二重:願うだけなら罪もない

 過去は「過ぎ去ったもの」だ。どう足掻いても上書きも修正もされない。その時その時 為してきたことの積み重ねだ。そんなことわかりきっているというのに、何故かそれに追い立てられているような錯覚を抱く。

 くだらないと一蹴すべき感傷を思考の隅に追いやろうとして、それでもうまくいかずに軽く目を閉じて息を吐く。無意識に強張っていた身体をほぐすように。

 ―さて、どうしましょうかねぇ。

 心中で軽くつぶやく。思いつく限りの動機と、それに付随する行動の選択肢を思い浮かべる。何せ相手が相手だ。一本筋ではいかないことなど予想するまでもない。


 幸いだったのは自分の立場がつよい英国ここに相手が出向いてきたこと。相手の本拠地ホームではいずれ物資や人材の波に圧されてしまう。時期も良かった。皆こぞって倫敦に赴く社交期シーズン前だ。元々社交界に顔を出すつもりはないが、今回のことを伝えておけば無理な招聘もないだろう。

 まずは根回しを済ませておく必要がある。鴉を通じて外交筋には話がいっている頃合いだろうが、には自分から言っておかねば。

 在位日数を常に更新し続けるバッキンガムの高貴な女性は、表立って動けないがそれでもだ。現に今も、PCの画面に続々と情報が集まってきている。ずいぶんと耳と眼が大きいものだと白けたようにも思えるが、かつて世界の半分を支配していた大国、その君主ともなれば当然か、とも感じる。

 PCに映る情報を眺めながら、清世はぼんやりと師の言葉を思い出していた。


『いいかい、予想外や想定外というものがあってはならない。考え付くもの、思いつくもの、それらをすべて列挙し、ありとあらゆることを予想しなさい。

 内面はどれだけ荒れていても、浮かべるものは凪いだ笑み。それこそがお前の一番の武器となる。感情を殺すのではなく、感情を制御し、統べるのだ。

 感情に支配されるのではなく、お前が感情を支配する。

 過去は情報に過ぎず、現在は目に見えるもの、そして未来はお前自身が掴むものだ。

 キヨ、わたしは不甲斐ない師だったが、それでもお前の幸せを願っているよ』


 ―嗚呼。

 無意識にうすらと浮かぶ笑み。かつて、師を真似て鏡の前で必死に練習した。

 師と同じ立場公爵になってから、彼が何故ずっと微笑を称えていたのか理解した。貴族社会という閉じた世界。与えられる責務と自由。確かに歴然とした身分制度は堅苦しい場面が多い。息苦しいと感じたこともある。けれど、生まれた国、生まれた家に比べたら自由の度合いが全く違った。それに応じて背負わされる責任も大きいものだったけれど、それでもあの閉じた小さい家に比べたらまだ幾分か呼吸いきが出来る。

 師について世界中を回り、いろんなことを学んだ。良い思い出も悪い思い出もある。……どちらかというと悪い思い出、澄ましたあの顔に拳なり蹴りなりを叩き込んでやりたい腹立たしい記憶の方が多いが、それは今は置いておくとして。


「何事も無駄になることはなく、全て己を形作るもののひとつ……」


 幼子に言い含めるように、師が繰り返していたのを思い出す。どのようなことも全ては今このためだったのだと。そう信じて考え付くすべてのものに対応を始める。

 義弟の現在位置。周囲の施設、建物、その間取り。天候の変動予想、倫敦に居る貴族。情報屋。裏路地や地下で活動する人間はどのくらいいるか、それらに協力を求めた場合、どちらに付くか。


 並行作業で各所に指示を出し、次々に舞い込んでくる情報に目を通す。

 画面を注視していると、一つの画面がポップアップした。薔薇と薊、そして一角獣が背景とされたその画面は、公式に使われるものではないのだけれど。

そこには流麗な綴り文字で一言、『太陽も月も空に輝いている』と書かれていた。

 その文章だけでは一見意味の解らないものだと思われる。相変わらず回りくどい言葉が好きなのだと清世は苦笑した。かの高貴な女性は表立って政治に口出すことはないが、それでもこの大国の頂点に立つ人間だ。

 要するに、『国としては正式に争いごとを望んではいないし、厄介ごとを表に出すな。秘密裏に全て収めよ』という意味だろう。太陽と月はそれぞれの国の隠喩であり、その関係を陰らせてはいけないという忠告でもあった。


 意味を察するなり、清世は今度こそ口唇を緩く持ち上げた。なるほど、という感情が強い。釘を刺されたのと同時に、保証されたも同然だ。

 英国は、その立場ゆえ公的に相手側に批難を送ることも、抗議することもしない。政府も王室も今回のことは無関係だ。しかし、領地内でことを収めるなら黙認してやる、という保証書に他ならない。


「総員、現状報告を」


 無線のスイッチを入れて言い放つ。


「鴉」

『M1、M6の工事は規定通り始まってる、今んとこ空路へのアクセスは確認出来てなーい』


「猫」

『ケンジントンも平常と変わりありません、バッターシー、ハイドの情報屋も特には』


「鼠」

『ヒースローからレンタカー、宿泊先の問い合わせを確認。ピカデリーラインへの乗車、キングスクロス駅へ向かっている模様』


「鳩」

『外交筋へ早期に事態解決のための助力を取り付けました。あちらも事を荒立てる気はないとのこと。薔薇の女性からの書面を送りましたが、確認いただけましたか』

「確認した、かの女性は公的には動かれない。しかし領地内でのことであれば黙認されるそうだ」

『必要であれば爪をお貸しいただけるとお言葉を預かっております』


 報告は全体に共有される。


「バッキンガムの助力は感謝のみを。レンタカーの手配はそのまま通せ。

 鳩はそのままパレス詰め、鼠はヒースローでチャーターの手配を。いつでも離陸できるように準備しておけ。

 猫は渡りをつけたら北上しバーミンガムで一旦情報統括を。何かあれば逐次報告」

『俺はー?』

「鴉はこちらへ」

『ちょっぱやでも1時間半かかるぜ?』

「構わない、包囲網は領地側を除いて締めろ。できれば空路ではなく陸路を選択させろ、そうすれば少しは余裕ができる」


 端的な指示にそれぞれ「Yes,sir」の返答を得て無線を切る。


つなぐ……お前は何故」


 考えても考えても解らない理由。恐らくは、という予想も推測も出来る。だが、確証が得られない。

 清世は深く息を吐くと、感情を払うかのように立ち上がった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る