第2話 覚醒

『コールドスリープ解除されました。蘇生処置を実施中です。血圧・脈拍ともに正常値まで上昇中』


 どこか意識の奥で、コンピュータの声が聞こえる。どうやら、BICのメンテナンスが終わったらしい。

 まだ重いまぶたをゆっくりと開ける。

 視界がぼやける中、最初に目に入って来たのは、カレンと思しき女性の姿だった。眠ったときと同じように、カプセルの脇に座って自分を覗き込んでいる。きっと起こしに来てくれたのだろう。そう言えばそんなことを言っていたと思い出す。

 何か話しかけられているが、寝ぼけているのか一向に頭に入ってこない。


(幸せだな……)


 リョウはぼんやり考えた。目覚めた時、傍に愛する人がいるのはこの上ない喜びである。

 だが、徐々に心身の機能が回復して意識がはっきりしてくると、この状況がただ事ではないことに気がついた。

 自分は前の晩、自室のコールドスリープカプセルに入って眠ったはずだ。

 にもかかわらず、頭上に見えるのはなぜか星の瞬く夜空だった。居住棟は5階建てで、自分の部屋は3階にある。室内から真上を見上げて夜空など見えるはずがない。しかも、カレンだけではなく、数名の人間が自分を見下ろしている。


(何だこれ? 一体どうなってる……?)


 あわてて半身を起こし、一気に周りの光景が目に入ると、さらに混乱した。

 そこはまるで野外の遺跡発掘現場のようなところで、まさに今発掘されたかのような状態でカプセルが置かれており、自分はその中にいた。そして星空の下、見渡す限り山々と湖が広がっている。

 それだけではない、歴史の本に出てくるような中世の服を着た二十名ほどの男女が、カプセルを取り囲み、畏怖、畏敬、驚愕といった表情で、自分を一心に見つめている。何人かはひざまずいてさえいる。


 カレンだと思っていた女性も別人だった。


 近くに大きな篝火が一つ置かれており、辺りがオレンジ色の光に照らされていることもあって、極めて幻想的な中世の儀式の1ページに迷い込んだようである。

 自室にいたはずの自分が、なぜこのようなことになっているのか、リョウは混乱した。


(それにこいつらの格好は何だ?)


 一見すると、昔教科書で読んだ「中世」と呼ばれる太古の時代の服装に見える。

 この一団の長らしい五十がらみの男性と、そのそばにいる二人の男性はいわゆるハーフローブを着用し、その時代のものにしてはきちんとした身なりをしていた。そして、さきほどカレンと見間違えた女性も同様である。また、その少し後ろに控えるようにいる十数名ほどの者たちは、中世の村人のような服を着ていた。

 何者かはわからないが、少なくとも敵意はなさそうに見える。


「すまん、ここはどこだ? 俺は、どうしてこんなところにいるんだ?」


 とりあえず、現状を把握しようと、周囲の者たちに尋ねる。


「!!」


 しかし、そのことがまるで激烈な驚愕を引き起こしたかのように、後ろの方でひざまずいていた者たちが一様に頭を地面にこすり付けた。そして、何やら祈りの言葉をつぶやき始める。残りの者もあまりの驚きのためか、硬直状態でリョウを見つめていた。

 この極端な反応に、余計に訳が分からなくなる。

 そのうち、そばにいた何人かが我に返ったようで、口々に自分に話しかけてきた。しかしそれは、まったく聞いたこともない言葉だった。


「※※※、※※※※※※※※※※?」

「※※※※※※※※※※※※?」


(こいつら、何語を話してるんだ?)


 リョウは、言語の専門家ではなかったが、彼らが今話している言葉は、これまで聞いたことのないようなものであり、しかも、「異なる」のではなく「異質な」響きが感じられた。


『BIC起動』


 頭の中で念じると、すぐにリズの声が聞こえた。

 

『起動したわよ。何か御用?』

『こいつら何語を話しているんだ? 調べてくれ』


 ともかく、何が起こっているのかがわからないと対処のしようもない。そのためには、まずこの者たちと話をしなければならない。

 相変わらず、この周りの奇妙な人物たちは一生懸命にリョウとコミュニケーションをとろうと、身振り手振りを交えながら話しかけている。

 特に自分に危害を加える気はないらしい。むしろ、こちらを敬うようなうやうやしさが感じられる。


『言語データベース接続、解析中……。あれ? 該当する言語はないわね』

『なぜだ? お前には世界中の言葉が登録されているはずだろう』

『現在使用されている言葉と、歴史上のすべての言語を調べたけど、一致するものがないわよ』

『どういうことだ……』


 BICのデータベースに登録されていない言語など、記録の残っていない太古の言語ぐらいのものである。


 とりあえず、一生懸命に話してくる周りの者たちにすこし待ってもらおうと、右手の人差し指を自分の唇に当ててから、両手の手のひらを二度押し出すような仕草をした。「話しかけずに、ちょっと待て」のつもりである。

