようにアリシアが説明した。


「あ、いえ、あのね、何か時々、声みたいな音が聞こえるから。今もちょっと聞こえたし……」


(まさか、リズとの交信が聞こえているのか………)


 BICとの交信が聞こえるなど、通常はあり得ないことだったが、アリシアたち魔道使いは、脳の発達が他者とは異なるという、先の分析を思い出した。


「どんな声が聞こえるんだ?」


 もう後ろを向いて話していられない。アリシアの方に身を乗り出して尋ねた。


「何を言ってるのかは聞き取れないんだけど、女性らしい声が、あなたと何か話してるような感じかしら……」

「そうなのか? 他の人にも聞こえてるのか」

「ううん。みんなに聞いてみたけど、聞こえてないみたいだったわ」


(それは、おかしいな……)


 魔道使いの脳の発達には違いがないはずだ。アリシアに聞こえているならそれ以外の者たちにも聞こえているはずだと思ったのだ。


「じゃあ、これはどうだ?」


 そう言って、リズに対して指示を念じる。


『リズ、アリシアの脳をスキャンしろ。あと脳波もチェックしてくれ。どうして彼女だけにお前の声が聞こえるのか調査しろ』

『了解。生身の人間にあたしの声が聞こえるなんて、ちょっと驚きだわね』

『全くだ』


「うん、聞こえた……」

「そうか……。まあ、別に隠していたわけじゃないんだが、なんて説明したらいいのか、お前が聞こえたっていうのは、俺の助手みたいなもので、俺の頭の中にいるんだ」


 ちょっと胡散臭い説明だったかとリョウは心配したが、彼女の表情がほころんだ。


「へえっ、そうなの? それって、使い魔とか守護霊みたいなものかしら」

「そうだな、そう考えてくれてもいい。それで、俺の代わりにいろいろやってくれるんだ」

「そうだったの。それは便利ねえ」


 これで謎が解けたという表情で、アリシアが感心する。

 どうやらこの時代では、納得できる話だったらしい。

 そのとき、リズの声が脳に響いた。


『とりあえず、この子のDNA解析が済んだわよ』


 アリシアが「あ、また」という顔でリョウを見て、手で「どうぞ」と合図をする。


(ホントに聞こえてるんだな)


 リョウは苦笑いでリズに命じる。


『報告しろ』

『分析の結果、アリシアには遺伝子に他者と異なる特徴が発見されたわ』

『ん? どんな特徴だ?』


 リズに尋ねながら、とりあえずもう前を向いていても大丈夫そうだと、ソファの背にもたれかかる。おそらく遺伝子のちょっとした変異程度の話だろうとたかをくくっていたため、次のリズの返答には全く心の準備が出来ておらず、完全に不意を突かれることになった。


『ええとね。アリシアの母親は、あんたと同じ一万年前の人間、いわゆる「旧文明人」ね』


『な、何だと!?』


 リョウはもたれたばかりのソファの背からバネ仕掛けのように体を起こし、思わず声に出しそうになるのを慌てて押さえる。


『おふくろさんがオレと同じ時代の人間? ど、どういうことだ?』

『遺伝子解析によると、アリシアはこの時代の父親と、一万年前に生存していた旧文明人の母親の間に生まれた子よ』

『そんな、まさか……』


 この事実に、リョウは唖然となって、アリシアを見つめた。


 何の話か分かっていないアリシアは、リョウが急に身を起こしたのを見てすこし驚いたようだが、にっこり笑いかける。


 リョウも、なんとか不自然にならないように微笑みを返したが、頭の中では今聞いた情報を咀嚼することで精一杯だった。


『……ということは、俺以外にもこの時代に目覚めたヤツがいるってことか』

『確率的には、そういうことになるわね』


 アルバートが、タイムトラベルで一万年前に行き、アリシアが生まれてからこの時代に連れてきたなどとは思えない。となれば、自分と同じように、旧文明人の母親がこの時代に目覚めてアルバートと出会い、アリシアを産んだと考える方が自然である。

 そして、あの日、自分と同じようにコールドスリープカプセルで眠っていた人間がいても不思議ではないのだ。


『それでね、リョウ。もう一つ、重大な発見があるの』

『……何だ?』


 物思いから引き戻される。


『ちょっと言いにくいんだけど……』

『どうした? 構わないから言ってくれ』

『そう? なら言うけど、DNAの比較検査をしたら、アリシアの母親が誰か分かったわ』

『え……』

『カレンよ』

『……な、何……だと? カ…レン……?』


 一瞬、思考が停止し、息が止まった。


『……ま、まさか、そんなこと……。な、何かの間違いじゃないのか?』


 だが、リズの返事ははっきりしていた。


『間違いないわ。アリシアは、アルバートとカレンの間に生まれた子供よ』

『……』


 リョウは絶句し、思わずアリシアを見つめた。

 彼女は、不思議そうに小首をかしげて見つめ返す。


(アリシアが、カレンの……娘だと?)

