第一話 闇薙の緋焔

◆blaze[(複)blazes]

 [名]①炎;火災

   ②強い光;閃光

   ③(感情などの)激発;かっと燃え立つ事

 [動]①燃え立つ;炎を上げる

   ②光る;輝く;色で燃え立つ

   ③(感情が)激発する


◆blazing

 [形]①激しく燃える;焼け付くような


◆blade[(複)blades]

 [名]①刃;刀身

   (以下、省略)




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「っくくく…」


 伸びた黒髪が掛かった肩を小刻みに震わせながら、男は嗤っていた。


 彼の赤い瞳に映し出されているのは、陳腐な光景だ。呻き声を上げて這いずり回る腐乱死体ゾンビ。実体となって飛び回る死者の怨念ゴースト。無骨な剣や盾で武装した、骸骨の尖兵スケルトン。そして…その魍魎達に追い立てられ、悲鳴を上げながら逃げ惑う、力無き人間。


「くっ、ははははははははははははははははははははははははははは!!」


 男はただ笑う。力の限り、息が続く限り。混乱の中に木霊する、悪意の哄笑。



「…せいぜい足掻いてみせろよ?」


 それから口の端を吊り上げ、眼前の状況を鼻で笑う。その表情は人を蔑んでいるかのようでもあり、見世物ショーを楽しんでいるようでもある。


 何故その男だけが襲われないのか?それは単純な問題だった。彼は不死アンデッドを操る屍霊術師ネクロマンサーであり、町の人間を襲っている生ける屍や骸骨戦士を操っている張本人だからだ。

 男の名はベオル・フィアーライト。『骸歌がいか奏者そうしゃ』の二つ名を持つ、屍霊術師。


 それは恐らく、計画的な行動だった。大都市から離れたこの街には『冒険者ギルド』と呼ばれるものが無く、腕の立つ人間が駐在している可能性が極めて低い。アンデッドにとっての天敵である聖職者プリーストも同様である。申し訳程度の教会があるが、これもお飾りに過ぎない。

 不死者の弱点としては陽光が挙げられるが、空は既に闇という暗黒に支配されている。再び日が昇るまでには十分な時間があるという事だ。

 街の自警団とおぼしき人間達が交戦するも、所詮は烏合の衆。恐怖せず、唯生ける者を狙う不死者達に苦戦を強いられる一方だ。


 …もう一度言っておこう。それは計画的な行動の『はず』だった。




 暫くの後、彼は己の感覚に異変を感じた。


(…どうした事だ?)


 男は魔力によって幾多ものアンデッドを同時に制御しているのだが、数体の制御が

一気にプツリと途絶えてしまったのだ。これが意味するのは、制御下のアンデッドが破壊され、機能を喪失したという事。

 街の人間によるものではない。恐らくは、手練れの者がいる――それが何者かは分からないが。大木を思わせる屈強な戦士なのか、数多の魔術を行使する魔導士なのか、それとも、天敵である聖職者の類か。


 そう考えを巡らすベオルだったが…それらは全てハズレだった。




「おおぉらあぁぁぁッ!!」


 逃亡者の悲鳴と追跡者の呻きを、気合のこもった声が切り裂いた。

突然の大音声に、ベオルはその方向に向き直る。そして…その目を丸くした。


「なん…だと?」


 目の前に映るのは、屍の大群を事も無く薙ぎ払い、突進してくる一人の人間。

 その人間は、まだ年若い少年だった。ざっと見積もって15、6歳程だろうか。

頭に巻かれた真紅のバンダナ。その下に覗くのは、僅かに幼さの片鱗を残す顔。

 眼前の敵を吹き飛ばして少年は突進する。その手に握られているのは、1mを超える大剣。鋭さと重さを備えた諸刃が、木の葉のようにゾンビを蹴散らしていく。

 あいつが? あんなクソガキが俺の駒を突破して来た? ベオルの脳が一瞬現実を否定するが、すぐさまに思考を切り替える。奴は、邪魔だ。


「ちっ、鬱陶しいんだよ!」

 そう舌打ちすると、ベオルは指を宙に走らせ始めた。まず円を描くように指を動かし、それから続けざま、円の中心に幾何学模様を描いていく。指の軌道に、淡く光る光の筋が浮かんでいき、それはひとつの陣となって表れた。


