第3話 文明レベル



(ここが、ベースキャンプってことか……)


 篝火の明かりの中、リョウが連れて行かれたのは、現場から少し離れたところに建てられていた小屋の一つだった。周囲にはいくつかの小屋と天幕が見える。


 途中、おそらく発掘作業に駆り出されていたと思しき多くの村人たちが、遠巻きに自分を見つめていた。中には地面にひれ伏したり、深く頭を下げたりしている者もいた。


 小屋は粗末な作りだったがそれなりに大きく、入り口近くにソファとテーブルがあり、奥には簡易ベッドと机が置かれている。機械類は全くなかった。明かりも油か何かのランプである。ジジジという芯の焼ける音と、油の匂いがする。

 これらを見ると、衣服だけが古代風で実は先進的な文明であるという可能性は極めて低いと思われた。


 ソファに掛けるように示され、自分の向かい側には、アルバートと女性が座った。そして、彼と同じような身なりの男性二人が並んでその脇に立ち、さらに剣を帯びた男がソファの後ろに控えるように立った。


 全員がそれぞれの場所に落ち着いたところで、アルバートが口を開いた。


「では、改めて自己紹介をさせていただこう。私は、この発掘調査隊の隊長で、アルバートという者だ。そして、こちらが、私の娘のアリシア」

「アリシアよ、よろしくね」

「ああ、よろしく」

「そして、副隊長のエドモンドと隊員のリンツ」

「エ、エドモンドでやす」

「リ、リ、リンツと申します」


 二人とも緊張しているようであった。エドモンドは大きな身体を小さく丸め、若いリンツは声が震えていた。


(緊張しているのか……)


 不思議に思いながら、リョウも頷きかける。


「私たちは、考古学を研究する学者だよ。そして、こちらがガイウス殿だ。発掘隊の警護をしてもらっている。このあたりは野盗も魔物も出るのでね」

「よろしくな、小僧」


 アルバートの後ろに立っていた初老の男がニヤリと笑って手を軽く上げた。

 彼は腰に剣をぶら下げていた。柄の底の部分に五芒星に似た紋章が刻印されているのが見える。鞘に入っていて刀身は見えなかったが、おそらく金属製だろう。

 警護役がレイガンもビームソードも携行していないことが、この時代の科学力を示している。

 だが、それとは別に、リョウはすぐに、このガイウスが相当のやり手だと察した。

 小柄で白髪、60才ほどに見える。エドモンドの方がよほど筋骨隆々だ。

 だが、全身から発する気配、そして何気ない所作が、只者でないことを伺わせていた。

 どうやらよほどの修羅場をくぐっているらしい。


 一方のガイウスも、何やら感じるところがあるのか、値踏みするような目でリョウを見つめている。

 二人の視線がぶつかる。


「それで、君の名前を教えてもらえるかね」

「ああ」


 リョウは自分の物思いから引き戻され、視線をアルバートに戻す。


「俺の名は、リョウ……。リョウ・ヤマカゲだ」

「ほう。リョウ……というのか、なるほど」


 何やら含みのある言い方にリョウは訝った。


「ん?」

「お父さん、どうかした?」


 横からアリシアに話しかけられ、アルバートは微笑んだ。


「あ、いや、すまない。失礼したね。やはり、我らの一般的な名前とは違うのだなと思ったのだよ」

「そうね」


 気を取り直したように、アルバートが続けた。


「では、早速本題に入りたいのだが、君は何者なのかね?」

「……俺はこの施設で、と言ってももう廃墟になったが、ここで働いていた科学者だ」


『科学者』という言葉を聞いたとき、アルバートは目元をほころばせた。


「それはそれは。科学者だったのか。専門は違えども同じ学問の徒ということだな。それなら、より詳しく話を聞かせてもらえるだろう。それで……」

「いや、ちょっと待ってくれ、先に一つだけ聞かせてくれ。ここは一体どこだ。いや、それよりも今は『いつ』なんだ?」


 リョウは、アルバートの話を遮り、目覚めた時から聞きたかったことをたずねた。リズの調べで今がいつなのかは分かってはいる。だが、本当にそうなのか、そして、どんな返事が返ってくるのか聞きたかったのだ。