(そんな馬鹿な話があるかよ)


 笑い飛ばそうとするが、できなかった。


 確かに、思い当たるフシはあった。

 この世界で、二度はアリシアをカレンと見間違えた。

 顔の造作はうり二つというわけではなかったが、眼差しと全体的な雰囲気が似ていると思ったこともある。

 もしかして、カレンの遠い子孫かもとまでは思った。だが、さすがにこれは全くの予想外だった。

 カレンとアリシアの年齢がほとんど同じということもあっただろう。

 だがそれは、ありえない話でも矛盾でもないことにすぐ気づく。


 カレンは、自分と同じようにカプセルに入り、そして……自分より早く目覚めたのだ。


 彼女に何が起こったのかわからない。少なくともあの日にカプセルに入る予定はなかったはずだ。だが、何らかの原因でカプセルに入り、そして、リョウと同じ運命をたどったのだ。

 しかし、ともに1万年を超える眠りにつきながら、最後の最後で目覚めるタイミングがずれた。アリシアの年齢を考えれば、おそらくカレンのほうが30年程度早く目覚めてしまったのだろう。


(なんてこった)

(カレンが、この時代にいる……)


 会いたい。

 もうあのときの彼女とは違うのはわかっている。別の男と結婚し、娘までいるのだ。

 しかも、アリシアが娘だ。かなりの年齢になってしまっているだろう。

 それでも、とにかく会いたかった。会って話をすれば、少なくともこのやるせない感情にケリをつけられる。


 だが、痛切な思いに流されそうになったとき、突然、不覚にもこれまで思い至らなかった事実が頭の中でつながった。

 初めて会ったときのアリシアのセリフだ。


『私も、母を亡くしたから、あなたの気持ちがわかる気がするの』


「ああっ!」


 思わず立ち上がって叫んでしまい、アリシアが、何事かという顔で自分を見る。


(ということは……、カレンはもう……)

 

 容赦ない事実に胸をえぐられる思いがする。

 しかも、知らなかったとはいえ、もうとっくに自分は、カレンがこの時代で亡くなった事実を聞かされていたのだ。

 息苦しくなり、無意識のうちに上着の左胸を掴み、握りしめる。


(こんな……こんなことって……あるかよ……)


 リョウは、茫然として膝から床に崩れ落ちた。


「ねえ、リョウ、大丈夫?」


 アリシアの声が耳元で聞こえた。

 気がつくと、自分は床に手と膝をついてうなだれており、彼女がそばにしゃがんで自分を支えてくれていた。


「ああ、すまん。……なあ、ひとつ確認したいことがあるんだが」


 答えはすでに分かっている。だが、それでも聞かずにはいられなかった。


「何?」

「アリシアのおふくろさんって、亡くなってるんだよな」

「えっ? ええ、そうよ。今から5年前にね」

「……名前はなんと言うんだ?」


 アリシアはなぜ今そんなことを聞くのかわからないという顔をしたが、リョウの切迫した表情と声に押されるように答えた。


「……カレンよ。きゃっ、どうしたの突然?」


 リョウが猛烈な勢いで立ち上がったのだ。

 はずみでアリシアがバランスを崩して、床に手をついた。

 だが、今のリョウにはそれを気遣う余裕がなかった。


「すまん、ちょっと失礼する」

「あ、ちょっと、リョウ! リョウったら!」


 リョウは、ものすごい勢いで、ドアを開け、そのまま駆け出していった。

 部屋には、再び静寂が戻る。


「……」


 床に手をついたまま、アリシアはリョウが駆け出していった入り口を見つめていた。

 今の一幕が何を意味するのかわからない。しかし、一つだけ間違いないことがある。

 彼は自分の母親を知っているのだ。

 そして、それが意味することは1つしかない。

 アリシアも立ち上がって、リョウの後を追った。





 一方のリョウは、アルバートの小屋の3段のステップを一歩で駆け上がり、ノックもそこそこにドアを開け放ち、中に飛び込んだ。

 アルバートは、机に向かって何か書き物をしているところだった。

 相変わらず落ち着いた様子で、振り返った。


「おお、リョウじゃないか。どうした、そんなに慌てて」

「おやっさんに、一つ聞きたいことがある」


 その真剣な眼差しと、差し迫った物言いに何かを感じ取ったのだろう。

 アルバートは、一つため息をつくと、羽ペンを置き、ゆっくりと立ち上がった。

 

「……そうか。知ってしまったんだね。カレンのことを」

「ああ……」


 リョウは、やや気を削がれ、同時にホッとして頷いた。

 感情の赴くままアルバートの小屋に飛び込んだはいいが、どう話を持っていくべきか悩んでいたのだ。もし彼もこのことを知らなければ、長年の伴侶の素性をいきなり暴くことになるからだ。しかも、昔の恋人が。


「折を見て、君には話さなければと思っていたところだ。かけたまえ」

「……」


 リョウは、示されたソファに腰掛けた。

 アルバートも向かい側に座る。


「君にとっては愉快な話ではないかもしれないが」

「いいさ。もうとっくに諦めもついてる、というより、もうあいつは死んでるんだ。今更どうすることもできない。俺はただ真実が知りたいだけだ」

「分かった。君にはすべてを知る権利がある」


 そういって、アルバートは静かに話し始めた。

 

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