 体内に存在するエネルギー『魔力エーテル』を糧として行使する『魔術』である。それは潜在的な力を捻出し、自然法則さえ無視した超常現象を人為的に起こす術法と言われている。


 過程である魔法陣の描出をほぼ終え、淘汰すべき相手を見据えるベオル。


「消し炭になれッ…フレイムブリッド!」


 発動の合図。操られた大気が摩擦を生み、火種となって巨大な火弾を生み出す。目標は勿論…自分にとって邪魔者以外の何でもない、あの鬱陶しいクソガキだ。

周囲には配下のアンデッドが多数居るが、所詮は捨て駒。この街の人間達の骸で十分に釣りが来る。それに、これを奴が避ける事は叶わない。何故なら、少年の後方ではまだ民間人が逃げ回っているのだ。


(例え避けたとしても、それはそれで面白いかもしれないがな)


 断末魔と共に、黒焦げの焼死体が出来上がる様をベオルは想像した。その屍が一つであるか、数多くになるかの違いでしかない。


 標的へと狙いを定め、大人さえ容易に包み込む程の火炎弾が一直線に撃ち放たれ、そして――幾秒も経たずして衝突し、爆裂する! 着弾点を中心に膨大な熱量が爆ぜ、焼け付くような熱風が周囲に拡散する。

 炎が地面を焦がし、白煙が周囲を包む。少年を取り巻いていた不死者達が数体巻き込まれ、腐肉の焼ける臭いが漂い、骨が宙を舞った。


「この俺に楯突いた報いだ…ははははははは!」


 己が勝利を確信し、滑稽なまでに大声で笑い始めるベオル。


「なるほど、炭クズにされるってわけか」

「そう! さながら燃え残りの炭クズのように…」


 …そこで笑いを止めた。再び爆破地点の方向に視線を移す。時間と共に白煙が晴れていき――そして、驚愕の形相と共に眼を見開いた。そこには――


「自分の手駒を自ら吹き飛ばすとは豪快だな、お陰で手間が省けたぜ」

「なにィ!?」


 何事も無かったかのように、無傷の少年が腕を組んで仁王立ちしていた。

 確かに命中、いや直撃した筈! そう頭の中で呟き、ベオルは完全に収まった煙の中心を見る。そこに佇むのは…地面に対して垂直に刺さった、一振りの大剣だった。その柄の特徴的なフォルムから、一目で少年が先程振り回していたものと理解する。すすこそ付着しているが、あの爆炎での損傷さえ見受けられない。

 ともあれ、計算が大きく狂った事は確かだった。こんな行動は、ベオルの常識の範疇には無い。


「なっははは! 東方の島じゃ『変わり身』って言うんだぜ、コレ」


 ゲラゲラと高笑いしながら、少年が突き刺さっている剣を軽そうに抜き取る。


「ええい、戯言を垂れやがって! 何者だ、貴様ァ!?」

「名乗る名前なんざありゃしねえ、と言いたいトコだが――」


 肩に大剣を担ぎ、両の眼でベオルをめつけながら。少年は言った。


「聞いて驚きなッ! 俺こそ稀代の天才剣士、アーカルド・S・ハイム様だ!」




「アーカルド……?」


 大仰にも程がある少年――アーカルドの口上に呆れるでもなく、ベオルは呟いた。

確か、そのような感じの名前を噂で聞いた事がある。しかし、その詳細をよくは思い出せない。だが。しかしだ。今から葬る人間の事を考えた所で、何の意味がある?


