二重参:選択の刻
人生なんて選択の繰り返しだ。何をして何をしないか。AとBを比較してどちらがより良いか。そして、択ぶか択ばないか。
どれもこれも選択して、それがきっと自分にとって良いことなのだと思いたくて。
自分で択んだからこそ、それが間違っていないと思いたくて。
―嗚呼。
瞬間に満たない刹那。
―私は何も知らないふりを貫こう。
次いだ一呼吸でそこまで決める。息を吸って、表情を整えて。
「ロブソンさん、これ……
勢いよくドアを開けて笑顔で尋ねる。振り返ったロブソンの表情はいつもの好々爺としたもので、嗚呼、やっぱり自分の選択と決断は間違っていなかったのだと内心安堵した。
「いいですとも。
aubergineは焼いて良し、煮て良し、お嬢様は目利きも鋭いですなぁ」
「あ、茄子ってそう呼ぶんですね……」
日本の茄子紺色とほぼ同じの色味だが大きさがかなり違う。触った感じは大きな米茄子をちょっと縦に伸ばしたような印象だ。
「オヒタシにするんですかい?」
「うーん、おひたしにしようと思ったんですけど、ピンとくる葉物がなくて。
それならこれを焼き茄子にしてさっぱりポン酢で頂くと美味しいかなって」
「ヤキナス……」
「美味しいですよー……皮目をこんがり焼いて、その熱で中身を蒸すんです。とろっとして、香ばしい香りもして……きりっと冷やしてかつお節とポン酢で頂くともう……」
ちょっとだけわざとらしいまでの営業トーク。ロブソンの表情がキラキラとしてきたところで、にっこりと笑う。
「兎肉の煮込みはもうちょっとかかりますよね? じゃあ、あっちのグリルをお借りしてもいいですか?」
「どうぞどうぞ、お好きに使ってくだせぇ」
厨房を預かる料理人の許可を得たところで、3本ほど持ってきていた茄子で足りるか不安になった。この調子ではきっとロブソンをはじめ使用人の方々もきっと食べたがるだろう。貯蔵庫には30本以上あったし、10本分くらい作っておいたほうが良いかもしれない。
一旦流しに茄子を置いて、もう一度貯蔵庫へ。薄暗くほんのりと冷えた空気が思考をクリアにしてくれるような、そんな錯覚を得た。
ロブソンの反応や表情から見るに、やはり判断は間違っていなかった。
例えばそれを知らされるのならば、清世か鴉からもたらされるのがきっと一番良い。自分の耳が良すぎるのがいけない。これは誰を責めようもない。仕方ないことだ。
日本に居た頃から、耳は良かった。勿論、情報収集として聞き耳を立てなければならない場面だって多かった。気配を読むことは呼吸を読むことだと教わった時から、己の呼吸音を限りなく消し、対象の呼吸音、足音、下手をすれば鼓動まで聞き取れるようになった。
耳に差した無線の音など拾うことなど容易いのだ。
自分から見て完璧超人だと思えるほどの清世も、意外なところで抜けているんだな、と佐久夜は苦笑した。
さて。
思考と意識を切り替える必要がある。
―自分は何も聞いておらず、ただ、楽しくロブソンと兎肉を料理している。
―料理が終われば小広間で使用人の人たちと楽しくランチをしよう。
―きっと兎のパイは美味しい。ちょっと醤油をかけたらもっと美味しい。
―この茄子も焼き茄子にしたら美味しい。生姜とポン酢がきっと合う。
―パイを焼いている時間で他にも何か作ろう。
―美味しいものを食べている間にきっと全部が終わるだろう。
―必要であれば清世さんか鴉ちゃんが来る。来なければそれはそれで良い。
―記憶に蓋を。意識を箱に。私は何も聞いていない。
すぅ、息を吸って。
はぁ。吐く。
閉じた瞳を開けて、目的の茄子を両手に抱える。抱えたところで、元々の大きさが大きすぎて10本などとても持っていけないことに気付く。
エプロンの裾を持ち上げて、そこに茄子を置く。これなら良いだろう。
よいしょ、と軽く声を上げつつ扉を押し開けて。そのまま流しまで歩く。ひとつずつ茄子を流しに置いて、ぱらりとエプロンの裾を払う。
ヘタについた棘に注意しながらそれを切り取って、表面を軽く洗う。
その間にグリルを温めておいて、洗い終わった茄子から水気を拭いて並べていく。火加減は中火。ゆっくりゆっくり加熱して、皮目が焦げて香ばしい香りが立つまで。
良い感じに焼けるまで時間がある。ポン酢も仕込んでおこう。
佐久夜が厨房に入るようになってから、醤油や味噌の消費が格段に増え、此処が英国だと忘れてしまいそうな程には和食の食材が多く置かれるようになった。
一升瓶で置いてある醤油、5㎏入りの樽にみっちり詰まった味噌。味醂や料理酒まで揃っているあたり、ロブソンのこだわりが垣間見えるようだ。
醤油と果実酢、かつお節と乾燥昆布。それらを合わせて冷蔵庫に入れておけば美味しいポン酢が出来る。本来なら24時間以上寝かせたいところだけど、全部の料理が出来るまで2時間くらいはあるだろうから今回はそれで良しとする。余った分はそのまま寝かせておこう。きっと酢の酸味もまろやかになって果実酢の爽やかな香りが際立つだろう。
冷蔵庫にポン酢を仕込んだボウルを入れる瞬間、複数人のものであろう慌ただしい足音が良すぎる佐久夜の鼓膜をわずかに揺らしたが、それを彼女は聴かなかったふりをした。
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