銃救:赤と黒に染まった日

 それは突然のことだった。人生なんてそんなものだ。平穏な日常はいつだって脆く砕け散る。鳴り響いた携帯電話モバイルフォンの着信音に不穏なものを感じたのは気のせいだったのだろうか。

 着信に応じるのよりも一瞬早く、周囲に居た使用人に目配せする。


「はい」

『助けてください』


 開口一番に放たれた言葉。危急を告げる声。


「今何処に……いや、確認できた。 状態は?」


 視界の隅で使用人の一人がGPSで居場所を確認しているのが見えた。手を振って迎えをやるように指示を出し、現状の確認に努める。


『刺傷が……数が多くて、応急手当で止血しましたが、早急に輸血や縫合が必要かと』

「わかった。準備は整えておく。迎えをやるから、無理をしてはいけないよ」

『はい、』


 ぷつり、切れた通話にふぅ、息を吐き出して思考を切り替える。嫌な予感はあった。このまま平穏無事に自国英国に戻れるとは思っていなかったけれど。しかし。


「今も昔もあそこは変わらないのか……」


 失望が胸をかすめる。遠縁とされてきたが、それは遠ざけられた結果だった。正当に評価されていれば、今頃本家に連なるもののひとつとして烈腕を奮っていてもおかしくはない。しかし、不都合がある時だけ本家のよしみで縋ってくる。突っぱねると卑しい毛唐と罵られ、応じると利用してやったとほくそ笑む。

 弟子として清世を引き取ることでそれを断ち切ろうとしたけれど、自分の判断は間違っていたのだろうか。自分はともかく、清世があの家のくだらない血の鎖に繋がれ潰されるのだけは避けてやりたかった。


「旦那様」


 思考に沈みながらも手だけは準備を整えていたらしい。ワタナベが声をかけてきたことでそれを自覚する。


「清世様を保護致しました」

「早かったな」

「鴉様と猫様にも助力いただきました。清世様もですが、ご一緒に女性の方も保護致しまして、そちらの方が重傷です」

「ふむ、」

「どちらも処置室に通してございます」

「ありがとう」


 的確な報告と準備に礼を言って、処置室に向かう。準備しておいた道具はそのままワタナベが持って行ってくれる。

 何が起こったのか訊くのは後でも良い。その時間くらいなら作れる。問題はその後だろう。思考の端に黒いものが混じったのを、わたしは無視した。












 銀色の処置台が紅く、黒く染まっている。白い腕が見えた。教えた通りの応急処置が施された彼女の肢体は、白を通り越して青ざめていた。


「キヨ」


 声をかけると返り血だろうそれに染まった清世が振り向く。涙をこらえるような悲痛な表情だった。


「師匠」

「お前の傷は良いのかい」

「私は後で。それよりもこちらを―」


 頷きながら処置台へ視線を向ける。両手足に大小問わず無数の外傷。胸部や腹部にもそれが散らばっている。殆どは止血しているが、まだじわじわと出血している場所も見受けられる。

 四肢の傷もそうだが、胸部と腹部の傷の深さを確認しなければ。必要とあれば輸血も。傷の場所から肝臓や心臓などの重要な臓器に傷は入っていないだろう。しかし、肺や腸に損傷があるかもしれない。

 小さい傷は洗浄して外科テープでの固定でよいだろう。そう判断して指示を出そうとしたが、清世が手早くそちらの処置を行い始めていた。


「キヨ、そちらはお前に任せる。体幹の傷は縫合も合わせて内部の確認を行おう。準備してくる」

「わかりました」


 手を洗いながら、処置台に横たわっていた彼女に関する記憶を呼び起こす。何度か目にしたことがある程度。言葉を交わしたことはない。幼い頃、清世と共に遊んでいたような気がする。年齢の割に落ち着いているような……出逢ったばかりの清世のような眼をしていた。何もかもを諦めている眼。何の執着もない哀しい眼をしていた。

 清世の弟に嫁すると聞いていたが、自分の記憶違いだろうか。












 「では、話を聴こうか」


 清世の腕に包帯を巻きながら、放たれた静かな声に無意識に身体が強張る。何から話せばよいものか。冷静に事情を説明するのが最善だと解っているけれど、どうにも口唇から言葉が出ていかない。


「……お前がそうなるのも無理はない、どうしても今言えないのなら無理して言う必要もないよ」


 ぽん、と優しく肩を叩かれる。その優しさに熱い熱の塊を飲み込んでしまったかのように胸が詰まる。何もかも吐き出せたらいっそ楽だろう。だが、自分でも解らないことばかりなのだ。どうして。何故。疑問符だけがぐるぐると頭を回っている。


「……つなぐが……義弟おとうとが、」


 喉から声を絞り出す。瞼の裏に焼き付いた光景。思い出したくないと思っていても、皮肉なことに脳は正確にその光景を再現する。

 黒くて紅い部屋。満ちていた生臭く重い空気。握られていた銀色は赤く黒く染まって。白い肌にはいくつもの紅が咲いていた。戦場で付いて離れなかった血の匂い。こんなところで、しかも彼女にそれが襲いかかるなんて。


「私が……私がいけないんです、何かがおかしいと……気付いていたのに、それに対してなにもしていなかった」


 震える手を握りしめる。指先に心臓があるかのようにどくどくと脈動を感じるのがどこか自分のものではないような感覚があった。

 視界が歪む。薄い水の膜が張って、ゆらゆらと揺れる。


「キヨ」


 巻き終えた包帯を綺麗に止めて、軽くそこを叩く。ゆるりと見上げてきた瞳は潤んでいて、眉根は寄せられている。滅多なことでは表情が変わらない弟子だった。以前よりは穏やかに笑うことが増えたと内心安堵していたというのに。

 感情が増えたのは良いことだが、出来ればこんな表情は見たくなかった。


「起こってしまったことは仕方ない。 お前が気付いた時には遅かったかもしれない。 そして、たらればのIfを話していてもどうしようもないことは解っているね?」


 厳しいことだと、今の清世には酷なことだと解っている。それでも親代わりだ。こういう局面でも学んでいかなければ、いずれ清世はつぶれてしまう。


「大切なのは起こってしまったことではなく、起こったことに対してどう対処していくかだ。 わたしはお前に、それを考えられるように教えてきたつもりだよ」


 感情が落ち着くようにと握りしめられたままの手を撫でる。ゆっくりとだがそれがほぐれていくのを感じて、表情には出さないまま安堵する。

 大切な清世。幼い頃から世界中を連れまわしてきた。

 可愛い清世。自分の知識を余すところなく伝えてきた。


「……はい、師匠」


 瞬きをして、まっすぐに見返してきたその瞳は、もう濡れていない。


「よし、では状況を整理しよう」



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