第5話 二つの思い違い(1)

 

 リョウは夢を見ていた。


 朝、寝ているところを揺り起こされる夢だ。

 ぼんやり目を覚ますと、カレンがベッドの端に腰掛けて自分を見つめている。

 リョウは手を伸ばした。だが、彼女はなぜか躊躇して、彼の手を取らず、じっとしている。

 催促するように、さらに伸ばす。

 彼女は、遠慮がちに彼の手を取った。

 リョウは、彼女の指に自分の指を絡ませた。


『あ、あの、わたし、朝ごはん、持ってきたんだけど……』

『キスしてくれたら、起きるよ』


 その瞬間、ものすごい勢いで手が引っ込められた。


「え」


 よく見ると、そこにいたのはカレンではなかった。

 そして、これまで見ていたのは夢ではなく、単に寝ぼけていただけだったと気づく。


「ア、アリシア……」


 彼女は真っ赤な顔をして、少し怒ったようにソッポを向いている。

 瞬時に、自分が何をしたのかが頭に落ちてきた。

 リョウは慌てて飛び起きて、ベッドの上でひざまずいた。


「す、す、すまんっ! いや、そ、そんなつもりで言ったんじゃないんだ。寝ぼけてただけなんだ」

「私、あなたがそんな狼さんだったとは思わなかったわ。それとも、それが旧文明では普通なのかしら」


 半分拗ねた言い方で、アリシアが非難する。


「ご、誤解だ。こんなこと自分の彼女にしかしないって」

「ふうん。いつもそんな感じだったのね。あらあら」

「ううう、悪かったって。許してくれよ……」


 いくら寝ぼけていたとは言え、手を握らせキスを迫るなど、大失態もいいところである。リョウはうなだれた。

 その様子を見て、アリシアがため息をついて矛先を緩めた。


「冗談よ。ちょっと驚いただけ。どうせ、私を彼女さんと見間違えたんでしょ」

「そ、そうなんだよ。ホント、すまなかった。悪気はなかったんだ」

「いいわ。許してあげる。ほら、朝ごはん持ってきたから、食べて」


 まだ少し顔を赤らめながら、アリシアがテーブルに置いた朝食を指し示す。


「あ、ああ、ありがとう」


 ホッとして、 ベッドから降りようとするリョウ。だが、彼はまだ許されたわけではなかった。茶目っ気を含んだ目で、アリシアが言った。


「それとも……私が食べさせてあげようか? はい、あーん」


 スプーンを持ったふりをしながら手をリョウの口元に伸ばしてくる。


「ぶっ、い、いいって。……というか、仕返しかよ。見た目によらず、やり返すたちなのか?」

「ふふふ。知らなかった? 私、いつもお母さんにもっとお淑やかにしなさいって怒られてたぐらいなのよ。気をつけてね」

「ううぅ」


 気が済んだかのように、アリシアが満面の笑みを見せた。





 そして、この日から、アルバートのチームとリョウは、互いの世界について教え合うための機会を設けることになった。


 彼らはとても優秀で、あらかじめ様々な質問を分野ごとに用意し、系統的に旧文明の理解を深めようとしていた。


 また、自分たちの世界についてリョウに教える約束も忘れず、この世界ではこうだが、旧文明ではどうだったのか、という形で質問していたため、自動的にリョウもこの世界について段々と理解していくことができた。


 リョウもただ単に質問に答えていたわけではない。アルバートたちに質問したり、様々な情報を取り込んで密かにリズに分析させたりしていたのだ。その結果、この時代の一般常識はある程度理解することができた。


 アルバートたちとの情報交換は意義あるもので、最初の何日かはリョウも楽しんで自分の世界のことを教えていたが、やがて大きな問題にぶつかった。


 「どこまで彼らに教えていいのか」である。


 このような古代レベルの文明に生きる人たちに、はるかに高度な文明からきた自分の知識を教えてしまうと、有益どころかかえって害になったり、大きな影響を与えてしまうことがある。


 例えば、火薬の知識がない文明にその製法を教えただけで、その後の世界情勢や文明の進む方向すら変えてしまう。下手をすると、大戦争を引き起こし、多数の死者を出すことだってあるかもしれない。自分の一言が世界を変えてしまうことだけは避けたかった。


 社会の構造がどうであるとか、暦や度量衡がどうなどといった一般的な話をしている分にはよかったが、だんだんと、うかつなことは言えないという気持ちが強くなり、答えも慎重にならざるを得なくなってきたのだ。


 すでに、一度悩ましい出来事があった。

 自分の部屋から見つかった出土品の説明を求められたときだ。


 コーヒーメーカーとデジタル時計を見せられたときは、気安く答えられた。

 だが、次に、レイガンとビームソードが目の前に置かれたときには 躊躇した。そして、咄嗟に「装飾品」だの「オブジェ」だのと嘘を言うしかなかった。



 それだけではない、自分が勤めていた施設、アルバートたちが今まさに発掘中の施設が彼らの手に渡っていいのかどうかも頭を悩ませられることだった。


 今のところ、発掘作業に役立つように、自室のおおよその見取り図や、ドアの位置などを教える程度で済んでいる。しかし、実際にドアが掘り起こされ、内部に入れるようになったとき、さまざまな質問に答えなければならないだろう。そして、それだけは避けたかった。