 アルバートは分かっているとばかりに頷いた。


「それはもっともな質問だな。まず、ここが『どこ』かについてだが、ここはアルトファリア王国にある村の一つ、フィンルートに近い山岳地帯だよ」

「アルト……ファリア……王国?」


 聞いたこともないような国の名前を告げられ、リョウは愕然となる。


「ああ。そして今が『いつ』かというと、建国暦1293年だ。だが、これはおそらく君には意味のない数字だろう。むしろ、君の時代から数えておよそ一万年後と言った方が分かりやすいのではないかな。無論、これはそう簡単には信じられないだろうが……」

「いや、やはりそうなんだな……」


(やはり、俺は一万年後の世界に来たのか……)


 見知らぬ国の名前、そしてリズの計算ほど正確ではなかったが、この中世レベルの文明の調査でさえも一万年という数字が出てくることが、何か決定的な証拠を突きつけられた気がした。


「あなた、自分でも分かっていたの?」


 アリシアが意外だという表情を見せる。

 リョウは、彼女の言わんとするところがわかった。ずっと寝ていただけの自分が、どうして目覚めただけで『一万年が過ぎた』と知っているのか不思議に思ったのだろう。


「ああ、星の配置が俺の時代とは異なるんでな……」


 本当はリズの分析によるのだが、ここでBICの話をしてもややこしくなるだけである。端折って簡単に答えておく。


「ほう。君は星が読めるのだね。さすがは若くとも科学者だ」

「すごいですな」


 アルバートたちが感嘆の眼差しを向ける。ガイウスの方は相変わらず、値踏みするような目でこちらを見つめていたが。


 だが、リョウのほうはそれどころではなかった。


「あの……、お、教えてくれ。俺は、これからどうしたらいいんだろうか?」


 ショックから立ち直ったわけではないが、周りの状況に慣れてくるにつれて、今後のことが気がかりとなってきていた。一万年後というのは、もう社会制度も法律も習慣も何もかも異なっていると考えるべきであろう。一人で生きていくのは不可能に思えた。

 それに、こんなところで目覚めてしまった自分の立場がどうなるのかなど分かったものではない。文化や人種の異なる者を虐げたり不当な扱いをしたりするというのは、人類の歴史の中で何度も行われてきたことである。

 アルバートは難しい顔をして、あごをなで回した。


「まさに、それを相談しようと思っていたのだよ。正直言って、これはかなり難しい問題だ。前例のないことだからね。いや、あるにはあるのだが、千年も前の話だ。この発掘調査はベルグ卿の資金提供の元で行われていてね。そのため、発掘中に発見された物については卿に決定権がある。ただ君は出土した工芸品などではなく、一人の人間だ。しかも、一万年前から来た人物だ。これほど重大な発見と言うか出来事は、私もいずれは政府に報告しなければならない。おそらく、最終的には国が決めることになるだろうね」


 リョウは無言でうなずいた。

 彼の硬い表情を見て、アルバートが安心させるように微笑みながら話を続けた。


「ただ、難しい問題だと言ったが、無下に扱われることはないということだけは安心してほしい。わが国は、君の時代の文明……失礼ながら『旧文明』と呼んでいるのだが、これにとても深い関心と思い入れがあってね。少しでも多くのことを知りたいと調査と研究に力を入れているのだよ。君はその時代に生きていた人だ。しかも、一万年も眠って目覚めたというのは奇蹟のような話でもある。むしろ神の使いとして、神格化されることになるかもしれない。特に、一般の市民たちは信心深いからね。逆に、保守的な者たちは、旧文明の存在自体を忌み嫌うものもいるが、数は少ない。一般的には信仰の対象なんだよ」

「そうか……」


 リョウは、先ほど自分が目覚めた時、村人らしい者たちが自分に祈りを捧げていたのを思い出した。


 神格化され、奉られるというのはあまりうれしくない話だった。なにしろ、自分は科学者であり聖職者ではないのだ。しかし、処刑されたり奴隷になるよりもはるかによいのは当然である。