「…俺とした事が、取り乱していたか…ふっ」


 気を落ち着かせ、再び邪悪に笑む。何も迷う事など無い、厭う事など無い。

忠実なる不死のしもべを以って、ただ蹂躙し、淘汰し尽くせばいいだけなのだ。

「ベオル=フィアーライトの御名において命ずる…」

 ――詠唱。見開いた眼に、不気味なまでに不敵な光が宿る。


「竜のむくろよ、闇より来たりて我が敵を屠れ!」


 石造りの地面に、びしびしと音を立てて亀裂が奔る。それは先程ベオルが術法行使の際に描いた魔法陣に似た――大きさこそその比ではないが――巨大な魔法陣を描き出した。大地が揺れ、空気が唸る。魔法陣は鈍く怪しげな光を放ち、次第にその光を強めていく。


「そんな厄介な奴まで呼び出しちゃうワケか? 大盤振る舞いだな!」


 その様子から、アーカルドはその正体を察したらしい。軽口を叩きつつも、大剣を手に臨戦態勢を取る。


「…余裕でいられるのもそこまでだ…!」


 ベオルのこめかみには、青筋が浮かんでいた。態度が気に入らなかったのだろう。


 突如として閃光が闇を切り裂き、空を支配する。反射的に、腕でそれを遮るアーカルド。暫くしてそれが止むと、彼は例の魔法陣上に現れた『それ』を睨み付けた。


(ったく、面倒臭ぇの召喚しやがって…)


 例えようも無い臭いが鼻を衝く。何十匹もの蝿がたかる程の、強烈な腐臭。


『ヴォォオオオオォォ…………』


 地獄の底から聞こえてくるような、不気味な唸り声が辺りに響く。

 少年の目の前にそびえ立つ『それ』、その正体は『竜の腐乱死体』だった。

…いや、正確には死体ではなく、先程のゾンビのように『生ける屍』なのだが。その屍竜ドラゴンゾンビは、普通の人間なら直視するのもままならない、禍々しいものだった。鋼鉄よりも硬いと言われている竜鱗は所々が剥がれ落ち、唯一原型を完全に留めている強靭な骨格には、腐臭を撒き散らすだけの爛れた腐肉や、繊維が剥き出しの筋肉が張り付いている。不気味な光が虚空の眼窩に爛々と輝いている様は、人間をより畏怖させるものであった。

 己の何倍もの大きさの巨体を、先程とは違う目つきで見据えるアーカルド。


「…趣味悪ィぜ。デカくておまけに臭いときやがった」


 ベオルは再び制御の一部が切れるのを感じた。召喚の際に、魔力を急に消費した為に、それまで制御下に置いていた不死者のすべてを御し切れなくなったからだ。


(しかし…妙だな)


 切れた支配の『繰り糸』の数が多過ぎる。先程まで注意がアーカルドに行っていたために、それに気付かなかったのだが……一度の召喚で、これ程制御が切れるのは奇妙だった。


(…まぁいい。コイツ一体いれば、こんな街も、ガキも一捻りだ)


 そう踏むと、彼は巻き添えを喰らわない程度に後方へ距離を取った。




 それから間も無く、腐臭を撒き散らす屍竜は巨体を持ち上げ、行動を開始した。肉が爛れ落ちて尚も重く、一歩脚を進める度に、石床にびしりと亀裂が幾重にも入っていく。行動パターンや思考は極めて単純である。視界に入ったものを全てを、ただ破壊する。その攻撃意識の塊は、目の前に立っているアーカルドに向けて前脚を振り上げた。


『ゴオオォォォォォォッ!』

「だぁっ!」


 外見に似合わぬ素早い前脚の薙ぎを、強く地面を蹴って躱す。そのまま着地し、両手で握った大剣を横薙ぎに振り回すアーカルド。脚を両断しかねない、鋭い斬撃。


 ――キィン!