 なぜなら、彼が働いていた施設、それは強力な兵器を備えた軍事基地だったのだ。


 これが発覚すれば、世界の情勢が、取り返しのつかなくなるほど変わってしまう。

 リョウの悩みは尽きなかった。




 それから数日後の昼下がり。


 リョウは一人で自分の小屋に引きこもっていた。

 アルバートたちとの面談の最中、少し疲れたからちょっと部屋で休むと言って出てきたのだ。

 本当に疲れていたわけではない。ただ、自分の身に起こったこと、そして、これからのこと、考えなければならないことが山ほどある。リョウは、一人きりで自分を見つめなおしたかったのだ。



(それにしても……)


 と、ベッドに寝っ転がりながら、ふと自分の世界のことを考えていた。


(結局、みんなどうなったのだろう……)


 自分の知っている人間が誰一人生存していないという事実は、頭では理解できていても、気持ちとしては受け入れきれていない面もある。なにしろ、自分にとってはまだ数日しか経っていないのだ。


(あのとき、俺はこんなことになるなんて夢にも思っていなかった……)


 コールドスリープに入ったあの夜。

 カレンの最後の言葉が頭の中でループする。


『じゃあ、おやすみなさい。明日、楽しみにしてる』

『愛してるわ、リョウ』


 しかし、その約束した明日は来なかった。いや、当然来たのだろうが、自分が寝過ごしたのだ。しかも盛大に。


(一万年も寝坊するなんて、我ながらすごい話だぜ)


 そう思うと、くくっと笑みがこぼれる。そして、この数日の間に、少なくとも自分はこんなふうに振り返れるぐらいに現実を受け入れられたのだろうかとも思う。

 もちろん、悲しみが癒えるわけがない。ただ、あまりに非現実的な自分の状況に圧倒されてしまっているのか、悲しみが麻痺している気がする。

 そのせいか、ふとしたはずみで悲嘆に暮れることも落涙することもあるが、泣き叫んだり取り乱したりせずにすんでいる。おそらく、そうやって現状にも慣れ、少しずつ前を向いていくことになるのだろう。



(あいつは結局、どうしたんだろうな……)


 ふと、カレンのその後が頭によぎった。

 自分がいなくなった後、だれか別の人と付き合ったり、結婚したりしたのだろうか。いや、それはもちろんそうするのが自然だろうし、仕方のないことだ。ただ、彼女がおそらく他の男性と結婚し、家族を持ち、そして、もうとっくに亡くなっていると思うと、自分が置いていかれたという気持ちを感じずにはいられなかった。


(俺と会えなくなって、すこしは悲しんでくれたのだろうか)


 そう思ったときだった。


(ん……? ちょっと待て、何かおかしい……)


 何かとてつもなく大きな勘違いをしているような、強い違和感が身体中を駆け巡る。無意識の中の自分が警告を発している。気のせいではない、何かが「そうではないのだ」と訴えかけるような感覚。

 思わずベッドから身を起こし、宙を見つめる。


(そうか!)


 不意に、雷が落ちたかのような衝撃と共に、自分の思い違いに気がついた。

 そして、思考が怒涛のように頭を駆け巡る。


(俺はカプセルに入ってそのまま寝ていただけだ。そして、その間に一万年が過ぎた。それは分かる。でも、周りの奴らは次の日もその次の日もずっと普通に過ごしていたはずだろう。それなのに……)


(……それなのに、?)


 背中に冷たい汗が流れるのを感じる。


(たとえ俺が目覚めなくても、何日も起きてこないなら、誰かが見に来てくれるはずだ)


 無断欠勤すれば、いずれ誰かが探しに来るはずである。いや、何より翌朝会うはずだったカレンが何日も自分をそのままにしておく訳がない。


(それなのに、一万年も放置されるなんてありえない)

(そうだ。俺が一万年の時を超えたことが異常なんじゃない。一万年も放置されたほうが異常だったんだ)

(くそ、今頃になって気がつくとは、バカか俺は……)

(だが、ということは、俺やカプセルに異常が起こったのではなく、自分の周りに異常が起こったってことか?)