「大ごとになってしまい戸惑うかもしれんが、私たちも君を起こしてしまった責任というものがある。できるだけのことはすると約束しよう」

「……感謝する」


 少し気分が楽になった気持ちで、リョウは肩の力を抜いた。


「それで、君にひとつ相談があるのだが……」


 安堵した様子の彼を見て、アルバートが熱心な様子で身を乗り出した。


「何だ?」

「君は先ほど、これからどうしたらいいのかと聞いたね。これは、もし君にその気があればということなのだが、私たちの発掘と調査に協力いただけないだろうか。君が働いていたこの施設だけでなく、私たちは旧文明時代の生活や社会について、確かなことを何も分かっていない。遺跡を調査して推測するだけだ。しかも、旧文明と我々の文明はあまりに異なるため、ほとんど理解が進んでいないというのが実際のところなんだよ。しかし、君なら事実として様々なことを知っているはずだ。それを教えてくれれば、どれほど我々は旧文明について知ることができるだろう」

「なるほど」


「その代わりといっては何だが、私たちは君にこの時代のことを教えることができる。おそらく何もかもが君の時代とは異なっているだろうからね。これから生きていく上で知っておいたほうがいいこともたくさんあるだろう。もし協力してくれれば、この発掘隊でお迎えした客人ということで、君が落ち着くまで世話をさせてもらうよ。むろん、もし君が出て行きたいと言うなら引き留めはしない。君の自由だ。どうだろう」

「そうだな……」


 たしかに、アルバートの言い分はもっともであり、むしろ、自分にとってもありがたい話であるように思えた。仮に今ここを出たとしても、一人で生きていけるわけがない。自分は全く未知の世界にいるうえ、住むところも生きていく手段もなく、おまけに天涯孤独の身の上になってしまった。まだ、状況が完全に飲み込めているわけではないが、こうなった以上、生きてゆく算段をつけなければならない。リョウの決断は速かった。


「……分かった。そういうことであれば、協力させてもらう」

「おお」


 アルバートたちは一様にうれしそうな表情になった。


「それは良かった。私たちは皆、旧文明に魅了されて考古学者になったのだよ。今回このように君に巡り会えたのは本当に僥倖であり、君からいろいろなこと学べるかと思うと、少々舞い上がってしまっている」


 アルバートは照れたように相好を崩した。


「いずれにしても、今日は心身ともに疲れただろう。ショックもあるだろうしな。今晩はゆっくり休んで、今後の詳しい話はまた明日ということにしよう。今日からは、この小屋を自分の部屋として使ってくれ」

「ああ、ありがとう」


 そして、アルバートは自分の娘に顔を向ける。


「アリシア、お前は彼の身の回りの世話を頼む。我々は気の利かない無骨な男ばかりだ。お前にやってもらった方がいいだろう」

「ええ、わかったわ」

「それでは、リョウ。私たちはこれで失礼するよ」


 一同が立ち上がるのを見て、リョウも席を立った。


「何かあったらこのアリシアに言ってくれ。そうだ、そろそろ夕飯時だ。すぐに持ってこさせよう。アリシア、すまんがあとは頼む」

「分かったわ」

「では、また明日」


 最後にアルバートが笑顔で頷きかけ、彼らはアリシアを残して出て行った。

 それを見送って、リョウはふうっとため息をついた。

 あまりの環境の激変と、次々と流れていく状況に目が回る思いだった。


(寝てる間に一万年過ぎてて、目が覚めてみたら神様かよ……)


 これは一体なんの冗談だろうか。こんなふうに人生が変わってしまうというのは、さすがに夢にも思っていなかった。


 しばらくの間、物思いに沈んでると、


「えっと……」


 背後から遠慮がちな声が聞こえる。我に返ると、アリシアが所在なさげに自分を見つめているのに気がついた。


「すまん。ちょっと考え事をしていたんだ」

「あ、気にしないで。なんだか、リョウさんのお世話係になったみたいだから、これからよろしくね」


「リョウでいいぜ。こちらこそよろしくたのむよ」


 握手の習慣は変わっていないらしい。差し出されたアリシアの手を握り返す。その手は温かく柔らかかった。


「少し、お話してもいいかしら」

「ああ、構わない」

「ありがとう」


 アリシアは、改めてリョウの向かいに座った。

 

