二重後:魔女

 「魔女」と聴いて、なにが思い浮かぶだろう。

 童話に出てくる悪い魔女か。

 それとも困った女子供を救う良い魔女か。


 哀しいことに、本当に哀しいことに、佐久夜はそのどれもが「魔女」を正しく理解していないということを知っていた。


 一般的に広く認識されている「魔女」というのは黒装束にとんがり帽子、森の奥深くに住み、人智を超えた魔法を使う女性。その多くは老婆がイメージとして強い。それは中世に異常なまでに流行した魔女狩りが原因のことが多い。

 ヒトは魔女を畏れるのだ。己と違う理で生きる存在、それを怖れ、畏怖し、そしてその恐怖から逃れる為に排除しようとした。


 けれど、「魔女」は決して絶滅などしていない。

 「魔女」の多くは妙齢の女性、外見はふつうの人間だ。

 ヒトと違うのはたった一つ。

 女性であるのにも関わらずその胎に子を孕むことはない。その子宮は新しいヒトを産むことなく、「魔女」を産みだす。

 子種を注いでも決して植わることはなく、その精気を所謂魔力へと変換する能力を持つ。


 佐久夜が長子ではないのに宗家に送り込まれたのはもちろん理由があった。異常なまでの祖母の執着も、を知っていたからに他ならない。


 言霊というものがある。文字として顕したもの、声として発したもの、「言葉」というものは世界に通じる。言葉という鍵を通して世界にアクセスすることができるもの、それが「魔女」なのだ。

 「言葉」というものの発端が『世界を形作るあらゆる事象を理解の出来るものに当てはめた』からだ。

 遠い遠い昔、夜空を切り裂く雷光や流星は恐ろしいものだっただろう。頭上にある星々がいつか己の頭に降り注いでくるかもしれないと恐怖に駆られる、今では愚かとしか言えないようなことでさえ、人間には理解が届かない恐怖でしかなかった。

 それを「言葉」を用いて理解の及ぶものにしていった。それが人間の進化であり、神秘を暴く愚行でもあった。


 だから人間は畏れ、怖れる。

 「魔女」を。

 「言葉」という人間の叡智を用いて奇跡を為し、時には害を為し、時には救いを与えるモノを。「魔女」という烙印を捺し、迫害し、異端であり排除されるべきものだと認識を広め、世界の片隅へと追いやった。それでもなお足りぬ。

 滅ぼし尽くしてやると言わんばかりに中世の魔女狩りは苛烈だった。哀しむべきはその焔に焼かれたのは魔女ではなく単なる女性であったことだ。


 そして、世界はまた少し歪んだ。「滅ぼせないのならば取り込んでしまおう」と考えた者たちがいた。敵であるから恐ろしい。味方であれば、己の手中にあればこれほど利用価値のあるものはない。

 そう考え、利用した者がいた。





 ……いつからかは解らない。憶えている限り、物心ついた頃にはだった。

 自分の口唇から放たれた「名前」、それを呼ばれた相手。抱かれていた感情が好意であれ悪意であれ、それは増幅された。名前を呼ぶ度に好意は恋情に、悪意は憎悪に緩やかに変化していった。

 自覚した時には既に遅く。意識して名前を呼ばないようにしたところで焼け石に水だった。

 あらゆることを諦めた。


 無意識に放たれる言霊ほど厄介なものはない。名を呼ぶ度に執着が強くなり、最早愛などとは呼べる代物ではなくなってしまった。

 所詮は呪われた「魔女」、愛されることも求められることも結局はその力や性質によるもので、「魔女」でない自分に価値などないに等しい。


 そのように佐久夜が思い込んでいても仕方ないというものだ。幼い頃からずっとずっと呪いのように言い聞かせられてきた言葉があった。言葉は世界に通じる。つまり、そのように思い込まされてきたという方が正確である。人身御供のように偏執な祖母に差し出された佐久夜は、厳しい躾という名の体罰に疲れ切っていたから。


『お前は本家へ嫁ぎ、当主の役に立つためだけに産まれた』

『お前には魔女の呪われた力がある。お前の声だ』

『お前のその力は忌み嫌われるものだ』


 そう言い聞かされ、刷り込まれる度にならばもう何も声に出さずに済むように喉を掻き切ってしまいたいと何度思ったことか。

 嗚呼、でも。

 こんな呪われた力でも、貴方の役に立つのならばと。

 まだこんな風になる前、幼い頃。

 名を呼ばれ、手を引いてくれたおとこのこ。

 いずれお前の夫になるのだから尽くしなさいと言われた時には嬉しくて泣いてしまいそうになった。


「私の全ては貴方の為にあった」


 佐久夜は耳を塞いでうずくまったまま、呻くように呟く。毛足の長い絨毯が落ちてきたその呟きを拾ったが、結局は何処にも行けず独白のまま。


「嗚呼、」


 溜息のように声が漏れる。


「どうか私のことなど忘れて、幸せになって」


 ……この呪われた力でも、願うのは貴方の幸せばかりなのだ。


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