 だが、それはその屈強な脚を切り裂く事もならず、甲高い金属音と共に弾かれた。

そこに間髪入れずに踏み付けスタンプが襲って来るが、素早い身のこなしで避ける。更に続け様に斬り付けるが、それも先程と同様、殆どダメージを与えられないまま撥ね返された。


「こりゃ想像以上だぜ、鉄をぶった斬ってるみてぇな感触だ」


 それでも屍竜は攻撃の手を緩めない。全身をくねらせて巨大な尻尾を左右に振り回し、大きく開かれた口からは、内燃機関より生じた超高温の火炎の吐息ブレスを放つ。大きく避けても、鋼鉄をも融解させる程の熱波が肌を伝う。

 その猛攻を巧みに躱しつつアーカルドは得物を縦横に薙ぐが、ダメージらしいダメージは伺えなかった。


「当然だ、腐敗しようと竜は竜!」


 やや遠巻きからベオルが勝ち誇ったように言葉を吐く。


「矮小な人間風情が一人いた所で、どうする事も出来ん!」

「…随分な言いようじゃあねーか」


 そこで屍竜と距離を離すと、アーカルドは不意にその表情を変えた。

 先程までの軽い調子とはまるで違う、さながら猛禽類を思わせる面持ち。


「その人間風情に何ができるのか…」


 片手に持ち替えた鈍色の大剣の周囲に、陽炎が揺らめいた。それと同時に、何処からか噴き出した熱風が、バンダナからはみ出した少年の黒髪を撫で付けていく。


「その目でよく見てやがれッ!」


 そして、アーカルドの気合と共に、大剣の刀身を赤褐色の閃光が迸った。空気が爆ぜ割れたような音が熱波を伴い、宵闇を駆け巡る。その余波に一瞬怯んだベオルだったが、再び彼にとって忌々しい敵に注意を向けた。


 …彼が見たものは、燃え盛る業火を湛えた焔刃を持つ、焔の剣だった。




 炎を帯びた大剣。ベオルはその正体を模索した。


(…魔法剣か…!?)


 魔法剣とは魔術の応用の一つで、魔力によって武器に特殊な力を付与するものである。


 頭に巻いたバンダナと同じ色をした炎が揺らめき、金属製の刀身が熱を帯びる。

 手にしている焔の剣を、アーカルドは目の前でニ、三度素振りする。下手をすれば

持ち手にも炎が燃え移る危険性さえ感じてしまうが、その様子はまるで無い。


「さぁーて…」


 そして、剣を背中の鞘にしまうような構え――鞘は担いでいないが――を取ると、

大地を力一杯蹴っ飛ばした勢いで眼前に立ち尽くしている屍竜に疾走した。


 先刻同様の図体離れした素早さで、鋼並の硬さを持つ爪が繰り出される。

アーカルドは上方へ跳躍してこれを躱すが、そこにもう片脚での蹴りが飛んできた。

空中では制御ができず回避行動が困難になるそれを狙っての攻撃である。だが、そこで焦る事無くその脚を蹴って勢いを殺し、宙返りしつつ着地した。


「隙だらけなんだよ!」


 巨体から繰り出される連続の攻撃には、必ずと言っていい程に隙が出来るものである。それを見逃さず、アーカルドは全身を捻り、前回と同じような薙ぎ払いを繰り出した。

「らあぁぁぁぁッ!!」


――ザンッ!!