 リョウの意図が理解できたのか、それとも、今のジェスチャーの意味を考えているのかは分からなかったが、周りの者たちは互いにヒソヒソと話し、話しかけるのをやめてじっと彼を見守った。


『とにかく、自分に何が起こったのか知りたい。どこでもいいから連絡して、状況を把握してくれ』

『了解……。あれ、おかしいわね。どことも連絡が取れないわよ』

『どういうことだ?』

『ええとね、ありとあらゆるチャンネルに呼びかけてみたけど応答がないのよ。それだけじゃないわ。何一つ通信を受信できないの。どうやら、世界中で一切の通信行為がストップしてるみたい。全世界が無音状態よ』

『何だって? どうなってるんだ、一体……?』

 

 この情報化時代にあって、通信が全く行われていないなど、異様と言うしかない。

 ここに来て、ようやく事態の深刻さが頭に落ちてきた。


 まず、最初に頭に浮かんだのが広範囲に渡る大災害である。

 だが、それでも全世界が一斉に無音状態に陥ることは考えにくいし、何よりこの者たちの服装や、彼らが未知の言語を話すという事実が説明できない。


(もしかして、大昔にタイムスリップしたとか。まさかな……)


 冗談のようなそんな考えがふと浮かんだ。


(……だが、それならこの状況も説明できる……)


 荒唐無稽な考えだったが、つじつまは合う。それに、記録自体が残っていないような古代の言葉なら、BICに登録されていないのは当然である。

 しかし、それなら一体今はいつなのか。いや、それよりもまずは本当に自分はタイムスリップしてしまったのか。それを確かめなければならない。


 ふと、リョウは自分が満天の星空の下にいることに気がついた。そして、一つのアイデアを思いついた。


『リズ、現在の恒星の配置から今が何年かを計算してくれ』


 夜空に見える星は、日時や季節ごとだけでなく、ほんのわずかながら毎年その位置を変えていく。そのずれから、現在の年を推測することが可能なのだ。

 リズに命じて、リョウは夜空を見つめる。自分の見たものはそのままリズにデータとして取り込まれ処理される。


『計算中……』

『もし、本当に古代にタイムスリップしてしまっていたら……』


 そんな馬鹿げた話があるわけがない、何かの間違いだという気持ちと、もしかしたらという不安な気持ちのままリョウはリズが計算を終えるのを待った。


『計算したわよ』


 リズの声が脳の中に響いてくる。


『いつだ?』


 強い緊張を感じながら尋ねる。その答えによって、自分の運命が決まるのだ。


『12238年よ』

『は?』


 一瞬、言われたことが理解できずにとまどった。


『悪い、もう一度言ってくれ』

『うん。恒星の配置から計算すると、現在は惑星標準暦12238年と推測されるわ』

『ちょっと待て。1200年ならともかく、12000年って何なんだよ?』


 この古代人のような服装から見て、てっきり、標準暦1200年~1400年程度ではないかと予測していたリョウはあまりの差に半ばパニックになった。


 惑星標準暦12238年


 それは自分のいた時代から1万年以上未来である。


『そんなわけないないだろう。もう一度確認しろ』


 しかし、そう指示しながら、リョウはリズが間違っているはずなどないことを知っていた。コンピューターは計算ミスなどしないのだ。


『再計算中……。やっぱり、惑星標準暦12238年よ。あたし、間違ったりしないってば』


(そ、そんな……、こんなことって……)


 何かの悪い冗談に違いない。そう思い込もうと必死になるが、自分の物理学者としての理性がそれを許さなかった。たとえ、いかにありえない話に思えようとも、証拠があるならそれが真実なのだ。「信じたくないから信じない」ではこの仕事はやっていけない。

 恒星の配置はきわめて単純な、そのかわり強力な証拠である。誤差もせいぜい数ヶ月のはずだった。


(俺は……、俺は、過去にタイムスリップしたんじゃない……。1万年も未来に来たのか……)


 想像をはるかに超えるあまりの出来事に心が押し流されそうになる。


(一体なんでこんなことに……)


 しかし、それと同時に一つの疑念が湧き上がってきた。


(いや、タイムスリップなんて、そう簡単に起こるわけじゃない。しかも、寝ている間に起こるなんてありえない)


 ここで、リョウはもう一つの仮説を思いついた。もし、タイムスリップではないとしたら? そして、ここが発掘現場であると気がついた時、リョウは最悪の結論が待っている気がした。


