第4話 時の確証
(そこまで似てるってわけではないんだがな……)
食事を食べ終わり、茶をすすって一息ついたあと、リョウは改めてアリシアの顔を見つめた。
彼女はカレンよりは2~3才若く見える。
全体的な雰囲気と目元がカレンと似ているのかもしれないが、他人の空似の域を出ない。さきほど見間違えたのは、コールドスリープ明けで頭がボケていたのと、プロポーズのことで頭がいっぱいだったせいだと結論づけた。
だが、よほどまじまじと見つめていたのだろう、アリシアが居心地が悪そうな様子を見せた。
「えっと、何? さっきも私の顔をじっと見てたけど……」
「おっと、すまない。ちょっと君と似ている人を知っていてな」
「そうなの?」
「いや他人の空似だ」
「ふうん、もしかして彼女? 隅に置けないわね。……あ、ご、ごめんなさい、嫌よね、こんな話」
リョウの大切な人たちが全員すでに死んでいるということに気がついたのか、アリシアが慌てて謝った。
「いや、構わないぜ。話していたほうが気が楽ってのもあるしな」
「……そう。どんな方だったの?」
とはいえ、やはり気兼ねがあるのだろう。遠慮がちである。
「俺と同じこの施設で働く研究者だよ」
ふと思い出し、リョウは右手をスボンのポケットに突っ込んだ。
指先が小さな金属に触れるのを感じて、取り出す。
カレンに渡すはずだった婚約指輪である。
コールドスリープ中は、全ての分子の活動が停止されるため、利用者の細胞から身につけているものまで一切劣化しない。指輪も買ったときのまま輝いていた。
「綺麗な指輪ね。彼女へのプレゼント?」
「ああ。本当なら、目覚めた日に渡すはずだったんだ。結婚してくれってな」
「結婚……。旧文明では結婚を申し込むときにも指輪を渡す習慣があるの?」
小首を傾げてアリシアが尋ねる。もしかすると、プロポーズや結婚の慣習が異なるのかもしれないと気がついた。
「ああ。まあ、申し込むときじゃなくて、後からでもいいんだがな。……この時代ではないのか?」
「婚約の証に指輪を贈ることはしないけど、結婚指輪ならあるわよ。結婚式で交換するの」
「そうか……。変わらないものは変わらないんだな」
(そういや、結婚指輪は古代エジプトにはもうあったとか言ってたっけ)
この指輪を買ったときに店員から聞いた薀蓄が頭をよぎる。
あの話が本当なら、自分の時代まで6千年続いた慣習だ。そこから1万年受け継がれても不思議ではないのかもしれない。
「……綺麗ね。とてもいいものじゃない?」
「まあな。給料の三ヶ月分だよ。だが、無駄になっちまった……」
「そんなこと……」
自虐的に肩をすくめると、アリシアが気の毒そうに目を伏せた。
(結局、こいつも渡せずじまいか……)
リョウは指輪を見つめたまま、自分の思いに沈んでいく。
(カレン……)
(それに、キース……、父さん、母さん……)
最愛の彼女、そして、親友、故郷の家族の顔が次々に浮かんでくる。
(みんな死んでしまった……)
(俺一人生き残って……。なんでこんな……)
やるせない思いに、胸が張り裂けるような苦しみを感じる。
手を髪に突っ込んだまま、うなだれた。
大切な人たちの笑顔と、「なぜ」という気持ちがぐるぐると頭を巡る。
どれくらい、そうしていたのだろう。
肩にそっと手が置かれるのを感じて、顔を上げた。
アリシアがいつのまにか隣に座り、気遣うように自分を覗き込んでいたのだ。
「……アリシア」
「大丈夫?」
「ああ。すまん。みっともないところを見せちまったな、はは」
我に返って体を起こし、作り笑いでごまかす。きっと、ひどい顔をしているはずだ。
アリシアは悲しげに微笑んで、首を横に振った。
「ううん。そんなことない。大切な人と会えなくなるのはとても苦しいことだもの。私も母を亡くしたから、少しはあなたの気持ちも分かる気がするわ」
「そうか……」
「つらいと思うけど、私たちもできる限りのことはするから」
励ますように、リョウの手を両手で握りしめた。
「ああ、ありがとう」
社交辞令ではない彼女の優しさが、孤独になったリョウの心に染み入る。
「さてと、もう食事も終わったし……」
アリシアは、ふと自分が何をしているのか認識したかのように静かに手を離し、はにかんだ笑顔を見せて立ち上がった。
甘い香りがリョウの鼻孔をくすぐる。
「もう今日は休んだほうがいいわ。大変な一日だったのだから」
「ああ。ありがとう、そうさせてもらうよ」
アリシアが引き取った後、リョウは一人、小屋のベッドに寝転がっていた。ランプの灯がぼんやりと部屋を照らす。
(俺は本当に一万年後の世界に来たのか……?)