『グオォァァァァァァァ…!!』

「なん…だと!?」


 巨竜の骸が、大地を鳴動させる程の咆哮を上げた。ベオルの顔が驚愕に歪む。 

 緋色の剣影を残しながら、炎の剣がバターのように竜の片脚を両断したのだった。

脚の一本を失った屍竜はバランスを崩しかけたが、強靭な筋肉がそれを防いだ。

 アーカルドが口元に不敵な笑みを浮かべる。


「へへ、これがアーク様の真の実力だ! …ってか?」

「…アーク? アークだと?」


 アーカルド・S・ハイム…剣士…炎…大剣…アーク。

 ベオルの脳裏に、思い出しかけていた情報がフラッシュバックする。


「『闇薙やみなぎ緋焔ひえん』…炎剣士アーク…!」


 その台詞を聞くや否や、アーカルド、もといアークは炎の大剣を突き出し、満足気に言った。


「ご名答! へへ、俺ってやっぱ有名――」

『グオォォォッ!!』

「あっぶねえ!」


 そこに火炎の息が吐き出される。調子に乗り過ぎて回避が遅れてしまったために

ジャケットの端を焦がされてしまい、黒ずんでしまった。因果応報である。


「チッ、まさかこんなガキがあの『闇薙の緋焔』だったとはな…」


 ベオルは制御の『繰り糸』を再び手繰った。他の連中を任せているアンデッドの大半をアーク一人に向けるためだ。足を止めさえすれば、屍竜の破壊力でどうにでもなる。数が減った分、他に仕向けていたアンデッドは倒されるだろうが、必要経費だ。

 程無く、標的を変えたアンデッド達が、たちどころにアークの周囲に殺到する。


「…だがこれだけを相手に、余裕でいられるかな?」

「なかなか…手厚い歓迎じゃねえの!」


 夥しい数の兵による不死の包囲網が、標的たるアークへ向けて動き出した。


 片足を軸に身体をその場で一回転させ、アークが迫り来る群れを一気に斬り飛ばした。ゾンビは刀身を覆う炎に焼かれ、スケルトンは背骨を砕かれて真っ二つになる。

 しかし、それでも戦う事を止めないのがアンデッドの厄介な所であった。上半身だけになろうとも、真っ二つになろうとも、這いずり回りながら標的へと向かっていく。足一つ掴まれようものなら致命となる局面に於いては随分な脅威だ。


『ガァアアァァァ!!』


 屍竜もその猛攻に加わった。例えそこに味方がいようとも、アークに向けて尻尾を振り回し火炎の息を飛ばす。ダメージこそ被ってはいないものの、これではとんだイタチゴッコだ。


「ったく、何やってんだよあいつは!」


 悪態をつきながら、アークは現状維持としか言えない行動を繰り返す。この状況が延々と続けば、流石に体力と集中力にも限界が来る。そうなれば待つのは、死。


「…仕方ねえな」

「くくく…どうした、這いつくばって命乞いでもするつもりか?」


 半ば勝ちを確信し、その顔に嘲笑を貼り付けているベオル。


「いや、作戦変更だ。さっさとブッ倒させてもらうつもりだ」

「何…?」


 アークは剣先を後ろに向けるように構えた。一見しただけでは、剣を後方下段にとった奇妙な構えとしか思えない。


『グオオォォォォ!!』


 すかさず、屍竜は大口を開け、凄まじい温度のブレスを放射した。


「…喰らいやがれ! 絶破剣ぜっぱけん裂空轟破れっくうごうは』!!」


 その応酬とばかりに、アークは円を描くように、大剣を全力で振り上げる。

 炎の剣による渾身の一振りが、熱風を伴う巨大な衝撃波を生み出し、発射された。それは射線上のアンデッドを次々に薙ぎ倒しながら大気中を超高速で飛翔していき、吐き出された火炎へと衝突した。炎が熱風の壁に裂かれ、二つに分断される。


「馬鹿な…!」


 ベオルが、露骨に顔をしかめる。

 その威力こそ弱められたが、衝撃波は大きく開けられた屍竜の口内に直行していき…炸裂した!


『グゥオオォォァァァァァァ…………』


 体内での衝撃に、命無き竜が空気を震えさせる。虚空に響く、亡者の咆哮。

 屍竜の動きが止まったその隙を突いて、アークは衝撃波で開いた道を突き進む。

横からアンデッドが行く手を阻もうと突進してくるが、剣を横に薙いで吹き飛ばしていく。


「せぇっ!」


 ある程度屍竜に近付いた所で、アークは態勢を低くし、一気に跳躍した。


「そうは…させん!」


 魔法陣を描き、掌をアークへと向けるベオル。行使する魔術は先刻と同じく、炎の塊を撃ち出す火術『フレイムブリッド』。今度は標的が空中にいる。躱す手立ては、無い。

 口元をニヤリと歪ませ、少しの躊躇も無く火炎弾を発射した。

「消し炭になれ!」

「…やべぇ、飼い主を忘れてた」

 そんな事もお構い無しに、標的を焼き尽くさんと紅蓮の炎は一直線に飛んでいく。

 無論、喰らえば無事では済まない術である。だが、防ごうにも確実な手段を持っていない。

「くそったれ!」

 一か八か火炎弾を両断しようと、アークが空中で剣を薙ぎ払おうと試みる。

 …その時。


――ビシュッ!