『……リズ、俺がカプセルで寝ていた時間を教えてくれ』

『カプセルのログにアクセス中……。10044年235日16時間48分27秒よ』


 リズの答えが頭に鳴り響く。この答えに、初めてリョウは頭を殴られたような衝撃を受けた。この数字が全てだった。


(そうか、タイムスリップしたんじゃない、単に、俺が寝ている間に1万年が過ぎただけなのか……)


 その事実に茫然自失となるリョウ。

 タイムスリップなら、何らかの理由で自分が元いた時空連続体を離脱し、別のタイムラインに飛んだことになる。つまり、今自分がいるのは、自分が元いた場所ではないという意味で、「元の時間に帰る」希望も持てよう。しかし、寝ている間に時が過ぎたのなら話は別である。本当にそれだけの時間が過ぎてしまったのだから、帰るも何もない。そこが自分の居場所なのだ。


(そんな……)


 前日の夜寝て、次の日起きてみたら1万年が経っていた。

 人間にはあまりに長い時間である。

 自分の知っている人など、もうとっくに死に絶えているのだ。


(カレン……)


 ふと、リョウの心に恋人の笑顔が浮かんだ。彼女もとっくに死んでいる。

 自分の家族や知り合いの子供や孫、さらにその孫も、そのまた孫ですら、もう生きてはいない。自分の生きてきた痕跡さえ残っていない。それどころか社会や人間のありようすら変わってしまっているだろう。一万年とはそれほどに長い。自分のいた時代から一万年前なら石器時代であり、それと同じ時間が自分のいた時代から経ってしまったのだ。

 時の重さに、急に猛烈な孤独感と喪失感に襲われる。


(みんな……いなくなってしまった……。こんな……、一体どうしろっていうんだ……)


 この状況を受け止めかねて、頭を抱えてうなだれる。

 その様子を見て、周りの者たちがうろたえたかのように、わけの分からない言葉で一生懸命に話しかけてきた。

 言っていることは理解できないが、その様子から、この者たちは自分を心配してくれているようだ。

 その様子をリョウは顔を上げてぼんやりと見つめる。もう全てが現実感のない出来事にしか感じられなかった。


 そのとき、リズの声が頭に響いてきた。


『言語解析終了。データベースにはなかったけど、解析できたわよ。接続する?』

『……ああ、つないでくれ』

『了解』


 その瞬間、周りの者たちの言葉が、意味として脳に流れ込んでくる。BICの言語データベースは脳に直接つながれているため、母国語と同じように処理されるのだ。


「どうしました? どこか痛いのですか?」

「大丈夫ですか?」


 相変わらず、熱心に話しかけてくる周りの者たち。

 孤独感と喪失感を感じているにもかかわらず、まだ非現実的な状況に実感がわかない自分が不思議だった。心が麻痺しているのか、すべてが鈍い響きしか持たない。


(何て言えばいいんだろうか。こんなとき)


 そばには、先ほど自分を覗き込んでいた女性がいる。もちろん彼女はカレンではない。

 全体的な印象は似ているかもしれないが、他人の空似である。


(何で間違えたんだろうな……)


 よほど、彼女のことばかり考えていたからだろう。

 思わず自嘲の溜息が漏れる。

 それを見て、その女性が心配そうに声をかけてきた。


「ねえ、私の言うことが分かる?」


 リョウは我に返り、うなずいた。

 

「ああ。分かるよ」


「!!」


 彼らの言葉を話したのがよほど衝撃的だったらしく、今度は、周りの者が凍りついたように固まった。

 だが、カプセルのそばにいた責任者らしき男性が驚愕からいち早く立ち直り、話しかけてきた。


「私はアルバート。この発掘隊の隊長を務めている。私の言うことが理解できるかね?」


 アルバートは、すこしゆっくりと、そして敵意がないことを示すかのように優しく微笑みながら話しかける。

 リョウは彼の方を向いてはっきりと返事をした。


「ああ」

「君はかなりの長期にわたって眠っていた。気分はどうだ? 体は動くかね?」


 もちろん、気分は絶望的だが、ここでそんなことを言っても仕方ない。カプセルの中で半身を起こしたまま、両腕を回して、首を左右に振ってみる。


「大丈夫だ」

「それはよかった。では、とりあえず、ここで長話もない。私たちの小屋へ案内しよう」

「……分かった」


 そして、アルバートは立ち上がり、リョウの手を引っ張り上げて、立ち上がるのを助ける。

 一瞬ふらついたがすぐに立ち直り、リョウはカプセルから足を踏み出した。


 それは、一万年後の世界への第一歩でもあったのだ。


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