休:鴉

 からすは自分の名前を気に入っている。ともすれば「狡猾」であったり「攻撃的」であったりする、おおよその人々が想起するカラスと彼の名前はほぼ同義である。しかし、鴉は元々神格の高い神獣であったし、英国でも倫敦ロンドン塔を始め王室とも密接な関係がある。

 大鴉レイヴンとはまた違う漆黒の雰囲気が自分にとても合っているという自覚がある。夜の闇に溶ける漆黒。それを己の身にも名前にも存在させるというのはなかなかに心地よい。


 視線の先。窓際で黙々と本を読む彼女の姿が見える。東洋人のわりに肌の色が白い。それに比例するように髪は黒く長い。真剣な眼差しで辞書を引いて気になる単語を拾っているようだ。形よく整えられた爪が辞書をなぞっていく。


「おひいさんは真面目だなー」


 こんなに天気が良いのに。首都ロンドンほどではないが、これほどまでの快晴は珍しい。恐らくこの領地内に居る殆どの人間は陽気に誘われて、よし、いっちょガーデンパーティーでもやるか、と気合を入れていることだろう。現に整えられた薔薇園の一角に即席のパーティー会場が出来つつある。

 テーブルの上には所狭しと料理人が腕を奮った料理が並べられていく。あ、あのスコーン美味そう。


「さぁてと」


 声と同時に立ち上がって伸び。視線の先には小首を傾げる彼女の姿がある。先程まで執事の一人であるワタナベとなにやら会話していたが、何か言われたのだろうか。ワタナベは執事としては有能な部類に入ると思う。屋敷内のことに限らず領内、果ては英国内の様々な情報に耳をそばだてているし、その情報に基づいて冷静に分析できるほど頭も良い。唯一の欠点は歯に衣着せぬ物言いだろうか。

 まぁいいか、と心中でつぶやいて、鴉は今の今まで座り込んでいたバルコニーの柵を蹴る。何気ない動作だった。

 ひゅぉ、と耳の横で風が鳴る。この瞬間が心地よい。

 距離にして数メートル。高さにして数十メートル。落下と同時に姿勢を整えて、とん、着地。


「Hi.」


 彼女の部屋のバルコニーに着地し、開いていた大窓のレースカーテンを手で避けながら軽い挨拶。


「えっ……と、」


 振り向きながら驚かれる。そりゃそうだよな、と心中で苦笑しながらにっこり、笑ってみせる。


「初めまして、おひぃさん、オレ、クロウって言うの。よろしくー」

「あ、は、はじめまし、て?」


 会釈しながら自己紹介も兼ねて挨拶すると、戸惑いながらも頭を下げて挨拶を返してくれる。うーん、いいね、なんとも初々しい素直な反応。あのひねくれまくった清世主人とは似ても似つかない。


「あの、」

「清世がね、」


 困惑しながらも何か言おうとした彼女の、その声を無視するように言葉を紡ぐ。


「おひぃさんが部屋に引きこもって心配だから様子見てくれって言われて、来たの。あ、オレのことはカラスでもクロウでもいいよー、好きなように呼んでー」


 手をひらひらさせてそう言い放つと、困惑の色が少しだけ消えた。こちらの意図を理解したのだろうと勝手に判断しておく。至近距離まぢかで視ると、納得する部分もあればなんとなく腑に落ちない部分も自分のなかで明確になったような気がした。

 清世が入れ込んでいる女性に興味がない訳ではない。むしろ興味ありまくりだ。

 アジア圏の生まれのはずなのに色が白い。その割に長い髪は艶やかに漆黒くろい。くるりとした瞳は丸みを帯びて、まっすぐにこちらを見てくる。


「鴉さん、私は佐久夜さくやです。ご心配おかけしました」


 少しだけ低い柔らかな声だ。またしても頭を下げようとする彼女―佐久夜さくやに苦笑した。


「おひぃさんは真面目だなぁ」


 先程も思ったことが思わず口からこぼれてしまった。


「清世にも見習ってもらいたーい」


 両手を頭の後ろで組んで、愚痴を大きな声でひとつ。


「清世さんは真面目にしていればまともに見えるんですけれどもね……」

「それな!ほんとそれ!」

「人の好さそうな表情と言葉遣いに騙された犠牲者は多いでしょうね」

「おひぃさん解ってるーぅ」


 共通の話題があれば打ち解けるのも早くなる。それを当然、鴉はっている。人間は誰だって自分の考えを肯定してもらいたいものだから。

 笑い合って、その笑いの波が引いてきたところで、笑みを浮かべている佐久夜の面立ちが非常に幼く見えることに気付く。欧州人からすればアジア圏の人間は幼く見えると言うが、それだけではないだろう。

 清世よりは年下のはずだから、年齢相応の表情ということだろうか。


「あ、そうだ、」


 思いついたように声を上げた咲夜に、次を促すように首を傾げてみせる、と。


「初めてお逢いするのにこんなこと言うのもちょっと申し訳ないんですけれど、」

「なーにー」

「おひぃさんっていうの、やめてもらえませんで、しょうか……」


 佐久夜の白い頬が紅く染まる。

 羞恥なのだろうか。恥じらいのレベルが自分の知っているものと違うためか、ちょっと戸惑う。でも、まぁ、彼女の中では「恥ずかしい」のだろう。


「んー。まー、わかったわかった。んじゃー……、佐久夜サクヤだからサクでいいー?」


 適当に呼びやすいように縮めただけだけど、ホッとしたように笑顔が更にほころんだから提案は間違いではなかったようだ。


「んじゃー、サク?」

「はい?」

「もうすぐパーティーだからね、お手をどうぞー」


 恭しくお辞儀しながら手を出すと、苦笑した気配と共に白い手が乗せられた。

 小さい手だった。




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