 風を切り裂いて、高速で飛来する何かを彼らは見た。

 それは緩やかな放物線を描き、同じく宙を舞う火球へと命中する。

 炎は二つに分断されて、それぞれ別々の方向へと飛散した。そして…虚空で爆発!


「やれ、アーク!」


 アークともベオルとも違う、第三者の声が響く。

 アンデッドは普通、声など発しない。発声器官が既に壊死しているからだ。

 となると、考えられる事は単純に一つ。

(仲間がいただと!?)

 誤算…いや、それは想定できる範囲内の事である筈だった。だが、アークを倒す事のみを考える故に冷静さを欠き、それを見落としたのである。


 そして今、もう一つの誤算が起こる。

 二つに割れ、半球状になった火炎弾の一つが、アークの後方で爆発した。

 アークは空中にいるため、爆風によって前方への加速度が増す。これによって、

それまでは届くか否かの距離だったジャンプが、ほぼ確実に届くものとなった。

 グローブ越しに両手でしっかりと炎の剣を握り締め、アークは『力』を放出する。

燃え滾る業火がその勢いを急激に増した。真紅の刀身が、一目で分かる程に肥大化していく。


「簡単に死なねぇってんなら…」


 焔刃は10メートルを悠に超えた。それでも質量は元のままのようで、思い切り振りかぶるアーク。炎は破壊の象徴であると同時に、浄化という意味をも持ち合わせている。それが何を意味するか。


「丸ごと…真っ二つに! するまでだッ!!」


 炎の大太刀が、竜の骸へと振り下ろされた。紅い影が、朧な円弧を描き出す。


――ドゥッ!!


 屍竜の胴体に、炎の刃が喰い込んだ。

 ジュウゥと腐肉が焼けていく音が立て続けに起き、真紅の剣影が埋没していく。

 竜はただ、怨嗟の呻きを漆黒の空に響かせた。それは、己の二度目の死を怨んでだろうか。全くの無抵抗であるかのように、炎は屍竜の胴に深々と沈み込んでいく。


「――成仏しやがれ」


 完全に剣が振り抜かれた。焔刃は石塊が敷き詰められた地面を焦がし、消滅する。

それと同時に、屍竜の全身が瞬く間に業火に包まれた。紅い光が煌き、暗闇を照らす灯火と化す。


 火達磨になりながら、その巨大な骸は絶叫したのかもしれない。或いは、そうしようと。だが、いずれにしても、炎上する己の発する乾いた音で、それは虚空へと紛れ、消えていった。




 そして…禍々しき竜の屍は燃え尽き、灰すらも残さず、その存在を消した。

 大剣を纏っていた炎の刃は完全に霧散し、既に黒鉄の刀身があるだけだ。


「屍竜が、たかがガキ一人に…!? 何故だ? 何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ、何故だッ!?」


 アークにとって場に残っている敵は、頼みの綱であった傀儡を失い、狼狽するベオルのみ。屍霊術師に召喚されたアンデッド達は、召喚者本体が死亡、または思考が極度に搔き乱された時、その機能を停止し、土へと還る。実際に、ベオル当人は完全に取り乱しており、その支配は途切れるべくして途切れたのだ。


