従位置:苦模之糸

「貴女は納得しているんですか」


 縁側で読書をしている清世きよせを見かけたのでお茶を持っていったら突然そんなことを問われた。

《納得》という言葉が何処にかかるのかが咄嗟に解らなくて、佐久夜さくやは動きを止めた。


「何を、ですか?」

「まぁ……義弟おとうとのことに限らず、貴女の置かれている環境全て、ですかねぇ」


 湯呑を受け取りつつ、それでも清世の視線は庭に向けられている。清世から少し離れたところに正座しつつ、佐久夜は少しだけ思案した。


「納得もなにも……」


 それしか言葉が出てこない。


「仕方ないと諦めるしかないですか」

「……………」

「ところで、こちらには貴女と婆様しかいらっしゃらないので?

 確か、姉上がおられましたよね?」

「姉、は……父母と共に違うところに、」

「嗚呼、なるほど」


 清世は茶を啜るわけでもなく湯呑を手にしたままゆったりと彼女の方を向いた。


にすべて押し付けて自分たちは無関係だと」

「そんな、こと、は、」


 佐久夜の声が震えている。


「私がやらなければ、他の誰かや何かがその役を負うことになります、だから、いいんです、私は、」

「そう言い聞かせて自分の感情を切り捨てることで今まで頑張ってきたのですね。

 自分でなければ、と思ったことが無いわけではないでしょう?」


 まっすぐな視線が、痛い。俯いて、握りしめた指先が白く震えていることを自覚する。責められているわけではないのに。真綿で首を絞められているようだ。

彼の言う通り、自分でなければ、と思ったことが無いわけじゃない。そうじゃない。ただ、わずかな望みに縋るよりは自分から手放した方が良いと思っただけだ。

 ゆっくり、息を吐く。細く、長く。瞼を閉じて視界を閉ざすと自分の鼓動が耳の奥で響いているのが解る。乱れていたそのリズムを意識することで


「清世さんの言う通り」


 佐久夜はゆっくりと目を開いた。同じようにゆっくりと視線を上げて、彼の瞳をまっすぐに見返す。


「確かに、そのように思ったことがない、とは言えません。が、しかし、私がこの家に産まれたのもそのような血筋になっていたのも私の意志で決めたことではなく、既にそういたことです。

 ……お願いですから、儚い幻想を抱かせて一縷の望みに縋らせようとしないでください。私は、そんなに強い人間ではないのです」


 澱むことなく言葉を発することが出来た自分を、どこか遠い所から見ているような錯覚を抱いた。いつものことだ。求められている言動を繰り返しているうちにが遠くなる。酷く冷静に、感情が平坦になる。

……それが良いか悪いかは別として。

 そのことに気付いているのかいないのか、清世の表情からは計り知れない。静かに見据えていた視線が、ふ、と外される。


「……まぁ、いいでしょう。ただ、憶えていてくださいね」


 ゆるく笑んだ口唇に反して、眉根が寄せられた目元はなぜか哀しいものに見えた。


「私は貴女の味方でありたい、そう思っているのですよ、貴女が義弟おとうとの許嫁ということを抜きにしても、です」


 小さい子供にするようにぽんぽん、と軽く頭を撫でられる。くすぐったいような気がして、思わず佐久夜は笑んだ。


「貴女が本家に入れば相応の立場と権力ちからを持ち、義弟おとうとが貴女を護るでしょうが……今はそうではない、だからこそ貴女を護る立場の者が居るべきかと思ったのですが、ねぇ……」


 苦笑を浮かべつつ、思いだしたように清世は茶を啜った。


「自分でなんでもしてしまうのは責任感が強くて結構ですが、必要以上に自分の身を削ることはありませんよ」

「そんなことは……」

「ない、と言い切れるのであれば、貴女の傲慢でしかない」


 佐久夜の声を遮って、清世はいつになく強い口調で断じた。


「職業柄、血の匂いには敏感なんですよ、残念なことにね。

 ……怪我をしているでしょう。そしてそれを悟らせないように動くことが習慣になっている。違いますか?」


 無意識に、手が動く。右の太腿。押さえると鈍痛が奔る。


にやられたのですか」


 有無を言わせないような強さを孕んだ声に、ぐ、と息が詰まる。

乱れる。整えた呼吸が、平坦にした感情が乱される。いけない。相手のペースに乗せられている。だめだ。

 すぅ、軽く吸って、吐く。


「先程、お願いした通り、私は強くありません。地獄で蜘蛛の糸が垂れてきたら恥も外聞も何もかもを棄てて縋りつく弱い人間です。……私は、私なりに足掻いてその結果、もういいと結論づけたのです。それを、足蹴にしないでください」

「…………仕方のない人ですねぇ」


 表情が微塵も動かなかったのを自覚していた。それを目の当たりにした清世は少しだけ呆れたように苦笑する。言葉をどれだけ積んでもこれ以上は届かないと実感したのだろう。受け入れない柔らかな拒否と、そそのかしてくれるな、という懇願が込められたことに気付かない清世ではない。


 と彼は思った。物心ついた頃からの教育ならば尚更なるのも仕方ない。自我が芽生えるより前からこんな環境に居ては当然と言うものだ。

 嗚呼、それよりも先に彼女に傷を負わせた犯人を捜さなければ。


「さて、」


 言いつつ、膝を押さえて立ち上がる清世を、彼女は静かに見つめていた。


「今日は夕食を外で取りますから不要です。あと、何かあればこちらの番号まで連絡をください」

「解りました」

「お茶、ありがとうございました」

「いえ……」


 歩き出す清世に静かに頭を下げながら、彼女はふと小さい頃を思い出していた。








 

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