二重肆:邂逅

 庭でのランチは広間でのランチパーティへと変更になった。庭師のジョン、料理長のロブソンを始めとする使用人たちが佐久夜の作った料理に舌鼓を打つ。

 思った通り、兎肉のパイに醤油をちょっと垂らすとものすごく美味しかった。バターがふんだんに使われているのだから、醤油との親和性も高い。バターの濃厚さを醤油がさっぱりと軽やかに感じさせてくれる一品になっていた。とろりと蕩けるクリームの甘さ、ほろほろになった兎肉の柔らかさと醤油のしょっぱさを満喫しているとロブソンが目敏くそれを見つけて真似をしだし、そしてその味を絶賛するものだからそれを耳にした使用人たちも同じようにパイの皿に醤油を垂らして口にし、おなじようにその味を絶賛した。


「楽しんでおられますか、お嬢様」

「ワタナベさん」


 普段よりも柔らかな声音で話しかけてきたワタナベに、佐久夜はにこやかに応えた。


「兎のパイは初めて食べましたが、ものすごく美味しいです」

「そうですか、それは良うございました」


 見れば、ワタナベの持つ皿にも兎肉のパイが載せられ、更に醤油が垂らしてある。思っていたよりも醤油や味噌などの調味料は屋敷内に好意的に受け入れられていると実感する。


「……お恥ずかしい話、私はあまり和食が好きではありませんでした」

「えっ、そうなんですか」

「ええ、でも、お嬢様が厨房に立ち料理を振る舞ってくださるようになってから、ただ単に自分が忘れていただけなのだと気付きました。

 私が日系三世なのは以前お話しましたよね? 実は私は幼い頃日本に……祖母のところに預けられていたことがあったのです。嫌な思い出だと、無駄な感傷だとばかり思っていましたが、そうではなかった。英語しか話せなかった私にも、祖母は優しく語りかけ、……よく、ミソシルとタマゴヤキを作って食べさせてくれました」

「……優しいおばあ様だったんですね」

「お嬢様のお陰で思いだすことが出来たのです。本当にありがとうございました」

「いえ、そんな……でも、良かったです。少しでも喜んでもらえたなら」


 会話しつつ、自然と立ち位置が変化する。大きめの窓から遮るようにワタナベが立ち、おそらくレースカーテンが風で靡いても佐久夜の姿は外から見えないだろう。微笑を絶やさないままさりげなく周囲を観察すると、窓に近いあたりに庭師や警護人といった体格の良い人物がその立ち位置を占めている。メイドや洗濯婦といった女性使用人は比較的自分佐久夜に近い位置だ。近くといっても大股であれば2歩ほどの距離。咄嗟にかばうことも出来るその位置に、嗚呼、やはり自分の予想は間違ってくれないのだなと少しだけ胸が痛む。


 表面は穏やかで和やかなランチパーティが終わる頃合いに、この後どうするのかとワタナベからやんわりと確認された。

 朝から厨房に立っていたこともあり、少し食べすぎたので自室で読書しながら休憩しますと微笑を浮かべたまま答える。満点に近い答えだったようで、それが宜しいでしょうと頷かれた。


 片付けを手伝おうとしたら、ワタナベだけでなくロブソンからも断られた。佐久夜が作ったポン酢で色々と試作したいからというもっともらしい理由まで述べられては、押し通すことも出来ない。苦笑いを浮かべてよろしくお願いしますと退いておいた。

 自室に戻り、控えていた護衛に部屋からは出ないからと言い含めて退室してもらう。後ろ髪を引かれるように、けれど渋々ながら護衛が退室したのは日頃の佐久夜の行いがどちらかと言えば従順で約束を違えない性質だったからだろう。

 実際、佐久夜は部屋から抜け出そうとは思わなかったし、そうする必要もなかった。


 心地の良い午後の陽光が窓辺を淡く照らしている。レースカーテン越しに見える空は蒼い。薄雲はあるが、それでも晴天と言っていいほどの陽気だ。遠くから鳥の声が聴こえる。


 ぴぃ、ぴぴ、ぴぃ。


 少し開いて、また。


 ぴぴぴ、ぴぃ、ぴぴ。


 ―嗚呼。


 ソファに腰を下ろし、佐久夜はのその鳴き声に手で顔を覆った。そうしないと涙が零れてしまいそうだ。

 この鳥の鳴き声はよくある暗号だ。けれどよくあるからこそその精度が極めて高い。一種の声帯模写にも近い精密さで、鳥の鳴き声を真似る。その音の高低、長さ、ブレスの切れ目で伝えられる内容は多岐に渡る。

 恐らくは清世たちも同じようなものを使っているのかもしれないが、どちらかと言えば電子機器での通信が主流になってきている昨今、廃れた技術と言われてしまえばそうだ。


 嗚呼、だけれど。

 佐久夜には解る。解ってしまう。これは。


「……あのひとの、」


 呟く声は口唇から零れることはなかった。


『逢いたい』

『顔を見せて欲しい』


 伝わる内容は単純で、けれど最も受け入れ難いこと。

 もしも佐久夜が勝手に部屋から、つまり清世の庇護下から離れたとして。それを清世が、何より自分が赦せるだろうか。生命を救われ、何不自由ない生活をさせてもらって、その上更に裏切るような真似が出来るだろうか。直接逢って確かめたいことはある。言いたいことも、訊きたいことも、たくさんある。顔だって見たくない訳じゃない。


 揺れ動く感情とは別に、胸を締め付けるような痛みが襲う。其処を手で押さえて、引き攣れる感触に思い出す。右胸。そう。右の胸だ。

 突き立てられた刃物が自分の肉に食い込んでくる、その奇妙なまでの冷たさをはっきりと憶えている。

 視界に映る自分の手、その甲にも薄らと残る傷痕。何よりも自分が一番解っているのだ。この傷をつけたのはなのか。


 それは、自分に逢いたいとこいねがう彼だ。

 幼い頃から傍に居て、これからもずっと傍に居るのだと、隣に並び立つことはなくともせめてその背中を護れるようにと思っていた彼だ。


 そして自分を『魔女』と呼んだのも、彼だった。




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