「勝負あったな、屍霊術師」


 すぐ背後からの声に、ベオルは我に返る。声質からして、先程彼の邪魔をした人間だろう。今の俺は最高に不機嫌だ、とでも言いたげな凄まじい剣幕をしながら、彼は振り向く。

 …そして、その顔を更に不機嫌なものへと変えた。


「また…ガキ…だと?」


 顔を露骨なまでに引き攣らせながら、ベオルは呻く。


「心外だな。あの馬鹿と同一視されるとは」


 冷めた口調で語る、不動の人影。その正体は、年端もいかない少女だった。

 くすんだ紫色の長髪が夜風を受けて流れ、月に照らされて淡く輝く。全てを貫き通すような強い意志を秘めた蒼の瞳は、凛とした美しさをより際立たせている。

 だが、その顔に浮かぶ表情は、全ての要素を取り去ったかのような無表情だった。

よく観察しなければ、少女がおよそ十代半ばだという事は窺い知れないだろう。


「このまま俺が引き下がると思…」

「動くな」

「…ぐっ!」


 ベオルの首筋に肉厚の短剣が突き付けられ、更に少女の見た目からは想像もつかない膂力で腕を抑えられる。魔法陣の展開をさせなければ、基本的に肉弾戦を苦手とする魔術師は無力化させたも同然だ。


「ここ最近になって、過激な連中が随分目に付く」


 感情を取り払ったかのような淡々とした口振りで、少女が話し始める。


「…お前達の『裏』にいるのは何者だ? 何が目的だ?」

「簡単に俺が話すと思うのか? …貴様如きに」

「答えが『いいえノー』なら、それはそれで構わないが」


 短剣を握った腕を首側に強く引き、締め上げる。凄まじい力だ。

 力の加減ひとつで、ベオルを絞め落とす事くらいは容易いだろう。


「然るべき裁きは受けて貰う。続きは獄で垂れるんだな」

「…ふっ」


 窮地に立たされた屍霊術師は、乾いた笑いを漏らした。 

 多少気味の悪さを感じたが、それでも少女は絡めた手を緩めない。


「何がおかしい?」

「…知りたいなら、教えてやろう」


 そこで、少女は感付いた。だが…しかし。気付くのが一寸遅かった。


「詰めが…甘かったな!」


 突如、ベオルの全身が光の粒子と化し、少女の拘束を免れる。無数の光はそのまま、明後日の方向へと凄まじい速度で飛び去って行った。残ったのは…彼の哄笑。


「っははははははははははははは! 次は貴様らを…屈辱的に殺してやろうッ!

 それまで覚えておけ、この『骸歌の奏者』! ベオル・フィアーライトをなッ!」

「…とんだ負け犬の遠吠えだな」


 一人その場に残された少女は、相変わらずの無表情でその先を睨んでいた。




 それから少しして、アークが少女の所へと…特異な格好で歩み寄って来た。

 彼の右手には、例の鈍色の大剣が握られていた。問題は、左手に握られているものである。それは、大剣と同じように金属製の重厚な刃を持った、両刃の戦斧バトルアックスだった。世界広しと言えども、大剣と戦斧の二刀流はそう御目に掛かれない。


「逃がしちまったか?」


 時間を尋ねるような感慨の無さで尋ねながら、アークは戦斧を宙に放り投げた。

 戦斧は緩やかな弧を描きながら飛んで行き、ドッ!という鈍重な音を立てて地面に刃を埋める。

 そして柄を片手で握り、少女は難無くそれを引き抜いた。火球を破壊した飛来物とは、まさにこの斧のだったようだ。

「…『牽引魔法ドロウ』を使われた。それも、かなりの遠方からな」

「転移系の奴だっけ? となると、やっぱ他に仲間がいたって事か」


 腕組みをするアーク。牽引魔法は行使者と被術対象によって成り立つ魔術であるため、少なくともベオルを引き寄せた術者がいると考えて間違い無い、という事だ。


「まぁ、それは後に置いといて…」

「…何だ?」

「いや、あの迷惑野郎を追っ払った分の報酬ギャラの徴収に」


 そう言いつつ町の方へ足を進めるアークの襟首を、少女が掴んだ。

 急に衣服だけ逆のベクトルに引っ張られたために、首が締まって咳き込むアーク。


「おげっ…! な、何しやがんでぇ!?」

「報酬だと? それを何処に請求するつもりだ」

「そりゃお前、ギルドがねぇんだから…カンパとかでだな…」

「この混迷に金の無心をするのか。少しは人の心を考えたらどうだ」


 手を離した瞬間物凄いスピードで走り去って行きそうな程に足をばたつかせるアークだが、その外見とは余りにも不相応な少女の怪力に止められ、身体は少しも動かないでいた。結果的に気道だけが圧迫され、顔が見事に紅潮していた。危険域である。