 そうでなければ、一万年も放置されるなんてことがあるだろうか。


(俺は、間違っていた……)


 これまで、タイムスリップと同じように、自分だけが別の時代に飛ばされたかのように思いこんでいたのだ。

 だが、そうではないのだ。自分がカプセルにいただけで、世界は自分も含めて普通に動いていたはずである。


 それがなぜこうなったのか。いったい、何が起こって、自分が一万年も放置されることになったのか。


 あの日、異常という言葉では片付けられないぐらいの、おそらく世界レベルの厄災が起こったはずだ。人類絶滅レベルの世界戦争か、猛烈な太陽風か、あるいは地殻変動規模の大地震か。そんなことでもなければ、こんなことになるはずがない。そして、そう考えれば、現在の人類が科学を失っているのも説明がつく。


(そうか、だからカレンも……)


 突然、辛い理解がリョウを襲った。

 たとえ世界に何が起ころうとも、彼女だけは自分を目覚めさせに来るはずだ。


 そう、生きてさえいれば。


 だが、結局は、彼女はリョウのもとに来ることはなかった。

 それが何を示唆するかは明らかだった。


(カレン……)


 彼女の死を突きつけられた気がして、リョウは激しく動揺した。

 この時代に目覚めた以上、彼女を含めすべての知己がすでに亡くなっていることはとっくに受け入れたはずだ。

 寿命だろうと天災だろうと、死んだことには変わりない。

 なのに、この喪失感とやるせなさは何だろう。


(くそっ、一体何があったってんだ……)

(知りたい……、いや、知らなきゃならねえ)


 わけも分からずこんな時代に漂流させられるのはごめんである。

 なぜ自分がこうなったのか、そして彼女の身に何が起こったのか知りたい。


(だが、どうやって……)

(いや、待てよ。そうだ! 手がかりが一つあるじゃないか)


 ふと思いついて、いてもたってもいられずリョウは部屋を飛び出した。

 そして、発掘中の自室跡に駆けていく。

 そこでは、村人たちが土を掘り起こしているところだった。

 彼の部屋全体が、高さで言えば一階分は地中深くに埋まってしまっているため、相当に深く掘られている。

 だが、あれから作業は順調に進んでおり、すでに部屋の半分ほどが露出していた。


「御使いさま」

「リョウ様」


 部屋の縁まで来ると、村人たちはリョウの姿を見上げて一斉に作業をやめ、お辞儀をしたり、中には平伏しようとするものがいた。


「あ、えーと、礼はいいから、作業を続けてくれ。俺は、ちょっと様子を見に来ただけだ」

「ははーっ」


 村人たちは、奉るかのように深々とお辞儀をすると再び作業を始めた。


(拝まれるのも、なかなか慣れんものだ……)


 苦笑いしつつ、はしごを使って自室の中まで降り、いくつか出土している壁の1つに向かう。

 位置から考えて、おそらく窓が付けられていた外壁のはずだ。

 壁は途中から千切れたような状態で、断面が露わになっている。土もきれいに取り除かれたようだ。

 彼はこれを見に来たのだ。


『リズ、この壁が破壊された原因を分析してくれ。自然災害か?』

『分析中……断面が腐食して、詳しいことはわからないけど、自然災害ではないことは確かよ』

『何? 地震とかじゃないってことか?』

『違うわ。たぶん、外部からのミサイル攻撃だと思う。内側からでなく外側上方から、シールド越しに急激な爆発を受けた痕跡があるもの。見た感じ、居住棟の5階辺りに命中したんじゃないかしら。そして、その衝撃波で5階と4階を跡形もなく吹き飛ばしたのね。あんたのいた3階がギリギリ半壊で済んだというところよ』

『何だと……』


 ミサイルかどうかはともかく、他国による軍事攻撃は予想の一つではあった。

 とはいえ、それが確認されたのは衝撃だった。


 自分が眠りについた後、戦いがあった。


 それだけではない。カレンは2階で自分は3階だったが、5階には、彼女の兄であり自分の親友でもあったキースの部屋があったのだ。

 おそらく、彼もこの攻撃で亡くなったのだ。


(キース……)


 だがこれは、ある意味謎が深まったと言える。

 当時、世界情勢は概ね平和だった。むしろ、世界政府の設立に向けて、さらなる平和への道筋がつけられようとしていたのだ。仲の悪い二国間で小競り合いぐらいは起こったかもしれないが、全世界を巻き込む戦争など考えられない。しかも、なんの兆候もなかったのだ。


(いったい何があった……)


 知りたい、痛切にそう思ったときだった。

 突然、怒号と悲鳴が遠くから聞こえてきた。


「魔物だあ!」

「魔物が出たあ!」

「助けてくれえっ」


(何だ? 『魔物』だと?)


 この世界では悪霊はこんな真っ昼間に出るのか、などと考えながら、急いではしごをよじ登る。

 そして、つい数十メートル先の広場で繰り広げられている騒動。それは、あまりにも予想外の光景であり、状況を飲み込むのに一瞬の時間を要した。


「お、お逃げくだされ」

「御使い様っ!」


 そばで作業していた村人たちが、自分に声をかけ、慌てて逃げていくのも気が付かない。


「な、なんだ、あれは……?」


 それは、リョウが見たこともないものだった。

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