それが、目覚めてからずっと心を占めている疑念だった。
もちろん、カプセルのログと、恒星の配置から算出した年代は疑うべくもない。シンプルだが強力な証拠だ。それは頭では受け入れていると思う。
だが、心の何処かで未だ納得し切っていないのも事実である。1万年という数字があまりにも荒唐無稽であることと同時に、周囲が何の変哲もない山間部であることもその原因だろう。自分の時代にも似たような場所はいくらでもあった。それに、親しい者たちがとっくに亡くなっているとはいえ、それを自分の目で見たわけでもない。
つまり、時間の経過を肌身に感じるような直接的な証拠がないのだ。そのせいか、本来ならもっと取り乱してもおかしくないはずなのに、実感が薄い。
とはいえ、やはり心の奥底では動揺しているのだろう。心が落ち着かず、ジリジリとした焦燥感に苛まれていた。
(カレン……)
不意に、彼女の笑顔が脳裏に蘇る。
リョウは起き上がってベッドの端に腰掛けると、再びポケットから指輪を取り出した。
そして、一つため息を付いて、リズに命じる。
(リズ、カレンの映像を見せてくれ)
(了解)
その瞬間、カレンが目の前に現れた。ホログラムである。周りの情景も合わせて小屋の室内に投影される
これは、数ヶ月前に一緒に海岸を散歩した時のものだ。
彼女がサンダルを両手に持って、裸足で波打ち際ではしゃいでいるのを、後ろから見ている。 あの時、その様子があまりにも無邪気で可愛らしかったため、リズに記録させたのだった。
波の音に紛れて、カレンの笑い声が聞こえる。
彼女がこちらを振り返った。
『あなたも靴を脱げばいいのに』
『いいよ、俺は。お前を見てるから』
『もう、またそんなこと言って。ホントに物好きね』
しょうがない人、というニュアンスで、しかし嬉しそうにそう言って、彼女はまた波と
それをあの日の自分と同じように、リョウは見つめた。
(なあ、カレン)
ふと心の中で問いかける。
(俺のプロポーズ、イエスって言ってくれてたのか?)
この問いの答えを知ることはもう永久にない。
今となっては、それだけが心残りだった。
やがて映像が終了して、彼女の姿が消えた。
まるで夢から醒めたかのように、静まり返る小屋の中の現実に戻る。
(俺は……1人になっちまったよ……カレン……)
映像が消えたのがきっかけだったのか、天涯孤独の身になったことが痛切に胸に突き刺さった。信じたくないと心の奥に押し込んでいた感情が一気に溢れ出てくる錯覚に囚われる。
そして、もう二度と彼女に会えないという身を引き裂かれるような苦しみに、また息が苦しくなった。
「くそっ」
リョウは衝動的にベッドから飛び起き、そのまま小屋の外に飛び出した。
外は月明かりと、近くにある篝火のせいでほんのりと明るい。辺りを見回すと、数人の村人と、いくつかの小屋が並んでいるのが見える。
「おお、御使様だ」
「ははあっ」
村人たちは、リョウに気づくと一斉に深々と首を垂れた。中には平伏するものも見える。
リョウはそれに構わず、自分が連れて来られた方角を思い返し、そちらに目を向けた。小屋の向こうは荒地になっており、数十メートルほど離れた先に大きな篝火が見える。そのそばに、掘り起こされた跡とコールドスリープカプセルがあった。
あれが、自分が発掘された場所で間違いない。
そして、そこに向かおうとした時、近くにいた村人の1人が手にランプを持っているのに気がついた。
「すまん、そのランプを借してくれ」
「は、はい。ど、どうぞお持ちくださいませ」
いきなり話しかけられるとは思っていなかったのか、村人は魂を飛ばしそうになりながらも、恭しくランプを差し出した。
「ありがとう。助かる」
それを受け取り、現場に向かって駆け出した。
何か目当てがあったわけではない。
とにかくもう一度、自分が目覚めた場所を確認したかったのだ。
(本当に埋まってたんだな……)
現場に戻り、改めて発掘跡を見下すと、深さ2メートル、四方が3メートルほどの穴になっていた。カプセルを引き上げるために掘られたものらしい。
ランプをかざして、中を覗き込む。