「タダ働きに…なっちまうだ…ろ…とりあえず…手離せって…!」


 その様子に冷ややかな目を向け、少女は襟首を引く腕により一層力を込めた。


「うっ…がぁぁぁ…!!」


 首を強烈に圧迫された上で後頭部をモロに石床に直撃させ、悶絶するアーク。

 白目を向いて口から泡を吹く彼の姿に一瞥をくれると、少女は一言、


「…聞こえていないとは思うが。離してやったぞ」


 そう言い残し、まだ混乱が収まり切らぬ町へと、一人踵を返した。




 ――彼が目を覚ましたのは、それからたっぷり二時間後の事だった。


 クリアになった視界の先に見える景色は、先程まで見ていたものとはまるで違う。建物らしきものは全く視界には無く、その代わりに、傍に鬱蒼とした森が目に映る。

 そこでふと、パチパチと乾燥した木が燃える音が耳に入った。

 素早く跳ね起き、アークは音がした背後を振り返ってみる。


「漸く起きたか」


 そこに見えたのは、赤々と燃える焚き火と、彼に冷たい視線を送る少女だった。

 もう少しぐるり周囲を見回してみると、彼の荷物一式と、大型の鞘に収まった大剣が転がっていた。少女の傍らには、同様に彼女のそれが置かれている。


「お前が呑気に寝ている内に、所持品だけ宿から回収してそのまま街を出た」


 その言葉を聞き、此処は街外れの野外なのだろうと理解した。それと同時に、先程揉めていた物事を思い出す。アークは口に出さずにはいられなかった。


「…ノーギャラか」

「ノーギャラだが」

「…何事も先立つものがな。ああ、もういいや。二度寝する。見張りよろしく」


 抗議する事すら疲れ、天才剣士は不貞寝を決め込んだ。








 一方――アーク達の野営地から遠く離れた、山岳地帯の麓。


 それまで宙を漂っていた無数の光が地上の一点に集約し、人間の形状を形作る。光は次第に薄れていき、最後には闇へと消えていった。

 中から現れたのは、ベオル・フィアーライトだ。


「おやおや…貴方とあろう人が不覚を取るとは」


 そこには、彼以外に人影が佇んでいた。高くもなければ極端に低くもない、特徴たる特徴を持たない若い男の声。その人影に、ベオルが自分以外の全ての人間を蔑視するような目を忌々しげに向ける。


「ドライセンか…フン。まさか、今回の事を恩義に感じろとでも?」

「ご冗談を。そのようなつもりは毛頭ありません」


 人影…ドライセンがそう言い終えると、青みがかった闇色の法衣を纏った人間が姿を現した。背丈からして男であると思われるが、目深に被ったフードのためにその顔までは窺えない。


「貴方は『あのお方』の大事な手駒の一つ、手助けした理由はそれだけです」

「この俺を駒扱い…だと?」


 眉間に皺を寄せ、ベオルは歯軋りをする。だが、すぐに表情を元に戻すと、


「…まあいい。ならば、次は期待通りの活躍をしてやろうじゃないか」

「そうある事を願いますよ」


 そして、星一つ無い曇天の夜空を見上げ…彼は呟いた。


「次は目にものを見せてやる…『闇薙の緋焔』」





◆◆◆



-あとがき-

ところで首が圧迫されるというと首絞めオナニーを思い出すんだけど、

圧縮袋を使った窒息ニーってそれほどまでに快楽係数が違うのだろうか?


まあ、試そうとはとても思わないが。

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