「気分はどう?」

「そうだな、体調は悪くないが、ちょっと頭が混乱してるな」

「当然よね。でも、一万年も目を覚まさないってどんな感じなの?」

「うーん、寝てる本人は時間の経過なんて分からんだろ? だから、気持ちとしては次の日起きたのと変わらないな」

「へえっ。そうなの。じゃあ、普通に起きてみたら、この時代だったってこと? すごい話ね」

「本人に自覚はないけどさ」

「ふふ」


 リョウが苦笑いで答えると、アリシアも少し遠慮がちに微笑んだ。


「そう言えば、科学者って言ってたわよね。何の研究をしていたの?」

「うーん。何と言ったらいいのか……」


 本来なら、亜空間を利用した物質転送装置、いわゆるテレポーターの研究だったのだが、この文明レベルの人間に言っても分からないだろうと判断した。


「簡単に言うと、物質の構成と、空間についてだよ」

「へえ、魔道士みたいなことを言うのね」

「魔道士?」


 意外な言葉を言われて、リョウが聞き返す。


「そんなのがいるのか。魔法使いみたいなものか?」

「ええ。私たちは魔道って呼んでるけど」

「魔道か。それはこの世界では盛んなのかい?」

「そうね。魔物を追い払うのは呪文がないと無理だから、生活には欠かせないわね。使えるようになるまでは修行を積まなきゃならないけど。私も少しだけ使えるわ」

「なるほどな」


(『呪文』で『魔物』を追い払う……か。宗教儀式に使う呪術か何かか)


 相槌を打ちながら、リョウは、科学力の進んでいない文明ではよくあることと納得した。実際に古代では、悪霊などを追い払うための呪術が日常的に使われていたのだ。したがって、この時代に使用されていても不思議ではない。おそらく『魔物』とは、悪霊のたぐいだろうと当たりをつけた。


「あなたの時代には魔道はないの?」

「うーん、おまじない程度だな」

「じゃあ、魔物が出てきたらどうするの?」

「そういうのは迷信で、実在しないんじゃないかな。俺も見たことはないよ」

「へえ、そうなの? いいわね」


 そのとき、ノックがしてドアが開いて、村人らしき男が二人、それぞれ盆に食事らしいものを持ってきた。奥にいるリョウに気を遣ったのか、彼らはまるで供物を捧げるように盆を差し出した。


「お食事をお持ちしました」

「あら早かったわね。ありがとう」


 村人は盆をアリシアに渡すと、リョウに向かって深々とお辞儀をし、うやうやしく後ずさりしながら去っていった。やはり、彼らにとっては信仰の対象であるらしい。


「さあ、これがあなたの分よ。お口に合うといいけど……」


 アリシアが盆の一つをリョウの前に置く。


「ありがとう」


 リョウが興味津々で覗き込んだ。


「へえ、うまそうだ」


 穀物を挽いて作った団子やパン。野菜などを炒めたもの。焼き魚に何かのクリームがかけられているもの。それに、グラスには水に葡萄の果汁を垂らしたような薄い紫の液体が入っていた。

 見た目は普段から自分が食べているのとさほど変わらないように思える。


「じゃあ、冷めないうちに頂きましょ」

「ああ、いただきます」


 アリシアが食べ始めるのを見て、リョウはリズに命じた。


『リズ、この食事を分析して、俺の食えないものが入ってないか確認してくれ』

『了解。スキャン中……』


 一万年の間に、人類の体質が変わってしまっている恐れもある。それに合わせて作られた食事も、口に合わないというレベルではなく、医学的に自分の体が受け付けない可能性もあった。


(見た目は美味そうだが、慎重にならないと……)


 すぐにリズの返答が頭に響く。


『確認OK。いずれもあんたが食べても大丈夫よ』

『わかった』


 そのとき、ふとアリシアが不思議そうな目でこちらを見ているのに気がついた。


「ん? どうかしたか?」

「あ、いえ、なんでもないわ。ただの気のせいね。さ、さあ、リョウも一杯食べてね」

「……? ああ、ありがとう」


 そして、手始めに野菜を炒めたものを口に入れる。


「お、これはうまいな」


 それは、素朴な料理ではあったが、十分に美味であった。

 そして、これがリョウがこの時代に目覚めて、初めて食べる食事であった。



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