カプセルが内壁のそばに置かれていたため、壁もいっしょに掘り返されたのだろう。泥がついているが、ある程度露出していた。床も一部が見えている。
おそらくリズに頼めばこの壁の原材料などを特定し、これが本当にリョウの部屋だと分かるかもしれない。だが、それでは、何も変わらない。すでに星の配置や、カプセルの稼働ログなど、そういう状況証拠は十分ある。頭ではもう間違いないと思ってはいるのだ。
自分が欲しいのは、単なるデータや分析結果ではない。気の迷いと疑念を断ち切るような、いわば目に見える確証である。
(そうだ、もしかして……)
掛けられていたはしごを使って穴に入り、壁の前に立つ。元は隣室との仕切りだった壁のはずだ。
(確かこの辺りだったな)
胸の高さのあたりの土を壁から払い除ける。土はすでに乾燥しており、簡単に剥がれ落ちた。
そして、そこにそれがあった。
「ああ……」
リョウの目が大きく見開かれ、凝視する。
「そんな……」
体が小刻みに震え、呼吸が早くなる。
彼が見つけたもの、それは壁についた大きな傷だった。
右斜め上から左下に向かって、長さ40センチ深さ2センチほど壁がえぐれている。
コールドスリープカプセルに入る直前、ビームソードで自分がつけたものだ。
たとえ一万年経過してようと、自分にとってはついさっきのことである。形など見間違えようがない。
「……」
気を取り直し、ランプをかざすと、傷の内部がかなり腐食してるのが見えた。
建材に使われているレポジトリウム鋼は極めて劣化しにくい金属である。それがこのような状態になるのに果たしてどれだけの年月がかかるか想像もできない。つまり、この傷が付けられてから、それだけの時間が経過してしまっているのだ。
『リズ、腐食の状況から、この傷がいつ付けられたものか推測してくれ』
『了解。測定中……。あくまで概算だけど、およそ1万年程度ね』
『やはり、そう……なんだな……』
ついに直接的な証拠を突きつけられた気がして、リョウはその場に膝をついた。そして、壁に手をつき首を垂れる。
「それじゃ……本当なのか……本当に一万年が経っちまったってのか……くっ……う、うぅ」
リョウの口から嗚咽が漏れる。
アリシアの前では堪えた涙を今度は抑えることができなかった。
「クソっ……何でだよ……何でこんなことに……」
しかも、自分にとってはほんの少し前、まさにこの場所で、カレンと言葉を交わしていたのだ。
『愛してるわ、リョウ』
『俺もだ、おやすみ』
あのとき、これが彼女との最後の会話になるとは、どうして予想できただろう。
「カレン……オレは……」
とめどなく流れる大粒の涙が頬を濡らす。
リョウはただ泣き続けた。
そして……。
どれくらい時間が経ったのか。
泣くだけ泣いたら、少しは気が済んだのだろう、力が抜けている。
「……」
リョウは我に返り、涙を拳で拭って立ち上がった。
そして、もう一度壁の傷に目をやり、再びハシゴを登って、穴の外に出た。
何気なく空を見上げると、相変わらず満天の星空に大きな月が浮かんでいる。
自分の時代よりも少し位置が変わっているが、この無数の星々と月だけは自分が見ていたものと同じはずだ。
「そうか……」
何もかもが変わった世界の中で、変わっていないものがある。
そのことに、少し慰められる気がした。
フッと小さな息をつき、リョウは再び小屋に向かって歩き始めたのだった。
一方、その様子を遠くの物陰からじっと見つめる、一つの影があった。
発掘隊の隊長アルバートである。
人足の1人から、リョウが発掘現場に戻ったと聞いて、自分の小屋から出てきたのだ。
「……」
彼の目はリョウの姿を追っている。
無論、彼が研究対象であることもあるだろう。
だが、その様子は、単なる研究心だけではない何かがあった。
果たして、
「ようやく……これで私も……」
呟いた声には、リョウに対する共感と、なぜか安堵のような個人的な感情が込められていたのである。
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