従後:4月19日

 空がある。高く蒼い空だ。快晴という言葉通りの天気に、鬱屈とした冬を振り払うかのような暖かくやわらかい陽光。雲はあるが地平線に近いところで、どうやら今日は1日好天に恵まれるだろう。

 眼下では使用人たちがシーツなどのリネン類をまとめて洗濯紐にかけて干している。数人がかりでばさりばさりとはたく様子は見ているこちらもなんだか楽しい。


「……こんなに良い天気なのに、なぁ」


 はぁ、漏れ出ていく吐息は重い。がしがしと頭を掻きながら室内に視線を戻して、テーブルの上に置かれている書類を眺めた。A4サイズの至って普通の紙だ。問題なのは、そこに書かれている内容。

 とある人物が英国入りしたという端的な報告書だ。盗み撮りしたであろう写真と共に、外見的特徴が挙げられている。


「まぁ、そろそろかとは思っていましたからねぇ」


 ソファにくつろいだまま、清世きよせが苦笑する。


「それにしても意外と派手だねー、もっと忍んでくると思ってたんだけど」


 視線の先には整った顔立ちの男性が写っている。如何にも日本人然とした雰囲気だが、堂々と前を見据えているその視線は強く、周囲が少し離れているようにも見える。


「供を連れてきていないことから、一応お忍びなのでしょう。若しくは単独強行か。……まぁ、後者でしょうねぇ」

「なんであんたらはこう……決めたらそれに一直線!なの」

「性分でしょうねぇ」

「あー、やだやだ、それで納得できる自分がイヤ」

「まぁそう言わず。……対応は?」


 苦笑しつつなだめてきた清世は静かに問う。鴉はがしがしと自分の頭を掻いた。


をつけたいところだけど、近距離は無理だから中距離で。王室と外交筋から日本あっちの動きは探り入れて、目立った動きはないって報告あり。

 ただ、代行は立ててるっぽいから目立つってこと自体がおかしいんだけどね」

「なるほど、」

「表向き青い血のお貴族さまに正面だって喧嘩売るような馬鹿な真似はしないってことじゃね」

「そうでしょうねぇ」

「忘れてるだろうけど、お前、一応、英国この国でも有数の公爵なんだからな!?」

「忘れておりませんよ」


 悠然と微笑わらうこの男は、もちろん自分の立場がどういうもので自分の行動がどういうものを招くから十二分に解っていると、鴉は信じている。

 英国での貴族制は現在ほぼ廃れているようにも見えるが、それでも広大な領地と莫大な資産、国中枢への影響力を持っている。それが英国王室設立時から続く公爵家ならなおさらだ。数年前、英国社交界のなかを電撃のようにある事実が席巻した。

 ドリュッセル公爵家。前身は王族に連なる公爵位だった。一度は断絶し、分家筋のある男性が先の大戦においての功労を認められて叙勲となった。そして、その公爵は叙勲して1年もしないうちにその公爵位を譲ってしまったのである。それだけでもセンセーショナルな話題として社交界を賑わせたのだが、それが女王の命であったことが噂に尾鰭どころか手足までつけてしまった理由に他ならない。


「男爵とか子爵ならともかく、公爵位を外国人に叙勲させるってこと自体異例だったってのに」

「一応丁寧にお断りしたんですけどねぇ」

「憶えてるわ、それ。『勿体ないお話ですがお断りいたします』とか良く言えたよな、女王の前で!」

「言わないと勝手に余計なものまで押し付けられてしまうでしょう」

「そーいう問題じゃないんだって……」


 鴉はぐったりと項垂れた。英国は専制君主制だ。女王に権威はあるが直接的に政治に口を出すことはない。国民が選出した議会で採決されたものを承認するだけだ。けれども権威やその存在は大きく、無視できない。

 特に今代の女王は市井への視察を熱心に行っており、国民からの人気も高い。その女王が気に掛ける人物ともなれば、連日テレビやら新聞やらで取り沙汰されてもおかしくないのだ。


「元々過ぎる身分ですからねぇ、他に適任がいれば譲るのですが」

「簡単に譲るとか言うなよ、外で」


 疲れ切った視線が清世を線るように睨む。


「今も昔も、権威だの権力だのは面倒なものですねぇ」


 その視線に嘆息しながら、清世は言葉を吐いた。面倒くさいというのがにじみ出ている。


「ま、さっきの話に戻すけど。屋敷の警護は増員するとして、人数が揃うのは明日以降かな。領地の方からも集めるようにしてる」

「領地にも人員は残しておくようにしておいてくださいね」

「わかってるって。あと、サクにはこのこと伝えんの?」


 鴉の問いかけに清世は困ったように眉を寄せた。


「どうしましょうかねぇ」


 本当に困っているのかどうかは声色からはうかがえない。のんびりしたような口調は相変わらずだ。思考を繰り返しているのだろう。サイドテーブルに置いてあった煙草に清世の手が伸びる。

 かしゅ、小さな摩擦音と焦げたような、甘いような香りが一気に部屋に広がる。ふぅ、紫煙を吐き出し、視線を窓に向ける。外は変わらず好天だ。


「俺としては、言った方がいいとおもうけど」

「何故?」

「十中八九、サクが狙われる……っつーか、どう考えても何かサクに対してアクション取りたいからわざわざ英国ここまで来たんだろ。それが良い意味か悪い意味かまでは今んとこわかんないけど。

 もしお前に用があるならまず外交筋からはずだし。

 単身で、しかもなしなんて嫌な予感バシバシじゃね」


 鴉の言葉に清世はまた一つ嘆息した。


「そうでしょうねぇ、あの義弟おとうとのことですから……」


 血のつながりは薄いとは言えど、それでも義弟おとうとなのだ。似なくて良いところまで自分に似ている部分がある。

 おそらく、単身姿を見せたのも彼の狙いではないか。清世自分英国この国でそれなりの立場にあることも当然解っているだろう。そして、その情報収集能力や武力に関してもそれなりに織り込み済みだと考えていい。


「それでも単身突撃してくるあたり、義弟おとうとらしいというか……」

「メーワク極まりないな!」




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