閑話:報告書
Entry No.3
9月16日。
朝から突然「和食が食べたい!」と叫んだ彼女は厨房へ直談判をしに行った。
料理人は最初「此処は英国だ」と突っぱねたようだが、
ライスクッカー(炊飯器)などないのに、鍋でコメを調理するのを料理人のロブソンをはじめ使用人(私を含め)全員が初めて目にした。見慣れない調理を彼女は慣れた手つきでどんどん行っていった。
鍋で炊き上げたコメを塩をつけた手で握って「オニギリ」にし、ムニエルにする予定だったサーモンを野菜と一緒にミソスープにしてしまった。オムレツ用の卵もカツオブシのダシを入れて焼き上げ、「タマゴヤキ」に。
生粋の英国人にはまったく馴染みのない料理の品々が並ぶテーブルに、私を含め使用人も手を付けてよいものかどうか戸惑っていたようだった。
客人の横暴ともとれる行為を止めなかった責任は、監督職である私にある。
意を決して一歩踏み出し、頭を下げようとして、
「これはこれは、なんとも懐かしいメニューですね」
穏やかに放たれた主人の声に私はここ数年で一番の驚きを得た。
聞けば、日本に居る頃、もっと正確に言えば彼女と共に生活をしていた時期があったらしい。その頃に食卓に良く昇っていたメニューだったと。
「沢山作りすぎてしまいました、もし良かったら」と使用人たちにも振る舞われたが、初めて口にするミソスープは「サンペイジル」というらしく、なるほどサーモンの脂がミソととても合っていて美味だった。
「オニギリ」も、最初は手掴みで食べることに抵抗があったが口にしてみるとまずコメの甘味に驚いた。味付けに砂糖でも使われているのかと錯覚してしまいそうになる。噛み締めるごとに甘味が増し、「サンペイジル」の塩気と脂の甘味が更に際立つ。
使用人たちも思わず料理に夢中になった。英国と日本、同じ島国なのにこうも料理の文化が違うとは。
この日を境に、彼女に対する使用人の評価が劇的に変化した。料理人のロブソンは和食にただならぬ興味を抱き「日本の家庭料理」を彼女に教えてもらいながら作るようになった。食卓には和食が並ぶようになり、まかないにも時折「オニギリ」が登場した。
メイドたちは掃除や洗濯などの業務を手伝おうとする彼女に遠慮しながらも遠い異国の話を聴きたがるようになった。
食材の買い出しに彼女が同行するようになり、使用人の休憩時間に彼女が同席するようになり、「主人と使用人」というラインが薄く感じてしまうほど彼女の存在が大きくなった頃。
忘れもしない4月22日。
あの事件が、起こったのだ。
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